2018年9月22日 (土)

2018年のフランケンシュタイン バイオアートに見る芸術と科学と社会のいま(EYE OF GYRE)

表参道にあるGYREという建物にある展示スペース。無料です。写真も撮れます。しかしここがまた、1階にシャネルがあるようなこじゃれた建物で、ブクロ(池袋)が一番居心地がいいなんちゅー私なんぞはてんで落ちつかない。見てる間もファッションもキマった意識高い系カップルが入ってきたりして、軽く英文読んでたりして、なんかもう人種が違うじゃん。

しかし展示は実際のところ結構面白いんです。近頃のバイオテクノロジーをテーマにしたアートで、社会問題もちょっと入っている。最初何の解説も無くて(しかも英語まんまが多い)、意味分かんねーよ意識高い系以外来るなってことかよとか思ったが、解説の紙がちゃんとあった。今回の展示物は感性だけで見るもんじゃなくて、情報も加味しないと意図が分からないぞ。

3コーナーに分かれていて、第1章は「蘇生」。テクノロジーで死者あるいは死んだ何かを蘇らせる。ティナ・ゴヤンクによる一見革でできたカバンだのジャケットだのがある。さて何か? なんと人の皮膚を幹細胞技術で再生し……って培養か? 要は増やしたんだが、それで作ったというのだ。うぎゃああ……一応ここにあるのはフェイクらしいが、実際にやろうともしているらしいぞ。次に平野真美。ユニコーンが横たわっていて、なにやら生命維持装置っぽいもんが付いていて内蔵を見せて蘇生の最中。うぎゃああ……うーん、ちょっと作り物っぽさが目立つな。特に内蔵とか。もちっと本物そっくりにもできたんじゃないだろうか。それからディムット・ストレーブのゴッホの耳の再生プロジェクト。生きていて、音に反応するらしいが……本物が置いてあるわけじゃなくて写真と映像だけ。しかも映像は英語で字幕も無くてよく分からない。表参道ヤングにはどってことないかもしれないが、オレは英語なんぞ聞いても分からぬ。

第2章「人新世」。人間が出てきて地質を荒らし回ったので、地質年代も変えちゃえってのが「人新世」なんだって。展示はロバート・スミッソンの、ドラム缶の中の工業用接着剤を倒して流れ出したところ、の写真。衝撃の自然破壊の象徴よ。でも写真だけじゃイマイチだな。マーク・ダイオンのタール漬けになった鳥の彫刻。ええと、これは分かりやすい。AKI INOMATA「やどかりに「やど」をわたしてみる」これも面白さは分かる。水槽があって、ヤドカリがいる。ここで、ヤドとして提供するのは3Dプリンタで出した透明のプラスチックの貝殻。おお、透明なんで中が見えるぞ。面白い。本田沙映、一見きれいな石ころ。でも実はそこらのビニールやプラスチックを高温で溶かして混ぜて固めたもの。材料の説明が面白い。どこそこのビニールとか、何々のプラスチックとか。一つずつ解説が入っているぞ。

第3章「生政治」。ここもそれぞれテーマがある展示。ヘザー・デューイ・ハグボーグは、リアルな人形の顔が3つ。何か? その下に箱がある。どこそこで取れたガムの残り、たばこの吸い殻、とか、要はそこからDNAを採集し、情報を読みとって顔を再現させたんだってお。おおおおお。もちろんフェイクだとは思うがそんな時代はすぐそこだ。最後、BCL「DNAブラックリストプリンター」。プリンタが文字を出している。何か? これなんと、合成禁止となっているDNAだって。それらをサクッと出しちゃうって怖いじゃないかって話。
関係あるかどうか分からないが、例の障害者殺害事件で、今また再び優生思想が問題化しているのだが、いかなる状態であれ、人として生きている命を殺さない、なんてことは当たり前だし、ほとんど人は同意できるはずだ。がしかし、優生思想の主戦場はもはや出生前だ。疾患を持った胎児は、胚は、DNAは、生むか生まないか、それは命の選別なのかそうでないのか、どこからが命か、は人それぞれで簡単に結論も出ない。受精前、受精後、胚、胎児の何週間、新生児、さて君はどこに線を引く? それはグレーゾーンでの戦いなのだ。

企画のコンセプトは面白い。あとは、がんばってここに足を運んでくれ。
https://gyre-omotesando.com/artandgallery/bioart/

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2018年9月 2日 (日)

モネ それからの100年(横浜美術館)

横浜そごう「フェルメール 光の王国」の券をもらった……んだけど、それだけじゃあなんだから、行ってなかったこれに行こうと決めた土曜午後。しかしイチバン行ってはイカン時間帯に行ってしまったようで、このモネ展がまたえれえ混んでいる。
ちなみにフェルメール展でのフェルメールのパチモンじゃなかった精密複製画は、うーん……なぜか絵がみんな小さく見えるんだよね。オリジナルと同じ大きさのはずなんだが。展示方法の問題か。あとなんか本物の記憶と違う感じなんでやっぱり本物の方が……

それはさておき今回のモネ展なんだけど、モネだけじゃなくて、モネのエッセンスを持ったその後のアーティスト達の作品も集まって並列展示されているわけだ。で、これが今回の企画の面白さなのだが、見たところモネの絵にばっかりタカっているではないか。逆にオレはモネはもう飽きてるもんね……ってほどでもないんだけどさ、ちょっとした印象派展ならモネはしょっちゅう出くわすんよ。

冒頭モネ「睡蓮」いきなりだぜっ。で、そこから入るともう人ギッチリ。特に最初の方のモネが酷い。3重4重はあたりまえ状態。でもまあその中でも、初期の冴えてるの「サン=タドレスの断崖」いや、空がキレイですな。モネはボケボケした印象派だと思っているかもしれんが、風景の写実をやらすと結構すごいんだぞ。モネ以外では、ルイ・カーヌ「彩られた空気」、網の上に描いてて、その下に影ができる。ウィレム・デ・クーニング「風景の中の女」おお、これは例の、フォーヴよりさらに野獣ななんだか分からない女だ。中西夏之「夏至・橋の上」が2点。ほう、ゴミ卵作ってた中西にしちゃ上品な色使いではないか。岡崎乾二郎って人が厚塗りベタベタ。湯浅克俊が、これ油性木版とかいう技もの。思い切り現代の人ですな。

それからまたモネが並んでいて、人がたかっておる……ちょっと待て、その並んでいるのと対峙して展示されているのはマーク・ロスコではないか。例のぼんやり四角の作品2つ。うむむむ……諸君はモネばっかり見ているようだがこのモネとロスコのシンクロが結構面白いんだぞ。モネの言葉が書いてあって「描くものと自分の前に横たわる『何か』を描く」んだって。その言葉をもってロスコを見ると、おお、これまさにその「何か」をスパッと抜き出してきた感じに見えるのだよ。ロスコの絵は極めて心象的だ。モネ対ロスコ、こりゃあ見どころだ。

次は煙や霧の世界。モネの「テムズ河 チャリング・クロス橋」は煙っているが極めて色がいい。あの青みがかった世界はモネの十八番ですな。その裏の「霧の中の太陽」も太陽の光が見事に演出されている。この2枚を中心に、周囲は違う人。ゲルハルト・リヒター作品は、まさに霧の向こうだ。松本陽子も煙っている。霧と煙を感じさせる何かの群。

それからモネに捧げる作品群。ロイ・リキテンスタイン「積みわら」シリーズと「日本の橋のある睡蓮」。ルイ・カーヌも「睡蓮」違いが分かりにくい他にも睡蓮もの多し。おっと福田美蘭。大原美術館の建物に、モネの睡蓮を合成させた会画。テクニックはすばらしいものがあるが、どうしても元絵があってそれを料理する、というサブカルチャーな作品から抜けれない。まあ抜けようともしてないかもしれないが。福田美蘭は1、2枚見る分には大変面白くていいのだが、まとめて見るのはあまり向いていないんだ。モネの睡蓮がたくさん並ぶ。ここでまたモネ「バラの小道の家」色がやや毒々しくなり、描画は荒れて、晩年の感じ。そのとなりにある「ジャン=ポール・リオベル」がモネの晩年風で、ちゃんとモネのエッセンスを取り入れているぞ。サム・フランシス。これも2枚ぐらい見るのがちょうどいいよな。ウォーホル「花」これがここか。最後にまた福田美蘭「睡蓮の池」。夜のレストランから見える風景と、レストランのテーブルが、ちょうど睡蓮の花のよう見えるという技もの。「睡蓮の池 朝」ってのも特別に出ている。

現代の絵画と並べてみて感じ取ってナンボの企画。できればやっぱりすいてる時間に行って、見渡して鑑賞してみたいものですなあ。
http://monet2018yokohama.jp/

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2018年9月 1日 (土)

加賀美健レトロスペクティブ(Parco Museum)

なんか近頃お上品なアートばかりでイヤになってるそこの君、ここらで一つ加賀美健。それにしてもこないだの「大Ah!!rt展」といい、デパートでの展示がなかなかハッチャケてきているのが面白い。老舗デパートでの日本画家展なんぞとはまた違う攻めの姿勢は注目していきたい次第である。にしてもアート系のサイトにも案内載せてくれお。なかなか気がつかないぞ。

で、加賀美健って初めて知った次第です。冒頭から鼻に指突っ込んでる人形の頭の「Smooth & Creamy」。あと顔を隠した人物のケツにバナナが刺さっている妙な絵「MILK MAN」。オリンピックの表彰台っぽいところの1から3位に、何やら銀玉が乗っている「Olympic Snot」……Snotって何だ? あとで調べたら「鼻汁」だと。かようにややバッチイ系でも迫ってくるがまだ序の口だ。シャンプーや石鹸の容器に文字が書いてある「Celebrities' poop」「Celebrities' pee」セレブのウ○コとシッコだ。あとパンティーとかも書いてあった。要するに結構しょーもないギャグみたいなのが連発。次に雑然と色々と置かれている展示台があって、どれもキッチュでウ○コものもある。

そういや全部撮影可能だ。俺は撮ってねえ。撮ってブログと一緒にレイアウトすれば、少しはアクセスも増えるだろうにめんどくさいの。
次にドローイングが並んでいるんだけど、どう見てもスヌーピーとチャーリーブラウンじゃないか。でも、かろうじてキャラクター権が引っかからない程度似ていない……いや似てるよな。これも結構しょーもないことをしているんだけど、ここはシモネタはありませんな。次に捜し物の手描きポスター。何を捜しているのかを絵とともに「Pasta(パスタ1本)」「Solt(塩何粒か)」「Mole(ほくろのようですな)」とか。脱力ものですな。次はアイロンの跡作品。犬の糞と餌と骨。おむつトレーニングのあと(だと思う)。おっぱいでカラテの写真と実物っぽいオブジェ……って書いたところで何のこっちゃら分かりませんよねえ。あのう、女性のおっぱいで瓦を割ったらしいです。

それからピカソ描く女性像の目とおっぱいだけに画鋲刺してる作品……中二レベルのヤバさが冴える。次にドローイングで、キャンバスに文字「Oil on canvas」(キャンバスに油彩)ってそのままや。チェーンソー持ったヤツがトゥオンブリー……ってごめん知らん。刃物持ったヤツがフォンタナ……これは知ってる。クラインが……ごめん意図が分からん。「Art is joke」の文字絵。「Onry a rich person can see this painting」(金持ちのヤツだけがこの絵を見ることができる)という文字絵。それから展示室の中の方に立体いくつも。ウ○コものの立体や、下着かぶった犬や、ケツにバットが刺さった犬とか。下品でバッチイけど、別に展示空間が汚いわけではないので、ああこういう作品だな、とやりすごせないこともない。

まだある。映像作品が2つあるのだ。1つはアーティストの活動説明とインタビュー。何を答えてくれるかな? これはタイトルも知らずにいきなり見た方が面白いが、タイトルで中身分かっちゃうな。もう一つは映画……ってほどでもないな。YouTubeにありそうな動画作品。ウ○コオブジェが重要なモチーフで出てくる。展示品はいかにも作り物だけど、映像に出ていると意外とリアルでバッチさマシマシですな。それ使って叩いたりするのだが、いかにも固いんだなあ。柔らかかったら面白いのに。まあリアルだからいいってもんでもないよな。

そこを出るとショップがある。脱力アートグッズいろいろ。楽しいぞ。「現代美術よくわからない」というTシャツほしいな……も、もう少し安ければ買ったんだが。
面白いがバッチイ系も結構あるので、それを楽しめるかどうかだな。いや、オレは嫌いじゃないぞ。
http://www.parco-art.com/web/museum/exhibition.php?id=1310

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2018年8月28日 (火)

芳年(練馬区立美術館)

こいつぁ日曜の午後に行ったのですが、午前中に映画「カメラを止めるな!」を見に行っていて、映像酔いのヘロヘロ状態がやっと治ってきたところで鑑賞したわけです。「カメラを止めるな!」は一応ゾンビもので、血がドバァみたいなところもあったりする。んで同時に芳年も血みどろ絵で高名だったりするという奇妙なリンクが成り立ったわけだ(だからどうってもんでもないが)

芳年に注目するというなかなかな企画。いつもとは逆の展示室順路で、3階左から入って2階はあとだ。年代順で最初は国芳の弟子になったあたり。15歳にしてもうかなりうまい。「文治元年平家の一門亡海落入る図」なんてもう3枚続きを任されているではないか。「近世侠義伝 盛力民五郎」で早くも血の気が多い……っていうか、国芳も結構血の気多かったと思うが。武者絵の国芳だし。それから戯画を意外と描いている。「於吹島之館直之古狸退治図」なんか妖怪もので、コミカルじゃん。あと将棋の駒もの戯画「狂画将基尽し」そうかこういうものも描いてたんだなあ。国芳も戯画得意だったしな。あとは役者絵いろいろ。似顔付き玩具で構成された戯画風の「正札附俳優手遊」うむ、3枚続きもある。

次がいよいよ芳年の名を知らしめた残酷もの錦絵「英名二十八衆句」。落合芳幾との共同作成なんで芳幾の絵もある。コーナー入口に警告文があって、残酷だが、それでも目を背けぬよう、みたいなことが書いてあるのだ。こりゃあスゲエぞ……と思ったが、午前に「カメ止め」を見ていたせいか割と普通に見れたりして、あと、有名なものは既に見て知っているのだ。で、その有名なものが結局のところ一番残酷だったりする。「英名二十八衆句」でヤバいのは展示終わりあたりの三枚「稲田九蔵新助」女を吊して斬っているヤツ。うむう残酷~ でも女の顔が浮世絵なんでそう生々しくはないですな。「直助權兵衛」顔の皮剥いでいるヤツ。「団七九郎兵衛」は血と泥まみれ。芳幾でがんばっているのは「邑井長庵」の頭に刀ザックリ。実のところ、あとは血がついてますっていう程度で、そんなに酷いものは無かったように思う。「清盛入道布引滝遊覧悪源太義平霊討難波次郎」が縦三枚続きでよい……とメモってあるが、ありゃ、どんなんだったかな? 「魁題百撰相」は戦場を見てきたリアルが反映されているというが……似顔集みたいでよく分からん。「一魁随筆」シリーズは武者絵でありながら結構繊細さが分かる傑作だべ。このあたりで芳年、精神がヤバくなったらしい。

で、精神の病を脱して「大蘇芳年」と名乗って調子もよくなった。「大日本略図会 第八十代安得天皇」は波のリアルであり、戦いでもあり。あと美人画も描いているが、画風からすると、江戸後期風の目がキツい美人で、今の感覚からするとちょっとアレかもしれない。「全盛四季 春」の花見美人もいいが、「全盛四季 夏」の風呂屋の女湯……って、なんでこういうものを描けるのだ? 見たのか? 「全盛四季 冬」は雪景色と美人ですな。

新聞錦絵を描いていた頃のが次に並ぶ。「皇国二十四功」シリーズは調子がよくてノリノリになってきたもんで、絵が近代イラストみたいになっているし、ポーズなんかキマっている。あのぅ、ストップモーションっていうんですかね。動作の瞬間を描くような、それが得意よ。「芳年武者无類」は顔をバッチリ見せないで、横向きとか、隠れてるとか、そんな演出をしたものらしい。「藤原保昌月下弄笛図」は有名な絵で、笛を吹いているが隙がない、というヤツで、実はこれ一番最初に展示されている。「東名所隅田川梅若之古事」は風景だが、水面に映る月が光線画っぽくて超リアル。こういうところが文明開化だし、近代版画に突入していて、さらに言うと、もうあまり「浮世絵」っぽくないのだ。「修紫田舎源氏」なんだけど、細かい模様の描き込みバッチリで、このあたりまだ江戸浮世絵技が残っているね。「曽我時致乗裸馬駆大磯」は太い水墨の馬が何ともイカす逸品だ。それから縦2枚続きの版画がイパーイ並ぶ。見てると名作揃いで、芳年はこの形が一番得意だったんじゃないかと思わせますな。「奥州安達がはらひとつ家の図」は妊婦を裸に剥いて逆さ吊りしている山姥の絵で、ヤバいんで当初発禁になったと。「芳流閣両雄動」は八犬伝もの。屋根の上での対決。国芳に同じ場面の絵があるが、芳年のはもう明治近代画の雰囲気。あと町に火をつけてはしごを登っていく八百屋お七を描いた傑作。タイトルは……あれ、どれかな……まあいいや、それもここだ。

階を降りて、まだ展示は続く。有名な「月百姿」シリーズがいくつか。こうして見るとやはり完成度が高いですな。「はかなしや……(長い)」は水面の反射だけで月の存在を分からせる粋な傑作だ。「源氏夕顔巻」の女幽霊もなかなか。あと孫悟空もあったよな。ストップモーションで。それから、意外なところで素描がある。なんと「骸骨」おお医学的にして現実的。あとは晩年になってきて、ここで美人画の傑作「風俗三十二相」。様相の江戸顔美人はちょっと見もの。あとは少ないながら肉筆がいくつか。「鐘馗」はなかなか迫力があって傑作ですな。肉筆でもイケるのに少ないのはもったいないですな。

いやボリューム多いですよ。十分ですよ。行ってみよう。8/28から展示替えなんで、いくつか違うかも。
https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=201805131526201032

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2018年8月21日 (火)

BENTO おべんとう展(東京都美術館)

弁当の展示を美術館でやる。そうかこういう着眼があったか。みんな弁当好きだよな。俺も好きだぞ。これで面白くないわけがない。

最初にあるのは弁当の歴史。主には弁当箱なんだけど、紅白のひょうたん型とか、家の形をしたのもある。重箱もいろいろ、江戸時代の花見の時の弁当の内容が模型再現されている(うまそうかというとイマイチかな)。あと、昔なじみのアルマイトの軽い弁当箱(ウルトラマンとかキャラもの)。それから世界の弁当箱いろいろ。丸い形が多いですな。オーストラリアだけ四角い。
阿部了の写真コーナー。弁当を食べる人々の姿をすっと撮ってきたとのことで、いやぁ、弁当を食べる姿ってのは、なかなかいいものですなあ。うまそうだし。
触れるコーナー。手袋をして。展示されてたものを、実際いじくることができる。重箱のいくつも重なっているのとか。ブータンの弁当箱が軽いもんで、これざるですな。タイの軽い金属製のものがよくできている。丸いのを何重にも重ねて、一度に持ち運べる。ちゃんとロックできる。タイカレーも持ち運べるんじゃないか。
それから、大塩あゆ美という人の、人から話を聞いて、その人にとっての誰かに贈る弁当を作る、という作品。弁当と、それを作るに至った物語がパネル展示されている。新幹線通勤して大変な妻とか、最近会話が少ない剣道部の息子とか、90歳の祖母とか。剣道部息子に贈る。スタミナ肉弁当がうまそうだっ。

次は一部屋使ったマライエ・フォーゲルサングのインスタレーション。こういうところが美術館展示ですな。お弁当の精霊がいろいろな話をしてくれる。まずイヤホンガイドなんかで使うような装置を渡される。六角形の複数コーナーに分かれているが、それぞれのれんというか、上から下がっている長い紐状のカーテンみたいなのがあって、それをかき分けていくと、中央に作品と解説番号プレートがある。プレートに装置をかざすと、そのコーナーの精霊の話が聞けるってわけ。主に食材の話……なんだけど、どうもお弁当の精霊というより、エコの精霊で、いきなり肉食を否定されて面食らう。肉を食べられるようにするためには大量の水を消費するんだそうな。家畜を育てるのまで入れるとミートボール1個でもう何十リットルとか。ヤバいじゃん。先ほど剣道部息子への肉弁当で感動してたらコレだよ。あとはキノコはいいだの、魚は素晴らしいだの、コンビニ弁当は容器は使い捨てだし、売れ残ったら廃棄されるからいけませんみたいな話もあって、なんか説教臭いもんでだんだん気が滅入ってくるが、まあこの手が好きな人は、うんうん言いながら共感するでしょうなあ。しかし、もったいないもったいない言ってる人は、しばしば「流通」をナメすぎてるフシがありゃしないかね。豊作のキャベツを売らずに踏みつぶしているのはなぜか? もったいないじゃーん そうだね。じゃあ、あげるから取りに来なよ。えー時間がないし交通費がもったいなーい。そこなんだよ流通をナメるなって話。で、終わったらハガキもらえました。

階を上がって、北澤潤の「おすそわけ横町」なんか雑貨屋みたいな感じなんだけど、みんな「おすそわけ」でもらったものを展示してるんだって。いろいろあるし、手にとって見れるんで楽しいぞ。オモチャやら古いカセットテープやら、外国のおかしなどもある。ペンもある。自分もおすそわけしたい、という人用に、持ち帰りの空箱も用意してあり、箱を持って帰って後日おすそわけを入れて持ってきて、みたいなこともしている。

それから最後の部屋。なんたって小山田徹の弁当写真。子供が弁当のイメージ画を描き、それに従って小山田が弁当を作る。子供の発想がものすごく、地球とか、台風とか、蛇行する川とか、子供ならではの世界に父が技術を駆使してこたえる。実はこのパターンは最強で、私も子供に詩のようなものを言わせて、それを記録して、音楽をつけて朗読作品にするとかやったことがあるのだ。大人にはできない発想をたやすくやってのけるのがマジ凄い。芸術家は結構子供の発想に憧れているのだ。で、弁当作品を見ていると、卵焼き、海苔、竹輪が結構活躍しているようだ。
あとは中学生のワークショップ、実際に弁当を作って、それに関するショートムービーを作る。フィクションでオッケー。実際にできたムービーを見ることができる……一つ見てみた。アボカドサンドイッチの話。まあ中学生が作ったんで、老人と称するのがどう見ても中学生だったり、行動中に常に独り言言っててもご愛敬である。
あと、自分で弁当の絵を描けるところがあるが、
よく見ていない。

美術展示であり、お弁当に関する展示でもある、という大変面白い着眼。よく思いついた。
http://bento.tobikan.jp/

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2018年8月11日 (土)

大Ah!!rt展(西武渋谷店)

思わず「アー!!ッ」っと叫んでしまうアート作品を集めたそうで、これがまたデパートの催事場で無料でやるのがちょっともったいないぐらい面白いのが集まっている。プロデューサーは放送作家の倉本美津留で、後援がフジテレビ……なもんで、テレビ企画っぽいノリがあるが、まあそこは誰でもウェルカムな雰囲気で、こういうところで現在アートにとっついてもイイじゃないか。
よく、この手合いだと、面白い「だけ」の場合も少なくないし、また「わけわかんない」というのも少なくないが、今回はテクニカルな(芸術的スゴ技を感じさせる)ものも結構あるし、意図が分かりやすいものも多い。もちろん撮影可能。インスタできるぜっ。

で、面白かったものをいくつか。江頭誠、ロココみたいな毛布だけで作った部屋セット。これ、とっても趣味が悪く見えるが、実は全部そこらにある毛布だったりするんだな。高石優真、おお、金属でできた動物骨格……ではなく骨にメッキしただけだが、この手があったのか。入江早耶、ポスターの鳥を消しゴムで消し、その消しかすで鳥の立体を作ってしまう驚異の技。これは思わず唸っちゃうぞ。こういう技を感じられるものは好きだなあ。小宮太郎、碁盤に並ぶ碁石でどれか一つだけ回っている……っていうのだが、とうとうどれか分からなかった。木村雪乃、丸いシールだけでネオンが灯る夜の街の絵を作る。これもなかなかの技あり。高田安規子・政子の切り子細工。なんと風呂の壁とかに使う吸盤に切り子細工を加えている。あれ確かに、上向けると器みたいだし、透明なもんで切り子入れるとキレイなんだなこれが。イイじゃないか。久村卓。シャツのワンポイントの絵に、さらに刺繍で周囲を追加。面白い。(euglena)タンポポの綿毛を加工するという、これも驚異の技。球形にしている作品がスゲエ。LEE KAN KYOのスーパーの広告そのままの絵画。なんちゅーかポップアートですな。

がしかし、私が最も驚いたのは太田祐司の作品……これについて、書こうかどうしようか……イタコに有名画家を憑依させて絵を描かせるというものです。あとは、何も知らずにいきなり見た方が面白いんだよなあ……なもんで、行く気のある人はこの先を読まずに行きなさい。(しばらく改行する)









憑依させた画家はジャクソン・ポロックです。地面にキャンバスを置き、絵の具を垂らしたりまき散らしたりして絵を作る人、イタコに憑依させて描いた絵の実物と、ビデオがある。ビデオじゃ実際イタコにジャクソン・ポロックを呼んでもらい、憑依したら本人確認含めていくつか質問。憑依ポロックが絵を描きたいと言うので、地面に置いたキャンバスに絵を描かせる。
できた絵の本物を見ると……え? ちょっと待てよ。どう見たってこれジャクソン・ポロックじゃないか! 色使いも全体のバランスもとても素人のものではない。ビデオ内でもちゃんと、イタコのおばちゃんがポロック的手法で作っている。え? ……マ、マジですか? ガチでやってんのこれ? イタコってそんな凄かったの?
あまりに驚いてしまい混乱の極みである。近くにこのアーティスト(イタコではない太田祐司)のファイルがあって、他の作品も見たが、どうも恐らくは「嘘」が一部混じっているらしい。本人もそう書いている。でも、その判断は私達にはつかないのだ。この判断がつかない、というところがミソで、このアート作品の意図なのですよ。イタコじゃなくて役者かもしれない……しかしもしかすると本物かもしれない。分からない。分からないが、驚いてしまったという事実は残るし、これの否定もできない。もう向こうの勝ちなのだ。
これについて、事前情報として、イタコに有名画家を憑依させて絵を描かせたらというものがあるのは知ってた。でも、多分、どう見ても似ても似つかない、なんてものが出てるんだろうなと思ったら違ったな。確かにそれじゃ当たり前過ぎて、表面的に笑うだけで面白さに深みも何もないもんだ。だから今回の、これぞアートである。

そんなわけだから、渋谷に用でもあればついでにサクッと入ってしまいなさい。
https://www.sogo-seibu.jp/shibuya/topics/page/180720Art.html

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2018年8月 5日 (日)

藤田嗣治展(東京都美術館)

没後50年の大回顧展。意外なことだが、これだけ年代順にちゃんと見たのは初めてな気がするんだが、だいたい藤田といえばパリでウケた乳白色裸婦があり、戦争画があり、晩年のレオナール時代の子供の絵とかがあるってもんです。今回は見たことのある絵もあれば初めての絵もあり、何より、知ってたあの絵がどの時代だったのかってのが分かってよかった。

というわけで、手堅く年代順の展示。最初は、「原風景 - 家族と風景」ということで4点。初めての自画像は、例のヘンな日本人じゃなくて至って普通。父の肖像は偉い医者らしいんで勲章だらけよ。「婦人像」ってこれ母じゃなかったよな……だれだっけ? あと「朝鮮風景」。朝鮮に行ってたようで、絵としては印象派っぽい普通さ。

「はじまりのパリ - 第一次世界大戦をはさんで」ということで、初めてパリに行って描いてデビューして人気者になるまで。「キュビズム風静物」おお、やってたんだねぇキュビズムを。でも特にのめり込まず。「トランプ占いの女」も未来派風だそうで、確かに動きを洗わす手が何本もあるようだ。この手にものめり込まず。「パリ風景」という大きめの絵がよい。モノトーンと有機的にうねる道路。人もほとんどいなくて寂しいんだけど、何か街そのものの気配のような。うむ、この作風だけでもそこそこイケるじゃん。あと「目隠し遊び」これも仲がよかったというモディリアーニ風の長い体、だけじゃなくS字にうねっている妙な絵。こんなのも描いてたんですなあ。「花を持つ少女」一見かわいいが……顔が爬虫類っぽくね? 「二人の女」「二人の少女」まだ乳白色じゃなくて灰色ですな。「野兎の静物」おっと日本人(オレ)の苦手な死んだ哺乳類の絵だお。でもあんまり死んでるように見えません。リアルに死んでるの(縛られて吊されてるとか)は藤田も描く気がなかったとか。「アネモネ」これは先のモノトーンを彷彿とさせる。「バラ」おお、ここであの乳白色が登場。藤田嗣治といえば、あの特徴ある乳白色の地肌。あとバラの花自体も方々に広がって咲いてて変わっているところがよい。なんだろう、琳派っぽいのかな。ここで初期の宗教画が少々。「母と子」これ……ほら、あの、滝田ゆうってマンガ家いたでしょ。あれの描く女性に似てないかい? 

「1920年代の自画像と肖像 - 『時代』をまとう人の姿」ってことで、画家として本格活動し始めた1920年から。最初の「自画像」は不安いっぱいなようで、ちょっと暗い。他にも自画像が何種類か。おなじみ猫と一緒にいるやつは、東京国立近代美術館所蔵。他の人の肖像では「エミリー・クレイン=シャドボーンの肖像」注文品のようだがマチエールがリッチな感じでなかなかですな。「ヴァイオリンを持つ子ども」は普通にかわいい系……なんだけど、近くにいた人が「棒が長い」などと会話しとる。おお、確かに見ると、ヴァイオリンの弓が異常に長いんじゃ。「猫」の絵はおなじみだが藤田の猫は気高いですな。

「『乳白色の裸婦』の時代」ってことで、いよいよ藤田といえばコレだね! コーナー。「横たわる裸婦」のまだ初期型な感じ。「タピスリーの裸婦」では猫がにゃー。「五人の裸婦」という大作。肌の白さが引き立つ背景の布地……ええと、何とか布っていったがメモるの忘れた。「舞踏会の前」これも裸婦と着てるの混ぜ混ぜで。下に落ちてる仮面を見ると、ちょっとアンソール風の絵に見える。藤田はアンソールも知ってたようだが。この後も裸婦が続くが、背景も白地になってしまい、全体がマッシロシロな感じが多い。うーん、背景は色付きの方がなんかイイですなあ。

「1930年代・旅する画家-北米・中南米・アジア」ということで、世界恐慌になってパリを出た。同時に作風をガラッと変える。最初の「モンパルナスの娼家」はそれまで見ていた乳白色をイッキにぶっ壊す濃ゆい色使い。娼婦も肉感的で、いや、これがなかなか悪くない。リオデジャネイロに行き、「町芸人」も鮮やか。「婦人像(リオ)」当時の恋人の……マドレーヌだっけ。乳白色の肌も使ったいい絵ですな。あと、水彩の「リオの人々」とか、こじゃれたパリ時代を離れ、生き生きした感じがする。うん、新しい、新鮮な題材を見つけると、芸術家というものは生き生きするものだよ。「娼婦(マドレーヌ)」は手堅い乳白色もの。やる時はやる。これはホテル用だそうで。あと日本に戻ってきて、「秋田の娘」とか、実に秋田だなあ(?)。いや、リオもそうだけど土地柄あふれる人を描くのうまいですな。沖縄の「客人(糸満)」とかも。あとはちょっと大きめ「自画像」全身像で日本家屋の中。アット日本。

「『歴史』に直面する - 二度目の大戦との遭遇」戦争前に、ちょっとパリへ行ったそうで、1年だけだけど結構充実してたそうです。有名な「争闘(猫)」。何匹もの猫が入り乱れバトルしている名画、はなんとこの時だったんだな。あと「人魚」乳白色ものだが、顔がなんか日本人っぽくて面長だぞ。この時の恋人が妻になるんだったかな。

「『歴史』に直面する - 作戦記録画へ」。いわゆる「戦争画」なんだけど、軍から依頼されたものは「作戦記録画」というのが正式な呼び方らしい。「戦争」って言葉を除いたんで気に入らねえ、という御仁もおるだろうか、まーあんまし気にするところでもないだろう。どう見たって戦争なんだから。代表作「アッツ島玉砕」がある。死屍累々なんだか、一応まだ戦ってるのもいるんだか、分からんが、なんかすごい雰囲気で、まあ殉教画みたいな感じですな。これが展示され拝んでいた人がいるというのも分からんでもない。戦争も末期になると、信じる者は救われるんです、みたいな根拠も何もない精神的なものになり、靖国で英霊になるんだとか、それはもう心より信じる宗教みたいになってしまう。祈れ、崇めよ、運命を嘆け。次の「サイパン島同胞臣節を全うす」も宗教画っぽい。単なる戦争画でも、ましてや作戦記録画でもない。藤田は絵に求められているものを十分分かっていたといえる。

「戦後の20年 - 東京・ニューヨーク・パリ」戦争画をマジで描いてた藤田は、戦争責任を糾弾されてしまう。人々はこないだまで鬼畜米英とか言ってたくせに手のひらを返して、自分は騙されてたやっぱしあいつが悪いんじゃとか言い始めた。非難の指先を突きつけられた藤田は(これがあって藤田は戦後長いこと評価されなかった)日本を出て、二度と帰らなかった。まずはニューヨークへ、絵の方はまた生き生きし始める。「優美神」は正攻法の裸婦三人。「私の夢」も裸婦と動物(猫もいる)で二度おいしい。有名な「カフェ」もこのニューヨーク時代。女性像の傑作ですな。「ラ・フォンテーヌ頌」動物ものでうまいぞ。「姉妹」ベッドの上でもの食うなよ。「室内」ドールハウスっぽいが、これのドールハウスをどこかで見たぞ。それからパリへ。そう、もう日本人を捨ててフランス人、レオナール・フジタの誕生だ。「ビストロ」は人いろいろの描写が楽しいねえ。猫もいるし。ビストロは誰でも利用できる食堂だって。でも日本じゃビストロって呼ばれる店は高いよな。「すぐ戻ります(蚤の市)」ごちゃごちゃしてるのに、うまい、いい雰囲気なのはさすがだ。

そしてラスト「カトリックへの道行き」。フジタはクリスチャンとして、宗教画など本格的に描き始めたぞ。「黙示録」のごちゃごちゃ感が面白い(何描いてあるかよく分からん)。「キリスト降架」は西洋美人をちゃんと描いた正統的な傑作。「マドンナ」は異色の黒人マリア様と黒人キッズの天使。「礼拝」では本人と奥さんがいる。おなじみ子供の絵もあり……っていうか点数多くてこの辺でもう疲れてくるじゃ。

時代の流れを追って今までになく分かりやすく、ボリュームもあり、手堅くおすすめできるじょ。
http://foujita2018.jp/

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2018年7月29日 (日)

誕生100年 いわさきちひろ、絵描きです。(東京ステーションギャラリー)

通常、いわさきちひろ展といえば初期の油彩とかがちょっとあって、あとは絵本原画がダダダダダダと並ぶってのが多いし、それがまあ一番魅せるやり方ですな。なんたって水彩テクがハンパないので、その辺が発揮されるのが絵本であります。でもそれはもう晩年近かったりして、実はその前に戦争があったり、共産党の活動してたりするんだけど、通常、その辺はさらっと流されちゃう。今回は、まさに「絵描き」としての紹介で、そのあたりの作品もちゃんと出ておるよ。なかなかマニアックだお。

最初に「プロローグ」ってことで、使っていた手袋とか帽子とかの持ち物が展示されている。ほう、いきなりですな。すでに知名度があるんでこういう手法が取れるんですな。
次は「私の娘時代はずっと戦争の中でした」だそうで、いや、戦後の人だと思ってた人多いかもしれないけど(俺も)、思いっきり戦争体験者なんだな。画家を断念させられ、習字の先生になってたりして、親について満州まで行ったこともあるそうな。第六高女というところに行ってたそうで、女子は長髪が当然の時代にここだけ短髪が流行っていた先進的学校。その制服とか展示してる。あと、ちひろの原点を作った雑誌「コドモノクニ」やら、ペールトーンという色の使い方が大変好きだというマリーローランサン「ブリジット・スールデルの肖像」いいね。使ってたイーゼルとか、石膏像とか、ちひろが師事した岡田三郎助の絵「坐裸婦」……うむ、こんなエッチい絵を描く男によく師事しましたな。中谷泰の「若い婦人像」これ、ちひろがモデルだって。

次は「働いている人たちに共感してもらえる絵を描きたい」ということで、戦争が終わって、共産党活動やら、「原爆の図」でおなじみ丸木夫妻とのおつきあい。丸木俊「原爆の図デッサン(ちひろモデル)」……って裸婦じゃん。児童画や絵本画家としておなじみな人が裸婦モデルになっているってのも、なんか、奇妙な感じがしますな。丸木位里の「老松白梅の図」なんてのもある。プロレタリア芸術というか、社会的な視点での絵が増える。「ほおづえをつく男」鉛筆画だが、これがまあ男臭い感じでいいぜ。「日比谷野外音楽堂(メーデー)」人民新聞記者してたんだって。あと広告や雑誌の仕事、雑誌「大衆クラブ」の表紙は油彩っぽい、ヒゲタ醤油の広告もある。伊勢丹のXマス広告もある。この頃結婚して、長男が生まれた。そのスケッチ、「長男・猛」う、うまっ…… 「長男・猛3態」うめっ……しかしこれ、デジタルで精密に複製した「ピエゾグラフ」で、今回時々出ている。しかし見かけはじぇんじぇん本物と変わらんな。紙芝居も作っている。アンデルセンの『お母さんの話』なんだが、子供を死神に連れ去られて、取り返すために出向くが、行く先々で試される母みたいな酷な話である。母の愛を浮き上がらせるために、ずいぶん不条理な目にあわせるではないかアンデルセンよ……って話ばっかり見ててどうすんだよ。絵は? っていうと絵は割と普通ってことですな。あと、油彩もあり、やっぱり水彩とずいぶん感じが違う。でも「赤いくつ」とか児童画としてもうまい。「母の絵を描く子ども」も室内の壁の感じは油彩ならではですな。それから紙芝居が2つ、全部の絵がドバッと並んでいる。面倒なんで文字はほとんど読んでいないんだけど、一つは「赤いセーター」という防災教育もの、なんか普通な感じ。もう一つが「ばら寮でのできごと」という、女子寮の運営を話し合うとかなんとかで、社会派な感じなんだけど、見てると話し合っているだけのシーンが多くて結構地味な印象。いや、分かんないですよ、話はエキサイティングかもしれない。

次「私は、豹変しながらいろいろとあくせくします」で、この辺りからおなじみのちひろの絵が登場。特に1970年……って晩年近いんだけど、「あごに手をおく少女」の超シンプルな線だけで描いた顔が見事。「絵をかく女の子」のパステルの見事な使いっぷり。1967年の赤ちゃんをスケッチしたのが並んでいるが、まさに赤ちゃんが何ヶ月目かも描き分けるすごさが分かるであろう。で、いよいよ絵本原画が登場するが、今回は絵本としても楽しめるっていう展示じゃなくて、あくまで画家だ。絵本のある一枚がどうできていったか、習作と一緒に並べてあるマニアックな展示がある。絵本「となりにきたこ」の「引越しのトラックを見つめる少女」の習作からの変化が面白い。最初壁によりかかっていたりしたが、完成版では毅然と立っていて強気な感じになっている。「夕日の中の犬と少年」も全体の向きが習作では右から左だったのが、左から右に。うむ、これは何か心理的な意味があるような気がするな。「落がきをする子ども」も壁が色地から白地になった。それから有名な戦争ものの絵「戦火の中のこどもたち」からいくつか。「焔の中の母と子」は傑作とされる。母の怒りと恐怖の表情と、子供の無垢な表情の対比が痛い。

次「童画は、けしてただの文の説明であってはならない」ということで、絵だけでも魅せる絵本を目指した数々。ここが今回水彩バカテクを味わえる場所だ。「あめのひのおるすばん」は、もう文句なしの傑作。これほど水彩のにじみや垂れや混ざりを効果的に使った画家もそうそうおらんと思うのです。他にも水彩いろいろ。私が極めて好きだった絵が「海と二人の子ども」で、この海がまたすごいんだけど、今回のはピエゾグラフだな。最後に高畑勲によるインスタレーション。絵本の一枚がピエゾグラフにより等身大拡大され、絵の中に入ったような気になる……というもんだけど、まあ、単に大きくしたパネルみたいな感じでもあるな。黒柳徹子がいろいろしゃべってるビデオがあっておしまい。徹子はちひろ美術館の館長でもあるんだって。

今までになく画業全体の流れが分かっていいんでないの。おすすめしますよ。
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201807_chihiro.html

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2018年7月23日 (月)

イサム・ノグチ - 彫刻から身体・庭へ -(東京オペラシティアートギャラリー)

超暑い……んで、駅から屋外に出ることなくアプローチできるところってことでここに。彫刻家だけど、知っているようであまり知らないし。フリーダ・カーロと浮気して、夫のディエゴ・リベラにピストル持って追いかけられたとか、そんな話しか知らんの。

最初は「身体との対話」ってことで、身体ものあれこれ。「北京ドローイング」という墨で描いた身体……墨じゃない? インク? まあいいや、どう見ても墨のドローイングがあちこちにある。東洋テイストですな。「中国人の少女」彫刻で全裸だが……そこのお前、これ見て、局部を作ってあるのかとか気になったろう。陰になってて見えんのよ(見たのかよ)。「歓びの日」という人体の彫刻。ウィリアム・ブレイクの有名な絵がモチーフらしいが、なにバックミンスター・フラーに贈ったですと? なんとイサム・ノグチはフラーと親友なんだって。えー初めて知ったぞ。フラーはバキバキのインダストリアル人間だと思ったが、こんな接点があったとは。「玉錦(力士)」おお関取だ。「ラジオ・ナース」はラジオだけど顔みたい……剣道の面かとも思ったがちょっと違うか。ちなみに来日してたんだって。それから舞台美術の部屋があり、舞台用の彫刻としては「鏡」と「化身」でいずれもインターロッキングスカラプチャという板状のもので立体を構成したもの。つまり2Dで3Dを表現ってとこですな。

次は「日本との再会」ってことで、2度目の来日についてで、既に有名人になってたそうです。ここはシュールレアリスティックで手堅い彫刻が並ぶ。あー、彫刻美術を鑑賞しているなあって気分になるであろう。この中で「こいびと」だけはちょっとカワイイ系でギャルウケもよさそうだ。あと「広島の鐘の塔」これは……シロート目にはなんか適当なシロモノに見えるぞ。その、ところどころくっついている白いのは何だ? 人間ドックのあとのバリウムウ○コか? あと「広島の原爆慰霊碑の習作模型」とか、慶応義塾大学の萬來舎(ノグチ・ルーム)のインテリア「萬來舎のためのコーヒー・テーブルと4脚のスツール」がなんとも感じいいですね。

その次にあかり(AKARI)の部屋がある。提灯もの多数な感じ。見てるとどこかで見たような気がするのは、インテリアショップなんかでも売ってるんだよね。イサム・ノグチデザインのあかりってことで。和室によく合いそうだ。それから「2mのあかり」というデカい提灯がある。これだけは撮影可能……撮らなかったが。まあこういうのをせっせと撮って一緒にブログに出しゃあ、もちっとアクセス数も増えるんでしょうけどねえ。美術鑑賞というのはだね、あくまでその場の体験なのだよ。写真に撮って見たってしょうがない。インスタ映えなどクソクラエじゃ。というのは建前で、本音は撮るのがめんどくさいの。

それから「空間の彫刻 - 庭へ」なんとバックミンスター・フラーが「庭は空間の彫刻である」なんて言ったそうで、イサム・ノグチも気合い入っちゃった。「プレイ・マウンテン」子供も遊べる広場だお。斜面があるんで冬にはそり、夏は水張ってウォータースライダーができるお……ええええ今日はえれえ外が暑くてですね、ドタマがぼーっとしてましてね、これを見ても、これ、もしかして全部コンクリートでできてるの? 石? 日陰じぇんじぇん無いじゃん、子供ら焼けちゃうぞ……ってな感想しか出ません。いや、悪くないんですよ。気候が悪いんであって。それから、なんかリストにはないんだけど「火星から見るための彫刻」だとかいう構想図? があって、顔なんだけど、これ火星にあった顔(みたいなヤツ)と似てるじゃん。お互い顔同士で見合っちゃって。それから「チェイス・マンハッタン銀行プラザの沈床園(サンクンガーデン)」の模型とか映像。竜安寺を意識して作られたんだって。映像は水張って涼しそうですな。それから「オクテトラの模型」おっと、これは子供が入ったり出たり上ったりできる遊具で、箱根の彫刻の森美術館にあったぞ。この幾何学っぽいところはフラーの影響なんだって。あと遊具といえば滑り台「スライド・マントラの模型」ぐるぐるだ。やりたい。

「自然との交流 - 石の彫刻」屋外向けの石でできた、ちょっとサイズのあるヤツラいろいろ。「空間のうねり #2」平面からもっこり、みたいなのは見てて楽しいぞ。「不死鳥 #1」ゴツゴツした石の一部をきれいにカッティングした作品。こういうのも面白い。「下方へ引く力」2色の長いヤツが丸くなっている。これ横浜美術館にあったな。同じようなのが。その他、ここも手堅く見どころだ。撮影できるヤツが一個あるぞ。よかったな蠅ども。あとリストにないイエール大学の写本図書館の沈床園の紹介がある。最後に高松空港のための石積み彫刻「タイム・アンド・スペース」の紹介。マジで石積んであるだけ。でもなかなか巨大だな。現場に行きたいもんだねえ。古墳みたいな感じかな。

形もいろいろ。見るものいろいろ。分かりやすくていいんじゃなかろうか。
https://www.operacity.jp/ag/exh211/

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2018年7月17日 (火)

中村忠二展(練馬区立美術館)

2階展示室だけ使った小さめの企画。まあ連休最終日であって、混んでるところに行くのもイヤなんで、混んでなさそうな場所ってことで。生誕120年だそうです。

最初に代表作っぽいの3つが並ぶ。「からす西へ行く」という抽象っぽいの。「どろぼう」という人物っぽいの。「石神井風景」という風景っぽいの……いや、ぽいのじゃないよ風景だよ。これ、いずれもモノタイプという技法で、ガラス面などに絵の具などを塗って紙を置いて刷る版画。ってことは版画ったって1回しか刷れない。ほー、そういうものがあるんだ。

それから年代順で、初期は油彩なんかやっている。船をよく描いている。風景も描いている。筆跡も見える感じで、ゴッホが地味になったみたいな感じ。次に水彩があるが、最初にある「霜の花」これが……よく分からない。これうまいのか? なんか小学校の展覧会にそのまんま出ていても違和感ない感じなんだが。ヘタウマか? いや、多分見る人が見ると「いやーこれはヘタな人では描けませんよー」と言うかもしれないが、俺にゃあどうも……なんだ。えええ何が優れてんだ? 木の陰影とか? 全体の色彩とか? そんなところがいいのかなあ。えーそれで次が水墨で「敗戦風景」とか。水彩よりはいい感じに見える。あのう……いい感じっていうのは、シロウトが描けない感じかな……って見てる方シロウト丸出しじゃん。

で、ここまでは全体に微妙な感じだったんだが、モノタイプをやるようになってから、俄然作風にエンジンがかかってくる。半抽象や抽象を入れ込んできて、割と心に訴える系のもんが増えてくる……よな。「青い星の下で」の人だかそうでないんだかしかし何かいい感じ、「野の女」の暗い存在感。「メシとヒト」が何とも面白く、ローマ字でグチのようなものが一面書いてある。金がなければ働かなければ、でも働きたくない。いいじゃないか働かなくても。ところが下半身だけ働きに出て行ってしまった……とかいう内容だったよな。次の「アルバイト ユキ バステー」も、こういう専業画家じゃない感じって、なかなか好きですね。それからより抽象的な「遠い歌B」等を経て、より独りを感じさせる作品、つまり独りの人がいる作品がなかなか魅せる。特に「夜の沼」独り佇む人、水辺、そして空に星。半抽象ながらしみじみできるじゃないか。他にも「夜汽車」なんてのも窓に独りだ。

詩画集をいくつか作っていて、その展示。ちょっとした抽象風の絵と、いくつかの言葉。分かりにくくはない。中でも、この展覧会のサブタイトル「オオイナルシュウネン」の元ネタ。これは「秋冬集1972」の中の「秋蚊」で、もう涼しくなった秋でも血を吸いにくる大いなる執念。じぶんもそうありたい。なんてもの。いいじゃん。他にも虫や物に託した自分の心情を描いている。

妻は画家の伴敏子という人だそうです。この人の絵もいくつか。特に変わった絵ではない。あと彼女は、中村忠二に関する小説も書いていて、何度か離婚のようなものをしたり、中村が奇行をやらかしたりしたらしい。本をいろいろ紹介して終わり。

小規模ながらもちょいと光る展示。悪くない。
http://www.city.nerima.tokyo.jp/manabu/bunka/museum/tenrankai/nakamurachuuji.html

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