2015年8月 8日 (土)

フリーダ・カーロの遺品(シアター・イメージフォーラム)

メキシコの画家フリーダ・カーロの遺品と、それをカメラで撮影する女性写真家、石内都のドキュメンタリー。フリーダ・カーロといえば、私は史上最強の女性画家として崇拝し、メキシコシティのブルーハウスこと「フリーダ・カーロ博物館」を訪れるのを主目的としてメキシコに行ったこともあるのです。もう20年ぐらい前か。その時い買った「二人のフリーダ」のTシャツを装着して映画館へ。

が、しかし、実はあんまり期待してなかった。生涯闘病して苦しみつつもおしゃれだったとか、恋愛いっぱいしてたとか、それってよく知られているし、今更それを賞賛されてもなあ。ドキュメンタリーだと絵画よりもそういう傾向になるよなあ、と思った次第。それに、私のフリーダが好きというのは、痛みや苦しみをあの容赦ない超現実な描画(フリーダ本人はあくまで現実を描いていると言ってるが)で表現しているのが好きなのであって、つまりシュールや超現実が好みなのです。ってなると、どうもまじめでリアルなドラマやドキュメンタリーと親和性がある感じじゃない。前に作られた映画「フリーダ」では、ブラザーズ・クェイのパペットアニメーションが使われていたが、そういうところは「フリーダ好きへのサービス」みたいでよかった。でも今回は写真家を追いかけているみたいなので、どうもそういう超現実な感じじゃない。ちなみに私は写真芸術を見ないもんで、石内都も知りませんでした。

映画が始まって、石内都が言う「(フリーダは)絵も含めてあまり興味なかった」……ぬぁんだって? そういう人がフリーダに関する写真撮っていいのか? と思ったのだが、映画が進むにつれ、この違和感が払拭されていく。どころか、ううむ、このアプローチはフリーダに心酔しているようなヤツではできん。石内都でしかできないよなあ。うまい人選をしたものだな、と感心する。

石内は遺物の、主に衣装からその人となりを読み取り、写真に記録していく。決してフリーダの過激な表現に流されることもなく、自分も一人のアーティストとして対峙し、時に女性として感心し、共感しつつ。その自然な客観ぶりが私のような心酔派には逆に新鮮に見えるものです。これ、心酔しているヤツが、あえて客観を装ってもダメなんだよね。あくまで自然体なのがいい。

途中、フリーダのファッションの源泉というか、パンフでは「アイデンティティ」となっているところのオアハカ州イスモの様子が映される。これがまあ驚き。老いも若きも女性達は普通にあの「フリーダみたいな感じ」の衣装で過ごしているではないか。花柄のハデハデな衣装。フ、フリーダがいっぱいいる。ううん行ってみたいねえイスモ。しかしこれ、男のファッションって何もないのか? それにしても、こうなるとフリーダが特別エキゾチックな「個人」ではなくなってくる。やっぱりメキシコに生きる一人なのだ。

映画内では奇しくも石内の友人が亡くなり、同時に「死者の日」のイベントの様子が流れ、死生観の違いをいやが上にも感じてしまう。しかしここ、説明的じゃないところがいいね。

そんなわけで、フリーダに心酔しているほどに、石内アプローチの冷静さと客観性に驚き、それが今まで見えなかったフリーダの本質をあぶり出している、というのに感心する。とかく神格化しちゃってると、こういう人間の本質ウンヌンみたいなやり方はどうもなあ、と思うかもしれないが、この映画はそういう嫌な感じはしなかった。んんん、が、しかし、私としてはフリーダの魅力はやはり絵画にこそあるのだ、と言いたいけどね。いやそういう人ほど観た方がいい映画だぞ。
http://legacy-frida.info/

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2006年5月13日 (土)

映画「ブロークン・フラワーズ」

を観てきました。ビル・マーレイとか、シャロン・ストーンとか有名どころ俳優を使っても、やっぱりジム・ジャームッシュ監督映画。もはや職人芸ともいえるほど間の悪い・気まずい・冴えない会話が大いにエンジョイできる。前作「コーヒー・アンド・シガレット」の「はずまない会話」を楽しめた人は今回も大いに楽しめる。普通の映画だと思って観に行くと、多分「うむむ?」であろう。いや、別に決して分かりにくい映画じゃないんだが。ちょっと玄人好みなだけさ。

でも、ジャームッシュ作品で一番好きなのは「ゴースト・ドッグ」だなあ。次点が「ストレンジャー・ザン・パラダイス」かな。

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