2019年1月 6日 (日)

ソフィ・カル ─ 限局性激痛(原美術館)

前のリー・キットの最終日に行き、このソフィ・カルの初日に行く。だからナニというもんでもないが、ついこないだ行ったばかりって感じの原美術館。
展示全体で一つの作品のようなもので、1階の第1部と2階の第2部に分かれる。第2部は前にどこかで(というか多分ここで)見た……いや、その一部だったかな。でも今回はこの作品の全体が見れるというわけだ。
自分の失恋をネタに作品を生み出す。いやー、いますよ詩人でも文章書きでもアーティストでもそういうお方が。曰く「人生全てネタ」そういう人に限ってちゃんと痛いネタが降ってくる。というか、ネタに貪欲であくまで自分中心なもんだから痛いネタになるような目にあってしまう、という感じもしないでもないです。

ソフィ・カルには恋人の彼氏がいたが、ソフィは日本に3ヶ月滞在できる奨学金を得た。恋人には行くな行ったら別れちゃうとか止められたが、結局行ってしまう。恋人を試す気もあったようななかったような。ともあれ、その間は会えない。日本であちこち訪問し、彼とはラブラブな感じの文通があったりもする。3ヶ月経ってインドで会えるはずがすっぽかされ、ホテルの電話で実は好きな人ができたなどと言われて、もはやそれまで。この酷いダメージから回復するべく、作品を手がける。

第一部は、失恋前3ヶ月間の記録。日本での写真が多い。あとになって中国とかロシアとか、そんなものも出てくる。日本では京都のどこそこなんかあったり、珍しいのか映画のポスターの写真なんかもある。ところどころ手紙の文面(和訳あり)が提示される……が、この段階で、どうもあまりうまくいってない危うい感じもないではない。ただ、それより重要なのは、全ての写真や手紙などの記録に、「DAYS TO UNHAPPINESS」という番号付きのスタンプがバーンと押されているのです。相当頭にきているというか、やりきれないというか、そういうものがヒシヒシ迫ってくる……というかなんていうかな、ボディブローを食らって(実際食らったことはないが)見てるとだんだん苦しくなってくる感じ。自分を捨てた相手との記録をスタズタに破いて捨てるんじゃなくて。あえてこうしてネチネチと(って言い方もナンだが)出すところがアーティストだ……相手はたまったもんじゃないが、相手もアーティストだったりするのでオッケーさ。

それで階段上がって第2部は、その別れの電話を食らったニューデリー(だよな)のホテルの一室がまず実物そっくりに再現されている。それでソフィは失恋後何をしたかというと、自分のこの一件を誰かに話し、相手の不幸な話を聞いて、一組に写真付きパネルで提示する。パネルが日本語なんだが、見たところ印刷とかでなくちゃんと書いてあるっぽい。一度軽く印刷して、その上からソフィ・カルが絵の具でなぞったのかな。自分の失恋のパートはホテルの部屋の写真と同じような文章がある。「私は○日前、恋人に捨てられた……」ってな出だしのヤツが何度も繰り返されるのだが、だんだんその何日前というのが増えてくる。つまり過去になってくるんですな。同時にその内容も具体的なものから、だんだん端折られてきて、最後の方では「ありふれた話」になり、文字の方も背景に溶けていく。こうして立ち直っていくのだ。90日かかっている。人から聞いた不幸話の方はいろいろで、別れた話や身内が死んだ話など、写真も添えられてる(話した人の写真ではない)。

女性はこの立ち直りのプロセスと手段にかなり共感できると思える。女は失恋しても、長く引きずらず前に進むリアリストだそうで。一方男性はこのような潔い立ち直りの手段は取れない気がする。男はどうもロマンティストで傷ついても奇跡を期待し空想に遊んだりするためどうにも未練がましかったりする……ってもちろん全員が全員そうじゃないだろうけど。

最初の部屋に収蔵品が出ていたり、おなじみ常設もちゃんとある。
http://www.haramuseum.or.jp/jp/hara/exhibition/382/

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2019年1月 3日 (木)

バッドアート美術館展(ギャラリーアーモ)

ヘタクソとか意味不明を通り越して人を惹きつける「バッド」なアートを集めた美術館が実際にボストンにあるんだって。そのナイスな作品群を展示。点数は結構多い。
バッドアートをナメてはいけない。その頂点とも言えるのは、スペインのさる教会の「あの」キリストの修復画といっていいと思います(多分知ってると思うが)。あのバッドな1枚を見に世界中から人が来てしまうんだぜ。
そんなわけで、まじめに描いた(←ここが重要)ヘンテコな絵が並ぶ。また、しりあがり寿の絵付きコメントも楽しめる。

最初は「笑像画」つまり肖像。まあいろいろあるんだが、中でも「テレビとの自画像」はケッタイぶりが際立つ。テレビが出てきた時代に描かれたっぽいが、情報摂取の形に対するメッセージを描きたいつもりが、なんかテレビを頭に乗せてる人になっている。いや、このまじめさこそが「いい味」になるのだ。「歪み」という人体がちょっと歪んでいるなんてのは割と普通に見れる。「悲しむ少女」かわいくねえな。「麗しき死体」女体でちょっとグロい表現をするのも割とあるもんで、ここでは割とまっとうな方のアート作品に見えるね。

風景画や静物画。「卵の採掘」シュールな風景としては普通タイプ。なんだよ普通っぽいのが多いなと思ったら、「人工爪」ん? 靴から変な手が生えている。しかも爪。このわけのわからなさがイイな。「緑地」黄色い何かがあるからって解説で「ゲロ」はないでしょ。これは割ときれいめな幻想絵画だと思うがね。「ランプ。C型クランプ、ヤモリ、果樹、卵」……それより星が何かヤバい。「分解された電球、煮詰められた卵、エグザクト・ナイフ、ペッツの空き容器」後ろに工場っぽいものがあり、文明批判っぽいが、それゆえありがちとも言える。おお、そうだ、バッドアート好きなら「九条美術展」に行ってみろ。結構「バッド」なヤツらに逢えるぞ(憲法九条がバッドなのではなく、その高い問題意識と稚拙な表現のギャップが時に「バッド」になるのだ)。「青い顔と緑のトウガラシ」トウガラシが生き物なのだが、わけわからん系。「青神」遠目でダリのようなダブルイメージかと思ったら全然そうではない。単なる海中が顔の絵である。キモい。「美しき死」立体っぽいが、これは割とまっとうな感じ。「沼ピクニック」なんかSF的な緑の装いの男女。それが沼でデートしている。なんじゃこりゃ? それになぜ沼なのだ? 疑問符つきまくりがナイス。「あたらしい日」火山の噴火だが、まるで星の王子様の星ですな。「ある風の強い日」あらゆるものが風になびきすぎ。

「ぬーど絵画集」コーナー。ヌードだお。「じーっ」男のヌードだが……なかなか長いモノをお持ちですな。「女性的繁殖性」マグリットの「陵辱」のような女体を使ったバッドでシュールな表現。普通にキモい。「ジョージとトイレの日曜日」トイレで座っている男だが……おい、シニャックみたいな点描だよ。

動物コーナー。「見えないワン」目の×印はなんなんだ? 「飼い犬に鼻を噛まれる」まんまな絵だが。ラフな表現がおかしいぞ。「御者台からの光景」馬の尻側から見た。珍しいと解説にあるが、たまに見かけるよ。「海辺のキリン」ダリの足の長い象みたいにしたくて失敗か。「ケンタウロスとバイカー」ちょ、この取り合わせがシュール(デペイズマン)すぎる。「娼婦のフェレット」遠目ではクリムト的色使い。近くで見ると……うむう。

「ドッペルゲン画」とのことで有名人。「オバマ大統領」は普通にうまいよ。周囲に並んでいる人はよく分からんが。「足の爪で立つマリリン」膝を曲げてジャンプしているところを描いたらしいが、描き方を失敗してタイトル通りの絵になっている(タイトルが分からんから美術館側で適当につけたみたい)。「キュビズム風の灰色の女性」うむ、ピカソだ。「女とギター」ギターのネックを部分を見つめているって、ちょっと待て、それはギターのネックには見えん。ほとんどチ○コだぞ。「緑のジミヘン」ヤバい。中途半端にウマいだけに。緑だよ。宇宙人かよ。「スリラー」マイケル・ジャクソンだが……白いよ。いや、実際白かったけどね。

スポーツ絵画。「セーフ」野球の緊迫場面だが……いやちょっと待て、そこに思い切り怪物がおるって。なんだよそれ。アウトだって。「ゲーム」麻雀だが。指が6本ある人がいる。いや、でもこれはアニメとかでよく作画間違いあるじゃん。

最後は宗教もの。「魚を揚げるメデューサ」なんかキモカワイイ。「我らが法王」真ん中の赤いギザギザがポイント。「叶えられた祈り」修行中の洞窟にエロい美女がやってきた……って叶えられすぎだろ。「聖母子像」いくつか。いずれもキリストであるところの赤ちゃんがおよそ赤ちゃんらしくない。頭脳デカそうとか。でもルネサンス期の絵とか行くと、時々出くわす感じでもある。「エクセレンス」鳥の骨格がなぜエクセレンスか? 「海辺のカーリー神」海辺リゾートかよ。「スピリット・イン・ザ・スカイ」ユルいキリストがイェーイ。

あと応募作品いくつか。

なかなか楽しい。面白い。混んでいない。でも、いいものを見たという爽快感はないよな……まあ「バッド」なんだからそういうもんなんだけど。あとフラッシュなしなら撮影もできるよ。
https://www.tokyo-dome.co.jp/aamo/event/MOBA2018.html

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2018年12月29日 (土)

ロマンティックロシア(Bunkamura ザ・ミュージアム)

国立トレチャコフ美術館所蔵のアヴァンギャルドじゃないロシア美術。レアな企画だぜっ。知らん画家ばかりだっ。時代は19世紀後半から20世紀始めの絵画ですな。

最初は「ロマンティックな風景」ってことで風景画コーナーです。春夏秋冬の小コーナーに分かれている。春……えー実はロシア旅行のツアーに行ったことがあり、ツアー付属のフォークロアショーを見たんですけど、ロシアの春が来たダンスはバカ明るいですねえ。冬が長いもんだから。で、バカ明るい絵画が並んでいるのかと思ったら別に普通だった。イサーク・レヴィタン「樫の木」なんぞ木々が丁寧に描かれていますね。夏が結構いい絵があって、ミハイル・ヤーコヴレフ「花のある静物」オレンジのフォーヴ的な梅原龍三郎的な感じ。それからイワン・シーチキン……じゃないシーシキンって人の、「正午、モスクワ郊外」おおっ、なんか雲が美しいぞ。しかも写実的なんだ。あのう、あるあるっていうか。このシーシキン、マジうめえ。奥行きのある空間と、写実的な自然の描写で魅せる。「雨の樫林」これも奥行きがあっていいですな。空気遠近法だけど不自然さがありませんな。それからニコライ・ドゥボスコイ「静寂」嵐の前の暗い雲……こりゃゲリラ豪雨前ですな。イワン・アイヴァゾフスキーこの人の色使いがなんかこう、イラストっぽいというかファンタジックというか何というか、「海岸、別れ」の日没のオレンジ、「嵐の海」の暗い中にブルーの海とか、少し間違えると品がなくなる。秋の絵は、イワン・ゴリュシュキン=ソロコプドフ(もう名前がわけわからねえ)、「落葉」落ち葉の中の女の人。グリゴーリー・ミャソエードフ「秋の朝」の落葉の写実っぷり……なに、この頃ロシアじゃ写実流行りなのか? 冬の絵はミハイル・ゲルマーシェフ「雪が降った」これも人物が写実的で、アレクセイ・サヴラーソフ「霜の降りた森」雪景色と夕焼けが組み合わさった、ちょっと超現実風の絵。うむ面白い。

次、「ロシアの人々」コーナー。要は人物画。有名人が有名人っぽく描かれているのがしばらく並ぶ。次に女性像が並んでいて、イワン・クラムスコイ「忘れえぬ女」これが、今回ポスターになっている。なんか……マネの絵だと思わせて客寄せに使ってるんじゃあるまいな。まあ、悪くない絵ですよ(たいそう高名な絵だそうですが)。馬車の上か何かですかね、画家からは見上げた角度で、女には見下ろされておる。崇拝しちゃうぞ。それより同作者の「月明かりの夜」の方がね、月光に美女ですからね、象徴派っぽいキメのテーマが冴えている。しかしだ、次のこれだ。ニコライ・カサートキン「柵によりかかる少女」一見どってことない田舎娘が立ってるだけっぽい絵だが……胸がある。何を書いてやがると言うかもしれないが、これは重要だぞ諸君。だって子供じゃないってことじゃん。男目線でイケちゃう絵だべ。ついでによく見ると、長いスカートをはいていながら膝の位置も分かるようになっている……ということは脚や腰も想像できてだな……イヒヒヒ。ま、まあとにかく、この絵は結構印象に残ったものです。これカサートキンの最高傑作の一つと言われたとか何とか解説にあったが、概ね紳士達が言うておろう。

今度は「子供の世界」ということで、子供の絵。ここはアレクサンドル・モラヴォフ「おもちゃ」ごちゃごちゃ子供のおもちゃが置いてあるが、コテコテした赤い色がいかにもロシアですな。アントニーナ・ルジェフスカヤ「楽しいひととき」女性画家だ。踊る子供。後ろ向きでも存在感あり。女性画家はたいそう少なかったそうです。ワシーリー・コマロフ「ワーリャ・ホダセーヴィチの肖像」ん? これ人体のバランスがヘンじゃね? 座ってるんだけど、どうも肘あたりで足が折れてるようだが。服のせいでそう見えるのかな?

「日常と祝祭」コーナー。日常風景っぽいの。コンスタンチン・コローヴィン「小舟にて」ボートの上で自作ポエム(かどうかは分からないがとにかく本)を朗読しているのを、彼女が聞いている。隣、イラリオン・プリャニシニコフ「悲痛なロマンス」どうだい俺の歌は? 早く終わらないかしら。という絵。ウラジミール・マコフスキー「大通りにて」出稼ぎの夫の様子を見に来たら酒飲んでアコーディオンを弾いていたでござる、という絵。なんか切ねえな。ニコライ・タールコフ「朝食」おお印象派だ。

最後「都市と生活」コーナー。ロシアの都市風景など。アレクセイ・サヴラーゾフ「領主の館のあるモスクワ近郊の風景」コローのようだな。

聞いたことない画家ばかりだが。ヨーロッパ勢と劣らんレベルなのでなかなか見れる。
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/18_russia/

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2018年12月24日 (月)

「終わりのむこうへ:廃墟の美術史」(渋谷区立松濤美術館)

これ要するに廃墟の絵画を集めたもの。昔から廃墟に魅力を感じる人は少なくなかったようで、今でも軍艦島ツアーとか廃墟写真集とかありますからねえ。

年代順展示で、2階から。出だしがド・ホーホ「廃墟の背景と人物」これ、よくデ・ホーホっつってなかったっけ。絵は普通。クロード・ロランかと思ったらリチャード・ウィルソン「キケロの別荘」イギリスの人ですかい。こういう理想風景っぽいのを見ると全部ロランあるいはコローに見える。意外なところでアンリ・ルソー「廃墟のある風景」素朴派とか言われて、描画が稚拙とか言われてるが、なかなかどうして、遠近法でちゃんと描いてるじゃねーか。画風もちゃんとあるし、天才的ではあると思うよ。そして廃墟の巨匠ピラネージ。もう今回はこの人の作品群がダントツで、あまり廃墟フェチっぷりに、他の人の作品が廃墟へのこだわりが足りねえなあとか思ってしまうよ。エッチング、エングレーヴィングだから版画でしかもモノクロなんだけど、そういう量産品かどうかもどうでもいいくらいの描き込みと迫力とこだわりがある。「ミネルヴァ・メディカ神殿」を見て、おや? と思ったのは「天空の城ラピュタ」で、乗り込んだところの廃墟に似てるような。もしや宮崎駿はこれを見たか? 「セッテ・バッシ荘、入口の遺構」これなんぞ奥まで遠く続いていて、スケールを感じさせる。大スケールはロマンだっ。「コロセウムの内部」これもピラネージが描くとおなじみコロッセオもひと味違いますな。ワクワクしますな。次へ行ってコンスタブル2枚。中でも「ストーンヘンジ」おお、なんか大地の中の遺跡って感じがいいぞ。がしかし、その後はどうも、ピラネージを見た後だと普通に見える。江戸の銅板画家亜欧堂田善や浮世絵の歌川豊春がいる。一応廃墟の絵なんだけど、洋画のコピーですな。ううむ、なんか盛り上がらんのう、と思ったところ、不染鉄「廃船」おおっ、東京ステーションギャラリーで個展見たぞ。この絵もあったかな。いい絵ですな。小さい家が廃船の巨大さを感じさせるね。あとはいろいろあるが、難波田龍起の「廃墟(最後の審判より)」これがなかなか。これもコロッセオだ。この人、抽象画でよく知られているが、こういう、何を描いてあるか分かる絵も描いてんだ。

地下1階へ。シュールレアリスムのコーナー。おなじみデルヴォーが並ぶ。廃墟というか古代神殿だべ。姫路市美術館から持ってきたもので、よく見かける。特に油彩の「海は近い」デルヴォーの傑作で私は好きなんだがもう何度も見ている。最初に見たのは確か寝不足ですこぶる調子の悪い時で、まるでもうそこが夢の中のようであった。マグリットも1枚「青春の泉」これは……廃墟なのか? 石碑っぽいが。デ・キリコも1枚。日本のシュール絵画の人、北脇昇「章表」うむ、もちっとシュールしてほしい。浜田浜雄「ユパス」ちょっとこれは……ダリの影響ありすぎだろ。時代はだんだん現代へ。今井憲一「バベルの幻想」なんかトリックアートっぽい。鏡の壁の建物……ってこれもう廃墟じゃないじゃん。まあ、建物であって建物でないもの、みたいな。大岩オスカール「動物園」ほう、なかなか。この人もっと大味かと思っていたが。繊細に描くじゃないか。それからもう現代になっていて元田久治の渋谷を廃墟にした絵。あと東京駅の廃墟化。これも東京ステーションギャラリーで見たよな。最後は野又穣。これも渋谷のようだ。空想的街を描いているが、この人空想の塔とか描いてた人だっけ。おお、街も描くんだ。雰囲気もなかなかだ。

というわけでなんちゅーかピラネージパネエってことで。
http://www.shoto-museum.jp/exhibitions/181haikyo/

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2018年12月22日 (土)

フィリップス・コレクション展(三菱一号館美術館)

フィリップス・コレクションといえば、森アーツセンターで見たルノワールの最高傑作(の一つ)であるところの「船遊びの昼食」を所有するところのもので、それが来ないんじゃなあ……とタカをくくっていたんですが、なかなかどうして、さすがのコレクターで、唸るような作品が並ぶ。
普通アーティストの年代順に展示するところを、あえてこの名コレクターの所有した順(だよな)に展示し、フィリップス氏の生き様と共に紹介するという異色にして攻めの展示がナイス。湯水のように金があったわけじゃなく、売っては買いしてコレクションを洗練させるドラマはエキサイティングだぜっ(……って、実はあんまし読んでないんだけど、諸君ならきっと大丈夫さ)。
出品リストのほうは年代順で、展示がこうだからメモるのが大変なのだ。でも展示してある順に話を進めます(全品じゃないが)。

最初はモネ「ヴェトゥイユへの道」うむ、手堅く開始ですな。ドラクロワの「パガニーニ」おお、あのヴァイオリニストのパガニーニですか。こんなヤツでしたか。ちょっと雑っぽいがよき小品という感じで。何しろ三菱一号館なんで、大物をババーンと展示する感じじゃないしな。そもそもドラクロワって大きなヤツがまず日本に来ないんだよなあ。クールベさん「地中海」うん、例の波が描いてあるね。雲もいいね。でもクールベさんならもう少しイケるはずなんだか(……って鑑賞者は勝手なものだな)。シスレー「ルーヴシエンヌの雪」シスレーが雪なんて珍しくない? だいたい川辺なんだが。いや、なかなかいい絵ですよ。シャルダン「プラムを盛った鉢と桃、水差し」出たなロココ時代にあって孤高の静物の巨匠。背景の色いいね。ボナール「犬を抱く女」色を見てボナールかなと思ったらボナールだった。モリゾ「二人の少女」色があの、パステルカラーってヤツ? クールベさん「ムーティエの岩山」筆でザザッと描いてある感じだけど、そこはクールベさんで渋くて暗くて深い。コンスタブル「スタウア河畔にて」ええっ? なにこれ? コンスタブルってこんなアヴァンギャルドなの描いてたの? 白が飛び散ってるぞ。セザンヌ「自画像」時々見るヤツだ。マネ「スペイン舞踊」おっと、何かこれ有名な絵っぽくない? マネのいい感じの人物の存在感。

移動して広い部屋へ。あのう……ところどころにフィリップスさんのコレクター活動記と絵や画家についてのコメントもあるんで、がんばって読んでくれ。ここでは絵についてしか書かんの。さて、ゴヤ「聖ペテロの悔恨」ううむ、いいな。目がいいな。で、その隣がなんとピカソ「闘牛」何描いてあるかよく分からない、でも何かスゴい。というのも実は「ゲルニカ」は同じテーマなのです。牡牛におそわれる牝馬。ピカソは牡牛なもんで、このテーマはなんか悔恨の絵っぽいところがあるのだ。それを意図して並べたんならグッドジョブだぜっ。ルソー「ノートル・ダム」小品ながらなかなかいいぞ。人が一人で寂しいが、それがまたよし。ボナール「棕櫚の木」デカいな。しかしボナール好きなようですなあ。パウル・クレー「養樹園」いい色といい線です(こう書いたって何だか分からんよなあ。いやクレーの「例の調子」なんだが)。ゴッホ「アルルの公園の入り口」全体はイマイチだが部分ではノリノリのゴッホ描線。ジョルジュ・ブラック「レモンとナプキン」このあたりブラック多い。

移動してまた小部屋の連続。ロジェ・ド・ラ・フレネという人、「エンブレム(地球全体)」キュビズムの人らしいが、シンプルな形を組み合わせてなかなか面白い絵を描くじゃないか。今回、知らん画家の絵が結構面白く、フィリップスに選ばれるということは、それだけで何かイイところある、と感じさせるに十分だ。セザンヌ「ザクロと洋梨のあるショウガ壷」おっと手堅い静物。キマっているセザンヌだ。マティス「サン=ミシェル河岸のアトリエ」何がいいのか分かんないけどマティスだな。ラフ裸婦ですな。コロー「ジェンツァーノの眺め」小さい。コローが小さくっちゃあなあ、とか思うけど、絵を見ると照らされてる壁なんかうめーもんだな。いい絵だなとか思っちゃうな。さすがフィリップスさん目利きですなあ。ドガ「稽古する踊り子」ドガにしちゃなかなか大きめの絵ですね。らしいし。シャイム・スーティンって人「嵐の後の下校」ルオー風か、いやフォーヴか、いやこういうものだ。いいよ。ドラクロワ「海からあがる馬」これも小品だが……やっぱお高いんですかねえ。デュフィ「画家のアトリエ」一瞬誰の絵かと思ったがなるほどデュフィか。水色がいい味出してる。カンディンスキー「連続」字みたいな生き物みたいなのが並ぶヤツ。

撮影可能部屋を通り、階段を下りて、ゴッホ「道路工夫」レモン色系でクセのない味わいのゴッホです。アングル「水浴の女(小)」有名な「トルコ風呂」の一部でもある背中向けた裸婦……え? これの大きめのヤツもあるの? まあいいや。小さいがエッセンスは感じる。モディリアーニ「エレナ・パヴォロスキー」おや、なんとなく目玉が描いてあるぞ。いつも白目なのに。ブラック「フィロデンドロン」おおっ。なんかイイぞ。キュビズムじゃない。平面的にして面白い。ブラックは結構あるが、実は我々、ブラックを知らなすぎではなかろうか。キュビズムでピカソとつるんでたオマケの人、ぐらいしか認識がないのは、ちょと過小評価じゃね? こないだ見たジュエリーもなかなかだったし。要再評価だ。ルオー「ヴェルレーヌ」彼らしい。なかなか大きい。人物だ。ブラック「ウォッシュスタンド」これも見事だ。

移動して最後の部屋の並びへ。ゴーガン「ハム」ちょっとハムっぽさが……それより次のスーティン。「雉」おおっ、死んでる。死は暴力だと、モランディ「静物」例のヤツ。ユトリロ「テアトル広場」例の……いや、ちょっと黄色っぽい。ここでグループ「青騎士」の3名。カンベンドンク「村の大通り」なにこれいいじゃん。シャガール風で単純化してて。マルク「森の中の鹿Ⅰ」うむ、カンディンスキー「白い縁のある絵のための下絵Ⅰ」幾何学形状を使ってなかった頃。ブラック「鳥」おや、これはアクセサリーにしてなかったか。ジャコメッティのデカい頭あり。モネ「ヴァル=サン=ニコラ、ディエップ近傍(朝)」淡いな。ピカソ3つ「横たわる人」女だ。何だか分からないが色がよい。お尻目立つ。「緑の帽子をかぶった女」立体顔。「グラスと果物のある静物」うむ。最後はドガ「リハーサル室での踊りの稽古」おお、小さいけどイイね。この部屋に差す自然光よ。

手堅い絵から小粒な名作まで、何しろ知らなかった画家まで面白い。絵だけ楽しんでもよし。フィリップス氏の目利きっぷりが十分感じられる。
https://mimt.jp/pc/

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2018年12月16日 (日)

Chim↑Pom グランドオープン(ANOMALY)

ANOMALY(アノマリー)というギャラリーが新たにオープンし、文字通りグランドオープンの企画がこのChim↑Pomの「グランドオープン」なのです。この寺田倉庫ってんですかね、初めて行ったんだけど、それこそ入り口が倉庫で一瞬分からず、貨物用エレベーターで上がって4Fという妙なアクセスだ。

Chim↑Pomといえば先日イベント主体の企画「にんげんレストラン」を新宿歌舞伎町でやっていて……見落とした。だから高円寺の「道が拓ける」以来となる。広島上空に飛行機で「ピカッ」と描いてヒンシュクを買って幾年月、いや、私はあの作品嫌いじゃないよ。あれほど原爆の風化を突きつけられた作品はないからなあ。あれに憤る人も本当に憤るだけのモノを自分の中に持っているか? いやぁ持っている人は少ないと思うね。ともあれ、あれ以降、岡本太郎の「明日の神話」に原爆事故の絵をゲリラ的に付け足しとか、福島の汚染地での活動もあったけど、なんとなくだんだんスケールが落っこちてきてる感じもしないでもない。ただ、道を探っているのも確かで、きっと今に何かやってくれるだろうという期待はあるのだ。

で、展示は倉庫のアートスペースみたいなところ。おっ、オープンの花輪があるな。会場に入ると右側にアスファルトの道。目の前にベニヤ板に描いた「ファーストキス」……なんかしりあがり寿みたいな感じだ。ビデオ作品があるが、コントラストが低くて音声しか分からず車に乗っているらしいが何やっているかよく分からぬ。次、「ビルバーガー」。これは「にんげんレストラン」のビルで使われていたゴミというか残留物。要はガラクタをバーガー状に積んだ……ってゴミを積んだだけじゃん。近代美術館でゴミを集積して固めた作品を見たが、ありゃ誰のだっけな。「グランドオープン展」完成予想図というのがあって、ウェブサイトに出ている絵ですな。当然ながら絵と似ても似つかない。「にんげんレストラン」のドキュメントがあるが先客が居座っていてなかなか見れず。ユルいゴミ箱あり。「Chim↑Pomポートレート(青)」という絵があるがこれもユルい。部屋の隅に「原爆の残り火」……小さい炎だが、ここだけ空間が控えめだ。「Piss Building」コンクリートの固まりのようだが……オシッコを使っただと? シッコを作品に使うの自体は前代未聞でもないが、これは腐食感が高い。「Chim↑Pomのための公衆トイレ」……小さい陶器の便器が置いてあるだけに見えるが……廃水口の奥があるな。「Nice Park」ナイキの遊具じゃん。解説を見るとアディダス主催のグループ展に出したって。ナイキが命名権を獲得した公園のホームレス撤去問題にからめているそうだ。解説読むとホホーとか思う。黒デメキンの水槽。「マジックキングダムウォーター」今回一番エキサイティングだったのがこれ。なんか足場の階段上っていくんだけど、結構怖い。上がってディズニーランドで汲んだ水が瓶に入れて展示してあるが、そこもなんか油断していると下に落ちそうな感じで。しかもイルミでチカチカしてて、めまい起きそう起きたら落ちそうで中年にはハナハダ怖いです。いや面白かったけどね。

会場を出てもう一つ「Super Rat -Hollowed Out-」ネズミの巣みたいな塊にピカチュー風に黄色く彩色されたネズミの剥製。渋谷のネズミをおもしろ剥製にした傑作の最新版のようだ。で、最初に見たオープンの花輪をよく見ると、あれ思い切りChim↑Pomの手作りだ。鶴が串刺しだ。キッチュだっ。それから絵画や写真のスペースもあって(売ってるのかな)。前から知ってたけどメンバーのエリイがキリスト像にキスしている写真。いわゆる劣情を催す感じなもので、いいのかこれというヤバさがある。ここでふと折元立身の「パン人間」を思い出す。パンはキリスト教圏では特別な意味があるので、そこの人から見るとパン人間というのはグロテスクな存在なんだそうだ。そしてこれは日本人だから臆面もなくできる表現だと。このエリイのキス写真もそんなところがあるような気がするね。

ヤジウマとしてはChim↑Pomにはまた何か派手なコトを起こしてほしいと思っているし期待している。賛否両論上等で。
http://anomalytokyo.com/exhibition/chimpom-grandopen/

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2018年12月10日 (月)

吉村芳生 超絶技巧を超えて(東京ステーションギャラリー)

これはマジでヤバい! 私は力業とか結構好きなんだが、その期待に応えて余りある狂気スレスレのパワードローイングにもう大騒ぎだぜ。しかもほとんど鉛筆とか色鉛筆、マジかよこれ。

最初にある「365日の自画像」見かけはほとんど写真だがなんと鉛筆画。毎日の自分の顔を描いている。おおっ! 実は毎日写真に撮ってそれをトレース、なもんで、写実画とはちょっと違うかもしれないが、毎日毎日の連続した365日分の顔が並ぶ様はインパクト十分。ちなみにこれを全部描くのに9年かかったって(ほかの仕事もしつつだそうだが)。「ドローイング 金網」は、17メートルに渡って鉛筆で細密に描かれたただの金網。金網だけでそれ以外の何物でもなく、それが17メートル。もうあまりのことに笑いがこみ上げてくる。まあ、これも版画の技法を使って一旦紙に載せてトレースで作っているらしいが、それにしたって凄すぎる。「友達シリーズ」これは友達の写真をそのまま鉛筆画に。これもほぼ写真じゃん。「ドローイング 新聞 ジャパンタイムズ」新聞をまんま描いたもの。これもアルミを介して転写してトレース。このあたりで、ただの転写には飽きてしまい、写真を細かいマス目に区切り、それぞれのマスで明るさを10段階ぐらいに決め、数字を記入し、それに応じたハッチ(斜線)で別の紙に描いていくという、気が遠くなるような作業で作られた作品が並ぶ。「河原」という河原の風景や「FLY」という蠅など。中でも「ジーンズ」これはGパンの腰の部分を拡大した作品だが、元となる写真、細かい数値を記入した「下絵(数字)」があり、最終作品も出ていて、その膨大な制作プロセスを確認できる。解説の紙ももらえるから家でも確認できるぞ。しかし、作業としては機械的で、今時ならフォトレタッチソフトでできてしまいそうだ。でもそんなソフトもない時代に、その効果の画面を作ったのだ。人間フォトレタッチソフトウエア。

「徳地・冬の幻影」が超異色作。一見繁る草を鉛筆で描いている感じだが、これがだまし絵というか隠し絵になっていて、そこらじゅうに犬の顔やら龍の顔やら、人の姿が確認できる。何かいるような気配……やっぱりいた、という効果。でもこういうのはこの1作。

階を降りて、今までモノクロだったのが、いきなり鮮やかな花の世界。これは実は長いスランプがあって、その後にこうなったらしい。もちろん今度は色鉛筆使用。「ケシ」は花が異様に鮮やか。「ヒマワリ」に至っては鮮やかだけでなく、ザワザワしてキモいレベル。普通に描くだけじゃ飽き足らなく、表面をわざとこすってダメージを与え、ちょっと普通でない感じを出す。「フジ」とか。それから「コスモス(絶筆)」は最後の作品なんだけど。なんと全体のイメージから描いてるのではなく。大画面の左から描いていって、途中で終わっている。まるでインクジェットプリンターが途中で止まった感じ。大画面のこの作り方にも驚きだ。「未知なる世界からの視点」これは10メートルの大作。水に映る草花なんだけど、上下反転させたものを完成としたため、何か超現実世界の絵画のようだ。「無数の輝く生命に捧ぐ」は写真からトレースしている藤の花。写真は金網越しだが金網は描かず、複数写真を組み合わせているから実景でもない。元写真も展示中。見事にアレンジして完成させている。

それから最後は「自画像の森」ということで自画像だらけ。カラー写真からトレースしたものいくつか。しかし何といっても、新聞と組み合わせたの「新聞と自画像」シリーズが秀逸だ。拡大した新聞紙面に顔が浮かぶが、なんと新聞ごと描いているのです。文面の文字や広告まで丁寧に描いているではないか。これは2.7倍に拡大した新聞をカーボン紙で写して、それをトレースしたんだって。しかしその手間は凄い。311の新聞ではそれなりの表情をしている。「新聞と自画像2009年」全364点。2009年、元旦を除いて毎日毎日新聞に自画像を描いたそうな(さすがに新聞ごとは描いていない)。新聞紙面に反応したような百面相が面白い。新型インプルが出てきた時はマスクしている。インフルが流行れば赤い顔になった。それにしても364枚とは壮観だ。しかし、さらに上があって、2011年にパリに1年間滞在したが、その時にほとんど外に出ずに、新聞紙面に自画像を描いていた。その数なんと1000点。これは一部しか展示されていない。展示は残りが積んである。

写真や版画技法も使っているので、正統的な写実画好きにはちょっと邪道っぽく感じるかもしれない。が、膨大な手間をかけて作られた作品群には驚くしかない。
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201811_yoshimura.html

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2018年12月 5日 (水)

ムンク展(東京都美術館)

混んでると思って平日に仕事休んで行ったが、そこそこ混んでいる。だいだいババアが多いよな。
ムンクはノルウェーの画家だって、初めて知った(おいおい)。

最初は「ムンクとは誰か」というコーナーで、自画像がよく並ぶ。ムンクは自画像が多かったんだって。最初の「自画像」は首だけのヤツ。「地獄の自画像」これ、いいね。この目や口があるようなないような感じがムンクってるぜっ。「スペイン風邪の後の自画像」病み上がりじゃなくて、単にヤバい顔のっぽい人。それから何やら写真が並ぶが、やっぱり絵の方がええ。

「家族 - 死と喪失」のコーナー。姉を亡くしたもんで、死ぬとかいうテーマが重要になる。「死せる母とその子」はエッチングだがなんとなくマンガ風。「臨終の床」はいい感じに病んできて、壁の模様が顔だったりする。「死と春」は油彩だが死んでるというより寝てる風。しかし何といっても「病める子Ⅰ」の連作。2つほとんど同じ絵が並んでいるが色合いが全く違う。ここで「ん?」と思ったのは、アレに似ているんだよ。アンディ・ウォーホル。なにそれ全然違うじゃんと思うかもしれないが、色味の違う「病める子Ⅰ」が2つ並んでいるところをちょっと離れてみると、おおウォーホルだ。しかもウォーホルも、マリリンとか電気椅子とか、死を彷彿させるモチーフを並べたりしているんだじぇ。もしかしてウォーホル、これを見たんじゃないか? と、時代も何も全然違うが、何か近いものを感じちゃうんだ。いろんな人の肖像画に手を出しちゃうのもウォーホル風だし。

「夏の夜 - 孤独と憂鬱」のコーナー、「夏の夜、渚のインゲル」……うむ、普通にうまい。「夏の夜、人魚」人魚だけど顔がムンク顔だ。おなじみ棒状の月もある。水面に映る月の光がつながって棒になっているヤツ。この月、なかなか好きなんだ。「幻影」小さい作品だけど、これはマジでヤバい。白鳥とこの顔! 「夏の夜、声」もなかなか病んでいてアウトサイダーアートっぽい人物がいい。「星空の下で」これもいいね。女の人を抱いているのは死神じゃん。「浜辺にいる二人の女」……って、これは女と死神じゃんどう見ても。「神秘の浜辺」では棒状の月が出ている。

いよいよ「魂の叫び」コーナーで、目玉の「叫び」が登場。展示方法はフェルメールの青ターバンと同じで、最前列は並んで移動しながら、その後ろにロープを張ってその後ろは好きに見ていい。並びは多くなかったんで、まず最前列で移動しつつ見て、その後ロープの後ろからも見る……ううむ暗いな。絵の雰囲気が暗いというんじゃなくて、照明が暗い。保存のためか……にしても、なんとなーく、コレジャナイ感がある。なんでだろうか。「叫び」は何種類かあって(解説パネルあるよ)、どうもこれは一番有名なヤツじゃないようだ。じゃあ何が違うのかというと、見たところ、橋の欄干の陰影と、あとは目なんだな。有名なヤツは目に点々があって、叫び声に震え上がってはいるものの一応生気があるが、今回のは、目は白い、なんとなくカラッポ。あとちょっとラフかな。印象はそれなりに違う。「不安」という「叫び」と同じ場所の絵があるが、木版なんだ。これ油彩のヤツ見たことあるよ。いい絵だったよ。いつのムンク展だったかな。西美だったっけな。「絶望」も同じ場所だ。

「接吻、吸血鬼、マドンナ」コーナー。ムンクこだわりのテーマを連打で見せるぜっ。まずは「マドンナ」、ムンクにしちゃまっとうな美女の絵。何種類もあるが、有名なのは精子と胎児がいるヤツな。石版の石もあるじゃないか。「接吻」もこだわりのテーマ。接吻で顔が溶け合っているというもの。これの非常に面白いのは最初のエッチング・ドライポイントのヤツ。多分一番最初のだと思うのだが、これがなんかスケッチ風でナマナマしい。男女裸だし。顔は一応溶け合っているが、この状態だと体も溶け合っていないとどうもおかしいが、それでは描きたいテーマと違うと見たか、あとの絵ではちゃんと服を着せている。絵は抽象に近くなり……かといって抽象は描かないムンクであった。「吸血鬼」も女が男にかぶりつくテーマだが、ナマナマしさがない。

「男と女」のコーナー。ムンクは絵を描くのには孤独が必要だとか言って結婚しなかったそうな。「目の中の目」は顔が病んでいる。男は死にそうじゃ。「嫉妬」「可愛い娘のところへ」の緑の部屋シリーズはイマイチ。なんとなく雰囲気が明るすぎ。「クピドとプシュケ」……神話がテーマのはずだがもうどうでもよくて、これってただのただならぬ男女じゃねーか。「マラーの詩」いいじゃん。ラフで裸婦で病んでいて、血が飛び散ってる。「すすり泣く女」……この女、デカいな。「すすり泣く裸婦」まあいいんじゃないの。顔もはっきりしないけど。「生命のダンス」これは面白いぞ。中央の男女は……ダンスしてねえじゃん。男は相変わらず目鼻のないような顔つき。なんだか女吸血鬼に襲われる寸前みたいだな。左右の女性がなんかしっかりしていて、主役をうまいこと引き立てている感じだ。

「肖像画」コーナー。ニーチェが好きだったそうで、そのニーチェを描いた絵。後は肖像画いくつか。「青いエプロンをつけた二人の少女」……萌えねえな……

「躍動する風景」コーナー。「太陽」は明るく眩しくてまっとうすぎる。「失踪する馬」は……馬のアクションをつけようとして……ウマくない。なんか素朴派の絵のようですな。

「画家の晩年」結構長生きしている。「浜辺にいる二人の少女」焼き直しっぽさが抜けねえ。「星月夜」これはいいですね。青い画面が。

ムンク全体を通して見るのにはいいが何か物足りない。なんでだ? 「叫び」に期待しすぎたか。
https://munch2018.jp/

余談だが少し前に池袋パルコでやっていた(今はやっていない)関連企画(みたいな)「ニュウ・ムンク展」に行ってしまい、がっかりした記憶も新しい。チャラいポスターを見て察しがつきそうなもんだが、つい行っちまってな。いやヒデエもんだった……いや全部が全部ひどくはないよ、面白いのもあったよ。でもね、JUN OSONとかいうヤツの作品は中指突き立てたいレベルで、だいたいムンクの「叫び」は叫んでる絵じゃねーんだよ(分かってやってるとか言いそうだが)。それだけならともかくなんだよあれは「みんな叫びたいでしょ、叫んじゃおうよ、みんな一緒だよ。きゃー」みたいな。この共感というかお仲間というかみんなお友達というかみんなでワイワイというか、いやそれだって悪くはなかろうが、それはもうムンクの孤独なる姿勢とは対極にあるじゃねーか。ぬぁにがインスパイアだっちゅーの。

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2018年11月26日 (月)

ブルーノ・ムナーリ(世田谷美術館)

サブタイトル「役に立たない機械を作った男」とのことで、明和電気のナンセンスマシーンみたいな電動のメカニックなものが出ていると思ったアナタ(オレも)、そういうものは出ていないのじゃ。まあ面白い展示ではあるのだが。
ブルーノ・ムナーリは1907年生まれのイタリアン美術家。絵も描くしデザイナーでもあり子供用の絵本なんかも作ったんだって。
プロローグ「未来派の頃」とのことで、始まりは未来派だって。ん? 1930年代なんて、未来派はとっくに終わってたんじゃないかと思ったら、ちゃんと続いてたんだな。1909年にマリメッコじゃなかったマリネッティが「未来派宣言」をしたが、1915年にもバッラが何か宣言しとるんよ。
最初の「軽やかな機械」はボールとパイプみたいなのを使った立体ものだが……動かねえ。絵画「風景」がいかにも未来派的な動的色彩。それから「役に立たない機械」という作品がいくつも出ている。何か? ……モビールじゃん。いやモビールとはちょっと違って、糸で吊ってある形が風などで動いて組み合わさって、様々な印象の形状を形作る……ってなもんで、抽象的で、それはそれで面白い……んだけど、これを「機械」と言われると、うううむ思ってたんと違う、となってしまうな。いや、面白いんですよ。一応。それからこの機械のための素描とか。雑誌とかあり。

「絵はあらゆる箇所が生きている」というコーナー。「陰と陽」というタイトルの絵がいくつもある。平面を曲線とかで2つに分割。これもいろいろな表情を見せる。途中から四角形の組み合わせが中心となっていき、印象としては……あのう、ほら、あいつ……うおおド忘れしたぞ。あのデ・ステイルのさ……と思い出せぬまま悶々と時間が過ぎる。くそう、脳の、この、ド忘れのメカニズムってなんなんなんだ? なぜそこだけ脳の回路がつながらん。あ、そうだモンドリアンだ。印象はそれに近い。「無題」という形が整ったミロみたいなのが並ぶ。

「子供はすべての感覚で世界を認識している」とのことで、絵本の紹介。息子に見せたい絵本が無かったんで、自分で作ったんだって。絵本のページ全部を見せてしているわけではないので(いわさきちひろ展なんかだとよくあるが)、こんな絵本がありましたっていう紹介だけって感じ。見たところ、普通ではないちょっとシュールな物語を、絵本を切ったりくり抜いたりで自由に表現している感じだ。日本語版も出ていて、なんと訳が谷川俊太郎ではないか。おお詩人、仕事してるなあ。そうだなあ「闇の夜に」なんて一部出ているが全部見てみたいものだな。それから立体もいくつか。中でも「短い訪問者のための椅子」がジョークっぽくて分かりやすい。

「どんな素材にもファンタジアへのヒントがつまっている」ここはまず偏光板アートがある。偏光板を通して見るのだが、偏光板を回すと色が変化して見える「動的」アートだ。うちの上の娘が小学校の自由工作でやったのだが、東急ハンズなんかで偏光板(色付きのも)を売っているので、みんなも作れるんだじぇ。それから「直接の映写」というのはフィルムに直接貼るなどして、投影するとデカく見えるというもの。どっちも実物と映像があるぞ。

「考古学のアイデアを美術の領域に取り入れる」コーナー。解説では「ムナーリの機械」について書いてあり、「ムナーリの機械」という絵本があって、それの1ページが見れるが……機械というか、「風が吹けば桶屋が儲かる」的なつながりというか、無理なピタゴラ装置というか、まあそんなものです。あと児童文学のジャンニ・ロダーリとのコラボ。ロダーリといえば知る人ぞ知る児童文学の名作「チポリーノの冒険」の作者。なぜかオレのうちに岩波文庫があって結構読んでたのだ。で、コラボというのが「『クリスマスツリーの惑星』のための挿し絵の習作」宇宙冒険ものっぽい。でも機械があの調子なんで、SFを期待できるものではなく、やっぱしどうもファンタジーよ。

「作品は無限の変化として出現する」木の描き方や、繰り返しによるパターン。中でも正方形を組み合わせたような「ペアーノ曲線」に興味津々な様子で。その作品がいくつもある。抽象的なデザインのあといきなり「みどりずぎんちゃん」という絵本のためのイラストが並んでいる……ううむ、これは、どういう意図なのだ? 木々の描き方のこだわりなのか? ずきんも緑だし、背景もほとんど緑なのだが。
「みんなの美術にたどりつきたかったら」ここの注目は「旅行のための彫刻」なんのこたーない、厚紙でできた折りたたみ可能な立体作品。中には金属で作ったヤツもあるぞ。金属のは面白いな。それから「オリジナルのゼログラフィーア」これは何か? コピー機を使うものだが、わざとコピー元を動かして動作させ、予測のつかない妙な平面を生み出した作品群なのだ。ナイスアイディアですな。この技術を応用したらしい絵本「きいろずきんちゃん」が出ていたりする。

「どれほど多くの人が月を見て人間の顔を連想するか」ここはまずフォークを手に見立てた作品。ヒッチハイクしたり、たばこほしがったり。これもナイスアイディア。あとは「祖先の重み」という顔っぽいドローイング。またロダーリとのコラボ「空にうかんだ大きなケーキ」のための挿し絵。これもいろいろな線などを使って顔のようなものを表現。そう、ここは顔コーナーなのだ。あとは「未知の国の読めない文字」文字通りなんだけど、漢字の「月」みたいなのがいっぱい。あとは「木々」という作品は。これも「木」という漢字を使ったもんなんで、我々にはおなじみすぎる。

最後に「アートと遊ぼう」ということで、遊べるコーナー。絵が描いてある透明プラスチックを組み合わせて、絵のレイアウトができたり、厚紙の板を立てて迷路にできたり。それより情報として驚いたのは、いまはなき「こどもの城」の1985年の開館企画が「ブルーノ・ムナーリ展」で、本人が子供相手のワークショップもやったらしい。なんと「こどもの城」はアート関係の部門も持っていたのだ。おい、誰だよ「役割を終えた」とか言ってぶっ潰したのは。役割を終えてはいないじゃないか。

そんなわけで極めて点数多し。なかなか面白い。子供連れで遊んでもよし。ただ「機械」じゃないんだよなあ。
https://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/special/detail.php?id=sp00191

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2018年11月20日 (火)

カタストロフト美術の力(森美術館)

災害や惨事でアートがいかに影響を受け、またいかなる作品を生み出すか。バリバリ現代的テーマ……しかしこういう攻めの企画を大規模美術館でやるってところはさすが森なのである。期間も長い。見応え十分。

セクションⅠ「美術は惨事をどのように描くのか -記録、再現、想像」
最初にトーマス・ヒルシュホーン。いきなり災害で破壊された建物のデカいインスタレーションで驚く。見ると瓦礫は明らかにハリボテだが。そこがテーマなのだ。なんだハリボテじゃんとスルーしていいのか悪いのか分からない。だって災害現場だぞ。クリストフ・ドレーガー。911のテロで破壊されたワールド・トレード・センターの写真がなんとジグソーパズルになっている。これも、いいのかこれ? という方向みたいだ。ヴォルフガング・ジュテーレ。911のその瞬間のライブ映像らしいが進行が遅くて見れず。畠山直哉こっちは311の東日本大震災の陸前高田の写真。個人的に撮っていたらしいが、鑑賞者は災害も結局消費できる「作品」としてしか受け取らないのだ。しかし、これはあらゆるものについて回るな。あまり関係ないかもしれんが、何年か前の紅白歌合戦で、吉永小百合が原爆の詩を朗読したんです。でもその前後は楽しい歌番組としてガッチリできているし、視聴者もそれに従う、つまり、その、いかなる惨事であれど、そのあまり見事な消費されっぷりに驚いたものだよ。そうでないかい? おめーらもどうせ美術館を出たら忘れちゃうんだろ? うむ、すごかったなーという「作品」としての印象は残るかもしれないが。次は堀尾貞治。震災がテーマのパステルドローイング。これも現場との乖離がキツい。グチャグチャの絵にしか見えん。これを見て、「すごい災害だったんですねえ」と感心する奴は偽善者であろう……いや、まあ、こうしか描けなかったということで間接的な印象は持つかもしれないが。宮尾隆司の神戸震災の写真があり、この辺で震災ものはいったん終わって、ジリアン・ウェアリング。道行く人に今の気分を表したパネルを持ってもらって、その写真を撮るが……「絶望的」とかネガティブなもの3つを展示。意外とそこらの人も不幸せなのか? ホァン・ハイソンの絵画。一見、子供の絵のように見えるが、わざとだ。家族全員顔を手で隠したクリスマス、新郎新婦とキーボードしかいない寂しい結婚式など、冴えない心情あるあるの絵画みたいな感じ。ヘルムット・スタラーツ。顔を覆って酸素を吸う、みたいな現代の息苦しさみたいな絵画。ミリアム・カーンは原爆を水彩の鮮やかなので描く。武田慎平は。311被災地に行って、そこの土を敷いて、印画紙に放射線で露光させたプリント。星空のようだが星空じゃないぞ。二本松城とはやま湖の放射線量はヤバいぜっ。平川恒太「ブラックカラータイマー」これは面白かった。何か? 108つの電波時計を黒く塗って、そこに原発の作業員(マスク付き)を黒で描く。108つ全部の時計が動いていて、カチコチ音を立てているのがポイント。耳を澄ませば何とも言えん気分になる。そうだ感じるんだ。ミロスワフ・バウカ「石鹸の通路」文字通り、通路の左右に石鹸の固まりが塗ってある。ナチスのガス室に行く時に石鹸を渡されたんだそうで、そのモチーフだそうで。アイザック・ジュリアンはインタビューもののインスタレーションだが……長いのでパスしちゃった。トーマス・デマンド「制御室」は福島の原発の制御室の実物大模型の写真。オリバー・ラリックは、ミサイル発射のおもしろ合成写真。政府が既に、写真で嘘コいてたんで対抗して。そして我が国の池田学「予兆」さすが、超細密画。北斎の「神奈川沖浪裏」がモチーフっぽいが、大画面かつ細かいもので、どの一部をとっても何かの表情がある一つの絵になっている。恐るべき画家よ。藤井光「第一の真実」アテネで80体の男達の死体が出た。それは遙か昔のものだが、なぜ死んだかは分からない。分かる範囲を現代の人で再現パフォーマンス、その映像。要は80人が、理由も分からず死んでいく。パフォーマンスは、かの折元立身の「処刑」を彷彿とさせる(オレ参加者だお)。モナ・ハトゥム「ミスバー(ランプ)」文字通りランプ。回転すると兵士が映る。どーせアラブといえば兵士なんでしょとお怒りの様子。

セクションⅡ 「破壊からの創造-美術の力」
アイウェイウェイ「オデッセイ」ギリシアの投機風の平面的人物で埋め尽くされた大規模絵画……なんだけど、デジタルプリントがミソですな。コピペとか使ってそうで。あと、ここにも「神奈川沖浪裏」のモチーフが。さすが北斎。ハレ・ホウラニ。「パレスチナのピカソ」というビデオ記録。パレスチナとイスラエルが入り乱れる。展示は困難を極めたそうだ。アメリカが嫌いだから、アメリカと仲のいいイスラエルは悪、パレスチナは善ってな認識の人がおるが、あれはそう単純じゃなかろうよ。エヴァ&フフランコ・マッテス「プランC」チェルノブイリの使えない遊具の回収再生など。シェバ・チャッチは反ダウリー制度の写真。インド(の一部かな)では新婦が新郎に大金を貢いだりする制度があったりして、貢げないと殺されたりするんだと。女性差別が厳し過ぎ。そして我が国のChim↑Pom。311の福島原発の敷地内に行って、白旗を揚げ、日の丸を描き、さらにそれを原子力マークにして振るハイリスクなパフォーマンス。やるじゃん。原発にイエローカードもストレートで面白かったがな。カテジナ・シェダー「どうでもいいこと」。これがさりげないが意外と面白い。夫と死別し、何もかもどうでもいいと思っている祖母。しかし金物店の全商品を記憶していたんで、それを一つ一つ描かせる。やがて、どうでもいいなんて言わなくなった。ドローイングは別にうまいものではないが、それにより生きる力を取り戻した事実がナイス。実はどうでもよくない、何か素晴らしいことが一人一人の中に眠っているのだよ、と気づかせる作品。うまい。CATPC&レンゾ・マルテンス。プランテーション労働者のアート集め。チョコレート製のちょっとキモい人形あり。「HYOGO AID '95 by ART」震災復興のチャリティーアートで有名どころが集結って話。あの衝撃の抽象画家、山田正亮がいるのが面白い。高橋雅子「アートで何ができるかではなく、アートで何をするかである」これは震災避難所でのアートワークショップ。こういうのを積極的にやった。じつはこういう活動が生きる力になったりするのだ。加藤翼。被災地のシンボルの灯台を模した構造物を、みんなで引き起こそう、という企画の映像。ジョルズ・ルース。部屋の中にドローイングしてある一点から見ると形が浮き上がる。宮城の被災したカフェでやった。再現のインスタレーションあり。片目で見よ。ヒワ・Kは武器の金属で鐘を作る。逆はよくあるのでリサイクルだ。田中功起。海外の人で反原発ソングを現代風にするワークショップ。どうでもいいけどカントリーというかフォークというか、そんな曲調がダセェーっ。もっとカッコイイ曲にしねえか。米田知子の写真。かつての被災地の今。なんか普通なんだけどかつてここはすごかったんだぞ、というもの。坂茂「紙の大聖堂 模型1/10」ニュージーランドで災害にあって消失した大聖堂に代わって紙で作られた。強化してあるので当分持つ。その大聖堂の模型……なんだけど、デカいし、下から潜って見て、中にいるような感覚になれる。面白い。宮島達男「時の海・東北」おなじみLEDのデジタルカウントダウンアートを東北のあちこちに。それがどんな感じかというものを展示。地面にカウントダウンを散らして置いてある。いやぁ宮島達男は「メガデス」を見てしまうと、それを越えたものにはまず出くわさないんだよなあ。スゥーンの心が痛い構造物。池田学の大作「誕生」……の映像。11/28から本物を展示ですって。そして最後、オノ・ヨーコ「色を加えるペインティング(難民船)」舟が置かれた部屋を青と白のパステルで参加者が自由に描き加えられる……ったって、部屋中もう相当塗り重ねられていて、何を描き加えてもまず目立つものは描けない。原子力マークを描いてみたが、完全に埋没してるのう。

まだ映像で見ていないのもあり、やっぱりこれも十分時間をとって挑んでくれい。
https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/catastrophe/index.html

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