2019年3月16日 (土)

福沢一郎展(東京国立近代美術館)

サブタイトル「このどうしようもない世界を笑い飛ばせ」というもの。シュールレアリスティックな絵画表現の中にも風刺が効いている、というようなものだそうです。芸術家には二種類いて、世の中がどうあれ己の信じた芸術を突き進む人と、世の中や社会から刺激を受けて、それに応じた作品を生み出す人だ。芸術には芸術世界があり、俗世から超越することをよしとする向きが多いせいか、結構後者は軽視されたりするが、俺は好きだぜっ。芸術家とて、もっと社会と対峙した作品を創っていくべきではなかろうか。

1898年生まれの近代洋画の人。最初はパリの留学時代。「人間嫌い」という汽車に乗って一人逃げ出していくような絵がある。己の姿か。まだシュールじゃない。デ・キリコの影響があるそうで、「タイヤのある風景」なんてちょっとキリコっぽい。

次に「シュルレアリスムと風刺」コーナー。ここでシュールな絵……ったって、なにそれそもそもシュールってどういうこと? という人もいるかもしれないが。本来は無意識の領域を描いて予想もつかなかった世界を生み出すようなもんだよ。その手法として全然関係ない物を一つの画面に並べたりする。福沢は主に人間を使っていて、それもヨーロッパの雑誌とかから抜いてきた人物像を組み合わせて、妙な画面を作る。うむ、エルンストも古い版画を使って同じようなことをやっていたっけな。ともあれ「他人の恋」……うむ、女の足はエロいな。人は何やってるかよく分からんが。「Poison d'Avril(四月馬鹿)」タイトルはともかく、人間描写はなかなかコミカルだ。意味はあまり無さそうだが。ただ、元ネタの絵があって、それも展示されている。「よき料理人」もよく分からねーが面白い。だいたいどれも具象だし。画面は明瞭なのだ。キリコみたいなものである。「寡婦と誘惑」も同じように元ネタも展示。「無敵の力」も数名の人がアヤシイことしてる。「魂の話」はキリコ風室内。ここまでは風刺ってほどのもんは感じないが、次の「嘘発見器」はちょっと風刺風。機械にもなぜか心臓がある。だから機械も嘘ついちゃったりしてな……って話(解説によると)。「科学美を盲目にする」これは特にキリコ風。女の人の顔を覆っているガチャガチャしたものはキリコもよく描いてた……よな。「煽動者」は驚異の煽動者のツラをシュールなヴィジュアルに。これは風刺っぽい。

帰国後の活動、ということで、パリから帰ってきた。まだ戦争前だ。「美しき幻想は至る処にあり」ここで美しき幻想扱いをされているのが、ソ連のマーク。つまり共産主義。至る処にある、というのが風刺らしいって。「教授たち会議で他のことを考えている」、こりゃタイトルまんまの絵だ。紳士だって女の裸とかお遊びとか考えているんだぞ、ってのが絵の中の絵で描かれる(吹き出しみたいなものですな)。「定めなき世に定めなき小夜衣明日は我が身の妻ならぬかな」定まらぬ男が通り過ぎていく遊女の絵。中央に遊女がいて、左に男の人が重なったオブジェ。和風シュールともいえる面白い絵画だ。隣の「題不詳」も和風もの。

行動主義のコーナー。行動的ヒューマニズムだって。ここに有名な「牛」がある。穴だらけの牛。これは満州国のことを表現したらしい。理想国家のつもりが実は穴だらけだったとさ。「雲」はまるでグラフィック・アート風。なかな新鮮だ。「花」が二つ。きれいというかちょっと不気味だ。それから戦時下の前衛というコーナー。「海」が二つ。いすれもイイ。一つは色が鮮やか。もう一つはトリミングの妙。「船舶兵基地出発」。作戦記録画こと、いわゆる戦争画。ただ、福沢はただ者じゃないので、風刺を効かせたのか映画のスティルからイメージを持ってきたんだって。作戦記録画ったって、実際にゃ作戦を記録してる絵じゃない。現場でそんなことできねえもん。映画みたいなもんじゃんってな。

それから戦争が終わって、戦後の混乱期に。戦争が終わっても全然道徳的にならない人間ども。人間の愚かさを描くにゃダンテの神曲に限るってんで、それをテーマにしたため、人物を全員裸にしてしまい、なおかつ現代の世相を混ぜ込む。傑作がいろいろ誕生。「世相群像」なんて群像物が見応えあり。中でも「敗戦群像」は代表的傑作。人間がまるで積み上がった肉塊のようだ。その隣の「樹海」も強烈で、木や葉が集まっているだけのはずが、どうも肉感的だ。これが敗戦直後の人間観なのである。

この路線が続くかと思ったら、いきなりブラジルやメキシコに行って、画風を変えてきてしまった。「文明批評としてのプリミティヴィズム」コーナー。今までくすんだような中間色が中心だったが、いきなり原色バリバリの世界に変化。この変化にゃあ驚きだ。「顔」がいきなりバカ明るい。「狩猟」もまるでステンドグラスだ。「埋葬」は死が派手な旅立ちであるメキシコ風。この絵を90度回転させた創世ものが東京駅にあるんだって。死と再生の連続もメキシコっぽいね。

さらにアメリカに行き、黒人や社会運動などに影響を受け、また違う画風で迫ってくる。今度はアクリル絵の具を使用。「ハーレム」はアクリルでささっと描く。「デモ」は絵の具が垂れている筋も効果的に使用。なかなか見事だ。「霊歌」は抽象的な顔がいっぱいだが、多分アフロアメリカンだ。

そして再びダンテがテーマに。また現代の世相を導入して大物を書き始める。「なぜ貯るのだ、なぜ浪費のだ?」貯めては無駄遣いの人間どもがあ。「衆合地獄」は獣に喰われる人間どもで、ちょっとグロい。「食水餓鬼」は見たまま妖怪の餓鬼である。「トイレットペーパー地獄」世相を反映して極めて分かりやすい。これはあれだ。オイルショックのトイレットペーパー買い占め騒動。愚かな人間どもがあ。「悪魔の矢Ⅰ」「悪魔の矢Ⅱ」は連動している作品だが、迫力がありますなあ。

最後は「21世紀への警鐘」というコーナー。暗示的な神話ものがいくつか。「倭国内乱」といった不安なヤツ。中でも「悪のボルテージが上昇するか21世紀」1986年に描かれたもの。上昇しとるよ21世紀。情報化社会、中でもインターネットは同じ気分のヤツが群れて盛り上がることを容易にした。ヘイトスピーチしたいヤツは集ってお互い「上昇」できる。ヘイトなヤツラばかりではない、平和主義者だのリベラルだのといった連中まで、安部総理という格好のターゲットを獲得したため、むき出しの残忍な攻撃性を大いに発揮。見よ、ネットに集い口を揃え口汚く罵る姿を。こんなんでテメエ達は自称人に優しい平和主義者ってんだから呆れるぜっ。まさにこの絵と同じ、誰彼構わず裸の残虐性が雄叫びを上げてる世界ではなかろうか。

知名度からしてもそう混むとは思えないが、作品は面白い。じっくり対峙して、ともにこの世を笑おうではないか。
http://www.momat.go.jp/am/exhibition/fukuzawa/

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2019年3月14日 (木)

奇想の系譜展(東京都美術館)

ド平日(火曜)の午後だったが、なんか混んでるなあ~ 日曜美術館でやる前に行きたかったが、ちょうどやった後に行ってしまった(見てないが)。しかも後期の初日だ(前期見てないが)。
日本画はワビサビだけじゃねーというのが基本な。ちょっと、え? みたいなヤツラが集合。個別にはいろいろ見てはいるが、今回はまとめて見れるぞと。

画家別。最初は伊藤若冲。なんかもう有名になっちゃって、これだけで客呼べそうな感じだよなあ。最初に「象と鯨図屏風」何度か見てる。墨画なんでモノクロで、左の鯨が背中だけで潮吹いてて潜水艦みたいですな。「鶏図押絵貼屏風」若冲が大好きな鶏の墨画が並んでいる。前に見た……ん? 初公開だと? いやーなんか見たことが、というか鶏だからなあ。若冲は似たようなものいろいろ描いてるしなあ。巻物の「乗興舟」これは背景が黒いのでネガみたいに見えるが、センスが現代アートと変わらない感じ。今の画家が描いてても不思議じゃない。「石榴雄鶏図」これもコケコッコだな。「雨中の竹図」淡いな。「蝦蟇河豚相撲図」文字通りガマガエルと河豚がすもう取っているのだ。「旭日雄鶏図」おお、これは若冲らしい。鶏愛で羽毛をビッシリ描き込んでいる。やっぱこうでなくちゃ。「虎図」おっと虎だよ。獰猛ではなくペロペロな感じ。

二番手は曽我簫白。「群仙図屏風」まさに簫白。子供のエグい表情は見たら忘れない。「雪山同時図も代表昨の一つで有名だ。珍しく「美人図」なんてのがあるが、見ると、顔がヤバい。怖い。狂ってる感がある。「獅子虎図屏風」虎が弱そうだ。妙な顔をしているな。

長沢芦雪。なんたって「白象黒牛図屏風」右の象がデカすぎる。左の牛もデカいが。牛の方にいる小さい犬がチャームポイントですな。「牡丹孔雀図屏風」うわっ、若冲とまではいかないが、なかなか緻密に描いてるじゃないか。孔雀の羽模様がイケる。「猛虎図」マヌケ面ではないが、小さい? 「方寸五百羅漢図」約3センチ四方の中に、五百羅漢を描いたというか……単眼鏡使ってもよく見えない。別に細かい人物画ではなく、顔と体で丸一つずつとかいう感じ。「なめくじ図」前に見たかな。ナメクジの通った跡も描いてある。「花鳥図」正攻法。「猿猴弄柿図」猿の顔、オモロー。「群猿図襖」サル山。「龍図襖」デカい、でも淡い。

岩佐又兵衛。浮世絵の元祖のような浮き世又兵衛こと岩佐又兵衛。巻物「山中常盤物語絵巻」第五巻と第四巻が出ているが……この展示見にくい。人ビッシリ。第五は血まみれで倒れているのがポイントか。痔四は金箔を使いまくって豪華な印象。あとはそんなにハデなのはないか。「雲龍図」、龍の顔だけ。あと伝岩佐だが「妖怪退治図屏風」右側に集結する妖怪がシュールな感じだ。

狩野山雪、「蘭邸曲水図屏風」異国情緒溢れる庭? じゃないか建物の中か? 何か床に川が流れているぞ。「梅花遊禽図襖」木の幹が琳派もびっくりの大曲。そこに花が咲く。「龍虎図屏風」龍の顔がちょっとユルいぜっ。虎はオモローだな。
白隠。前に白隠展でずいぶん見た。最初にある「達磨図」おなじみのコミカルフェイスのヤツ。「鐘馗鬼味噌図」これも再会。心の鬼を潰して味噌にしてしまえ。「達磨図」が太い線のヤツとデカいヤツと。「南無地獄大菩薩」その文字が描いてある書だ。「蛤蜊観音図」再会。癒し系の顔ですな。そういえば「すたすた坊主図」がまた見たいと思ったが、前期に出ていたのか。
鈴木其一。ヘイ、キーツ! 琳派展ではおなじみなもんで、どこかで見たようなのが多い。まあ、キーツの絵はあちこちでいろいろ出くわすからなあ。「百鳥百獣図」動物と鳥がいっぱいだっ。
最後は国芳。もう何度も見た代表版画が並ぶ。骸骨のヤツや、人が集まって人になるとか、セミクジラとか。版画じゃないのは2つ「一ツ家」鬼婆のヤツな。見たことある。デカい板に描かれているんだぜ。あと「火消千組の図」これも板だが、こっちは初めて見たかも。

平日でも混んでいるが、デカい絵も多いので、ストレスはまずまず。無理して行かなくても、注意していれば、この誰かにスポットを当てた企画は結構ある。一企画だけで全員見たい人はぜひ突撃。
https://kisou2019.jp/

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2019年3月10日 (日)

ル・コルビュジェ 絵画から建築へ - ピュリスムの時代(国立西洋美術館)

上野の国立西洋美術館はル・コルビュジェが設計したのです。そこでコルビュジェ展をやるという、なかなか粋な企画。開館60周年記念企画だお。いつものように企画展示室に行こうと思ったら閉鎖しとるんよ。そう、コルビュジェが設計したのは常設展示室の古い方の建物。今回の会場もそこなのだ。つまり今回、常設の中世の宗教画とかを全部取っ払って、この企画に入れ替えたんですな。

入ると普段ロダンとかが展示してあるホールにゃ今回イントロ動画と建築模型とか。動画でジャンヌレ(コルビュジェの本名)とオザンファンが進めたピュリスムという芸術運動がどんなもんか概ね分かる。絵画に物体を表現する時に、上から見たヤツと、横から見たヤツを一緒に描くんだ……まあ、これ建築図面みたいなもんですな。平面図と立面図な。あと黄金比でレイアウトするんだって。ついでにそれらを重ね合わせると。それが西洋美術館にも生かされているんだぜありがてえなって話。しかし初めて知ったが、コルビュジェは最初から建築家だったんですな。最初絵描きであとで建築やった人かと思ってた。模型は「イムーブル=ヴィラ 1/100模型」いやーこれは、機能的にして美的な感じがいいですな。前にアアルトに行って、あれもなかなかよかったんだが、やっぱしアアルトはモダニストだし、コルビュジェはモダニストでも芸術家寄りな感じだよなあ。あと、「ヴォアザン計画」という都市計画模型があって、確か前にも見たんだが、細かいことは描いてなかった。

スロープを上がると、オザンファンとジャンヌレが出してた雑誌「エスプリ・ヌーヴォー」の紹介。表紙が全部見れる~……って数字だけじゃん。近代文明の発展、特に機械を肯定したんだって。あれ、これってイタリアの未来派も同じじゃん。あっちは文明的なスピードとか運動とかだったかな。とにかく未来派の話題は出てない。それから順番からするとジャンヌレのデッサンがある。初期の「暖炉」って絵もあって、まあ豆腐みたいなもんだけど。西洋美術館はピュリスム的重ね合わせのフロアレイアウトで、そこに接して「ラ・ロシュ=ジャンヌレ邸」コーナーがある。それは初期のピュリスム的建築……でももうコルビュジェらしさができている感じはするな。それより、そこのフロアから最初のホールを見下ろせる……と同時に天井の三角ガラス窓が目に入る。おおなるほど、こういう演出か。西美の常設なんてほとんど行かないもんで、あらためて見てみるとなかなか面白いですなあ。

戻ってオザケンじゃなかったオザンファンの絵がいろいろあり、いよいよピュリスム誕生だー オザンファン「ヴァイオリンのある静物」、ジャンヌレ(コルビュジェ)「赤いヴァイオリンのある静物」同じモチーフでヴァイオリンとか水差しとか。共通するのは先の、上から見た姿と横からのが共存している。表現はやや違い、オザンファンの方がやっぱし画家なもんで絵画感がある。ジャンヌレは建築家が絵を描いたみたいな感じ(そりゃそうなんだが)。しかしこの対比は面白いぞ。それから次とかその次とか、二人の絵画が並ぶが……モチーフが同じで表現がちょっと変わるぐらいなんで、最初はおおーっとか思っていてもすぐ飽きる……いや、飽きちゃいかんでしょ。しかし、ううむ……モランディがさ、同じモチーフでちょっとずつ違う絵を延々描いていたじゃん。あれは面白かったのになあ。お、モランディさん、またちょっと新しいヤツを見つけましたね……っな感じで。どうもそういう喜びがないんだが。なんでだろ。なんかこう、理屈っぽくやるのに夢中で楽しんでない感じ?

少し先行してキュビズムがあり、ピュリスムはそれに対抗してというか批判的に描かれたそうな。そのキュビズムいろいろ。もちろんピカソとブラック中心な。おなじみなものが並ぶ。ブラックなんておなじみ過ぎちゃって、晩年のイケてるジュエリーとかのブラックの芸術を知ってる向きには、またブラックといやキュビズムかよ、みたいな不満があるけどしょーがないよキュビズムといえばブラックだもん。フアン・グリスというのもいたんですな。知らなかった。あとフェルナン・レジェ。で、ピュリスムも最初はキュビズムに対抗していたが、なんかやってることが同じじゃんって感じになって、理解して仲良くなっていったそうです。そこからピュリスムも変化し、複雑になって重ね合わせなどの要素が出てきた。ジャンヌレ「縦のピュリスム的静物」「輝く静物」それから大作「アンデパンダン風の大きな静物」入り乱れ重ね合わせる「多数のオブジェがある静物」など。でも、私としては重ね合わせの複雑な物より最初のコントラストが強くてプリミティブ(意図が明確)な方が好みだったりする。

建築では、「ヴァイセンホフ・ジードルンクの住宅」の模型とか。コルビュジェの提案した近代建築の5要素があり、屋上庭園とか、ピロティとか……あと忘れた。要するにそれが様式美みたいになっていて、コルビュジェに芸術になっているんだな。こういうのを見ちゃうと、ああ建築は芸術だとか思っちゃうけど、建築かじった程度の凡人じゃ真似できんよ多分(建築学科でうだつが上がらなかったヤツの僻みだが)。えーそれからオザンファンが雑誌から出ていってピュリスムが終焉を迎えたそうな。レジェとの付き合いが増えたようで、レジェの絵が並ぶ、動画の「バレエ・メカニック」があり……これ、名前はよく聞くんだが、そんなに面白いもんでもないな(当時は画期的だったのかもしれんが)。あと、椅子とかがある。ピュリスム以降のコルビュジェの絵画は(ちなみにコルビュジェってのはペンネームだって)、静物だけじゃなくて、人間(人体)を入れ込んだりした。最後の方にある「サーカス 女性と馬」とか「レア」は有機的な感じがする。「灯台のそばの昼食」は一見レジェみたいな雰囲気。うーん、しかしいずれも絵画として強いオリジナリティがあるかというと、そうでもないような。やっぱしコルビュジェは建築家だよ。最後に名建築で学校でも教わる「サヴォワ邸」の紹介(と模型)があっておしまいなのだ。サヴォワ邸を見ると、印象が西美と似てるよな。あと今回、気づいたんだけど、展示する壁の光は外光を利用しているのだ。うまい設計ではないか……外光だよな。曇りガラスの向こうに蛍光灯とかないよな。あと、さらに上のフロアに行く階段がいくつもあるがいつも閉鎖されている。この機会に見せてくれないのかな。あるいは使えないのか。

とにかく、つい建物にも注目してしまう。おすすめできる。
https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2019lecorbusier.html

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2019年2月26日 (火)

アルヴァ・アアルト もう一つの自然(東京ステーションギャラリー)

建築家です。建築系の展示は当たりはずれがあり、当たりなら、再現CGやらデカい模型やら実際の部屋の再現やらで異空間を体験できるが、はずれは見ても分からん図面が並び、専用用語多数の解説が多く、模型もちっこい。今回は、どっちかというと後者かな。いや、部屋の再現も一つあったし、デザインした椅子とかの実物は結構あったな。それにしても個人的にはしみじみした。
私は建築学科出なのだが、ロクに勉強しなかった。いや、成績は悪くなかったんです。要領はよかったから。でも課題をそつなく出すだけで、建築に本気で向き合ったり取り組んだりしなかった。あれだけ時間があり、あれだけ専門家がいて、あれだけ環境があったにも関わらず。なんと愚かな! なんともったいないことをしてしまったのか。
しかしそれはそれだけではない。当時はバブル時代。そして建築はポストモダンがもてはやされた時代。モダニズムが死につつあった時代なのだ。合理的建築なんかつまらねえ、とばかりにヘンテコな建築が出てきた。住吉の長屋とかポンピドーセンターとか、シドニーのオペラハウスとかな。それも、なんか私が引いてしまった原因って気もするんだなあ。なじぇなら、バックミンスター・フラーの考えを知って感動したからである(卒業後な)。アアルトは名前は知っていたが、よく知らなかった。モダニズムの優れた建築家なのである。あー当時でもアアルトをちゃんと知っておけばなあ……それがしみじみした理由なのですよ。

アアルトはフィンランドの建築家です。最初に「墓地礼拝堂」の図面がある。しかし見たまえ、この「手描きパース(透視図)」を。今でこそ3次元CADで簡単に作れるが、当時は線遠近法でせっせと作っていたのである。鉛筆描きだぜ。それから写真のスライドがあって、モノクロの。モダニズムだなあ、みたいな。いや、モダニズムって何のことだから分からんと言う人はですね、「パイミオのサナトリウム」の解説をじっくり読むとよいでしょう。病室の内装と家具もありますぜ。利用者主体で建築的機能から考えていく作り方、それでいてちゃんとデザインを洗練させる。おお、これぞモダニズム。地面に巨大な卵を埋めた造形をしました、なんていうファッキンアンドーとは対極じゃねえか(まあアンドーも造形だけ考えているわけじゃなかろうが)。
結構美術にも関心があって、「無意識」の中に建築と美術の云々のと言っているのは意外だ。仲がよかったらしいフェルナン・レジェの絵が2つあるが……小さいね。もっと大きなもんがあるでしょに。「ルイ・カレ邸」の解説も利用者主体ですね。どんな形かよく分からんが(おいおい)。「ウィーブリ(ヴィーボルグ)図書館」の写真(アルミン・リンケ撮影)あり。そう、ここで注目していただきたいのは、中から窓を撮ったもの。天井の曲面、いいですなあ。で、そこを外から撮ったところ、そう四角い窓が並んでおるだけなの。凡人は曲面を外までやらかしたくなるが、モダニズトのアアルトはそういう余計なことはしなかったのだよ。そう、これだよこれ。効果は最大に、手間は最小にすべし。

階段を降りて、1939年のニューヨーク万博のフィンランド館。写真がいいだろ。このデカいカーテンみたいな。オーロラをイメージだって。でも外装はただの四角い箱なんだぜ。それからアアルトデザインの照明いろいろ、椅子もいろいろ。板を曲げて作った定番の椅子。あと積み重ねられる丸椅子な。それからガラスの器、「5点組の器 リーヒマキの花」ただの丸いガラス器を積み重ねただけだけど、これがなかなか花っぽい。「サヴォイ・ベース」花瓶か。その型と、作成行程の映像。吹いて膨らんだヤツを型に入れて作るのさ。

それから大規模な「総合的建築」コーナー。たいてい模型があって、図面は引き出しを引き出して見る形。頓挫した建築もある。「国民年金局」や「フィンランディア・ホール」の模型なんぞを見ると、形の組み合わせでできていて、俯瞰すると全体的にはなんとなくガチャガチャした形状に見える。しかしこれも、機能から考えていった結果で、内部空間はきっと快適であろうと想像できる。そう、これもまたモダニズムだ。

そんなわけですから、「建築は芸術だ」と考えている向きにはぜひ足を運んでほしいものだ。あー俺も30年前にこれに行っていればねえ。その後の人生は違ったかもしれないねえ。
ちなみに、この東京ステーションギャラリーは年間パスポートがあって、4000円だって、私はパスポート持ってなくても、ここんとこ毎回行って払ってるもんで、パスポートなら大いに得だったじゃん。いや、今回も別にパスポート買わなかったんだが。多分買った方がいいんだよなあ。
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201902_aalto.html

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2019年2月23日 (土)

21ST DOMANI・明日展(国立新美術館)

あーなんか1年経つのが年々早くなりますなぁ。心身ともに代謝が悪くなるので、時間の経過が早く感じられるのです。もう今年のこの企画ですか。こないだやったばかりじゃないか。「文化庁新進芸術家海外研修制度の成果」なんですけど、これ、今の今まで本年度研修に行った人の現地での作品を展示してるのかと思っていて、違うんですな。何年か前に研修に行った、とかそんなのも含まれてるし、その後に作ったとか、そんなものなんですよ。まあでも、今時の方々には違いない。

最初に和田的。陶芸です。白磁です。大きめのがずらっと並んでいます。器もあれば、ビルディングみたいなのもある。表面に模様があるヤツも。「スーパームーン」はたたの球体か? 「ようこそ」なんてタイトルの人形っぽいものもあり。
蓮沼昌宏。おっとこれは面白いぞ。パラパラマンガではないか。しかも専用の器具を使ってちょっと長めのヤツを楽しめる。いろいろなのがあるが、背景も動いているような作品が面白いですな。壁に「あやめのうた」の映像があり、パラパラマンガ+歌を見ることができる。

村山悟郎。まず映像があり「織物絵画の構造シミュレーション」……なにっ?「動植綵絵」(若冲のやつ)と思ったが違った。うむ、映像だけ見てもよく分からない。壁に彩色された布と麻紐のデカい平面的な塊のような作品がある。タイトル「絵画は創発する - もっと別の速さで(もし木の枝が通常の1000倍の頻度で分岐したら?)想像せよ」……なんだこれは想像できねえ。次の「非同期時間のセルオートマトン[手描き]」なにいっ! セルオートマトンだと? ここでやっと意図のようなものが分かる。ほう、ここにもいたか、「複雑系」に魅了されたヤツが。他にも似たような布と麻紐の作品があって「自己組織化する絵画」なんてタイトルが付いている。何か? セルオートマトンとは単純な法則から複雑なパターンを生み出せる手法。身近な例はアサリとか貝殻の表面模様だ。それを「手描き」なんで恐らく手でやっている。今やパソコンで簡単にできるが。ちなみにセルオートマトンは1次元のもので、2次元ものもある。こいつの代表は「ライフゲーム」だ。というわけで壁に展示してある布と麻紐のブツは、恐らく単純な法則から組み上げていったものと思われる。「創発」とは単純な法則の組み合わせからは思いもよらない振る舞いを見せるとという、ダイナミックな現象のこと。カオス用語だお。さて作品がそれを感じさせるかというと……うむ、なんとも言えん。確かに複雑系にあるがごとく有機的な感じはする。意図は分かる。その心意気も十分分かる。ちなみに私が苦労して書いたものの全く日の目を見ないSF小説も、セルオートマトンが重要な要素で出てくる。複雑系はまだ終わっちゃいないのだ!

松原慈は写真を床に置いたインスタレーション。赤い花の写真多数。
木村悟之。映像もののインスタレーション。空間はいいですよ。ただ映像はちゃんと見ていない。映像ものはどうもすっと見ていないといけなかったりで、どうも限られた時間しかない人にはなかなか厳しい。床にクッションが置いてあって座ってくつろげる。
志村信裕。こちらもドキュメンタリー風の映像。羊についての内容らしい。
白木麻子。家具の抜け殻のような作品を使ったインスタレーション。家具か、家具の予感か、そうでないのか。
川久保ジョイ。これも映像もので、音声も聞けるがどうもSFっぽいストーリー仕立てのポエムのようなものらしい。テキストだけほしい。
加藤翼。これも映像中心だが、これはなかなか面白かった。道路で長いテーブルを出してティーパーティーを開催、車がくる度にテーブルをどかして車を通す。見てるとしょっちゅう車が通っているではないか。通った車にみんなで拍手を送ったりして。あと、筏で海(湖だったかな)に乗り出し立ち往生したところで、位置を示すQRコードを提示して写真に取る。そこに救助すべき人はいるのかいたのかまだいるのか。あと、デカい貨物のようなもので車道を横断。車を遮っちゃえ。こないだ森美術館に出てたそうだが、そうかあのブロック塀で少しずつ車道を横断しちゃう人か……と思ったら違った。灯台のオブジェを立ち上げた人だ。
三瀬夏之介。「日本の絵」という富士山をコピペして作ったような絵画大作と、同タイトルの超大作(つまりデカい)。超大作は布だか紙だかを組み合わせているが、つぎはぎで一見ボロボロ。アーティストには日本はこう見えているのかもしれない。

いつもながらリーズナブルで大規模でいろんな表現の形に接することができるのが魅力だ。
https://domani-ten.com/

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2019年2月18日 (月)

岡上淑子 沈黙の奇蹟(東京都庭園美術館)

この美術館はしばらく休館して、新館ができてやっと再開したと思ったら、なんかまた休館して、また再開して今に至る。実にひさしぶりに行った。
金曜に風邪をひいて発熱し終日ダウン。土曜に熱は下がりつつあったものの終日どこも出られず悶々として、夜に行くはずだったイベントも痛恨のキャンセル。日曜にやっと復活して足を運んだ。

この岡上淑子という人がシュールレアリスティックなフォトコラージュで活躍したのは1950年代で、1957年の結婚を期にコラージュやめちゃったって。あとは細々なんかやってた模様。フォトコラージュってのはまあ雑誌などの写真を切り抜いて組み合わせて貼って超現実なイメージを作り出す。シュールレアリズムの手法の一つ。ま、でも今ならPhotoShopなんぞでもっと鮮やかなコラージュができたりするし、現にそういうアート作家……ええと、アンドレアス・グルスキーとか、ニコラ・ムーランとかもいるので、こういう写真を切り貼りしたのだと、ちょっと時代を感じさせるかもしれない。全部モノクロだし。

まず本館からで最初の展示室にあるのは「沈黙の奇蹟」ぶっちゃけ印象はイマイチ。なぜか? いや、おもしろい画面ですよ。しかし、パラシュートの写真。下のかごを支えているロープとロープの間は、普通向こうが見えるじゃないですか。それを外周だけ切り抜いていて、中はそのまま。これはわざと? うん、わざとかもしれない。でも、ロープ1本1本残して切り抜くのが面倒だったんじゃないか? ……ってなことを考えるとなんか落ちついて見れませんな。まして現代ならソフトで簡単に切り抜けちゃうもんなあ。それからモードの世界のコーナー。作品が当時のファッションのモードに影響を受けてるとかで、実際ディオールやバレンシアガのドレスが飾ってあったりする。コラージュ作品では結構ドレス人物の首を取っちゃうのがお好きなようで「再生」では取れた首を持っている。「夜間訪問」では首が扇だ。これ、背景がイイネ。

初期の作品のコーナー。さっきまではなんだかんだ「空間」を感じさせたが、初期のは平面的で、写真をコラージュしてシュールな画面を作ってるのが多い。直感的でおもしろいが、やっぱり空間を感じさせる方がいいですな。最後の「海のレダ」あたりはやっと海上の空間を感じさせる。

2階に上がって、岡上が影響を受けたマックス・エルンスト。書籍があるが、きわめてシュールな画面を中世風の版画で作っている。おお、エルンストすげー、こんな作品作ってたんだ……と思ったが、あとで知ったが、中世の版画を切り抜いて組み合わせたコラージュなんだって。でも、おもしろいじゃないか。それから書簡いろいろ、写真もいろいろ。洋服の型紙もある。

それから岡上のコラージュ以降ということで、シュールな写真に手を出した。悪くはないが、この手の巨匠マン・レイとつい比較してしまい、なんか普通だな、みたいな。あと1970年代には日本画を描いてたようで、「薔薇」とか「校舎」とかいう作品があるが、あのシュールなコラージュからは信じられんくらい普通。ヘタではないんだけど、別におもしろい絵でも何でもない。あとはコラージュのもとになった写真雑誌。「海のレダ」のもとがある。ここまで第1部「マチネ」で、なーんかイマイチだなあと思ったが、本番は第2部の「ソワレ」からだ。

新館での展示。ここからは絶頂期のコラージュ作品連発なので十分に見応えあり。「懺悔室の展望」コーナー。最初の「懺悔室の展望」が前景も背景もあるうまいところのもの。「廃墟の旋律」も廃墟と楽器を奏でる女性という魅力的組み合わせ。廃墟などのイメージは戦争直後の風景ももとになっているらしいが。「終局の午後」なんてのも建物内人物に不自然なところなしでグッド。「高波」の巨人女もいいですな。頭の扇がなんだ、兜みたいなもんかな。他にたくさん並んでいるぞ。

「翻弄するミューズたち」コーナー。ここは女性ものが多い。「怠惰な恋人」は女に誘惑されている男達。「記憶への道」は線路?に幽霊みたいな感じで、これも不自然さが少なくてよい。「花嫁」の遠近感もいいですね。えーと、ヌードフォト使っているのも結構多いな。

「私達は自由よ」のコーナー。時代はもはや戦後ではない、というあたりまで来て、女性も自由を謳歌し始め、そんな気分の作品。このあたりで岡上もフォトコラージュを終了する。「孤独の讃歌」は海上のベッドに女性に酒に楽しそう。男達はつまらぬ背広姿である。男とは、戦争が起こればお国のために戦い、戦後になってもお国の復興のために働く、自分自身がどこかに行ってしまったつまらぬ生き物。岡上の目にはそんなふうに、戦中も戦後も変わらぬ姿で映ったのかもしれない。

シュールレアリズム的ではあるけれど、ある時代を強力に感じさせる作品群。特に第2部は見応えあり。
https://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/190126-0407_okanoue.html

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2019年2月 9日 (土)

河鍋暁斎 その手に描けぬものなし(サントリー美術館)

なんか割と最近河鍋暁斎展を見たような気がするのだが、どこだったかな……と思って調べたら、2017年にBunkamuraで見ている。
それにしても今回8期(8週)に分かれている。展示替えリストを見ると、結構いろいろ入れ替わるんだよね。今は第1週なのだ。まあ1週だけ展示ってのはさすがにないようだが……いや、画帖の別ページとかあるね。まあ奇特な方は何度も行くんだろうけど、私は多分この1回だ。見れなかったものは……それは運命よ。

入り口に映像による絵が並ぶ。中にはアニメーションになっているのものあり、それ自体作品ですね。それから第1章「暁斎、ここにあり!」だって。代表作「枯木寒鴉図」おなじみの枝に止まっているカラスだ(入り口でアニメーションになってる)。あと「花鳥図」というのが美しい……だけでなく、雉に蛇が巻き付いているという妖しい感じがまたいいね。

第2章「狩野派絵師として」となっている。狩野派も吸収しているんだお。「豊干禅師と寒山拾得図」うん、デカくていいな。ちゃんと奇想風味もあるし。「羅漢に蛇図」が大きめだが蛇が見えないが……おお、下の方にいるな。いい顔してる蛇だな。しかし今回、単眼鏡必須ですな。ガラスから絵まで距離があって、ド近眼にはキツい。「鶴図屏風」はおきまりのおなじみの感じ。「能・狂言面之地取画巻」能面をスケッチして張り混ぜ絵に。実は暁斎、結構スケッチで評価が高い……と思う。「枇杷猿・瀧白猿」……うむ、さすが猿はうまいな。「風神雷神図」空白の取り方がよい。

第3章「古画に学ぶ」文字通り、絵を描いているってことは、昔のものからもちゃんと学ぶんじゃ。特に暁斎は熱心だお。「騎牛図」……暗くて見えない。「放屁合戦絵巻」文字通りの屁の出し合いだ」いかにも暁斎が描きそうなネタだが。原典があったんだって。今回それも出ている。うむ、やっぱ暁斎の方がキレがある感じ。あとは「九相図」これは人が死んで、腐って骨になるまでのスケッチ。この世の無常に気づけよという一応仏教系の画題なのだ。九相図にも原典があり、それも出ている。暁斎の方は骨に近い場面だが、こっちは腐りかけで結構グロい。ちなみに暁斎の方は後期になると「九相図」は引っ込んで「卒塔婆小町図」になる。これもアレだな。九相図と同じ腐り画題だけど主役が小野小町ってヤツだよな。「蛙の学校」「蛙の鬼退治」というのは得意のカエルもの。「土佐大蔵少輔藤原行光画 百鬼夜行図」土佐派の原典があるものだが、河鍋風にみんな生き生きしてますなあ。「鯉魚遊泳図」は応挙風なんだって。

第4章「戯れを描く、戯れに描く」ここは戯画や席画(即興的にその場で描く)だ。暁斎得意のジャンル。「鷹に追われる風神図」おお、面白い発想じゃん。風神逃げてる。絵もスピード感があっていい。「五聖奏楽図」こいつは再会。歴史上の偉人が合奏。ブッダとか孔子とか。十字架のキリストが手に鈴と扇子を持たされているのがコミカルだ。「貧乏神図」いかにもビンボー。これも前見たな。「大仏と助六」も前に見た。「月次風俗図」月々のイベントを席画で。期間中に入れ替えがあるそうな。墨の太い線と淡い色の対比を見ていると現代アートっぽくもあるね。「念仏の鬼」は文字通りだがもとが大津絵だそうだ……ううむ、大津絵ってよく聞くけど、ちゃんとは知らんの。「新板かげづくし(天狗の踊り)」おお、シルエットでこの生きのよさよ。「鯰の船に乗る猫」これは地味だが面白いぞ。鯰が役人で猫が遊女だそうで、役人も遊女にゃかなわない。

第5章「聖俗/美醜の境界線」下の階の部屋に入っていきなりあるのが「処刑場跡描絵羽織」 ぐえっ! こ、これはマジでヤバい。思いっきり処刑されてるじゃねーか。しかも3体で、磔と首吊りと九相図の死体。これを羽織にしようってんだからなあ。もはや仏教的な無常とかと関係なくて、当時からグロいの好きでヤベエヤベエ言ってるヤツがいたんだろうなあ(「ヤベエ」という言葉ではなかったろうが)。この場面は2週しか出ないようですな。「閻魔と地獄太夫」美醜対比もの。「地獄太夫と一休」これは何度も見ている名品……っていうかバージョンがいくつかあるよな。踊る一休の顔がイケる。「幽霊図」2つ出ているが1つは首を持っていて怖い。一つはよく見る行灯で照らされているヤツ。

第6章「珠玉の名品」小品に優れものあり、のコーナーだそうで「惺々暁斎画帖」とか出ているが、「惺々暁斎団扇絵聚画帖」の花がきれいですね……ってこれ毎週場面替えじゃん。

第7章「暁斎をめぐるネットワーク」で、暁斎周辺のもの。「書画会図」は人いっぱいで、リクエストに応えきれないで断っている暁斎先生がいるぞ。それから衝立があって息子の暁雲と娘の暁翠との合作……そうか、いたのか子供が。しかも画家を継いでたのか。暁翠作がいろいろ出ていて「百猩々」なんか文字通り百の猩々が描いてあり見物だ。父親ゆずりでなかなかやりおる。

肉筆がほとんどでなかなか見応えある。毎週何か展示替えしてるもんで、出る予定のもの全てを見るためにゃあ毎週行かねばならん。いや、私は無理だが。
https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2019_1/

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2019年2月 4日 (月)

インポッシブル・アーキテクチャー(埼玉県立近代美術館)

完成に至らなかった建築を集めた企画。構想だけだったとか、アート作品として作ったとか、あとのっぴきならない事情で中断しちゃったとか。日本から世界からいろいろ集まっている。建築展の常と言えば常なんだけど解説が多くて、読んでるとえらく時間がかかる。

入口のところに派手なCG動画があり、いやが上にも気分が盛り上がる。ピエール=ジャン・ジルーって人の。二重螺旋のSF的建築は「東京計画1961」をもとにしているのだ。これ森美術館でも見たヤツだな。

会場に入って最初に目につくのはおなじみタトリンの「第3インターナショナル記念塔」鉄のフレームでできた豪快にしてアヴァンギャルドでカッチョイイ。CG(前にどこかで見たが)動画があるけど、いつ見てもいいですな。ワクワクしますな。あの傾斜は地軸なんだって。それからカシミール・マレーヴィチ、何か建物模型があって、バウハウスみたいだなと思ったらバウハウスの人だった。ブルーノ・タウトがある。桂離宮スキスキで超有名なんだけど、えーと出てるものの意図がよく分かんないや(オレ建築学科。全部忘れた)。次ミース・ファン・デル・ローエ。これも建築学科で大体名前が出てくるんだが、ガラスの摩天楼みたいなのが出ている。ふむ、コンペ(競技設計)案か。この人のガラス張りの住宅が有名で学生は感動するんだけど、周囲から丸見えのヤツなんで、実際住むのはイヤだよなあ。瀧澤眞弓「山の家」とかいう模型だけど、立体造形みたい。分離派だそうで、なんかアートだな。私はバックミンスター・フラーを尊敬しているので「形がきれいなだけで音の鳴らないピアノ」はイヤだぜ。建築なんだからまずちゃんと機能を考えてちょうだい。山口文象も同様にアートっぽい。川喜田煉七郎。「霊学堂」の図とかドローイングとか、あと「ウクライナ劇場」国際設計競技応募案。これは……うん、普通にいい感じだが。次の前川國男「東京帝室博物館建築設計図案」これがなにかというと今の国立博物館のコンペですな。国立博物館は和風屋根みたいなのが乗っていて和洋折衷なんだが。この落選した前川案はバキバキのモダニズム(合理的建築)。形もじぇんじぇん面白くない。ただ、これが一番使いやすい、というのを分かってあえてやっている。いや、私は好きですよこういうの。それから岡本太郎がある……一応まじめなようだがただのドローイングっぽくもある。

ここでメタボリズムコーナー。えーとなんだっけメタボリズムって。前に森美術館で見たが忘れた。ま、その時と同じのが出ているのが黒川紀章の「東京計画1961 Helix」派手な二重螺旋の高層建築……これ、建つの? 下の方で折れなくね? 会場前のCGが超カッコいいっすよね。それから菊竹清訓「国立京都国際会館設計協議案」模型が出ている。足付きで建物本体が地面から浮いていて、そうだよ江戸東京博物館みたいなヤツだよ。あれも菊竹で、形は目立つがなんで全体を浮かせる必要があるのかよく分からない(理屈はいろいろあると思うが)。つまりああいうのが好きなんだな。次はヨナ・フリードマン。「空中都市」とかいう、なんか既存の町はそのままにして、フレームを組んで、その上にテメエで家作って住めとかいうもの。

アーキグラムというグループだったかな、それの足が生えた建物とか(そんなんだっけ?)、そのアーキグラムの作品で、車がマンションの一部になるのを長倉威彦がCGでやったとか。セドリック・プライスの自由度の高い空間「ファン・パレス」とか……あーなんか疲れてきた。ジョン・ヘイダック、おお、この人は面白かった。「ダイヤモンド・ハウスB」デ・ステイルの縦横線にしちゃう手法つまりモンドリアンみたいなヤツな、あれを建築でやった人で。アクソメ図(建物を斜め上から見て縦横を45度線にして描く図)を見ると、なんとなくモンドリアン風のアート作品に見えるところが面白いじゃありませんか。村田豊「ポンピドゥー・センター競技設計案」あのレンゾ・ピアノとかのケッタイなのが採用となったコンペに出したヤツ。村田案も上から吊っているのでなかなかケッタイだぞ。「ソビエト青少年スポーツ施設」は図面と画像いくつか。膜構造つまり東京ドームみたいなヤツ。でも透明ですな。こういうものなのか。エットレ・ソットサス「祝祭としての惑星」タイガー立石に描かしているからマンガっぽい。磯崎新「東京都新都庁舎計画」実際に建ったのは例の丹下健三のだけど、それの応募案。誰かがこれが一番いいって言ってたんだが誰だっけ。荒俣宏だったっけな。それから出た! 安藤忠雄「中之島プロジェクトⅡ-アーバンエッグ」建物の中にデカい卵形があるんだぞ。一見これいいじゃーんと思うが、実は期待できない、というのも見よ、東急線&副都心線渋谷駅を。あそこも卵形が入っているんだじぇ。オレは通勤路だから毎日通るんだけど、卵形を演出するコンクリートは意味不明で無駄なオブジェでしかない。でも図面では面白いんだよ。レム・コールハース「フランス国立図書館」柱と塊……却下。

荒川修作+マドリン・ギンズのなんかデカい構造物模型が出ている。何か用途がある施設ってわけじゃなくて、面白空間を通り抜けて、人間のなんとかかんとかでなんとかとか。まあスマホ脳になるなみたいな感じじゃないかな(こーいう雑な鑑賞と書き方をするもんでブログもろくにアクセスが増えないんだよなあ。誰か読んでいる人おるのか?)。ダニエル・リベスキンド「マイクロメガス:終末空間の建築」仰々しいタイトルだが、単に図面っぽいアート。凝ってはいるがそう面白くはない。石上純也。さりげなく……うん、さりげない。藤本壮介「ベトンハラ:ウォーターフロントセンター設計競技一等案」円を描いて重なる道と緑の共存。面白い。これ一等……って、一等で作られなかったのか?

会田誠+山口晃。「東京都庁はこうだった方が良かったのでは?の図」前に会田の都市計画展で見た。石垣ばかりで窓がないじゃんと思ったが、今回知ったのだが、石垣の石は全部ガラスなんだって、だから山口の絵でも中が見える。おおそうなのか。まじめにふざけているのが今回の企画の中では異色。「シン日本橋」も……面白絵みたいだが。えーそれから建たなかったといえばやっぱりこれ。ザハ・ハディド「新国立競技場」。予算オーバーしたが、設計側はちゃんと予算削減した修正案を出したとか。でもウマい汁吸いたいギョーカイどもが「えーそこ削ったら俺達儲からないじゃん」とか文句つけたので認可が出ずプロジェクトがメチャメチャになり結局全部ポシャる。だからザハさんは全然悪くない被害者なんだ……ってのがアート界のご意見のようだが、なんか構造上相当無理があって、実際に建たせるにはアーチを支えるさらなるアーチが必要とかでそんな金も工期もねー。そんで、やっと出てきた修正案が当初とは似ても似つかないダセエもんだったんでブチ切れたとかいう話も聞くんだなあ。とにかく模型とか出ている。あとで調べたが、この模型、修正案の方ですよね。ザハは「アンビルドの女王」とか不名誉な称号がついてるらしいが、その言葉は展示では見なかった。最後はマーク・フォスター・ゲージ「ヘルシンキ・グッゲンハイム美術館」と「西5丁目のタワー」ポスターにもなっているSFチックな建物で画像とCGが出ている。期待しちゃうが、オブジェめちゃ盛り建築みたいで、そうカッコイイものでもない。

面白いんだけど、解説などボリュームが結構ある。時間を作って行ってみよう。
http://www.pref.spec.ed.jp/momas/?page_id=386

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2019年1月27日 (日)

イケムラレイコ 土と星(国立新美術館)

以前東京国立近代美術館で個展をやっていたが、彫刻作品が多かった記憶がある。それがスケールアップして国立新美術館に登場。価格をどうこう言うのもナンだが、1000円でこの内容とクオリティは実に安い。知名度のせいか今のところ混んでいないので、ガッツリアート空間を享受することができる。1600円で人混みに突撃するよりいい体験ができるはずだぞ。
また作品脇のキャプションがなく、テキストは全て配布されるという近頃の流れに沿っている。これもなかなかよい。

テーマ順の展示で、最初「プロローグ」。「樹の愛」という二重螺旋状の立体作品、あと「生命の循環」というエッチング作品のパネル。パネルは言葉も多用されているので、命とはなんぞやみたいに、いろいろ考えることができますな。

「原風景」のコーナー。これはまだ初期という感じ。抽象画が並んでいて混沌としている。次に「有機と無機」コーナーで粘土を用いた彫刻群。「柱Ⅱ」といった装飾柱そのままの作品、「立って」とか「黄色いミコを抱いたダークフィギュア」という定番となる首なし人物、「オトコイエ」と「オンナイエ」という家っぽい作品があって、これは凹凸で合体できるようだ。「トゥルムヴルム(虫の塔)」はまるでチ○コ……いやいやいや違うだろねじれているんだから。しかしフロイト的に長くそそり立つモノはだな……まあいいや先行こう。ところどころ壁にポエムが書いてある。

「ドローイングの世界」。主に木炭でババッと描いた落描きのようなもの。一つ一つちょっとした芸術的意図がある。アーティストたるもの、こういうのは湯水のように生み出せるのだなあ。たくさんあるもんで、かの折元立身を思い出させる……まあ、あれほどではないが。「はァ」というのがウサギの耳がまるでチ○コ……またそこかよ。アクリルが「タランチュラ」というのがあって……クモだよな。でも顔が人っぽいし、足もただ長くとんがっている出っ張りでしかないようで、うーんこの時点で「絵はあんましうまくねえな」などと思ってしまった。全体にセンスとしては「ルドンの黒」に近い感じで、思わぬところに顔がある、みたいなものかな。

「少女」のコーナー。やっぱり最初に目につくのは立体作品「ミコを抱いて横たわる」長いスカートをはいてはいるがその中は空っぽ。そして首がないのと、顔を地面に押しつけているのという2体。(悩める?)少女の心象人物像。ううむ……鑑賞者が女性なら何か共感するところがあるのかもしれんが、こちらは野郎なもので、なんだスカートの中カラッポかよと……いやいやいや別にそういう視点ばかりで見ているわけではないんですが、次行こう。少女を描いた油彩作品が並ぶ「黒の中に立って」一見カワイイんだが、多分このぼんやりした表現が心象でしょうなあ。「赤の中に臥して」。「横たわる少女」「黒の中に横臥して」いずれも少女を表現する型を持っているね。「舞い降りて」なんていう上から降りてくる感じの絵もあるぞ。この時点で「おお、絵もできるじゃん」と思う。

次は「アマゾン」という部屋で、まず「シャドウガール」が壁に並ぶ。これは水彩絵の具のたらし込みで少女の影を描いたもの。これはなかなか「おっ」と思わせるものを持っている。そして部屋の中は「アマゾン」という一連の武装女性像がドーンと並ぶインスタレーション。音も鳴っている。これはかのアマゾネスだよな。見て思うのは「シャドウガール」あってこそのこのインスタレーションだと思う次第である。しかしなんていうかさっきから女性を強調してくるね。女性アーティストあるいは女性作家には「私は人間である。そして『おんな』である」といった女性を強調する立ち位置で創作している方が少なからずいると思う次第です。この世が男性社会だから? うーん、それだけじゃないと思うんだが。

「戦い」のコーナー。ここも絵画。「カミカゼ」という飛行機と軍艦っぽい(シルエットに近い)絵があるが、とりたてて反戦といった意図はなさそうだ……え? カミカゼの写真を元にしたって? 「パシフィック・オーシャン」「パシフィック・レッド」これは、なかなかいい海の風景画ですよ。実景じゃなくて心象ですが。

「うさぎ観音」の部屋。デカい「うさぎ観音Ⅱ」の立体。プロジェクターで壁に「いずこでもない」という映像作品。それだけじゃなくて詩の朗読音声が流れている。ん? 誰が読んでんだ? 本人? いやぁ声がちょっと若い感じだぞ。オレに代われ。オレが読んだ方がウマい(一応ポエトリーリーディングのキャリアだけはある)。まあ、朗読だけ目立ってもナンだし、あとこの作品、東日本大震災がテーマだそうで、もしかしたら朗読しているのもそうした関係者の方かもしれませんな。

「山」というコーナー。「フジフェイス」という山と顔が解け合ったような粘土作品。ヤバいぜっ。「ベルリン地平線」は砂漠風。なかなかいいね。通路に入って外を見ると、おお、外にもデカい「うさぎ観音」が。ガラス越しに見るだけで近くには寄れないが、別に問題ない。それから「木」のコーナー。「木の愛」という連作。やっぱ木と顔の合致。あの、ルドンっぽいのが不気味でいいですな。次には「炎」のコーナー。おや、高島野十郎みたいな炎の連作があるぞ、と思ったら「シャドウヘア」。なんと女性の髪が逆立って炎のようになっている。これは面白い。この手があったか。

「地平線」コーナー。「オーシャンⅠ」から「オーシャンⅢ」まで、少女も描かれている海辺の作品。といっても先の少女に近い。ぼんやりした存在。「無」では暗い空の下の海岸のようなもので、地平線かというとそうかもしれないが、違うかもしれない。となりに「メメント・モリ」のコーナー。いきなり「メメント・モリ」という彫刻。抜け殻のような白い人物像。その背景には「快楽の園」のプロジェクター投影。抜け殻人物が引き立つもので、結構クるものがある。「花」という写真連作。エゴン・シーレの描く枯れかけの花のような作品群。シーレの方が生命力はあるようで、こちらはまさにメメント・モリ的な存在。「メメント・モリⅢ」はただの塊にしか見えん。

最後に「コズミックスケープ:の部屋。絵画の大作3枚×3。「うねりの春」のうねりはオキーフのような妖しい感じだ。「東海道」おお、箱根ではないか。しかも女の顔が風景に混ざっている。「コロニア」や「始原」は山々を描いている。これでもうエピローグ。「生命の循環」のエッチングなどがあり、終了。

一人のアーティスト世界を堪能できるナイスな企画。見応え十分だ。
http://www.nact.jp/exhibition_special/2018/Ikemura2019/

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2019年1月21日 (月)

In a Gamescape(ICC)

ヴィデオゲームは時に社会のあり方を映し出すとかなんとかで、ヴィデオゲームを使ったアート表現とか、アートっぽいヴィデオゲームとかで構成されるナイスな企画だ。
しかし当然ながら、動画作品も多いし、ゲームそのものが出ていたりする。一つ一つを全部エンジョイしていくと膨大な時間がかかる……のためかどうか、入場券は2度入れるのだ。

最初にミルトス・マネタスのファミコンレベルの動画を使ったアート作品でマリオが寝ているところと、水の上を飛行機が走るの。JODIの「ストリート・リーガル」はゲーム空間の中の車のスピンを延々映す。Playblesの「Plug & Play」と「Coin」はモノクロの風変わりなゲームだが実際遊べる。うむ、一応面白い。それにしても……こういうのはやっぱりmacで動いてるな。マウスが1ボタンというので分かるね。和田淳「マイエクササイズ」ボタンを押すと画面の中の人が腹筋するが腹筋を続けていくといろいろ状況が変化する……って、実際見ないと分からないよな。ジョナサン・ヴィネルはゲーム空間を使ったヴィデオアート作品つまり動画。ポエムと暴力的シーンで魅せる。ゲーム空間でありながらポエジー。山内祥太「ZONE EATER」VRを使った体験型で予約してやる……んだけど、やんなかった。なんとなれば、そうっ、オレは映像酔いしやすい。めちゃくちゃ弱い……って、じゃあそもそもこういう企画に来たらダメじゃん。はい、来てから思い出した。もうこのあたりでほろ酔い。

それから結構ゲームそのものが並んでいる……ったってアートっぽいヤツね。それからイップ・ユック=ユーの「九龍の憂鬱な一日」「プラスチック・ガーデン」いずれもゲーム空間の風景動画。仮想空間の九龍城は見ものですな。ブレント・ワタナベは、オープンワールドの空間内でAIを使って動き回る一匹の鹿を追いかけたもの。なんとなく野生って感じがして面白い。ハルン・ファロッキはゲーム空間特有の現象の解説の動画作品。木はどう表現されてきたか、最初は動かない線だけだったが、今や仮想空間内の風に葉が揺れるんだぜ。実写と変わんない。あと水面がサーフェス(面)で、その下に空間があるとか、そんな解説。アブドゥッラー・カラムはRPGツクールで作った社会派RPGゲーム。実際できるんだが残念なことに英語だ。谷口暁彦「何も起きない」日用品が生活する町の日常風景動画。実写に近いところもなんか驚き。COLL.EO「イタリアからの絵葉書」ゲーム空間のイタリアの風景写真。イタリアであってイタリアではないがいかにもイタリアの絵葉書。好きなの1枚もらえるぞ……ってもらうの忘れた。

今やゲームは異世界の仮想空間を舞台にした何かであって。何やらえらい進化している。それを感じただけでも、いいじゃないか(映像酔いしながら)。
http://www.ntticc.or.jp/ja/exhibitions/2018/in-a-gamescape/

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