2017年6月17日 (土)

ジャコメッティ展(国立新美術館)

先日実家に行った時に、ジャコメッティそっくりな、古代イタリアのエトルリア文明だかの細長い人物像(Ombra della sera)の置物があって、あージャコメッティはこれを参考にしたのかーと思ったのだが、この企画見るとなんか違う。ジャコは自らあのスタイルを生み出したようだ。そっくりなのはたまたまそうであっただけのようだし、よく見ると印象もずいぶん違う。
見れば分かっちゃう細い人物の彫刻。展示物の多くはそれだけど、それだけじゃないんだな。

最初は典型的な細人間「大きな像(女:レオーニ)」がある。おなじみだけどあらためて見ると、ふふーん、女ってえだけあって、髪は長めだし胸もあるし腰もくびれとるんだな。
それから初期からの作品。18歳での絵画「ディエゴの肖像」弟ね。うまいが普通。16歳での彫刻「シモン・ベラールの頭部」おっとこりゃうめえな。16歳でこのレベルかよ。人間の頭そのままじゃねえか。してみると、彫刻より平面の方が難しいみたいだな。まあ古代美術もだいたい彫刻の方が先行してリアルだしな。それからしばらく初期の彫刻が続く。抽象的なのが多いが、まだ細い人物やってない。「キュビズム的コンポジション - 男」のレンガ積んでるみたいなのとか、「横たわる女」はピカソ風というか、まるでスプーンだな。と思ったら「女=スプーン」なんていう、そのまんまなヤツもあった。しかし「鼻」という作品で、横につぶれたスタイルが登場。細い頭部だけど鼻が尖っていて長い。蚊の頭かよ。

小像のコーナー。年代的には「鼻」より前か。ジャコメッティは自分が見たものを、見た通りに残したくて、もうめちゃくちゃ悩んで、モデルと空間的に距離があるもんで、まずは小さくなっていったらしい。小さい人物像。これがマジ小さいもんで驚きだ。
それから女性立像へ。小さいばかりではマズいんで大きくしていった。ところが異常なくらい細くしないとどうもしっくりこない。見た通りをいっぺんに残すんだとかやってるとそうなるらしい。いやしかしこれはアレだな、セザンヌが静物画で、その静物の見たいところを全部一気に一枚の絵にガッチリ残すんだ、とかやって方向や遠近が妙な入り乱れ方をするのを描いたが、そういうのに似ている。ここら辺からおなじみな感じの、細い棒みたいな女性像乱立。同時に、絵も描いてて、ドローイングの人物画がチラホラ出てくるのだが、これが結構クる。ぬううキてますキてます。「正面を向いたアネット」エッチングだけど顔がゾンビみてーでな、「裸婦立像Ⅱ」……うーん、普通に描いているように見えて、なんか緊張感が高いんだよね。なんでかな。

群像のコーナー。おなじみの細い人物をいくつか使ったヤツ。「森、広場、3人の人物とひとつの頭部」タイトルまんまで、細人物と頭部の彫刻が集まって、土台を共有しているだけなんだけど面白いねえ。「林間の空地、広場、9人の人物」なんてもう細い柱9本って感じだわな。でもジャコテイストビンビンな感じがナイスだお。「3人の男グループⅠ(3人の歩く男たちⅠ)」は文字通りだが細いヤツが歩いておる。

書物のための下絵のコーナーがあって、えええ鉛筆描きの細人物は、オレにも描けそうな感じだなー。次、モデルを前にした制作。また絵に挑戦なんだけども、やっぱしモデルを前にしても見た通りを見た通り残せるかとか自分との戦いをやっているので、描線はラフでもえれえ時間がかかり、モデルを長時間というか長期間拘束してたらしい。リトグラフなんだけど、とにかくササッと描いてあるように見えて、実は脂汗ダラダラで絵とバトルしながら描いてるとしか思えない妙なテンションがある。しかし思うにこれ、見た通りに、だけじゃなくて、こんな長時間拘束して怒ってないかな、怒りたいけど怒ってないだけじゃないのかな、でも絵がぜんぜんできないし、なんていう感情面での緊張もあったんじゃないかなあ、解説には書いてないけどね。だって描いてある顔がヤヴァいんだもん。アウトサイダーアーティストが描く顔みたいに、なんか病んだ雰囲気があるんだよね。「カフェにて」とか病んでる。「自画像」はビョーキ。「男の頭部」うむヤヴァい。「横たわる女」これは割と普通。
しかーしお楽しみはこれからだっ。次のマーグ家との交流のコーナーにある油彩「マルグリット・マーグの肖像」うわっ! マジすかこれ。マジヤベーっすよこれ。今回の全展示品の中でこれが一番インパクトがあり、異様な味がある。なんて言うか……肖像なのかこれ? いや、抽象画じゃないよ。ちゃんと肖像描いてあるよ。でも、人間を書いている感じがしないというか、テンパって描いてるというか、描いては消し描いては消ししているうちにドツボにはまったヤツというか、人間の知られざる何かを描こうとしてにじみ出ているというか、表情を描いたらそのことによって相手の表情が変化して、それを描いたらまた表情が……という無限ループにはまった果ての絵というか、とにかく形容しがたく単に不気味では済まない何かがあーる。

次は矢内原伊作のコーナー、大阪大学文学部の教授だった矢内原伊作とつきあっていて、モデルもやってもらった。忍耐強い東洋人ということで、つきあいは長く続いたようだ。ペンや鉛筆で描いた肖像。さりげなく見えて、これも時間かかっているようだ。それからパリの街の絵、悪くはないが、緊張感も少ない感じで人物肖像よりは楽そうだ。あと猫と犬の彫刻もあり。いずれもジャコメッティ風に補足変形を余儀なくされている。よくできてるけどね。それからスタンパという土地の名前。そこに関する絵。静物のコーナーでは、なんとジャコメッティがセザンヌを尊敬していたと判明。やっぱそーかー。油彩「林檎のある静物」は、ああセザンヌだなあ、と感じる次第。

次は「ヴェネツィアの女」という連作。一部屋でこれだけだ。おなじみ細人間群。9人おる。当たり前だが一人一人同じように見えて違うのだ。次の部屋がクライマックス。チェーズ・マンハッタン銀行のプロジェクト、ということで、壁際にごく小さいのもあるが(ここまで来る途中にも壁に穴あいてて見れる)、非常に大きい作品を展示。大きいのは「大きな女性像Ⅱ」「大きな頭部」「歩く男Ⅰ」という3つ。この部屋だけは撮影可能。SNS野郎どもには嬉しいかもしれないが、美術品の写真なんか撮るもんじゃないと思う俺にゃあ単なるシャッター音がウザい部屋だ。作品はデカくて見応えあるけどな。あとは詩人とのコラボが少しと、パリのリトグラフ「終わりなきパリ」が少しあって終わり。

ジャコワールドにタプーリ浸れてなかなか面白い。始まったばかりだが混んでくるかなあ。テレビでの放送次第かな。ま、早めに行くに越したことはないな。
http://www.tbs.co.jp/giacometti2017/

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2017年6月15日 (木)

美術館でナンパはできるのか

なんでも「ちょいワルジジ」になるには美術館へ行き、牛肉の部位知れ」なんて記事だか文章だかが話題になっていて、そういえば私は10年ぐらい前に「モテる美術鑑賞」というフリーペーパーをコソコソ書いていた時期があり、Vol.5に「美術館でナンパ」の回がありました。いま読み返してもあまりにバカバカしいので、ここで全文公開してしまえ。

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ここ(Vo.4)まで読んできて、諸君には湧き上がる一つの疑問があると思います。
 美術館でナンパはできるか?
 今回はこの大問題について書きましょう。はい、普通はできません。なぜなら、いくらお嬢様が一人で美術館に来てたって、それは美術鑑賞に来てるのであって、ナンパされに来てるわけではないのです。そもそも何て声をかける気ですか?
「ねえ、お茶しない?」
 入場料のかかる美術鑑賞を放り出して、見知らぬ野郎とお茶しに行くバカ女はおりません。鑑賞中じゃなくて、見終わってからとか、外の売店とかで声をかければいいじゃんと思うかもしれません。ただ、それでは普通のナンパです。君がイケメンで知性的で優しい雰囲気ならいいのですが、恐らくサカリのついたケダモノが顔に出てしまって、危険人物とみなされてしまうと思います。いや、でも、ヘタな鉄砲も数撃ちゃ当たるかもしれん。君にノコノコついていく娘もいるかもしれん。でも君についていくということは、誰にでもついていく。他の男はもちろん、キャッチセールスや新興宗教にもノコノコついていくということで、つきあった後で君が苦労することは目に見えています。

 従って、君は次のような手段を取るとよいでしょう。美術館に入ったら、観客の中で最も若くて美しいお嬢様を探すのです。親付きでもかまいません。また、その際に、なるべく胸の大きい人を探しなさい。次に、君は、そのお嬢様の前におもむろに立ち、素早く両手を伸ばし、お嬢様のふくよかな両胸を思い切りつかみなさい。もちろん通報されると思いますし、ムショに入るかもしれません。でもいいじゃないか。君は美術館に来ている巨乳のお嬢様の胸をワシづかみできたんだぜ。その思い出だけで一生、生きていくんだ。どうせ君の人生なんてこれ以上のことは起こらねえよ。
 という、ミもフタもない真実はさておいて、多少マジな話をすると、一人で来てるお嬢様だって、きっかけさえあれば誰か素敵な男性と美術のお話ができて、カレシにならないかなあ、ぐらいは思っているはずです。

 何か不自然でないきっかけはあるのか?
 はいはい、意外と簡単にあるのです。大抵の美術展には「ギャラリートーク」というのがあって、学芸員が展示品の解説をしてくれます。客は流動的に集まっているので、ターゲットを見つけたらその隣に立つことも簡単。集まっている以上、隣に声をかけるのも、そんなに不自然ではない。ただ、問題は、何て話しかけるか?
「終わったらお茶しない?」
 だから、普通のナンパは貴様には無理だっての。ここは一つ、モテる美術鑑賞的な手段でいきましょうよ。知識を持たずとも会話の肥やしとなる美術作品を選ぶ必要があるのです。
 時計が溶けてる絵でおなじみのサルバドール・ダリ。彼の絵は偏屈的で意味ありげな、いろんなものがこまごまと描かれているのです。従って、君はド近眼のふりをして、絵を凝視し、ゴミがくっついたような細かい部分を見つけて、おもむろに隣のお嬢様に話しかけるのです。
「すいません、あれ何が描いてあるのでしょう? ちょっとここからじゃ見えなくて……」
「自転車に乗っている人ですが」
「どういう意味なんでしょうかね? 走って逃げたいとか」
「そうですね、私としては……」
 という感じで、話が自然に進むはずです。あとは前回の抽象画のように、ひたすら自分が見た印象だけ話せばいいのです。何も考えることはありません。会話が途切れないまま見事、出口までたどり着けば、茶も行ける。ホテルにも行けるかもしれません。
 ダリの他にも、エルンストとか、キリコとか、デルヴォーとか、近現代美術の連中には、何か意味ありげなものを描いて喜ぶ画家は少なくないです。展示作品を事前にチェックして、どの部分に注目するかを決めてから挑むのも一興。

 しかし、筋金入りのお嬢様には、これでもまだ警戒されるでしょう。従って君は、やや強引な手段を取る必要があります。
 気持悪い絵の前で、気持悪くなって、お嬢様の方に倒れてしまうのです。お嬢様なら、まさか急病人を放っておくわけありません(放っておくならそれはエセお嬢様です)。
「あの、どうなすったのですか?」
「す、すいません。あの絵を見ていたら、気分が悪くなって」
「あら、大変」
「あなたは平気なんですか?」
「あの絵を見ていると、画家の悲しみが伝わってくるようですわ」
 という感じで話が進むはずです。(※お嬢様の方が倒れたら君が介抱すればよいのだぞウヒヒヒ)
 そんな気持悪い絵を描く人がいるのか? はい、一人いるのです。H・R・ギーガー?(※映画「エイリアン」のデザイナー) 惜しいけど違うな。その画家の名は、「ズジスワフ・ベクシンスキー」といいます。ポーランドの画家です。廃墟のような、幻想世界のような、死体のような、ゾンビのような、見ていて思わず背筋が冷たくなってうえええええええ、となるキモチワル~イ、しかし美術館に飾るにふさわしい美しい絵画作品を描いております。うーん、実物を見たいもんだぜ…… でもやっぱりキモチワルイから、展示されないんだろうなあ……じゃあダメじゃん。

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ちなみに補足すると、例の記事みたいに「知識をひけらかす」のはやめた方がよいと思います。あとギャラリートークですが、学芸員の顔はちゃんと立てましょう。「俺の知識で論破してやる」なんてのはもってのほかです。印象が悪くなるだけでモテません。
もう少し補足すると、私は美術館でナンパしたことはありません。たとえできても気の利いたメシ食うところなんか知らんので、あとが続かないです。

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2017年6月11日 (日)

絵画は告発する(板橋区立美術館)

館蔵品展である。ここは企画もなかなかいいのだが、いかんせんアクセスが悪い。まー周囲に公園とか観光地らしきものとかあるんだけども、駅からも遠いしバスは少ないし、もちっとなんとかならなかったのかなー

さて、共謀罪反対渦巻く昨今、現在の芸術家詩人諸氏もまた反対の大合唱、曰くこれ戦前そっくり、このままじゃ何も言えない表現できない社会になるぞ恐ろしいぞとか。じゃあ実際その戦前はどうだったのかってのがかいま見れる企画なわけですよ。

最初にプロレタリア運動に関する作品。社会主義がまだバラ色でカッコイイイメージだった頃、ロシアの社会主義リアリズムを意識した作品を作るのが流行だったんだって。寺島貞志「コムソモルカ」はロシアの赤いネーチャンで、たくましいかっこいい。このプロレタリア運動は治安維持法で弾圧を受けてしまう。うおおお共謀罪もきっとその再来じゃあ~……うん、でもいまプロレタリア運動なんてやってない。いや、やってるのかもしれないけど、もう社会主義に憧れる人も少ないだろうに。反政府を叫ぶ人々はいかなる社会を理想としているのだろうか……

さて、当時はシュルレアリズムも盛んだった。石井新三郎「作品」とかダリ風だし浜松小源太「世紀の系図」はエルンスト風か、うん、まあシュルレアリズムは無意識なら何でもありっぽく見えて、実際は結構誰かの作風に影響されている感じがしますなあ。あと、これらの作品も当時の社会情勢に影響受けてたみたいなんだけど、直接的に何か訴えているわけでなく、まあ、なんていうか雰囲気が暗い……感じ? 結局このシュルレアリズムも弾圧を受けてしまう。

戦争中はさすがに自由に表現できない。裸体画も抽象画も時局にそぐわないと言われたそうな。しかし軍の意向に沿った戦争画なら描ける。ああ暗黒時代よ、と思うかもしれないが、軍の意向に沿った戦争画なんぞみんなクソッタレだと決めつけた連中が日本から藤田嗣治を追い出したのだよ。藤田の戦争画は決して芸術的に劣ったものではなかったし、玉砕ものなど悲惨な無常感が力強く表現されていたが、正義は我にありとする連中の糾弾の中じゃそんな指摘できるはずもなく……結局戦前に正義を振りかざして人々を戦争に持って行ったのと方向が逆になっただけで何ら変わりないじゃんねえ、という話はさておき、いかなる弾圧があれど芸術家は芸術家として、表現する人はするのだ。まあ厭戦的ってだけでアウトになる時代ではあったからねえ、表現できない人も多かったろうな。

話はまたそれるけれども、共謀罪ね「一般の人は監視対象じゃありません」なんて言われて安心してる人もいるが、一般じゃない人ってどんな人か……監視対象じゃない人だってお。基準にならねえ。美しい絵は美術館に飾ります。じゃあどんな絵が美しい絵か、美術館に飾られている絵です。と同じだもん。意味ない。でも思うに、共謀罪が成立してもすぐに何かは起こらないし(今の政府の文句言ったぐらいじゃつかまらないよ)、それゆえ「何も変わらねーじゃん」っていう人がほとんどで、反対派は煽りすぎだよバカじゃねーのってバカにされるであろう。でも、共謀罪が本当に牙をむくのは今じゃなくて、もっと戦争が近くなった時、北から飛んできたミサイルが本土に当たっちゃったとか。世の中が戦争ムードになって「さあ攻撃された以上、国民一丸となって戦おうぜ」ってなことを政府が言い始めた時(その時は多くの国民ももうヤル気になっているであろう)、その時に「やっぱり日本とアメリカが悪いんじゃない」なんてヤツ気のじゃまをするヤツラを全部しょっぴくのです。だからさ、「成立すれば今すぐ危険な世の中になる」なんて煽り方はダメなんだよ野党。またバカを見るぞ。

話を戻して、ここに並んでいるのは身近な風景を描いたところ……なんだけど、そこは今見るとやっぱし戦争中な雰囲気はある。大塚睦「荒地」の痩せた人物、末永胤生(たねお)「漁る人々」、竹中三郎「働く女達(市場へ)」いずれも働いているんだけどどこか暗い。井上長三郎「漂流」は暗い中輪郭線だけで表現された抽象スレスレ。全面的に逆らうことなく、かといって萎縮することない表現。共謀罪の危機を訴えている芸術家諸氏もこれからの時代のため、見ておいた方がいいんじゃないか。

「戦後」の人体表現というコーナーがあって、戦争を経た人達の関心は内面に向かっていったとのことだが、実はここがメインじゃないかってぐらい力の入った作品が並ぶ。寺田政明「灯の中の対話」はネズミだが、古沢岩美「女幻」のシュールな画面にリアルな女の顔。入江比呂「薪炭(戦時配給)」「群(米よこせ)」は抽象だがいかにも戦後でものがない。この辺から人体表現が加速し、糸園和三郎「像」は首がない、阿部展也「顔の後ろの顔」の異様っぷり、漆原英子が強烈で「The Sybarite-快楽を求める人-」はエレファントマンか。同じく「CLOWN」は蔵六の奇病か……って知らないか。早瀬龍江「自嘲」は顔が皿に乗っててフォークまで刺さっている。いずれも女性画家かな。なんとなくこの手の表現は女性の方が容赦ない表現するよなあ。

戦後になったものの、まだ朝鮮戦争なんかが起こっていて、戦争体験者でもある表現者達のパワーは劣らない。今も現役の中村弘「富士二合」なんだここはエイリアンの巣か。桂川寛「立ち退く人(小河内村)」は人物はさりげなく立っているだけだけど、背後にやっぱり、あるよなあ。山下菊二はとにかくパワフルで、「祀られる戦士」「壮烈(ベトナム)」ホラー画とも反軍事ともゲルニカともボッスともシュールとも、とにかく異様な表現で迫る。思うに、戦争を経てきた者たちの生々しい意識が描かせているので、なんか今時とはひと味違う。思えば我々は所詮戦後の平和生まれ平和育ち、いかに社会が危機だと認識しても、はっきり言ってチョコザイなもので、それを作品に込めて出さざるを得ないようなせっぱ詰まった感情とは無縁ではないだろうか。ええ? 現代の芸術家諸君、詩人諸君よ、口ではいかに共謀罪は危険じゃ戦争前じゃと危機を分かっていても、それを口であるいはSNSで言ってりゃプシューとガスが抜けて満足しちゃう程度の危機感じゃねーのかい。今現在、誰かこの世界の危機を作品にしちゃーいないのかい? 戦前、戦後を生きて表現してきたこれらの人々を見習うべきじゃないのかい。もう過去の連中で、ここから学ぶことは何もないのかい。歴史は繰り返すなどと言いつつ、その歴史の中で戦ってきた人々へ向ける目はないのかー

てなことを考えていた。
http://www.itabashiartmuseum.jp/exhibition/2017-exhibition/ex170408.html

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2017年6月 4日 (日)

ランス美術館展(損保ジャパン日本興亜美術館)

1300円とここにしちゃ強気だお。何があるのかな。フランス絵画らしいが。

入ったら17世紀から概ね年代順。目に付いたのはまずヨルダーンス(と思われる)……伝ヨルダーンスかい。それの「サテュロス」。酒の神バッカスの従者だって。ナイスな赤ら顔だぜ。昼に見てもヨルダーンス。それからジャック・マルモッテ「レダ」あー、あのギリシャ神話のね。ゼウスの白鳥はいるが、レダを押し倒しているシーンではないのでイマイチ盛り上がりに欠けるな。最初の目玉がダヴィッド(および工房)の「マラーの死」。え、これ有名なヤツじゃん。新古典主義のダヴィッドのね、リアルな筋肉男の魅力満載……まあ死んでんだけど。ドラクロワがあるがうーむイマイチだ……っていうかドラクロワのイイヤツはそれだけで客呼べるしな。こないだ見たシャセリオーがある。「とらわれの女」とらわれてんだから裸だ。背景は屋外だ。しかしなんだね、とらわれて裸にされてる女の絵をそこらの人が普通に美術品として鑑賞してんだからおもしれーな。シャルル・ランデル「タンジールのユダヤ人の女」うん美女だ。エデュアール・デュビュッフ「ルイ・ポメリー婦人」シャンパンの、あのポメリーの人か。オレは好きだよポメリー……もう何年も飲んでないが。ええ有名どころでコロー……並。ミレー……小さいな。ドーミエ……こないだ練馬で風刺版画を見た。こっちは「画家」という暗い油彩。クールベさん……並。ううむ、一応名が知られている人が多いけど、なんかズガッとくるヤツはないのか?

印象派あたりになってきて、シスレー……普通。ラファエリ「シャンゼリゼ」おー、これはなかなかですね。人がいっぱいで。次のピサロの「オペラ座通り、テアトルフランセ広場」も、ちょと見下ろした感じがイケますね。ファンタン・ラトゥール「まどろむニンフ」おお、ボヤボヤ画面だけどそれがよいな。ヴュイヤール「試着」作品は小さいがナビ派の人でナビ派な感じだ。ゴーギャン「バラと彫像」地味だな。ドニ「魅せられた人々」これは色がちょっとトチ狂っているところがいいね。ヨーゼフ・シマ「ロジェ・ジルベール=ルコント」人物画だが体が妙な影になっている感じがシュールの人。……って、ここまでまだ半分ぐらいで、もうこんな時代まで来たのか? 残りは現代美術か? ……と思いきや。ここまでは前菜で、実はメインがこれからなんだな。

藤田嗣治が洗礼を受けてレオナール・フジタになった場所が、実はこのランスなんだって。「平和の聖母礼拝堂」という教会があって、そこにフレスコ画を描いたのです。なもんで、フジタのコレクションが充実。展示の残りは全部フジタだお。ここのだけじゃなくて他の美術館からもフジタを持ってきて展示している。まず油彩いろいろ。「ヴァイオリンを持つこども」ほほーおんにゃの子かと思ったら男子だと。注文制作らしい。「猫」猫イパーイ。やっぱフジタの猫はいいですな。なんか顔が気高いですな。「授乳の聖母」この顔立ちは日本人じゃねえな(当たり前だが)、いやつまり、日本のセンスじゃないなってことで。やっぱフジタだ。「十字架降下」キリスト教絵画でありながら金箔なぞ使った和風。でも油彩か。おもしろい。「マドンナ」これはいいぞ……ってあとで見たらチラシにもなってた。聖母が黒人だ。モデルはアフリカ系アメリカ人の女優らしい。周りのケルビム(天使)も黒人の子供。なんとまあ斬新な(まあキリストは白人じゃなかった説もあるようだが)。

「平和の聖母礼拝堂」のフジタのフレスコ画を写真パネルで紹介。「七つの大罪」なんか見ると日本の武者絵とかああいうセンス……ありゃ、さっき日本のセンスじゃねえとか書いたが、やっぱし日本的を感じちゃうなあ。パネルのあと、いよいよそのための素描群を展示。これがなかなか。素描でもイイって作品は多くはないが、これはイイね。デカいし。「聖ベアトリクス」なんて最終的にステンドグラスになるんだけど、ガラスを支える太線を追加してるんで、実は素描が一番描きたいものが描かれている感じだ。「信徒たちと子ども」は何となく仏教画的構成だ。「七つの大罪」の素描もあるが。これも素描の方が描きたい欲を感じる。しかし暴飲暴食にせよ性的なものにせよ、罪としての欲望を描くためでも、よりよく描くためにはその欲望を十分抱え込まなきゃいけないアンビバレントなんだが(つまり聖人君子じゃ欲望の絵は描けんだろ)。画家は結構普通にそれやってるんだよね。画家ってなんだかんだ聖人じゃねえし。

あとはいつものゴッホとかグランマとか東郷青児とか。
http://www.sjnk-museum.org/program/4652.html

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2017年5月20日 (土)

N・S・ハルシャ展 -チャーミングな旅-(森美術館)

やっと行ってきた。インドの現代アーティスト。よく知らん人なので珍しく音声ガイドを借りる(無料なのだ)。ナレーションは細野晴臣じゃありませんか。YMOのというか、最近は「大科学実験」の人だな。でも結果的にあんまし聞かなかった。解説は作品に書いてあるし、音声聞きながらだと意外と見るのに集中できないんで。まあ、借りてみなくちゃー分からない。

最初はドローイングとか「1000の手と空」という手のひらを1000……1000枚? 円形に並べた絵がいいね。「母のサリーに描いた子宮」なんてのもいかにもインド。それから早々にハルシャの特徴である並べて配置してるけど一つ一つが違う、というものの作品が登場「私たちは来て、私たちは食べ、私たちは眠る」移動、食事、睡眠の様子を大きな3枚のキャンバスを使ってそれぞれに大勢の人がきれいに並べられる。一人一人を丁寧に見てもよし。多様でなんかいい感じと見てもよし。シンプルにしてナイスアイディア。

インドのマイスールという町に住み、そこにこだわりを持っている。大都市とディープな田舎のどちらにもアクセスできる位置だそうだ。文明と伝統の対峙という作品がいくつも。「チャーミングな国家」シリーズはインドの雰囲気全開ながら戦闘機やスペースシャトルなんて最新技術も描かれて、まあ、全体的に文明批判かな。ありがちと言っちゃあ何だが、そんなにインパクトはない。むしろ「浄化する者たちの対話」という土にまみれたヨガ修行者と、土地測定のビジネスマンの対比が面白い。

次の部屋からディープに本格化。「溶けてゆくウィット」これはよかったねえ。赤い大地に鼻血出してるピエロがうようよしてて、大地から落っこちている。意味もなく不気味でダークでよい。「ここに演説をしに来て」はポスターにもなっている大作。大きなキャンバス6枚組に縦横並んで2000人以上が描かれていると。一人一人違うし、現実の人もフィクションの人もいる。すぐにフリーダ・カーロがいることに気づいた。確か「折れた背骨」という絵にあった背骨が割れたフリーダ。そうかハルシャは知っておったのか、かの画家を。あと目に付いたのはバットマンとスーパーマンかな。「集団結婚式」はカップルが並んでいるが背景がパリ、ロンドン、ニューヨーク、どれも建物で、日本は富士山で表される。

それからインド、マイスールの紹介部屋があって、「空を見つめる人々」というインスタレーション。床一面に寝っ転がった人の絵。空を見ているのだ。そして観客も靴を脱いで中に入り、床に寝っ転がって一緒に空を見るのだ。何が見えるか? はい、上が鏡であって、人々の一緒に寝ている自分が見える、というもの。哲学的な意味があるようだが、普通に面白い。ナイスアイディア。

それから「ネイションズ(国家)」という大規模インスタレーション。足踏みミシン193台。それぞれに国旗が置いてある。足踏みミシンは国家を支える労働を象徴しているそうな。しかしその結果の国旗は何とも薄っぺらい、国家なんてそんなもんよ。これもまあ批判精神かな。メッセージはともかく、部屋を上まで埋め尽くすミシンは実に壮観。素直にスゲエ。動いてたらもっとスゲエが。それからまた平面作品が続く。「ここでは皆がむさぼり食う」は何とも強烈だ。肌の男女が何人も、例によって縦横に並んで座って食っては吐いている。うええ。でもいい感じの絵なんだよ。「レフトオーバーズ」は、葉に盛られたインドの食べ物の食べ残しの状態をわざわざ食品サンプルで作ったもの。うえええ。でも、これを見ると、前に見た会田誠のコンビニ弁当の空き容器に、絵の具をウンコ盛りした作品を思い出すな。あーあれも色はカラフルでも印象はバッチイもんでしたな。あとCHIM↑POMのね、食品サンプルで部屋じゅうを汚した「くるくるパーティ」。キタネー作品で全然イイとは思わなかったんだけど、覚えているんでアーティストの勝ちなんだよね。

「未来」という小学生向けワークショップがあったようで、シャツ(大人用)に絵の具で将来のことを描いてもらい、あとでそれを着て六本木を練り歩く、というもの。シャツそのものがどばっと展示してあるが、印象はまあ小学校の展覧会といったところか。あー、ウチの小学生を参加させりゃよかったかなとも思わんでもないが、自分で描いたシャツ着て「未来~!」と叫びながら外を歩くのは恥ずかしがるだろうなあ。まあでも、これもナイスアイディア。

ジョーン・グラウンズという人とのコラボ。柱がターメリックで塗りたくってあるのかいかにもインド。それから終わりの方「ふたたび生まれ、ふたたび死ぬ」は横24メートルの仰天作。なんたって、遠目では超太い筆で、一筆で一気に描いたかのようなんだが、実は太い線の中に宇宙が描いてあって、妙なスケール感で迫ってくる。わお、なんかこれスゲエな、というのと、そうかこの手があったかというまたナイスアイディアな印象。あと猿のインスタレーションがあったりして終わり。

アジアの現代アーティストを丸ごと特集ってのは森美術館の得意技だけど、異国ムードの世界観にタップリ浸れる点は毎度面白い。マイナーだからすいてるしな。
あと、今展望台んとこでマーベル展もやってるみたいなんだけど、混んでるっぽいし時間もないし行かなかった。まーアメコミヒーローにゃ興味ないし、帰りにショップ通ったけど全員同じに見えるんだよなあ。
http://www.mori.art.museum/contents/n_s_harsha/

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2017年5月16日 (火)

19世紀パリ時間旅行(練馬区立美術館)

タイトルだけ見て、あー例によって当時のパリの芸術家の作品が並んでいるのかなーと思いきや、はい、なんと主役はパリそのものというハードボイルドな企画。パリマニア(というのがいるかどうか分からんが)狂喜の、情報タプーリの、まともに見てりゃ長時間エンジョイできるナイスな企画だ。

最初はシャヴァンヌの壁画習作「聖ジュヌヴィエールの幼少期」で美術館らしい幕開けだが(聖ジュヌヴィエールはパリの守護聖女だって)、その後はもう当時の版画がドバッと並ぶ。当時の施設とか。当時の地図もあり、それぞれに詳しい解説文が付いて、えれえ密度だ。オレは早くも最初の部屋の半分くらいでオーバーフローしてしまい、なんか文章も読まずに漫然と見ているだけになってしまった。おなじみのノートルダム寺院とかね、ありますね、あとバスティーユとかね、シテ島とかね、ポン・ヌフ橋とかね、ふむふむね。「ドラグリーヴ神父の第9パリ地図」というのがなかなか面白い。立体的で。今だとグーグルアースで街を見るとこんな感じか。「花火」は花火の様子の版画だけど……これは広重の浮世絵の方がいいな。施設だけでなく郵便馬車もあったね。

当時の風刺画(版画)も並んでおる。有名どころのドーミエがいろいろ。他の人もあるが、しかし見ていると昔も今もあるいは国が違っても変わんねーなーというところも多い。大学に行ったのに勉強しないで遊んでばっかりの学生とか、金持ち男にぶらさがっている女とか……えー今でいわゆる港区女子ですかね。えーそれから当時のドレスが並んでいるな。昔の映画に出てきそうな腰を絞ったクリノリンってやつですな。

それから「オスマン男爵のパリ大改造」というコーナーなんだけど、また版画(エッチング)どっちゃり。今度は何とか通りという、通りを描いた版画いろいろ。あとドーミエ描く風刺画もありますな。鉄道旅行を安全にするには、一人一丁ピストル持っていること、「悲劇を演じる最中のオーケーストラ」これ面白いね。演奏家達が退屈してあくびまでしておる。マネの絵「オランピア」がセンセーションを起こした時の風刺画もある。そのマネの版画もいくつかあって、これになるとなんとなく、いつも美術館で見ている感じになるな。

それからパリ万博関係の版画、エッフェル塔の双六が面白い。あと夜のエッフェル塔のライトアップの写真がある。1900年。おお、当時でこんなのがあったんだー。あの高さだしな、こりゃパリが世界の最先端と思っちゃうよなあ。この辺からチラホラ絵画も出てきて、ギヨーマンのデカい絵。ルノワールの小品「森の散歩道」風景メインながらなかなかいい。アンリ・ルソー「エッフェル塔とトロカデロ宮殿の眺望」……うむ、素朴派だな。あとはポスターね、おなじみミュシャも有名な「ジスモンダ」があるが、他の人も忘れずに。パルって人の「ロイ・フラー・ショー」これ、なんか女がひらひらした布を振り回すダンスだっけか。ロートレックの有名な「ディヴァン・ジャポネ」ポスター。どれも大きさ十分よ。最後の方にはユトリロの油彩4枚と、佐伯祐三1枚でシメる。

ガッチリ鑑賞すれば、ホネのズイから19世紀パリ気分になれるであろう。点数ぎっちり見応えありあり歯ごたえ十分。諸君の完走を祈る……俺は脱落組。
https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=201702111486797027

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2017年5月 6日 (土)

アドルフ・ヴェルフリ(東京ステーションギャラリー)

アウトサイダー・アート/アール・ブリュットのアーティストです……というと、もはや多くの人が知るところのヘンリー・ダーガーがトップを行くか、他の人はなかなか、個展開催までたどり着かんということが多い。だいぶ前にワタリウムでアロイーズという人のを見たんだけど、うーん、まあ微妙だったな。今回もどんなものかと思ったんだが、今回はさすがに個展開催するだけある。結構なインパクトのあるものが並んでいるぞ。

アウトサイダー・アートというのは、一応正規の美術教育を受けていない人のアート、というような意味があるんだけど、鑑賞者としては、それゆえの、正規のプロセスを経ていない創造のインパクトを享受しに行くんじゃなかろうかい。普通のアーティストだと、最初にまあ、初期のスケッチとか写実風とか、印象派風とか、基本となるものや既にあるスタイルの模倣から始まって、だんだん独自のものになっていく過程を見ることが多い。がしかし、アウトサイダー・アートってそういう過程がないもんで、いきなりトップギアで、極めて独創的なスタイルの作品が炸裂する場合が多いんだな。それが鑑賞の醍醐味っちゅーか面白いところですな。でも問題は、よほどの天才でない限り、普段アートを見ている人を唸らせるのは難しいと思うんよ。あとはその多くが精神障害者だったりして、障害者福祉精神で、作品の評価を甘めにしちゃう人もいるかもしれないが、関係者じゃなけりゃあ、そういう必要もないだろう。面白ければ面白い、つまらなければつまらんでいいのだ。

で、ヴェルフリなんだけど、幼女に手を出して(!)精神病院にぶち込まれたあとに35歳で描き始めたんだそうだが、それこそ出だし(初期作品コーナー)からトップギアでかなりスゴい。鉛筆だけで描いているんだけど細かく整った抽象のパターンで文字レタリングも入っている、書き文字も入っている。塗りの技術もかなりのもんだし、いきなり独自様式を完成させた作品が並ぶ。アウトサイダー・アートの多くは稚拙さがどうしても目に付いちゃうことが多いが、ヴェルフリにはそういうところがないのだ。まあところどころ顔が描いてあって、それがいかにも、精神が病んじゃっている人の描く、目が黒く沈んでいる人物を彷彿させる、という意味で、アウトサイダーっぽくはあるな。

「揺りかごから墓場まで」という叙事詩を書いたそうで、それが2970ページだって。ダーガーもそうなんだけど、他にやることがないのか、集中力が尋常じゃないのか、創作量がハンパないですな。これは草間彌生御大もそうだったりしますな。で、この叙事詩にも絵で表現された作品があり、それが並んでいます。初期よりも人物や建物など、何かを表しているものが多い。あと、頭に十字乗せてる顔がよく出てくる。ほとんどどの作品にも出ていて。ヴェルフリ絵画の構成要素の一つなんだけど、こういう決まった構成要素はいくつもあるようで、「ヴェルフリの形態語彙」という解説パネルがあって、それと同じ紙ももらえるよ。顔は自画像のようですな。あとこの辺の絵は色付き(色鉛筆)で、遠目で見てると、色合いがなんか仏教美術の曼荼羅に見えますな。ヴェルフリの頭の中は宇宙的スケールになっていたんで、曼荼羅と似たようなものになった……のかな。「アリバイ」という作品がデカい。70cm×468cmもある。全体がうねる極彩色のヴァルフリワールド。「南=ロンドン」という作品なんぞも図象だかなんだか、マジ曼荼羅みたいな印象がある。絵だけじゃなくて「利子計算」なんてのは数字びっしりで、「普通じゃねえ」感ありあり。あと冊子を紹介する映像あり。

階を移動し、まずますイッてしまうヴェルフリ。「地理と代数のノート」という作品というかなんというか、なんでも「聖アドルフ巨大創造物」を構築するんで、世界を購入して我が手にするとかいう大プロジェクト。作品は絵だけじゃなくて、文字も数字もびっちり。音符とも幾何学パターンともつかないものが入り乱れる。中には「聖アドルフの磔刑」なんていう、具体的に磔になっている人物が描かれたりもする(人物画として生々しさはないが)。あと、この辺から写真を貼り付けるコラージュがチラホラ出てくる。一応コラージュも様式に組み入れられているようで、ちゃんと作品として鑑賞できる。

次の「歌と舞曲の書」これも音楽として7000ページも書かれたと。これはコラージュが多い。そこからいくつか。次に「葬送行進曲」という言葉ばっかりの(呪文、マントラみたいなもんだそうだ)作品で、絵とコラージュが入っているヤツを展示。これ、最後の部屋に朗読があって、聞いてるとマントラといえばそうなんだけど、音楽っぽいといえばいえなくもないんだけど、意味不明なタワゴトと言えなくもない。いや、でもなんか言葉のパターン的な様式はあるけどね。こりゃ延々終わんねーなって印象があるね。あとは「日々の糧のための作品」いくつか……そう、ここが同じアウトサイダー・アートの巨匠でもダーガーと大きく違う。ダーガーは死ぬ寸前まで作品が発見されなかったし、発見された以降は何も生み出していない。そもそも人に見せる作品として作っていない。ヴェルフリは生前から絵が評価され、本人も絵を売ったりしてもちろん世界征服の要人という自覚なんだからテングになるに決まってるしテングになっていた。それでもこのガッチリとキマった様式の持続はスゴい……まあ初期の総手描きの方が面白いかな。

しかし全体を通して印象はほとんど現代アート。でも全部20世紀始めの頃のものなんだな。面白いところで「無題(キャンベル・トマト・スープ)」っていうのがある。1929年だって。これはキャンベル缶広告を使ったコラージュだけど、ウォーホルがキャンベル缶使うようになるずっと前なんだな(ウォーホルのキャンベル作品は1962年から)。
あと、パターンの展開というかひたすらな生産となると、昨年末に見た山田正亮を思い出す。でもあっちはやっぱりインサイド(?)なアート活動って印象があるけどなんでかな。その展開がアートの要素に従っているから、とかそんなところか。ヴェルフリはアートはとりあえず要素ではあるんだけど、本当の活動は世界征服だったのだ。自称いろいろだったしな。
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201704_adolfwolfli.html

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2017年4月30日 (日)

「ヴォルス-路上から宇宙へ」他(DIC川村記念美術館)

かねてから行きたかったところに、とうとう訪問。北からミサイルが飛んでこないことを祈りつつ京成佐倉まで1時間半、そこからバスで30分。送迎バスは無料なのに入館料1300円なんだから、都内に比べるとやっぱリーズナブルですな。敷地がデカくて庭園も広場もあって(レストランもギフトショップも屋台ピザもある)、美術館そのものもなかなかの大きさ。なんたって展示スペースに余裕があって贅沢だ。出品リストはないかと訊いたら、ネットでダウンロードしろと言うのだが、この場でどうしろっちゅーのよ。仕方なく適当な紙にメモる。

入って最初の部屋が印象派からエコール・ド・パリで、ファンタン・ラトゥールから始まって、モネ、ピサロ、ルノワールとか。キュビズムでないブラックの「水浴する女」が何となく珍しい。ピカソもあって「シルヴェット」うん、崩れてない女性像いいですね。シャガールのデカいのがあって「ダヴィデの夢」だそうです。キスリングの「姉妹」もなかなかだー

次の間に唐突にレンブラント「広つば帽をかぶった男」。自画像かと思ったが違うみたい。自画像に見えちゃう。こないだエルミタージュ展で、ハルスの似たような絵を見たような。

次の部屋に唐突に日本美術。唐突だから大したもんねーだろーと思ったら、なんと漫☆画太郎……じゃなくて長澤芦雪「牧童図屏風」顔が画太郎っぽい……よね。でも太筆の筆さばきがすげえな。南蛮屏風が一つあって、それから、なんだあのオキマリみたいな富士山は横山大観かと思ったら横山大観だった。富士山はアレだけど波の描写はいいよ。それから鏑木清方かと思ったら上村松園の美人画1枚。

細い展示室に初期抽象……うむ、これよく分からん。

シュルレアリズムとその展開。ここは好物。エルンストが扉に描いている作品「入る、出る」が珍しい。マグリットの「冒険の衣服」は初めて見る。裸婦を普通に描いているのは珍しい……いや別に珍しくないな。でも、なんかちょっとマグリットらしくないスゥイートな感じ。あとデュシャンの「大ガラス」と関連作品、とか。

次の小部屋が実はお目当てなのさ。ジョゼフ・コーネル! おお草間彌生の恋人というか親友というか浅からぬ仲にして偉大なるアーティストでありヤバい変人。例の箱が7つ出ているかと思ったら、3つだけで4つは平面だった。でも、3つの箱どれもスバラシイ。「無題(ピアノ)」の薄青のガラス、音符の箱、壁紙、うむ、箱の中に「世界」がある。「無題(オウムと蝶の住まい)」昆虫標本を配する繊細さと、ラフに造った箱、わざと剥げさせて古い感じを出した白い壁、つまり「時間」までも作品の要素として構築しているではないか。「海ホテル(砂の泉)」これもわざと箱を汚しガラスを汚し、箱世界を創造している。コラージュもなかなか悪くない……って、これは自分で描いた部分はどこなんだ? いや自分で描いたところはほとんどないのか? まあ、いずれもちゃんと構成されてうまい作品にはなっているが、やっぱ箱の方が見事ですな。

マーク・ロスコだけの部屋がある。入って驚いたのは、照明が暗いオレンジで、これでは本来の絵の色ではなくなってしまうではないか……いや、きっと何か理由があるに違いない。たとえばロスコが夕日の中で描いてたからこうしたとかとか。気になるんで、そこにいるスタッフに訊いてみたら、絵の具が大変デリケートでこの明るさが限界だというつまらぬ答えであった。あとで技法とか見たら、絵の具、顔料、全卵とか書いてあり。そうかただの油彩じゃないんだ。絵の方はおなじみの四角のヤツ。

サイ・トゥオンブリーって人の部屋。平面1つと立体一つで、一つの部屋を専有。マチエールがイケる。ここの部屋は窓もあって明るい。

フランク・ステラだけのデカい部屋。ハデ立体多数。そういえば屋外にも金属質のステラ立体があって、通りすがりのガキが「ガラクタ」と言ってた。確かにガラクタだが、見てるとなかなか面白いだろ小僧。隣の部屋はサム・フランシスとか、ポロックとか、あとは知らん。エンツォ・クッキって人の作品……名前どこかで聞いたよな、と思いつつ、このあとやっとヴォルスよ。

ヴォルスは20世紀前半の人で、アンフォルメル(形状があるようなないような抽象)の先駆とされるって。最初は写真撮ってた。カメラマンだったのです。いろいろあるんだけど、今で言う「自撮り」も並んでいる。百面相で表情をわざといろいろ変えてだな。あと「今夜のための」何とかとか、そんなタイトルの写真もあり、今ならインスタグラムでもやってんじゃねーかな。それからこの人、収容所に入れられ、その後は絵の活動に。最初は水彩が並ぶ。このあたりはまだ何が描いてあるか対象が一応分かる。でもパウル・クレーに似ているもんで、このままじゃクレーのパチモンと思われちゃってそれは困ると思ったか思わなかったか知らんが、形を崩し始め、線描写が細かくなり、そこに薄く彩色をして、立体のようなそうでないような線のような微妙な抽象表現を始める。このブレンドが絶妙で、見ていると何ともモヤモヤしたイイ気分になってくる。技法はグワッシュと書いてあるな。ええと不透明水彩絵の具だって。これがドライポイントになると……銅板を直接引っかいた版画だよな、あの緊張感のある独特の線になるんだが、池田満寿夫が描くとインモーになるところ、ヴォルスは似ているけど、インモーじゃないよな。じゃあ何かって言われると困るが。油彩もあって、これも立体かなそうでないかなの際どい絵は面白いが、明らかにグシャグシャしたのになると、ちょっとどうでもよくなってくるな。しかし全体として点数も多い。そういえば誰かがヴォルスの絵で作った映像作品もあったぞ。

これで出てきた。庭園にゃ噴水もあってデカい。歩いていくと芝生の広場もあって、屋台ピザ売ってたが一人で食うにはデカ過ぎる。レストランは並んでる。なもんでバスに乗って京成佐倉に戻り庄屋でサンマ食って帰った。
http://kawamura-museum.dic.co.jp/exhibition/index.html

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2017年4月22日 (土)

「バベルの塔」展(東京都美術館)

これを十分堪能するのはなかなか厳しいぞ諸君。何しろ一点豪華というか一つだけ注目度が極めて高いんで客がそこに集中する。絵がそんなに大きくない。絵が非常に緻密でまともに鑑賞してると時間がかかる。従って、会場内がそれなりにすいていても、この絵の前だけは結構な人だかりになっているし、長時間居づらいときたもんだ。いや、ズブトい神経の持ち主は長時間いるがよい。
しかし初回の金曜夜間開館に行ったが混んでたなあ……もっとあとにすればよかったかな。
この「バベルの塔」は24年ぶりの来日だそうで、うむ、私は前回も見ている。確か「ボイマンス美術館展」というもので、いまはなき池袋のセゾン美術館だったと思う。しかし、こんな一点にぎゅーぎゅー集中してなかったと思うんだが。

えーそれでは会場内の話。「バベルの塔」以外はクズとガラクタと落書きばかり、なんてこたーありませんよ。最初は16世紀ネーデルランドの彫刻ということで、作者不詳ながらよくできた主には聖者の彫刻群。うん、悪くないよ、うん。次は「信仰に仕えて」ということでネーデルランドのキリスト教絵画。ここで、キリスト教絵画を鑑賞するにはキリスト教の知識がなくっちゃねー描いてあることが分からないじゃーん、としたり顔で言うヤツが現れるだろうが、オレに言わせりゃどっちでもいい。むしろ余計な知識なんぞ無い方が、純粋に絵画としてどうなのよ、という鑑賞ができるんでそれはそれでプラスになる。いやー前から言ってるけどオレは絵の読み解きってのが好きじゃないんでね。もちろん読み解きの面白さは分かるし自分だってそれをエンジョイすることだってあるけどさ、絵としてどう感じるかをそっちのけでやるもんじゃないだろー……って話がそれた。そんなわけでキリスト云々にこだわらず絵を見ると、作者もテーマも分からんけど「聖カタリナ」と「聖バルバラ」ね、なかなか綺麗どころの女性像ですなぁー(前言覆すようでナンだが、こういう低次元な鑑賞もいいんだが、たまに虚しくなることもあるんだよね)。ええと、スカートやドレスの刺繍のキラキラというか、なんかマジすげえ質感なんだけど。近くにいた知らん人が補修したんじゃとか言ってたが。「ピラトの前のキリスト」ううむ、キリスト痩せてるなあ。「庭園に座る聖母子」子供の頭がヤバい。当時の絵画って……うむ、江戸浮世絵なんかでもそうなんだけど、子供をうまく描けなくて、大人の縮小コピーみたいで不自然になってるヤツをしばしば見かける。見たままを描くのは難しいんだろうかね。まーそんな、古い教会に普通にありそうな絵が連続する。

次は「ホラント地方の美術」ううむ、さっきと何がどう違うかってわかんねーだ。エンゲブレフツって人の「磔刑」キリストが激痩せ。なにこういう描き方流行りだったの? いやいや史実的には磔になる前に既に散々な目にあってたんで、多分こっちが正解だと思うが、思えば結構たくましい状態で磔になってるキリストもよく見るよな。それから「新たな画題へ」というコーナーだが……なんかこの辺どーでもいー絵しかなくね? 「ロトと娘たち」とか「聖クリストフォロスのいる風景」なんてのは新しい「絵画空間」ってなものを感じさせなくもない。ヘームスケルクって人の「オリュンポスの神々」えーと、ここだけギリシャ神話か。神々の絵らしいんだけど、全員裸でな、あと誰が誰だかよく分からないんで(持ってるアイテムとかで判別しろってことかもしれんが)、なんか裸族の住みかみたいにしか見えんのじゃ。

上の階へ行き、「奇想の画家ヒエロニムス・ボス」のコーナー。ここで貴重なボスの油彩画が2つ出てるからありがたく見たまえ。「放浪者(行商人)」と「聖クリストフォロス」。見るポイントはちゃんとパネル解説してくれている。「聖クリストフォロス」の方がボスらしいかな。右上の……水差しハウスとかな。でもまあ、どっちも「奇想」というにしては、ましてや「快楽の園」みたいな作品を知ってりゃあ大したレベルではないんだが。まーさすがに、これでどこが奇想なんだよとか文句が出るとヤバいと思ったのが、パネルでボスの他の作品での奇想っぷりを紹介してる。それから「ボスのように描く」ということで、なんかイヤな予感しかしねーな。でもまあ「聖アントニウスの誘惑」のなかなかよくできた模写がある。ボスをもとにした版画もある。「樹木人間」のシュールな感じもイケる。それからボス風の版画続きだがほとんど「ヒエロニムス・ボスの模倣」となっていて、要するになんちゅーかパチモン感が強い。それからいよいよブリューゲルなんだが、まず「ブリューゲルの版画」で、モノクロでかなりの数があるのだが……おっとここで時間がヤバくなってきたぞ。まともに見てるとバベルを見ている時間がなくなる……ので割愛してしまった。ちょっともったいない。

はい、上の階へ行きいよいよ「バベルの塔」です。その前に、造形のもととなっているらしいローマのコロッセオの紹介があったり、あとさっきと同じく見るポイントのパネル紹介があったりして、はいブリューゲル一世「バベルの塔」だーっ! 先も書いたが大きい絵ではない、緻密、人の集中で厳しい鑑賞環境。単眼鏡でパネルのポイントをチェックしていくが、こういうのやっていると絵を鑑賞しているんだが、絵の確認をしているだけなんだか分からない。かといって全体の印象を見ていると、ううむ、いいんだけどやっぱり細部が気になるよなあ。結局この傑作を十分堪能しようとすれば、人のいない状態で至近距離で長時間見るしかないんで、まあ今回の企画でやるのは結構難しいんじゃねーかな。そうだねー朝イチに入って、真っ先に上の階に上がってこれをじっくり見るとかしかないんじゃなかろうか。えー、あとこの作品を3DCG化した映像があって、アニメーションで動いていたりしてこれがなかなか面白い。絵そのものより楽しめるかもしれん。あと入口のところに大友克洋が内部構造を描いた作品もある。
細部に描いてあるものの面白さは、まさに読み解きなんだよなー 逆に言うと、本物を見なければならない、という要素は少ないんで、とりあえず本物は拝んでおいて、拡大模写やCG映像で楽しむというのもありじゃなかろうか。
http://babel2017.jp/

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2017年4月19日 (水)

大英自然史博物館展(国立科学博物館)

午後に実家に用があったもんで、もう終日休みにしてしまって午前にこれに行ってきた。なにしろ連日整理券が出るほどの盛況らしいんで……って行ったら別に、ド平日午前ってことでなんか普通にすいてた。博物学史上屈指の、英国が誇るお宝が、キター! ……ええと、何? 始祖鳥? ぐらいしか事前にゃ把握してません。

入ると最初にジョン・オーデュポンの「アメリカの鳥」の絵があるんです。きれいです。印刷……だよな。でも1830年代よ。それから「自然界の至宝」ってまあイントロ部分なんだけど、ここでもうハデなヤツが続出する。タマカイってデカい魚、本物と同じ色だっていうタコのガラス模型、キリンの頭、美しく大きなチョウチョのアレクサンドルトリバネアゲハ、呪われたアメジスト(見かけはまあ普通)、見ものは三葉虫の化石。7匹ぐらい折り重なって実に壮観だ。三葉虫で作ったアクセサリーもあるぞ。

ええと文字情報が多いです。発見者とか研究者とか、そういうストーリーを楽しむもよし、オレみたいにマンゼンと見てるもよし(よくねえのかもしれんが)。まあ気に入ったものだけ書いてくよ。インドコブラの皮……皮じゃん。「ガラスケースのハチドリ」これっ、いいね! ガラスケースの中に木とハチドリいっぱい。自然の一部を切り取ったみたーい。古代エジプトの猫のミイラ(布巻いてあるだけで中が見えない)、テラコッタ製のライオンがデカい。

えー見ものは、絶滅動物の骨格標本と、再現CGなのだ。最初にモアがある。知ってるぞドラえもんに出てきた。絶滅した飛べない巨鳥。標本の隣に再現映像があり博物館の中を走っておるのだ。これがよくできてるんだな。絶滅動物好きはイッキにテンションが上がるぞっ。それからベスビオ火山の岩石……ポンペイのヤツか? ダーウィンのコーナーがあって(その前もいろいろコーナーあるけど知らんのばかりで)、ダーウィンがビーグル号で採集した甲虫とか、なんたってペットだったゾウガメの……剥製? デカいカメなんだこれが。でも水族館にいたよな。「種の起源」手稿1ページ。ダビンチなんかもそうなんだけど、手書き文字ってヤツはなんかイイんだよなあ。読めないんだけど、逆にそれが文字を美的に把握できるってもんで、コーランなんかも、おおっとか思っちゃうもんなあ。そんで始祖鳥! おお古代生物史上屈指の発見よー! ……ううむ、シロウトのオレが見ると、それっぽい骨が石に埋まっているだけなもんで、ここからあれが想像できたのかーというのがリアルに感じられない。だからこれが、これが、これがー! とか考えてるより他ありません。あーこれも再現CGあります。ええと草のスケッチ……銅板プレートがあってえらいきれいなんだけど、なんだ? 印刷原盤? 深海への探索というコーナーがあって標本とかあるけど、これは水族館でも行った方がいいな、南極のペンギンの剥製、「微化石のクリスマス・カード」これは面白い。ごく小さい化石でクリスマスカード作ったんだって。虫眼鏡で見るぞ。ロスチャイルドってヤツのコレクションで「シュモクバエ」やだー、なにこれー 日本のコーナーがあってニホンアシカの剥製……うむ、タカアシガニ標本……ここは水族館で生きてるヤツを見るといいガニ。九州の隕石……おお宇宙のロマンよ。石の標本「輝安鉱」これは、なんかスゴい。キラキラ、石のなんだ……繊維質? が鮮やかだ。

絶滅種サーベルタイガーが出たー! CG……CGも骨だけなのか。次も絶滅種オオナマケモノ。普通のナマケモノよりもっとナマケている……んじゃなくて体がデカいの。マジデカい。CGあり。皮膚ヤベエ。絶滅種ドードー……は模型しかないけど、再現CGがカワイイ。で、もう最後のコーナー、火星の隕石……これに粘土鉱石が含まれていたんで、かつて水があったんじゃないかって説が出たんだって。今では常識さ。ここで問題の展示「ピルトダウン人」猿と人類を繋ぐ新種発見……かと思いきやウータンと現代人の骨を組み合わせたニセモノ。でも何十年も信じられてきたってんで、これをあえて展示。真実は偽られ、覆ることもあるのだな諸君。

もっと常軌を逸したボリュームで迫るのかと思ったがほどよくまとまっている。しかし「展示して見せることができるもの」がかくも多岐に渡るのかと感心してしまうな。
http://treasures2017.jp/

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