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2020年6月 6日 (土)

神田日勝 大地への筆触(東京ステーションギャラリー)

コロナで一時閉館していたが、いよいよ再開。チケットは日時指定なんだけど無視して乗り込む。なーんつって、オレはパスポート持ちなんだじぇ。パスポートさんは予約不要なのだよ。しかも休館期間中は延長してくれる。5月に切れてたんでありがたい。
実はあんまし期待してなくて、というのもポスターとか見ると、コントラストの強い馬の絵で、遠目でシルエットかと思い、グラフィックデザイン系かと思ってたが全然違った。バキバキの油彩の画家です。いや知らなかった。しかも早世。実力派。画風も意欲的に変化してる。いや、東京ステーションギャラリーの着眼は見事ですな。今回もそうだが、これまでも吉村芳生とか、不染鉄とか、鴨居玲とか、特に知る人ぞ知る日本の画家のセレクションはスゴい。しかしパスポートはしばらく売らんそうで残念だ。今後ハリーポッターとかあるそうだが、そんなのはいらんよ……と言いたいが、ここもまあ台所事情がいろいろあるんでしょうなあ。毎回そう混んでないしな。

神田日勝、1937年生まれ、1970年没。入るとまず「プロローグ」で若い頃の絵が並ぶ。18歳の「自画像」うん、うまいよね。頬のテカリとか。岸田劉生っぽい。この人、絵筆よりパレットナイフを使ってたそうで、その技が後々冴えてくる。「風景」がいくつもあるが、その一つは渋い印象派といったところ。生まれは東京だが北海道の農村で生きて描いた人でもあるので、早くも馬の絵が登場。「痩馬」。痩せてアバラが浮いている。もちっと大きい「馬」も同様。なんか妙に足がガッチリしてるな、とその場はそうとしか思わなかったが、これが何か、分かる人には分かるんだけど、私なんぞ分かりませんでしたよ。あとで説明する。それより、マチエール(質感)の凄さに目が行く。おお、これが、パレットナイフ技か。風格というか、絵に重みがついてるというか、そんな感じの質感になるんですなあ。

「壁と人」というコーナー。文字通りのものが後で出てくる。「家」という油彩の作品。これもマチエールすげえ。ほとんど家の材木じゃん。色も重厚。ここで曹良奎(Cho Yang Gyu)という朝鮮人の画家が出てくる。日本にいて反資本主義の姿勢で描いていて、1960年の北朝鮮帰還で帰ったまま行方知れず……だそうで。うん、まあ社会主義が理想だった時代ですな。今なら帰んない方がよさそうだが。その画家の作品「マンホールB」。そして隣に日勝の「ゴミ箱」うむっ、似てる。雰囲気から何から。日勝は相当影響受けてたそうだ。特に人物は出てこなくて、何か捨てられたようなものを重厚に描くのだ。「ゴミ箱」ではさらにドラム缶の描き方がセザンヌみたいですな。上からと横からを同居させたようなヤツ。コルビュジェなんかもやってなかったっけ? キュビズムの。でも日勝は色や質感が写実風なんだね。それから神田一明という3つ上の兄貴がいて、やっぱり画家。その作品「赤い室内」うん、似てるけど違うみたいな。それから「人」という作品。これ、手足がガッチリしてて、えらく目立つ。顔も相当特徴的だな。「飯場の風景」これも人物の存在感が……うーん一応プロレタリア(労働者)絵画かな。解説にはそうとは書いてないが、雰囲気はやっぱりそうだよね。資本家のくそったれが必死に生きる労働者を見よ、だよな。「板、足、頭」ここで、おや? と気づくのだが、人物の頭がみんな小さい。つまり印象としてクレバーな(賢い)感じがしないのだ。あまり考えず黙々と一生懸命働く労働者達だ。それでね、ここでプロレタリア絵画かどうかの印象が、後に引っかかってくるんだわ。つまり企画者側はそうじゃないと思っているのか、思っているが解説に書いてないのか、そこなんだな。さあ何が引っかかってくるのかな? あおれはあとで。それからまた「飯場の風景」こっちは魚の干物と人物。あとダクトが味を出してるな。「一人」という作品、壁の前でこちらを見ている一人の男。それだけだが結構印象が強い。男の顔が何ともやるせない感じだ。先の曹良奎がやはり壁の前の人物を描いていて「密閉せる倉庫」色合いが日勝と違う感じだし、人物も内省的ってわけじゃないが、普通な感じでもなく、こっちはこっちで味がある。

階段を下りていき「牛馬を見つめる」コーナーへ。農村で生きていたので、牛馬は重要画題だお。「馬」「開拓の馬」いずれもパレットナイフ技で詳細に描く。しかし、この馬達やっぱり足が太い……なに農耕馬ですと? そうっ、最初の方にあった足ガッチリもそうなんだけど、全部農耕場だ。私どもは(オレだけ?)馬の絵というと競馬場のサラブレッドを描いたヤツを想像しちゃうんだけど(ヨーロッパの画家とかでさ)、いや、足がすらっと長いのは確かに美しいんよ。でも違うんだ。農耕馬って足太いんだわ。日勝はそれを全力で描く。馬具で毛がすり切れちゃったところまで執拗に描く。サラブレッドに比べりゃスタイルはかっこ悪い。しかしこれはもうロックだ。ブルースだ。レジスタンスだ。衝撃の馬の絵が君を待っている。まだある「死馬」文字通り死んだ馬をめいっぱい描いてる。それでね、私の目に留まったのは鎖なんよ。死してなお解けない鎖。それは労働から抜けられなかった証だ。解説には「かけがえのない存在を失った悲しみ」とか書いてあるが、どうだろう。これはペットを失ったのとはだいぶ違わなくないかい? ここで前に出た人物の絵がプロレタリア絵画だという印象が影響する。この馬は労働の鎖につながれたまま生きて、そして死んだのだ。そして自分達もまた労働者だ。だから馬はペットではなくて同じ労働の友だ。この絵には、ひたすら働いてそして死んでいく存在を訴える目的もあるんじゃなかろうか。時代的にもそうだし。それから「牛」という作品。これも死んだ牛だが、こっちは腹が一文字に切られ、その中から赤い内蔵が……っていうか赤いだけだけど色のインパクトはなかなかだ。これは絵的なインパクトを狙ったようだ。

「室内/室内風景」コーナー。ここでなんと、画風が一気に変わってしまう。暗く重厚な路線から、急に鮮やかで明るい画面で、いろいろものが置いてある室内になる。これが結構面くらう。一応ものの形は前にやっていたセザンヌっぽいかんじではあるので、全部をおっぽりだしたわけではないが、まあ、でも「なんじゃこりゃ」感が拭えぬ。あるいは今までに溜まっていた何かを放出した感もある。「室内風景」の一つに人物が。でも横尾忠則みたいなピンク顔で、今までの流れからするとケッタイ極まりない。でも次の「室内風景」では少しおとなしくなり、前の「壁と人」との融合みたいになっている。新聞紙に囲まれた人物。で、実はこれがもう死の寸前。この後間もなく過労死してしまうそうな。関連作品として海老原暎の新聞紙ばかりの絵画あり。この「室内風景」のやや前にも、日勝は試行錯誤していてポップアート風に広告の一部などを入れ込んだ絵、「壁と顔」「ヘイと人」を描いてはいるが、やはり重厚路線のインパクトからすると、軽い要素やお色気要素を入れたインパクトは大きくなく、今の時代に何とか合わせてみて、みたいなちょっと残念なところを感じてしまう。まあ本人もそう売れてたわけではないみたいだし、必死だったんでしょうな。
「アンフォルメルの試み」ここでも画風をとんでもなく変えて挑む。アンフォルメルというのが、もう形のない、みたいなもんで、原色線で形であるようなないようなものをめったやたらに描く。フォーヴに似てるが、ちょっと違う……んだよなあ。「人物A」は男女のシーンだが、色の印象はまあまあ悪くない。これはこれでありだよ……まあ好みじゃないが。

「十勝の風景」ここでは風景の小品。さっきのエキセントリックなのと逆に、あまりに普通すぎる風景画。室内装飾用として売るためかな。でも「離農」というテーマを描いたり、「扇ヶ原展望」では、それこそヴラマンクみたいなフォーヴ風にしたりと、らしい工夫はある。

そして最後「エピローグ - 半身の馬」前半分しか描かれなかった「馬(絶筆・未完)」を展示。ポスターになっているヤツだが、こうして全体の展示を見てからこの作品を見ると、その衝撃はひと味違う。前半分しか描かれていない馬は、明らかに今までの馬の描画と違う、バージョンアップされたものだ。道半ばで途絶えてしまった、という事実がいやが上にも感じられる。なんということだ! これと同じで、新型コロナで志村けんが亡くなったが、新たに俳優としてドラマに出ていてこれも道半ばだった。そして奇しくもこの絵を見た日には、横田滋氏が娘の奪回叶わず道半ばのままに亡くなっている。道半ばでこの世を去るしかない、この無念あふれる世界と対峙し、訴え続けるのがこの一枚の絵とすれば、どうであろう、今だからこそ、君が行かない手はないではないか。

パスポートがなければ予約してGO。
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202004_kandanissho.html

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