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2020年6月28日 (日)

Chim↑Pom展(ANOMALY)

このギャラリーに来るのは二度目なのだが、前回も同グループの展示であった。このグループはいろいろ物議を醸すが、なんだかんだで今や世界的に活躍しているようだ。今回2つ出ていたプロジェクトのうち1つは完全に海外が舞台で、動画も英語ベースで作っている。表現の軸足を海外にしているのは、我が尊敬する折元立身もそうであって、まー日本の現代アート市場はあかんからねー 文化に金出すの嫌がるヤツラも多いしねー 知らんけど。


「May, 2020, Tokyo」というプロジェクト。何か? コロナで非常事態宣言中の5月2週間ほど、感光する青焼き液を塗ったデカいパネルを、東京の様々な場所に設置して、外光および風雨にさらすなどして、そこの環境における変化を焼き付けたもの。そのパネルと、設置風景の写真や映像を合わせて展示している。街が異常事態になっている間の時間を焼き付けたのだ。パネルには「TOKYO 2020」とか「新しい生活様式」という文字が雑に書かれている。作品そのものはどうということはないが、コロナ禍の背景と合わせて鑑賞していると、なかなかしみじみするものがある。写真を見ると、おなじみ高収入のバ~ニラの広告の隣に設置してたり。そう「三密」の最たる夜の接客業。働いている人のダメージは大きい。その勤め先紹介サイト(だよな。見たことないけど)の広告。その隣に「TOKYO 2020」。おお、なんということだ。あるいはシャッターの降りた飲み屋街に「新しい生活様式」。皮肉か、風刺か、ただのお遊びか、君はそこに何を見る? 私は意外にもある種の切なさを感じた次第である。政治家達がいくら「TOKYO 2020」だの「新しい生活様式」だのぶち上げたところで、コロナ禍の前には、せいぜいこのパネルみたいなもの。苦しい現場、苦しい毎日を前にしては、外におっぽり出すぐらいしかないスローガンだ。あるいは、この打ち捨てられたのが、他ならぬ自分達かもしれない。折しも今、都知事選前で、コロナは無事抑えてますみたいに調子こいている小池を前に東京はこの状態、というのもリアルに感じられる。小池は三密を理由に街頭演説もやらんのだが、要はなるべく盛り上げない方が四年間の不手際のつるし上げを食らわず再選できると踏んだのであろう。姑息だねえ。汚いねえ。でもこれが王者のやり方なんだよな。王者は勝たなきゃいかん戦にゃ手段を問わない。勝てるなら正々堂々なんてやらんのだよ。美しく勝とうとするのは小者だけで、だいたい負けるんだな野党みたいに。話がそれたが、そういえば、この手の作品でよくある定点撮影で変化を記録した動画、がなかった。これは意外だと思うと同時に、アーティストが見せたい物が「変化の課程」ではないということで、これは結構重要なポイントだと思うぞ。


それからもう一つのプロジェクト、「A Drunk Pandemic」。イギリスのマンチェスターでコロナじゃなかったコレラ犠牲者を埋葬した場所(駅地下の廃坑トンネル)でビールを醸造する。ビールの名前「「A Drop of Pandemic」。なぜにビールか? 当時をして一旦煮沸して作るので、水より安全と言われたそうだ。パンデミックがテーマなので、今年のプロジェクトかと思ったら違うんだ。去年の、つまりコロナ前なのである。なんというタイムリーな。つまりプロジェクト後に、世界中が本当のパンデミックに襲われたのである。アーティストの先見性というか、直感の鋭さというか、そういうものがあるのかもしれない。ビールと同時に、なぜか尿を固めて建材みたいなブロックを作っている……というか建材として使ったそうです。「C↑P」のロゴ(?)入りで。それが積まれて展示されている。別に臭いはしないが。あと、流れる下水を映した映像とか、いや、このグループは結構バッチイもの好きなんだよなあ。ゴミとか。初期の渋谷のネズミをとっつかまえてピカチュウ風の剥製にする、からずっとそうですな。いや、私は最初尿でビールでも作ってるのかと思った。色似てるし。さすがにそうじゃないよな。
この醸造所紹介ツアーの動画が流されている。英語で日本語字幕。コレラで最初に犠牲となった女性の肖像がイメージとして使われている。なかなか怖いぞ。他にも動画があって、「PUB PANDEMIC」でみんなで乾杯している様子。今ならさしずめ「密」ですな。ああいうのは当分なさそうだ。このビールは実際会場で飲めるのかな。一応瓶が置いてあったが、誰か飲んでたって様子はないが。


常に時代のできごとに反応し、世界的に通用するコンセプトを持った作品を打ち出せる。たまには世間のヒンシュクも買うが、今後も目を離せないグループだぞ。
http://anomalytokyo.com/exhibition/may-2020-tokyo-a-drunk-pandemic/

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2020年6月22日 (月)

オラファー・エリアソン ときに川は橋となる(東京都現代美術館)

ここは少し前に読売新聞の「美術館女子」という企画でヒンシュクを買ったところである。AKBのなんとかさん(よく知らん)の魅力で注目を集めて集客しようとしたが、その企画というのが美術館や作品が主役のはずが、写真を見ると完全にそのなんとかさんが主役で、美術館はその引き立て役のフォトスポットでしかない。単なるアイドル写真集みたいなものなのだが、テキストの方にゃ「アートって、すごい」などと書いてあるもんだから、アートファンもカチンときてしまい、ついでに「女性を無知なものとして提示してる」とかジェンダー問題がどうたらとかフェミニストまで炎上。要は失敗をこいたのであるが、そんなに全身ワナワナ震えるほど怒らなくったっていいじゃんねえ……と思うんだが。まあ、これはオレが男社会にドップリ浸って感覚がマヒしてるせいらしいが。うん、してるかもしれんがどうにもならんから諦めろん。

んで、ここはアクセスもあんましよくないし、広いし、日曜朝一なら大して混んでないだろうと思ったら甘かった。結構いる。しかも子連れが多い。しかもけたたましい年頃のガキンチョ連れてきてるのも珍しくない。まあ派手なインスタレーションだしね。子供も喜びそうだと思うのも無理はないけどね。しかーも全部撮影可能。混んでて撮影可れは最悪でそこらじゅうでシャッター音がする。俺の行った時なんかさー、ガキンチョでカメラ持ってて撮りまくるのがいやがって耳障りこの上ない。いや、せいぜい作品一つに1、2枚撮るならしゃーねーなと思うけどさ、何で一つの作品に対し5枚も10枚もカシャカシャカシャカシャ撮ってんだようるっせーなクソガキが。それだけではない。なぜかしゃべくってるのもいる。しかもデカい声で。そこのバカップル、おめーらだっ。
かように客層が悪いのだが、実は波があって、混んでる部屋とすいている部屋ができる。さっきここは混んでいたが今はすいているぞ、みたいなことが起こるのだ。これはなかなか不思議な現象ですな。
そういえば、以前原美術館でもエリアソンやったけど、あの時も「密」でしたなあ。人気を甘く見ていた。

今回の企画はサスティナブルを意識し、作品の運搬を飛行機ではなく鉄道と船を使ってCO2削減に努めたそうです。最初の方に「クリティカルゾーンの記録」という作品があり、これは運搬中の振動を記録したものだそうだ。しかしアレですな、遠目で見ると視野検査の結果みたいですな。俺は緑内障なんでおなじみなんだぞ。それから「太陽の中心への探査」という薄いガラスでできた多面体に光が点っておるキラキラ系の万人ウケもよろしいインスタレーション。繊細なので離れて見て下さい、だそうです。ゆっくり動いたりしているんで、軽いんですかね。え? 光と動きは太陽光の力だって。それからどこぞに流れてくる氷は素晴らしい形だ、それを残そうというコーナーと、青い光が消えるとオレンジの残像が見えるかもしれないぞコーナー……部屋が小さいのでここはちょっと「密」だ。

それから「あなたに今起きていること、起きたこと、これから起きること」という意味深なタイトルだが、部屋の奥からの光で、前に自分達の影が映る。それも何重にも、という自分が動くので影も動くという子供ウケもいい作品。自分の姿+影を誰かに撮ってもらってもよし……ってほとんどフォトスポットじゃねーか。こっちはお一人様なんだぞ。それから「サスティナビリティ研究室」といういろいろ物が置かれているところ。覗いて見る作品が一つあって、並んでた。覗くと向こうまで丸い通路が見える。鏡の反射か何かを使っているね。それから「サンライト・グラフィティ」という手に持ったライトをいろいろ動かして光にダンスさせちゃおう記録もしてるぞ、という作品。こいつぁ参加できる!……が、一組12分もあるので、早々に本日分の受付は終了。楽しそうだが見てるしかできない。混んでる時は5分ぐらいでいいじゃんねえ。二人一組のリア充使用でプチ殺意が沸く。こっちはお一人様ですけん。

次の「人間を越えたレゾネーター」は、丸いガラスを通して円形のいろいろが見える作品。「おそれてる?」は、上から吊された色付き半透明の円形がゆっくり回って、、壁に楕円のさまざまな色が浮かんで動く。なかなか楽しい。これは見たことがあるな。
そしてメインの展示「ときに川は橋となる」。デカいインスタレーションだ。上を見ると円形の光がいくつも並んでいる。満月が並んでいるようだが、その光は水でできているかのように、揺らめいて、時に崩れて、水の模様を浮かべ、そして元に戻る。おお、さすがにスゴい。いや、これはさー、静かに見てほしいよなあ。でもシャッター音、よく響くねえ。あと動画撮ってるヤツまでいてどうがと思うが。動画はシャッター音ないけれど、撮る合図ですかね「ピロリン」みたいな音がして、それがまあ結構そこらでしてる。この作品は、何度か出たり入ったりしていると、たまたま人が少ないタイミングがあり、そこでまあ楽しんだよ。それから隣の「ビューティ」はポスターにもなっている名インスタレーション。霧に当てた光で虹ができる。ここも写真スポット。しかも子供喜んで大暴れ。虹は子供目線のやや低い位置から見た方が、よく見える気がするぞ。がしかし、ここはいつでも「密」だった。
あとはパネルでプロジェクトの紹介とか。氷河がなくなっているところの写真とか、結構エコな視点のものがある。

非常にいい空間のインスタレーションなんで、平日とか人の少ない時を狙った方がいいですなあ。混んでいるとコロナリスクだけじゃなくて、シャッター音にもおしゃべりにも悩まされるぞ。
https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/olafur-eliasson/
Kc4i0029-2a
常設もちょっと見たが福富太郎の戦時中絵画のコレクションがよかった。こんなの集めてたんだ。

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2020年6月15日 (月)

ピーター・ドイグ展(東京国立近代美術館)

本来の予定じゃ6月14日までだったが、コロナ禍でガッツリ延長された。事前予約制。サイトに予約のリンクがある、チケットぴあに飛ぶのでそこでチケットを買う。受け取りをコンビニにしようとするとクロークなるシステムに送られ、そこでコンビニ受け取りを選択する。チケット代の他にシステム利用料など300円もかかる! なんでっ! せいぜい100円ぐらいだろうよ。コンビニ行ってチケットマシンで直に買った方が100円ぐらいじゃないか? クロークってのがチケットを分配したり譲渡したり(?)できるものらしいが、普通に買いたいだけなんだからよけいなシステムをかませないでほしいんだがね。
それで、行ったら検温あり。消毒液あり。おしゃべりは謹んで。まあそれはそうだな。全点撮影自由。えー? もーやだー……シャッター音うるせーよ。なんつって3枚ぐらい撮っちまった(ガラケーなんでボケボケだが)。まあ現代のアーティストなんで、静謐な雰囲気でって感じのもんでもないしな。最近ちょっと慣れてきたってのもあるかも。
ピーター・ドイグは1959年生まれ。思いっきり現代アート。しかし抽象やらインスタレーションなんかが流行の現代において具象の絵画で勝負だ。

「第1章 森の奥へ」ということで一応年代順で2002年までの絵。最初の絵は「街のはずれで」……うーん、ヘンな木だな……以外何も浮かばない。別に写実でもないし、荒々しくもないし、静謐でもないし、色が際だっているわけでもないし。「天の川」木などが水面に映っているが、水面側の方がはっきり描いてあるね。「のまれる」これも水面っぽい。あー、なんとなく抽象だな。モネの最晩年の、庭描いたヤツみたい。おっと、あっちにはちゃんと抽象画があるぞ、と思ったら違う。「スキージャケット」よく見ると、鳥瞰で人が小さく描いてある。抽象じゃないんだこれが。でも抽象画としても見れる。「カヌー=湖」この妙なカヌーの色……というかその上の水面に手を浸している人物……カッパか? うむ、どうやらゴーギャンの影響がありそうだぞ。まあ解説にもそう書いてはあったな。実際の色と違ってもいいんだ。自分の感覚に合えば何をどんな色で表現したっていいんだっ。というナビに従え。「若い豆農家」うむ、前面の木の枝。「ロードハウス」建物かカッチリ描いてあるね。画面三分割。「コンクリート・キャビン」木々の向こうに見えるのはコルビュジェの建物だ。「オーリン MKⅣ Part2」なんかスキーの……モーグルのジャンプみたいのしてる。下が緑なんだが。「山の風景の中の人物(アイ・ラブ・ユー、ビッグ・ダミー)」えー? どれが人物。そのデカいのか? という抽象みたいなの。「ガストホーフ・ツァ・ムルデンタールシュベレ」タイルで彩られたダムへの道。雰囲気はいいよ。人物は微妙だが。
んなわけで、どの絵も見ているとまあまあ面白い……んだけど、こりゃスゲエってものがない。えー、だって、絶賛されてるじゃん。うん、でも自分にはどうも……で、その理由もボチボチ分かってくる。

「第2章 海辺で」ええと、2002年からの絵だって。「ペリカン(スタッグ)」滝の中央で人が浮いている。「無題(パラミン)」妖怪か。ラフに描いてあるが何か用かい? 「黒い少女」水着姿だけど、なんか怖いぞ。萌えねえ。「ピンポン」卓球の絵だけど、背景が四角を並べたヤツ。「赤いボート(想像の少年達)」あーこれもゴーギャン風か。「夜のスタジオ(スタジオフィルムとラケット・クラブ)」おお、なんとなくバスキア的な雰囲気。確かにバスキアの影響も受けたとか書いてあったような。でもこの絵の解説には書いてなくて、マティスの影響とか書いてある。おお、そうか、だからピンとこないのだ。そういえば全体にマティスの感じに近いしな。そして私はマティスを最も不得手としている。なーんかね、やってることも意図も分かるんだけど、それが素晴らしいとかすごいとか美しいとかの実感を伴ってこない。困ったものだよ。実はゴーギャンもちょっと苦手なんだ。バスキアなら逆にその天才ぶりを実感できる。みんなも主観ではそういうのあるだろ? 皆がいいと言っているものは、例外なく自分もいいと実感する……なんてヤツはおらん。そんなわけで、ドイグにピンとこないのは、マティスに近いからだ。つまり逆に、マティスやゴーギャンが好きだったら、ドイグにも飛びつけるであろう。
えー、さて淡々と続きを行くか。「ラベイルーズの壁」ホッパー風のちょっと寂しい感じ。おや、人物が頭に乗せている傘は、東京オリンピックで頭に乗せる小池トンマ傘ではないか。来年やるのかな。「馬と騎手」文字通りだが、壁が四角。「無題(肖像)」女性、胸出てる。それより傍らのヘンな抽象模様に目が行くが。「壁画家のための絵画(プロスペリティ・ポート・オブ・スペイン)」旗を並べたヤツ。「花の家(そこで会いましょう)」タトゥー人物か? 「ポート・オブ・スペインの雨(ホワイトオーク)」ライオンだじょ。「赤い男(カリプソを歌う)」「水浴者(カリプソを歌う)」同じような絵が並んでいる。いろいろ違うのだが同じという妙なものだ。「影」おお、骨が見える。「二本の樹木(音楽)」中央の影は、木の上の物体はなんだ? 「音楽(二本の樹木)さっきの絵の関連作品。中央の賭も木の上の物体も人物らしい。

「第3章 スタジオの中で」なんか映画サロンみたいなのをやっていたそうで、そのポスターが並ぶ。といってもどれもマティス風というかラフな感じの絵だ。私は以前は映画もずいぶん見てはいたのだが、すっかり見なくなりまして。何しろ映像酔いが酷くなった。もう2年ぐらい前かな「カメラを止めるな」手持ちカメラのゆらゆらで、ありゃあ死ぬかと思った(大げさだが)。3Dなんてじぇったい無理。で、見たことある映画のポスターもあるぞ。「お熱いのがお好き」おお、これはラストの名場面だな。「東京物語」これが東京とな? 「ドッグ・ヴィル」トリアー監督の異様な映画だ。ポスターは悪くない。「ゴースト・ドッグ」あーこれジャームッシュのだよ。もう一度見たいヤツだ。ポスターは、こんなもんか? 「HANA-BI」キタノのだぞ。「羅生門」見たっけ……ポスターは雰囲気出てる。「ピンポン」日本のあれか? ポスターはただのピンポンだ。「真夜中のカーボーイ」だからカウボーイって言えよっ! 水野晴男が悪いんだ。「HOUSE」見てないけど大林のあれか? 「ストレンジャー・ザン・パラダイス」ジャームッシュだ。結構好きな映画だぞ。
てなわけで、マティスやゴーギャンが好きならイケると思う。
https://peterdoig-2020.jp/
Kc4i0028a_20200615220201 Kc4i0029a

あと、常設にある北脇昇の小企画も優れものだ。日本にもイカした超現実絵画の描き手がいるのだ。
https://www.momat.go.jp/am/exhibition/kitawaki2020/

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2020年6月 6日 (土)

神田日勝 大地への筆触(東京ステーションギャラリー)

コロナで一時閉館していたが、いよいよ再開。チケットは日時指定なんだけど無視して乗り込む。なーんつって、オレはパスポート持ちなんだじぇ。パスポートさんは予約不要なのだよ。しかも休館期間中は延長してくれる。5月に切れてたんでありがたい。
実はあんまし期待してなくて、というのもポスターとか見ると、コントラストの強い馬の絵で、遠目でシルエットかと思い、グラフィックデザイン系かと思ってたが全然違った。バキバキの油彩の画家です。いや知らなかった。しかも早世。実力派。画風も意欲的に変化してる。いや、東京ステーションギャラリーの着眼は見事ですな。今回もそうだが、これまでも吉村芳生とか、不染鉄とか、鴨居玲とか、特に知る人ぞ知る日本の画家のセレクションはスゴい。しかしパスポートはしばらく売らんそうで残念だ。今後ハリーポッターとかあるそうだが、そんなのはいらんよ……と言いたいが、ここもまあ台所事情がいろいろあるんでしょうなあ。毎回そう混んでないしな。

神田日勝、1937年生まれ、1970年没。入るとまず「プロローグ」で若い頃の絵が並ぶ。18歳の「自画像」うん、うまいよね。頬のテカリとか。岸田劉生っぽい。この人、絵筆よりパレットナイフを使ってたそうで、その技が後々冴えてくる。「風景」がいくつもあるが、その一つは渋い印象派といったところ。生まれは東京だが北海道の農村で生きて描いた人でもあるので、早くも馬の絵が登場。「痩馬」。痩せてアバラが浮いている。もちっと大きい「馬」も同様。なんか妙に足がガッチリしてるな、とその場はそうとしか思わなかったが、これが何か、分かる人には分かるんだけど、私なんぞ分かりませんでしたよ。あとで説明する。それより、マチエール(質感)の凄さに目が行く。おお、これが、パレットナイフ技か。風格というか、絵に重みがついてるというか、そんな感じの質感になるんですなあ。

「壁と人」というコーナー。文字通りのものが後で出てくる。「家」という油彩の作品。これもマチエールすげえ。ほとんど家の材木じゃん。色も重厚。ここで曹良奎(Cho Yang Gyu)という朝鮮人の画家が出てくる。日本にいて反資本主義の姿勢で描いていて、1960年の北朝鮮帰還で帰ったまま行方知れず……だそうで。うん、まあ社会主義が理想だった時代ですな。今なら帰んない方がよさそうだが。その画家の作品「マンホールB」。そして隣に日勝の「ゴミ箱」うむっ、似てる。雰囲気から何から。日勝は相当影響受けてたそうだ。特に人物は出てこなくて、何か捨てられたようなものを重厚に描くのだ。「ゴミ箱」ではさらにドラム缶の描き方がセザンヌみたいですな。上からと横からを同居させたようなヤツ。コルビュジェなんかもやってなかったっけ? キュビズムの。でも日勝は色や質感が写実風なんだね。それから神田一明という3つ上の兄貴がいて、やっぱり画家。その作品「赤い室内」うん、似てるけど違うみたいな。それから「人」という作品。これ、手足がガッチリしてて、えらく目立つ。顔も相当特徴的だな。「飯場の風景」これも人物の存在感が……うーん一応プロレタリア(労働者)絵画かな。解説にはそうとは書いてないが、雰囲気はやっぱりそうだよね。資本家のくそったれが必死に生きる労働者を見よ、だよな。「板、足、頭」ここで、おや? と気づくのだが、人物の頭がみんな小さい。つまり印象としてクレバーな(賢い)感じがしないのだ。あまり考えず黙々と一生懸命働く労働者達だ。それでね、ここでプロレタリア絵画かどうかの印象が、後に引っかかってくるんだわ。つまり企画者側はそうじゃないと思っているのか、思っているが解説に書いてないのか、そこなんだな。さあ何が引っかかってくるのかな? あおれはあとで。それからまた「飯場の風景」こっちは魚の干物と人物。あとダクトが味を出してるな。「一人」という作品、壁の前でこちらを見ている一人の男。それだけだが結構印象が強い。男の顔が何ともやるせない感じだ。先の曹良奎がやはり壁の前の人物を描いていて「密閉せる倉庫」色合いが日勝と違う感じだし、人物も内省的ってわけじゃないが、普通な感じでもなく、こっちはこっちで味がある。

階段を下りていき「牛馬を見つめる」コーナーへ。農村で生きていたので、牛馬は重要画題だお。「馬」「開拓の馬」いずれもパレットナイフ技で詳細に描く。しかし、この馬達やっぱり足が太い……なに農耕馬ですと? そうっ、最初の方にあった足ガッチリもそうなんだけど、全部農耕場だ。私どもは(オレだけ?)馬の絵というと競馬場のサラブレッドを描いたヤツを想像しちゃうんだけど(ヨーロッパの画家とかでさ)、いや、足がすらっと長いのは確かに美しいんよ。でも違うんだ。農耕馬って足太いんだわ。日勝はそれを全力で描く。馬具で毛がすり切れちゃったところまで執拗に描く。サラブレッドに比べりゃスタイルはかっこ悪い。しかしこれはもうロックだ。ブルースだ。レジスタンスだ。衝撃の馬の絵が君を待っている。まだある「死馬」文字通り死んだ馬をめいっぱい描いてる。それでね、私の目に留まったのは鎖なんよ。死してなお解けない鎖。それは労働から抜けられなかった証だ。解説には「かけがえのない存在を失った悲しみ」とか書いてあるが、どうだろう。これはペットを失ったのとはだいぶ違わなくないかい? ここで前に出た人物の絵がプロレタリア絵画だという印象が影響する。この馬は労働の鎖につながれたまま生きて、そして死んだのだ。そして自分達もまた労働者だ。だから馬はペットではなくて同じ労働の友だ。この絵には、ひたすら働いてそして死んでいく存在を訴える目的もあるんじゃなかろうか。時代的にもそうだし。それから「牛」という作品。これも死んだ牛だが、こっちは腹が一文字に切られ、その中から赤い内蔵が……っていうか赤いだけだけど色のインパクトはなかなかだ。これは絵的なインパクトを狙ったようだ。

「室内/室内風景」コーナー。ここでなんと、画風が一気に変わってしまう。暗く重厚な路線から、急に鮮やかで明るい画面で、いろいろものが置いてある室内になる。これが結構面くらう。一応ものの形は前にやっていたセザンヌっぽいかんじではあるので、全部をおっぽりだしたわけではないが、まあ、でも「なんじゃこりゃ」感が拭えぬ。あるいは今までに溜まっていた何かを放出した感もある。「室内風景」の一つに人物が。でも横尾忠則みたいなピンク顔で、今までの流れからするとケッタイ極まりない。でも次の「室内風景」では少しおとなしくなり、前の「壁と人」との融合みたいになっている。新聞紙に囲まれた人物。で、実はこれがもう死の寸前。この後間もなく過労死してしまうそうな。関連作品として海老原暎の新聞紙ばかりの絵画あり。この「室内風景」のやや前にも、日勝は試行錯誤していてポップアート風に広告の一部などを入れ込んだ絵、「壁と顔」「ヘイと人」を描いてはいるが、やはり重厚路線のインパクトからすると、軽い要素やお色気要素を入れたインパクトは大きくなく、今の時代に何とか合わせてみて、みたいなちょっと残念なところを感じてしまう。まあ本人もそう売れてたわけではないみたいだし、必死だったんでしょうな。
「アンフォルメルの試み」ここでも画風をとんでもなく変えて挑む。アンフォルメルというのが、もう形のない、みたいなもんで、原色線で形であるようなないようなものをめったやたらに描く。フォーヴに似てるが、ちょっと違う……んだよなあ。「人物A」は男女のシーンだが、色の印象はまあまあ悪くない。これはこれでありだよ……まあ好みじゃないが。

「十勝の風景」ここでは風景の小品。さっきのエキセントリックなのと逆に、あまりに普通すぎる風景画。室内装飾用として売るためかな。でも「離農」というテーマを描いたり、「扇ヶ原展望」では、それこそヴラマンクみたいなフォーヴ風にしたりと、らしい工夫はある。

そして最後「エピローグ - 半身の馬」前半分しか描かれなかった「馬(絶筆・未完)」を展示。ポスターになっているヤツだが、こうして全体の展示を見てからこの作品を見ると、その衝撃はひと味違う。前半分しか描かれていない馬は、明らかに今までの馬の描画と違う、バージョンアップされたものだ。道半ばで途絶えてしまった、という事実がいやが上にも感じられる。なんということだ! これと同じで、新型コロナで志村けんが亡くなったが、新たに俳優としてドラマに出ていてこれも道半ばだった。そして奇しくもこの絵を見た日には、横田滋氏が娘の奪回叶わず道半ばのままに亡くなっている。道半ばでこの世を去るしかない、この無念あふれる世界と対峙し、訴え続けるのがこの一枚の絵とすれば、どうであろう、今だからこそ、君が行かない手はないではないか。

パスポートがなければ予約してGO。
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202004_kandanissho.html

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