2018年11月20日 (火)

カタストロフト美術の力(森美術館)

災害や惨事でアートがいかに影響を受け、またいかなる作品を生み出すか。バリバリ現代的テーマ……しかしこういう攻めの企画を大規模美術館でやるってところはさすが森なのである。期間も長い。見応え十分。

セクションⅠ「美術は惨事をどのように描くのか -記録、再現、想像」
最初にトーマス・ヒルシュホーン。いきなり災害で破壊された建物のデカいインスタレーションで驚く。見ると瓦礫は明らかにハリボテだが。そこがテーマなのだ。なんだハリボテじゃんとスルーしていいのか悪いのか分からない。だって災害現場だぞ。クリストフ・ドレーガー。911のテロで破壊されたワールド・トレード・センターの写真がなんとジグソーパズルになっている。これも、いいのかこれ? という方向みたいだ。ヴォルフガング・ジュテーレ。911のその瞬間のライブ映像らしいが進行が遅くて見れず。畠山直哉こっちは311の東日本大震災の陸前高田の写真。個人的に撮っていたらしいが、鑑賞者は災害も結局消費できる「作品」としてしか受け取らないのだ。しかし、これはあらゆるものについて回るな。あまり関係ないかもしれんが、何年か前の紅白歌合戦で、吉永小百合が原爆の詩を朗読したんです。でもその前後は楽しい歌番組としてガッチリできているし、視聴者もそれに従う、つまり、その、いかなる惨事であれど、そのあまり見事な消費されっぷりに驚いたものだよ。そうでないかい? おめーらもどうせ美術館を出たら忘れちゃうんだろ? うむ、すごかったなーという「作品」としての印象は残るかもしれないが。次は堀尾貞治。震災がテーマのパステルドローイング。これも現場との乖離がキツい。グチャグチャの絵にしか見えん。これを見て、「すごい災害だったんですねえ」と感心する奴は偽善者であろう……いや、まあ、こうしか描けなかったということで間接的な印象は持つかもしれないが。宮尾隆司の神戸震災の写真があり、この辺で震災ものはいったん終わって、ジリアン・ウェアリング。道行く人に今の気分を表したパネルを持ってもらって、その写真を撮るが……「絶望的」とかネガティブなもの3つを展示。意外とそこらの人も不幸せなのか? ホァン・ハイソンの絵画。一見、子供の絵のように見えるが、わざとだ。家族全員顔を手で隠したクリスマス、新郎新婦とキーボードしかいない寂しい結婚式など、冴えない心情あるあるの絵画みたいな感じ。ヘルムット・スタラーツ。顔を覆って酸素を吸う、みたいな現代の息苦しさみたいな絵画。ミリアム・カーンは原爆を水彩の鮮やかなので描く。武田慎平は。311被災地に行って、そこの土を敷いて、印画紙に放射線で露光させたプリント。星空のようだが星空じゃないぞ。二本松城とはやま湖の放射線量はヤバいぜっ。平川恒太「ブラックカラータイマー」これは面白かった。何か? 108つの電波時計を黒く塗って、そこに原発の作業員(マスク付き)を黒で描く。108つ全部の時計が動いていて、カチコチ音を立てているのがポイント。耳を澄ませば何とも言えん気分になる。そうだ感じるんだ。ミロスワフ・バウカ「石鹸の通路」文字通り、通路の左右に石鹸の固まりが塗ってある。ナチスのガス室に行く時に石鹸を渡されたんだそうで、そのモチーフだそうで。アイザック・ジュリアンはインタビューもののインスタレーションだが……長いのでパスしちゃった。トーマス・デマンド「制御室」は福島の原発の制御室の実物大模型の写真。オリバー・ラリックは、ミサイル発射のおもしろ合成写真。政府が既に、写真で嘘コいてたんで対抗して。そして我が国の池田学「予兆」さすが、超細密画。北斎の「神奈川沖浪裏」がモチーフっぽいが、大画面かつ細かいもので、どの一部をとっても何かの表情がある一つの絵になっている。恐るべき画家よ。藤井光「第一の真実」アテネで80体の男達の死体が出た。それは遙か昔のものだが、なぜ死んだかは分からない。分かる範囲を現代の人で再現パフォーマンス、その映像。要は80人が、理由も分からず死んでいく。パフォーマンスは、かの折元立身の「処刑」を彷彿とさせる(オレ参加者だお)。モナ・ハトゥム「ミスバー(ランプ)」文字通りランプ。回転すると兵士が映る。どーせアラブといえば兵士なんでしょとお怒りの様子。

セクションⅡ 「破壊からの創造-美術の力」
アイウェイウェイ「オデッセイ」ギリシアの投機風の平面的人物で埋め尽くされた大規模絵画……なんだけど、デジタルプリントがミソですな。コピペとか使ってそうで。あと、ここにも「神奈川沖浪裏」のモチーフが。さすが北斎。ハレ・ホウラニ。「パレスチナのピカソ」というビデオ記録。パレスチナとイスラエルが入り乱れる。展示は困難を極めたそうだ。アメリカが嫌いだから、アメリカと仲のいいイスラエルは悪、パレスチナは善ってな認識の人がおるが、あれはそう単純じゃなかろうよ。エヴァ&フフランコ・マッテス「プランC」チェルノブイリの使えない遊具の回収再生など。シェバ・チャッチは反ダウリー制度の写真。インド(の一部かな)では新婦が新郎に大金を貢いだりする制度があったりして、貢げないと殺されたりするんだと。女性差別が厳し過ぎ。そして我が国のChim↑Pom。311の福島原発の敷地内に行って、白旗を揚げ、日の丸を描き、さらにそれを原子力マークにして振るハイリスクなパフォーマンス。やるじゃん。原発にイエローカードもストレートで面白かったがな。カテジナ・シェダー「どうでもいいこと」。これがさりげないが意外と面白い。夫と死別し、何もかもどうでもいいと思っている祖母。しかし金物店の全商品を記憶していたんで、それを一つ一つ描かせる。やがて、どうでもいいなんて言わなくなった。ドローイングは別にうまいものではないが、それにより生きる力を取り戻した事実がナイス。実はどうでもよくない、何か素晴らしいことが一人一人の中に眠っているのだよ、と気づかせる作品。うまい。CATPC&レンゾ・マルテンス。プランテーション労働者のアート集め。チョコレート製のちょっとキモい人形あり。「HYOGO AID '95 by ART」震災復興のチャリティーアートで有名どころが集結って話。あの衝撃の抽象画家、山田正亮がいるのが面白い。高橋雅子「アートで何ができるかではなく、アートで何をするかである」これは震災避難所でのアートワークショップ。こういうのを積極的にやった。じつはこういう活動が生きる力になったりするのだ。加藤翼。被災地のシンボルの灯台を模した構造物を、みんなで引き起こそう、という企画の映像。ジョルズ・ルース。部屋の中にドローイングしてある一点から見ると形が浮き上がる。宮城の被災したカフェでやった。再現のインスタレーションあり。片目で見よ。ヒワ・Kは武器の金属で鐘を作る。逆はよくあるのでリサイクルだ。田中功起。海外の人で反原発ソングを現代風にするワークショップ。どうでもいいけどカントリーというかフォークというか、そんな曲調がダセェーっ。もっとカッコイイ曲にしねえか。米田知子の写真。かつての被災地の今。なんか普通なんだけどかつてここはすごかったんだぞ、というもの。坂茂「紙の大聖堂 模型1/10」ニュージーランドで災害にあって消失した大聖堂に代わって紙で作られた。強化してあるので当分持つ。その大聖堂の模型……なんだけど、デカいし、下から潜って見て、中にいるような感覚になれる。面白い。宮島達男「時の海・東北」おなじみLEDのデジタルカウントダウンアートを東北のあちこちに。それがどんな感じかというものを展示。地面にカウントダウンを散らして置いてある。いやぁ宮島達男は「メガデス」を見てしまうと、それを越えたものにはまず出くわさないんだよなあ。スゥーンの心が痛い構造物。池田学の大作「誕生」……の映像。11/28から本物を展示ですって。そして最後、オノ・ヨーコ「色を加えるペインティング(難民船)」舟が置かれた部屋を青と白のパステルで参加者が自由に描き加えられる……ったって、部屋中もう相当塗り重ねられていて、何を描き加えてもまず目立つものは描けない。原子力マークを描いてみたが、完全に埋没してるのう。

まだ映像で見ていないのもあり、やっぱりこれも十分時間をとって挑んでくれい。
https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/catastrophe/index.html

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2018年11月18日 (日)

笠井誠一展(練馬区立美術館)

この施設は割と近いんで、ほぼ毎回行ってるんですが、年間パスポートでもないですかねえ……
さて、ポスターを見た限りでは、セザンヌのパチモンかと思ったんですが、まあそういう部分もないではないが、独自の面白さがある。いや、結構面白い。

最初下の階からで展示は年代順。初期は暗い印象派みたいな絵を描いている。デッサンとは物の形を作る仕事、だそうで。最初の「札幌北一条風景」とか暗い。「風景」も暗いフォーヴ(野獣派ってやつです)みたい。「裸婦」も別にナイスバディというわけでもなく、「田園」でやっとちょっと主張っぽいものを感じるかな。「牛と人」は平面的で白が主体で、ちょっとシャガールの幻想画風なところもあるかな。しかしこの辺は総じて地味なもんで、この調子が続いたら鑑賞のテンションも落ちたままであった。

パリへ勉強に行ってシゴかれたそうです。ここからなんかエンジンがかかってきて、太い輪郭線が登場。デュフィっぽいのやらセザンヌっぽいのやらで、要はパリ風味になった感じですかね。「室内」は太い輪郭をバッチキメていて、平面的でもある。太い線を使わない「セーヌ河畔」なんてのもあり、これは手堅い印象派な感じ。でも年代見ると1964年ですって。もう現代美術の時代ですなあ。

階を上がって、帰国して愛知に住む。ちょっと変わった色の自画像。画面は明るくなって、物の形の面白さにこだわり始める。「西瓜とランプ」などの西瓜ものではカットした西瓜の面白さにとりつかれている感じ。いや実際こいつは面白い立体って感じだぞ。「静物(ウクレレのある静物)」はモランディの静物っぽいが、色がカラフル(ってほどでもないが)でモランディで塗り絵やってるみたい。モランディのストイックな画面に比べると、結構好きな色でキメる方が主体。画面はだんだん黄色く明るい様式ができ始めてくる。うむ、面白い。「ストーブとバイオリンがある室内」。静物が登場人物のごとき、室内が舞台のごとき、演劇的な感じもする。笠井劇場みたいな感じか。

「画風の確立」ということで、ここで多視点が出てくる。物を一方向から見ただけでなく、複数の視点を組み合わせて一つの物を表現。例えば「卓上静物」の鍋なんてな、蓋はやや上からのものを描き、側面は割と横から。それを組み合わせる。ちょっとケッタイな絵ができるが、それがまさに描きたかったことだ……って、これってセザンヌの静物そのままじゃないか。解説にセザンヌの名はなかったようだが。ただ、セザンヌの重厚さみたいなものはなく、割と明るく軽めではある。ここで全然違う物が思い浮かぶ。デ・キリコの室内や静物。キリコは「形而上絵画」と呼ぶところの超現実な風景を描いたが、笠井はむしろそれに近いようだ。もしキリコの形而上画を、笠井が日用品で描いたら……なんてところで見ても面白いであろう。「赤いポットとストーブのある室内」なんて、ストーブはもうストーブではなく、デフォルメされて形而上絵画を演出するオブジェみたいな役割になっている。モランディのようなストイックさは感じない。「シュガーポットと洋梨」なんてのも平面的な感じにして、洋梨が立体的だったり。独特の画風が冴えているじゃないか。

学校の先生もやっていた、画業に専念。「ギターと洋梨のある卓上静物」なんていう絵から大きなサイズの絵になっている。「リンゴとコーヒー茶碗のある静物」などはもう果物というより、立体。テーブルを描くと右の縁は画面に垂直、左の縁は斜め、というなんとなくこだわりが見える。
それから様式がキマった作品が続くも、一番最後の「室内」だけは急に写実的な立体となりちょっと驚きだ。最後に、実際に使った静物の実物が並んでいて、ビデオがあって(すまん見てない)終わり。

出だしは地味だが、やはり企画展やるだけあって、進化が面白く、アートの風味は十分だ。
https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=201806301530346711

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2018年11月 4日 (日)

「アジアにめざめたら アートが変わる、世界が変わる1960-1990年代」(東京国立近代美術館)

近頃フェルメール展などもあって、アート読み解き厨の「絵を眺めているだけじゃ鑑賞したことになりません。ちゃんと描いてあることの意味を知りましょう」マウンティングがことさらウゼエ。全く知らんではさすがに見ても意味不明かもしれんが、その場の解説レベルで状況をちょこっと知ってりゃいーんだよ……がしかし、このアジアの近現代美術ってのがけっこう厄介でしてな。その国の社会情勢や現状に対するレスポンスとして作品が作られている場合が少なくない。で、そういうのは解説を読まないとそもそも何を意図してるんだかもサッパリ分からないのです。で、今回の企画もそういうものが集まっているだろうなあと思ったらやっぱり集まっていて、大量の解説が載ってる紙をくれる(しかも作品全部じゃないんだぜ)。字が小さいのでローガンには厳しい。鑑賞時間もまともに全部見てると、会社帰りにちょいと、では済まない。

最初にイントロダクション。社会の出来事に対する象徴的な作品を集めたとかで、もうハナっからストレートパンチを食らいますな。最初にある香港のエレン・パウ、天安門事件での首相の発言を茶化したやつ。「何もなしとげられない」のリフレイン。韓国のシン・ハクチョルの絵画は民主化運動がテーマらしいが、これはまあ赤い画面と人々が特徴的で見れば分かる感じ。首ないし。次にクラッカーでできたピンクの銃が積んである。インドネシのアFXハルソン「もしこのクラッカーが本物の銃だったらどうする?」という問いかけ。なんと答えを書けるノートが用意されている。みんなの答えも見れる。あまり見てないが、中には「通報する」なんてマジメな方もいらっしゃいます。オレの答え「ハロウィンの渋谷で配る」やっぱこれだネ! 渋谷ハロウィンの酷い大騒ぎのニュースがまだ記憶に新しい。鬼に金棒、キ○ガイに刃物、泥酔者に拳銃だべ。

イントロが終わって「構造を疑う」というコーナー。今までの美術という構造を疑うというような。「美術の境界」という小テーマから。ここには絵画もあるがパフォーマンス作品もあったりして、タイのアナヒン・ポーサヤーナン「(バンコクのにわとりに美術を説明する)展」ビデオ作品で文字通りのことをしている。動物とのおたわむれでは折元立身のパフォーマンスを思い出すが、片やナンセンス、片や一方的な愛の表現、という違いがあるかな。中国の大同大張。パフォーマンスやインスタレーションの計画を作家や批評家に送りまくる「メールアート」。おお、折元立身もメールアートやってたな。あと河原温にも起きた時間や「自分はまだ生きてる」、をはがきで送りまくるのがあった。
「再物質化」という小テーマ。自然物をなるべくそのまま、みたいな。韓国のイ・テンスクの石ころをひもでくくった作品。それから黒い線の入ったカーテンが下がっている。お、例の火薬の人かと思ったら違った。シンガポールのタン・ダウ。インクと大地と雨水の作品で、火薬の爆発じゃなくて、土の粒子なんだって。韓国のハ・ジョンヒョンはスプリングを使った抽象画。韓国の得意領域の表現。抽象画群は一度オペラシティでまとめて見たことがあるが、なかなかのものであるのよ。あと、おなじみの中西のゴミ卵もここに出ている。
「メディアとしての身体」という小コーナー。体を使ったパフォーマンスなど。在日韓国人の郭徳俊。「自画像」自分の顔をガラスに押しつけるパフォーマンス。ガラスに押しつけられて歪む顔が自分に対する抑圧的な構造を表現してるとかなんとかなんだけど、唇押しつけちゃったりして単にキメエパフォーマンスにしか見えん(ヘイトスピーチじゃないよ。これは誰がやってもキメエよ)。シンガポールのアマンダ・ヘンは顔に字を描くパフォーマンス。バイリンガルで育ってきたが、今ここではこっちにしろ、という強制で自分自身と乖離しちゃうことを表現、だそうで。台湾の張照堂の不気味写真。オノ・ヨーコのおなじみ「カット・ピース」の映像。韓国のイ・ゴニョン「乾パンを食べる」添え木や包帯を使って拘束していくが、それでも乾パンをどうにか食べる。一応政権からの抑圧の表現的な意味はあるらしいが、単にユーチューバーの「拘束されて乾パンを食べてみた」なんていうやってみたシリーズにも見えますな。

「アーティストと都市」のコーナー。ここも「資本主義批判」からハードに始まる。韓国のオ・ユン「マーケッティングⅠ:地獄図」はちょっとマンガ風地獄絵だけど、そこにもコーラとかマキシムとか、海外製品の波が来たってやつ。韓国のパク・プルトン「コーラ火炎瓶」なんて分かりやすいですな。先のタン・ダウのインスタレーション「彼らは犀を密猟し、角を切ってこのドリンクを作った」。漢方薬ドリンクを作るのに密漁。張り子の犀の周りにドリンクの瓶が並ぶ壮観なヤツ。これはパフォーマンスもやっていて、福岡でやった映像が流れる。パフォーマー(本人だよな)が日本語で「♪月が~でたで~た~」とか「ほって、ほって、またほって」とかやりながらのお気楽密漁シーン。密漁だろうがやるヤツはそんな調子さ。中国の王晋「氷」氷ブロックの中にアイテムを入れて壊して持っていかせる。消費社会の欲望が万里の長城風の壁をぶっ壊す様子。
「都市生活を攪乱する」ってことで、パフォーマーも都市の中へ。日本のゼロ次元のパフォーマンス映像……なんか疲れてきてちゃんと見てない。ムカデ競争みたいなのやってた。街の中でのお騒がせパフォーマンス。渋谷ハロウィンの巣窟の中にも、ああいうアートパフォーマーでもいれば面白いだろうが。いたのかな? いた感じはしないよなあ。あとは馬ニンジンみたいなパフォーマンス映像と、韓国のソン・ヌンギョンの新聞記事を切り抜いて建物平面図みたいにしたの……平面図じゃない? 検閲? それから中国の林一林がブロック塀を作って少しずつ移動させて車道を渡るパフォーマンス。全部見てたら面白いだろうなあ。時間がない。あとドキュメンタリー風の映像作品コーナーがあるが、一つが三十分以上あったり、このあたりはもう腰を据えて臨まないとあかん状態。

「新たな連帯」というコーナー。「アート・アクティヴィズムと社会運動」中村宏の絵画「基地」あり。解説は長いが絵だけでもなんかヤバさが分かる。タイ統一美術家戦線の一連の先品はソヴィエトの労働ポスター風。韓国のイム・オクサンの絵画「原野の炎」これも解説は長い(考えさせる)が、何も考えずにも見れる。水墨と火のラインがなかなか美しい。台湾の楊茂林の絵画が、うーん、これもポスターっぽいというか、でもなかなかの迫力でありまして。
「集団行動とアートの実験」主にアートグループの活動記録っぽいもの。
「ジェンダーと社会」主に女性問題がテーマのもの。ジュリー・ルーク「考えるヌード」遠目で目につくヌードの立体。うえへへへなんつって近づくと、結構傷ついている。ううむ、つまり……考えてくれということだ。女性問題といえば日本も酷いと言われるが、やっぱり儒教と家父長制の本場、韓国の方も相当厳しいようだ。韓国の女性アーティストがエグい。キム・インスンの大学の帽子をかぶった女が男の足を洗っている絵。ユン・ソンナムの「手は10本あるが」家事育児ワンオペで10本でも足りねえ。これは分かりやすいっつーか今の日本でもウケるかもしれん。
「歴史と新たな連帯を再考する」うーむ、なんかもう疲れて漫然と見てた。ウォン・ホイ・チョンの絵画「私には夢がある」が、なんとなく「伝わる」ものですかね。最後に香港のエレン・パウ「青」という天安門事件がテーマっぽいが、一見するときれいな映像でしめくくり。

いやー、全部まともに鑑賞していると半日はかかるでしょうなあ。あと最初に書いた通り、社会的な意味を汲み取るべきものも多々あり、心してのぞんでくれい。
http://www.momat.go.jp/am/exhibition/asia/

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2018年10月25日 (木)

ルーベンス展(国立西洋美術館)

ルーベンス展、というものはかつて無かったんじゃなかろうか。大巨匠なわけだけどそうそう持ってこれるものじゃないし、いい絵はデカい。それがこのたび実現したとなっちゃあ大騒ぎだぜっ。ある意味フェルメール展よりスゲエことである。
ルーベンスじゃないヤツもチラホラいるし、模写も工房作もあったりするが、ほとんどはご本人で、ルーベンス展と呼ぶに十分である。ルーベンスはイタリアに学んだことが多く、今回もイタリアの画家としての展示だそうだ。

最初は小物、ただ「クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像」なんて、これ長女5歳だって、血色いいよな。たぶんこの絵は再会だが。「眠るふたりの子供」もプクプクしとる。「幼児イエスと洗礼者ヨハネ」も子供ふたりだ。

ここからいよいよイタリア美術のエキスを吸収した作品が炸裂してくる。「《ラオコーン群像》の模写素描」うむっ、ギリシアヘレニズムの傑作彫刻を、オレもこういうのやりてーと模写したとな。確かにバロックの仰々しさとヘレニズムは通じるところがあるよな。それからカメオが2つ。そんで絵画があり「髭を生やした男の頭部」や「老人の頭部」は特にこれ誰ってもんでもないらしいが、それでもバッチリ描いて消化し、大作に使ったんだって。「毛皮を着た若い女性像」おっと見たことあるような、と思ったらティツィアーノの模写だお。腕が太いぞ。そのティツィアーノと工房「洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ」これもちょいデブ。ルーベンスは細いヤツよりもボリュームタプーリの方が好みだった。ラファエロの模写までしている「賢明」。こうして見るとやっぱ勉強して努力してるんだなあ(当たり前か)。こうしてイタリアの人体描写まで吸収し「セネカの死」なんて絵ができたりする。男のリアルというかごつい肉体描写だ。

ここから宗教画。この手は当然何が描いてあるのか、何のシーンなのかが分かった方がいいのだが、別に分からなくってもいいと思わせるほどルーベンスはドラマチックに迫る。なんたってカトリック。宗教の力を絵で演出して布教しようぜってんで、派手にやっちゃうんだ。「聖ドミティラ」これもちょいデブ。それで地下の展示室へ行くと、天井の高さを利用して大型の絵が9枚も並んでいる……って、全部がルーベンスではないが壮観だ。ヨーロッパの美術館とかこんな感じだよな。「アベルの死」はカラバッジョ風のコントラストだ。傑作としてまず「法悦のマグダラのマリア」カラバッジョが同じようなやつを、マリア単体で描いてたと思うが、こっちは天使が二人おって演出に手を貸している。マリアが生きてるんだか死んでるんだか分からない状態で法悦しておる。「キリスト哀悼」これも仰々しい。なんたってキリストがマジ死んでる。いや、死んでるんだから当たり前だけど、死んでるんだぞという容赦ない血色の無さで迫ってくる。マリアが目を閉じさせようとしている演出もニクいぜっ。「聖アンデレの殉教」X字の磔の様子。てんこ盛りのバロック。人間いろいろ、空には天使……じゃなくて羽の生えたガキンチョ……なんつったっけ? ピットだっけ。中央にヴェルデーレのトルソ。元は1世紀のものだけど、参考にしているんだって。

階段上がって、「神話の力」ってことで、男女のヌードコーナー……の前にルノワールもルーベンスを模写してたって話で、ルノワールの模写絵1枚。確かにルノワールもデブ女好きだしな。で、ヌードはグイド・レーニの「ヒュドラ殺害後休息するヘラクレス」へえ、グイド・レーニってルーベンスと同時代だったんだ。もっと最近だと思ってた。ルーベンスは「ヘスペリデスの園へのヘラクレス」なんか巨人族みたいな、いや、なんちゅーか「男」だ。女性ヌードは、おなじみテーマ「スザンヌと長老たち」しかし、やっぱり尻の肉付きとか、そっちの方に重点を置いているようですな。「バラの刺に傷つくヴィーナス」顔が「いてっ」と言ってるぜ。さっきのヘラクレスと対になる感じで展示されている「『噂』に耳を傾けるデイアネイラ」これは、そんなにデブじゃないぞ。

「絵筆の熱狂」というコーナー。大きくはないが傑作がある。「聖ウルスラの殉教」幻想絵画っぽい構図でキメる。「パエトンの墜落」は馬と人が入り乱れて、いやしかし、よくこんなの描けるよなあ、と感心。あとはルーベンスじゃないルーベンスっぽい絵がいろいろ。コルトーナの「ゴリアテを殺すダヴィデ」なんぞは明るい画面だが……もうルーベンス風でも何でもない感じだぞ。

寓意と寓意的説話のコーナー。「マルスとレア・シルウィア」これは「いいだろ」「いやよ」の絵だな。「ヴィーナス、マルスとキューピッド」キューピッドの口に母乳発射。別んとこでも同ような絵を見たが、遠隔母乳って昔の絵の定番なのか? 「ローマの慈愛(キモンとペロ)」鎖につながれて飢えた父親のため、娘が母乳をあげるシーン。これが慈愛なんだそうだが……そうなのか? 娘を持つ親としては、娘の母乳はできれば飲みたくないもんですなあ。「エリクトスを発見するケクロプスの娘」これは珍しくキレイキレイなルネサンス風。これで最後のキメだ。

なんかこう、ごちゃごちゃ書くより、いいから行けよ、という感じ。有無を言わさない。西洋絵画こってりメチャ盛り系、いや海外にゃもっとスゴいのはあるんだが、日本でこのレベルの展示はめったにないんで。四の五の言わずにとにかく行っておけ。
http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2018rubens.html

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2018年10月14日 (日)

フェルメール展(上野の森美術館)

P_20181014_105705_2 どうせ上野の森でしょー。アコギに詰め込めるだけ詰め込んだ上に中は阿鼻叫喚であろうと思ったが、さすがに2500円も取った上に入場時間指定でその事態はマズいと思ったか、いつもの上野の森を覚悟して行ったらマズマズである。混んではいるが殺人的ではない。時間指定の功は奏している。
私が行ったのは9時ちょっと前で、その時点で100人ぐらい並んでたか。9時過ぎると急に増え始めるようで、9時半頃だともう長蛇の列ですな。9時25分頃から入れ始めて、10分ぐらいで入れた。このポジションだと全員フェルメール部屋に直行であろうと思ったが、意外と最初から律儀に見ている人も見かける。

で、いきなりフェルメールルームへ突撃だぜっ。まだかぶりつける。初めて見る「ワイングラス」から、これは窓のステンドグラスが大変美しい。ステンドグラスが美しい柄ってんじゃなくて、その光の描写ってんですかね、こりゃあフェルメール作品の中でも上モノでしょう。見とれちまうぜ。次、「手紙を書く婦人と召使い」これは再会で、最初見た時はえれえキレイな絵だと思ったんですが、はい、キレイですよ。少し遠目で全体の雰囲気を感じた方がいいですかな。「牛乳を注ぐ女」いわゆるミルクメイド。見たのは3回目ぐらいじゃなかろうか。しかし、これはテーブルの上の描写がハンパない。写実だ……って、いや、写実で描ける画家なんて当時でもいくらでもいたでしょうに、やっぱ何かが違う。牛乳の液体っぷり(?)も見事ですなあ。あと全体もいい雰囲気ですね。名画と言われりゃ納得できる。「真珠の首飾りの女」これも再会だと思うんだが、小さめの品でも今回、意外といいな、と思ったのがこれ。この女性の表情が微妙な感じで魅力がある。表情ナンバーワン。あと「マルタとマリアの家のキリスト」これは大きいんだけど、あまりフェルメールらしくない。「リュートを調弦する女」「手紙を書く女」いずれも悪い絵じゃないんだけど、他に比べるとイマイチかな。手紙の方は再会だが、前に、ちょっと顔をボヤッと描いているのは、それは「人間」だからじゃないかとか、思ったりしたもんです。「赤い帽子の女」これはフェルメールなのか分からないって噂もあるようだが、フェルメールのよさって感じじゃないし、人気もあまりないようで、混んでる時でも、この絵にはかぶりつける。で、フェルメール部屋も混んできたので、最初に戻って他を鑑賞。

もちろん人ギッシリであるが、今回ナイスサービスなのは絵の解説冊子がもらえるとこと、遠目で見て、解説を見て、近くで身たけりゃ接近。音声ガイドもくれるが、全部に解説があるわけではないしな。で、最初は肖像画、おなじみフランス・ハルスの絵があるが……普通だな。それよりフェルディナント・ボルって人の「ある男の肖像」この表情はいいですな……と思っていたらこの人、レンブラントの弟子だそうだ。なるほどレンブラントの自画像の名状しがたい表情に似ている。ヤン・デ・ブライの集団肖像画は音声ガイドがあるぞ。

それから神話画と宗教画、ヤン・ファン・ベイレルトの「マタイの召命」音声ガイドでは光と陰のカラバッジョの影響とか言ってたが、カラバッジョっぽくはないぞ。ありゃもっとコントラスト強いし。パウルス・モレールセ「ヴィーナスと鳩」これは婦人が婦人がヴィーナスを演じているんだそうで(胸出してるが)、確かに人間っぽいんだな。わざとこう描いたんならなかなかのもんではないか。パウルス・ボル「キュデッペとアコンティオスの林檎」えー、ギリシャ神話のなんたらで、美少女だそうです。ちょっと微妙だが。それよりここんところがコーナー(角)で導線がハナハダ悪い。斬首の絵とかあったりして、次が風景画エリアなんだが、細い通路(中央は人が通るのであけて下さいとアナウンスが飛ぶ)だの、行き止まりの細い展示空間だの、上野の森美術館のクソッタレな導線に悩まされるが、主催者側も一応分かっているようで、細い展示空間には船とか建物とかどーでもいい……いやまあどーでもいいくもないんだろうけど、回転が早そうなヤツばかりで、別に見なくても大丈夫。次も静物画で魚とか死んだほ乳類とか、これもまあよく出くわすヤツラですな。

日々の生活:風俗画のエリア。まあフェルメールも風俗画なんで、ここはなかなか楽しめる。ユーディト・レイステル「陽気な酒飲み」なかなかだがもうちょっと飲んでほしいな。飲みが足りねえ。ヘラルト・ダウ「本を読む老女」これがなかなかすごい絵で、本に文字が全部書いてあるんだぜっ。新聞の文字を全部書いちゃうとかの今時の写実にこだわりのある画家が描く写実画みたいじゃん。ニコラス・マース「糸を紡ぐ女」あー、細かく描いているようだがフェルメールの緻密さには及ばんのう。クヴィリング・ファン・ブレーケレンカム「仕立屋の仕事場」これ窓辺だが、フェルメールと比べるとやぱし陰が弱い。ハブリエル・メツー「手紙を読む女」「手紙を書く男」対になっている作品。構図がフェルメールとよく似ているし、壁に絵とか貼ってあるのも同じ。でもフェルメールより魅力がない。やっぱり陰が弱いんだよね。でも一つ一つのものを見ていくと、バッチリ描いてあったりするもんで、こういう写実的な描写力ってのはフェルメールじゃなくても十分持っていたわけだ。あとは全体の印象の差か。そして風俗画といえばこの人、ヤン・ステーン。いつもいつもフェルメール展で抱き合わせみたいに持ってこられるもんで、知名度もなかなか上がらず気の毒だが、寓意に満ちたなかなかいい画家なんですよ。「家族の肖像」もうズバリ、ドキュンの子はドキュン、という絵である。「楽しい里帰り」も人間のヨレヨレっぷりがいいだろ。ヤン・ステーンは、それだけで展覧会やってもおかしくはないと思うんだが、いかんせん知名度が低い。惜しい。

それでフェルメール部屋に戻る。さすがに人が溜まってて近づくのは難しいが、待てばできなくはなさそうだ。あと今回は単眼鏡がフル活躍。2列目3列目でも単眼鏡を使えば十分鑑賞はできる。
あと音声ガイドの最後のところで、「フェルメールは今のSNSみたいなもの」などと言ってたが、何を言ってやがる石原さとみ~(別に石原の意見ではないだろうが)。

会場を出たのは次の時間帯の直前のなのだが、なんとまあまた長蛇の列。でも、次の時間帯トップで入ってもすいているのは最初のところだけで、フェルメール部屋は結局混んでいる。単に入場の時間を指定しているだけで、時間入れ替え制ではないのだよ(入れ替え制と思っている人がおるのか?)。指定時間前に来てがんばって並んで意味があるのは一番最初の時間帯、会場にだれもいない9時半だけである。もし他の時間帯の場合、指定時間前に並んでもあまり意味はない。入場指定時間1時間後だと入るのも時間はかからないんで、そっちの方をおすすめするよ。フェルメール部屋はすいてはいないが、まあ何とかなる。この指定時間制は上野の森にしては上出来なんで、来年のゴッホ展でもやってほしいものだ。
https://www.vermeer.jp/

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2018年10月 9日 (火)

マルセル・デュシャンと日本美術(東京国立博物館)

平成館でやるってんで、あのデカいところ全部でやるのかこりゃ大変だと思ったら、半分なんだな。もう半分は「大報恩寺」……うん、行かない。仏像興味ない。そんなバカなと思うかもしれないがないものはないんです。で、半分だから少ないかというとそうでもなく、ボリューム十分。解説も十分。日本美術とのコラボが一部屋で……もっとあるのかと思った。
デュシャンといえば意識高い系のアート好きがあれこれ言いたがる筆頭。こいつとロスコ好きは始末に負えねえよな。デュシャンをものすごく簡単に言うと「アートはやったもん勝ち」を最初にやったヤツだ(まあ、最初じゃないかもしれないが)。

一番最初にあるのが「自転車の車輪」で、レディメイドの代表作の一つ(一応レプリカ)。既にあるものを組み合わせて作品にしちゃうのがレディメイド。椅子の上に車輪をくっつけて、はいこれがアート作品じゃ。組み合わせるならまだましで、有名な「泉」は便器を横にして適当にサイン入れて、「泉」ってタイトル付けて、はい作品じゃ。さらにひどいのがあって、瓶を差して乾燥する器具を「瓶乾燥器」というそのままのタイトルで「作品」として「出しちゃう」。形が何となく面白いし、それっぽく見えるので、「あり」なんです。これらを「芸術とはいかなるものか」みたいな観点で小難しく語るアートの達人みたいなのが山のようにいるのだが、我々シモジモは面白がっていればよいと思います。で、「自転車の車輪」ですが、何か回したいですよね(意識低い系)。

それからはまあ年代順で、最初に写真(作品ではない)があって、若い頃描いた絵がある。「ブランヴィルの教会」は15歳。まずまず。「ブランヴィルの庭と礼拝堂」これも15歳だが、なんと印象派をバッチリキメているではないか。「芸術家の父親の肖像」23歳。これがまあ、ルオーかセザンヌかってぐらいの風格を持っている。このあたりでもう「ただものではない」感じが出てきているな。「デュムシェル博士の肖像」は彫りの深いってんですかね、顔が特徴。シャガールのちょっと不気味な人物に似てるかな。ここからさらにキュビズムに手を出し始めるが、明らかに独自性を出して迫ってくる。母と姉妹を描いた「ソナタ」はキュビズムだけど、ちょっとホワッとした感じで、ピカソやブラックのとはずいぶん違う。「ぼろぼろにちぎれたイヴォンヌとマグドレーヌ」これはパーツを適当にレイアウトしているが……シュールでイケるじゃん。1911年作品だって。シュールレアリズムが出る前のはずだがずいぶん先駆けてね? 「肖像(デュルシネア)」これも独自性の高いキュビズム。女性の描写にこだわりが見える。エロチックな要素にも興味を持っていたんで、対象を造形物としてぶっ壊しまくる、なんてことはしなかったようですね。このキュビズムはさらに発展。「階段を降りる裸体 No.2」いやもうキレッキレですな。何描いてあるんだか分からないぐらいなんだが、未来派的な運動の表現だよね。メカニックな印象もある……がしかしメカではなくてあくまで女性なんだって。その次のところにある「花嫁」というのも相当なシロモノで、花嫁の臓器(!)を表現したらしいんだけど、ほとんど超現実絵画みたいになっている。これでもう来るところまで来ちゃった、みたいな感じだ。

1912年、デュシャンは絵をやめてしまった。いよいよレディメイドが生まれてくる。「チョコレート磨砕器」なんて絵が一応あるが、これは大作「大ガラス」のもとである。「大ガラス」こと「彼女の独裁者たちによって裸にされた花嫁、さえも(大ガラス)東京版」大作だが一応複製。デカいガラス板になにやら描いてある。先の「花嫁」と「チョコレート磨砕器」その他。大きいもんで見応えがあり、レディメイドみたいなインパクトよりは普通にアート作品っぽい。それから例の「瓶乾燥器」がある。いや、彫刻作品として見れなくないところがミソですかね。あと手紙の作品があるが、そこの解説読んでくれ。そしてオリジナル「泉」の写真があって、レプリカがある……いや、ちょっと待てよ、なんか違うぞ。便器の形が写真と違うではないか。線が入ってないし、穴の数も違う。要するに印象がずいぶん違うのだ。レプリカとしてデュシャンが作ったのか? でもオリジナルと違うのをレプリカと言っていいのかね。これだと板橋区立美術館の、「泉」のオリジナルと同じ便器で用を足せるやつの方が面白いが。あー、あれ男子トイレだよね。しかも今改装中だよな。「秘めた音で」もレディメイド。板で挟んだ麻紐の筒の中に何か入ってて振ると音が出るとか。

次はローズ・セラヴィのコーナー。まあ自分の中に持ってるアニマ(女性人格)を意識して芸術作品上に持ってきたとか。いやそれよりここには、「『391』第12号」がある。例のモナリザに髭を描いて、何か卑猥なものを暗示させる文字(L.H.O.O.Q)を書いた。「ダダイズム」と呼ばれる芸術活動の一種とされる……が、まあ「言ったもん勝ち、やったもん勝ち」の一つだよね。ローズ・セラヴィとして女装した写真があるが、それ以上でも以下でもないと思う。この頃、チェスのプレーヤーとして活動してて、なんとプロ契約までしちゃってるんだって。その写真とか、壁掛け式のチェスの駒とか出ている。それから円盤に模様描いてぐるぐる回して楽しむヤツがある。「ロトレリーフ」と言うらしいが……何か小難しい解説があったようだが忘れた。それから自分の作品をまとめて持ち運べるトランクが展示。ま、これも有名ですな。「大ガラス」のミニチュアとかが入ってるんだぜ。あとはケースに雑誌などが置いてあって、解説が……ケースの向こうで視力弱くて見えません。単眼鏡忘れた(あっても面倒だから多分読まない)。

晩年デュシャンはほとんど活動を終えて何もしていないと思われていたが、実は密かに最後の大作を作っていた、という話。うむ、これは初めて聞く。「《遺作》欲望の女」コーナー。まずは晩年の写真がいろいろ。あと最後の作品の映像があって、それを先に見た方が分かりやすい。風格のあるドアの向こうを、二つの穴から覗くようにしている作品で。その作品たるや「意識高い系秘宝館」みたいなものです。まず「覗く」という行為のヤバさと、その向こうに期待通りというかなんというかのエロティックをベースにした作品を作っちゃったもんでな。それでもデュシャン、いや、だからこそデュシャン。最後まで気分は「L.H.O.O.Q」だぜっ。

そして「第2部」として日本美術とのコラボで一部屋。がしかし……「400年前のレディメイド」として手作り長次郎の茶碗とか、竹を切った伝利休の花入れとか出ている。曰くそこらにあるものに価値を見出すとかなんだが……ちょっと強引な印象を受けるぞ。レディメイドとは違くね? 他にも写楽の浮世絵とか出ていて、それはそれでいいんだけど、デュシャンが肖像が似ている必要はないと言ったとかなんだが……写楽ってむしろ「あまりに真を描かんとて」という、あ、まあ似顔絵か。でもなんかこれも違う感じがするなあ。他にも時間の進み方やオリジナルとコピー、書という芸術ということで、デュシャンのやり方と対比させているのだが、なんか最初でつまづいたんでイマイチテンションが上がらず。ただ、江戸浮世絵の遊び心と、デュシャンのやり方は似てる感じもするな。レディメイドでは浮世絵に「見立て絵」ってのがある。実際にある物を何かに見立てる、鈴木春信の「座敷八景」とか有名なんですけど、この方がレディメイドっぽくない? まあ絵だけどな。
なんでわざわざ日本美術との比較を持ってきたのか? もしかしてデュシャンだけだと客の入りが悪いんじゃねーかと思ったりしてたりしてたんじゃないかな、とか思ったりした。いや、でも国立博物館所蔵の名品が見れるということでは、非常にいいと思うぞ。

デュシャンの活動全般が分かって、日本美術名品のおまけがついて、お値段がなんと1200円と、この内容にしてはリーズナブルだお。「大報恩寺展」とセットならさらにお得だ。おすすめできる。
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1915

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2018年10月 7日 (日)

カール・ラーション(損保ジャパン日本興亜美術館)

十九世紀から二十世紀あたりのスウェーデンの画家である。そんで「スウェーデンの暮らしを芸術に変えた画家」だそうです。近頃日本は女性差別が酷くて、北欧こそ理想だみたいなこと言ってるのが少なくないもんで、じゃあスウェーデンの暮らしってどんなんだ、とか思って行ったんだけど、考えてみりゃあ十九世紀じゃあ、あっちでもそう変わらんのですな。まあそれはあとで分かる。

スウェーデンの国民的画家だっつっても、こっちにゃなじみがないもんで、そのためか最初に画業の紹介。普通あとでやるもんだけど、最初に使ってた絵筆とかスモックとか出しちゃう。そのコーナーに絵は一つで「《冬至の生贄》のための男性モデル」なんかタイトルがスゲエが、国民のために王様が自ら生贄になったってイイ話だそうで。しかし裸体ですが、体の模様はタトゥーか? まあ悪くない絵ですよ。 

それから「絵画・前期」ってコーナー。パリに留学してアカデミック学んでたってさ。水彩に凝っていて、「モンクール風景」ってのがにじみを生かした作品。ちょっと暗いけどね。「野イバラの花」が普通にうまい。「あしたはクリスマス・イヴ」これはなかなか面白い。ドアの外でワクワクする子供達の絵で。ノーマン・ロックウェルみたいな温かいセンスに満ちていますな。ロックウェルよりも写実っぽいのも新鮮だぞ。「おやすみなさい」も暗い中に灯る光がいい感じだ。日常ではない、非日常も描けるじゃんと思った。

「絵画・後期」のコーナー。カーリンという女性と結婚して、パリを離れて祖国の「リッラ・ヒュットネース」という家に引っ込み、絵画は家族が中心になったりする。子供が8人だってお(一人は3ヶ月で亡くなったそうだが)。子沢山のまさに理想の家庭。「母と娘」では人物よりも、彫刻が施された壁とか、そういうセンスに満ちた家の様子を伺い知ることができる。絵として守りに入っているのかと思うとそうでもなく、「絵葉書を描くモデル」では絵葉書を描いているのが裸婦であって非日常感も捨ててないと見たじょ。「庭のモチーフ」も幻想絵画っぽいし、結構象徴派みたいなことができるんじゃないかと思ったりするのです。

それをさらに思ったのが次のコーナー「挿し絵の仕事」こういうのもちゃんとこなしていたのですが、実はここが結構イイ……というか私好みの象徴派的非日常世界。モノクロの絵画「『森の中の城』エコーの城」ちょっと神秘的な城の雰囲気が出てるであろう。「『エジプトの土地から来た異邦人』踊り」女性が踊っているのだが、結構なまめかしい感じがする。いいじゃん。「『出発』孤独なアシム」のシルエット風の人物。象徴派的ですな。「小川のほとりのエーランドとシンゴアッラ」もロマンティックな雰囲気。どれも「スウェーデンの家庭」じゃない(当たり前だ)が、家庭を描いた絵画ではできないことをこういうところで思いっきりやってる感じがする、というか、本来ラーションって人はこういう路線の方が得意なんじゃなかろうかと思う次第である。エヴァレット・ミレイみたいな感じでな。

「版画~家族の肖像」ここでは家族がモデル。全般的に手堅く温かく家族を描いているが、最初の自画像(非常に小さい)だけはムンクのような不安感いっぱいで描かれている。実はこれが実体で、明るい家族は幻想じゃないかって気もしてくるぞ。でも家族の絵はやはりよくできていて「チェシュティのお客様」って絵の女の子二人なんて万人ウケしそうですな。

「ジャポニズム」のコーナー。実はラーションは日本美術、特に浮世絵なんかに魅力を感じていて、そのエッセンスを取り入れた。ポスターにもなっている「アザレアの花」は手前に花を大きく描いたもので、日本の浮世絵の影響だそうだ……まあ広重ですね。やったぜ世界の広重。あと、所有していた国貞の浮世絵を2つ展示。で、ここまでが展示の前半。では後半は何か?

後半は「ラーション家の暮らしとリッラ・ヒュットネース」ということで、この家でいかに暮らしていたか……もっと言いますと、妻のカーリンが家で何をしていたか。そう、カーリンはこの家で使うテキスタイルのデザインなんかをやっていて、それをラーションが家族像を含めた絵画にして発信したもので、スウェーデンの理想家庭みたいになっていったのだ。がしかし、カーリンもかつて絵を描いていて、結婚を期にやめてしまったのです。それで家の中のことに集中した。このあたりが、男女平等の北欧でも、まだ19世紀的感覚なんだそうで、ラーションにしてもカーリンを家の中にいる天使のごとく崇めてはいたが、カーリン自身を独立したアーティストとは思っていたかったとのこと。うーん、しかしそうであるなら、今や21世紀なんだし展覧会のタイトルを「カール・ラーション&カーリン」ってな感じにした方がいいではなかろうか。
展示はリッラ・ヒュットネースの部屋構成から始まって、テーブルセットやら椅子やらカーリンがデザインした花台複製)やらの家具が展示される。絵画はパネル紹介だったりするもんで、本物はほとんどなし。ラーションが家を描いた画集が並んでいるが中は見えない。ここの主役はカーリンで、カーリンがデザインした「『ユール(クリスマス)』誌表紙」のチューリップの模様がイカす。テーブルクロスのデザインもよし。家紋風のテーブルクロス、アメリカンテイストなブランケットも面白い。いずれも複製だが。「クッション(ひまわり)」も四隅にひまわりがデザインされていていいですな。傑作としては「タペストリー(四大要素)」ちょっと抽象画風で意味を象徴するデザイン。このあたりはやはりアーティストと言ってもいいでしょう。

最後に椅子やテーブルなんかも置いてあるリッラヒュットネースの一角の再現があって「フォトスポット」になっている。みんなで展覧会を盛り上げよう、となっているが、中に入れないんだよなあ。椅子に座らせてくれりゃあ面白いのに。でも来てる人は結構写真撮ってましたな。

ラーション絵画がメインというより、夫妻の生活スタイルを含めたところを感じ取るとよいのでは。また、私的には、家庭の絵画では収まりきれないラーションを感じたのが面白かったねえ。
https://www.sjnk-museum.org/program/current/5469.html

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2018年9月29日 (土)

ピエール・ボナール展(国立新美術館)

これから秋の大美術展ラッシュなんですけど、その手始めっちゅーか、そんなんで行ってきたのです。いや、ボナールって私はそんなに好みじゃないんだよね。でも行かないわけにもいかん画家である。

入るといきなり空間が広い。まずは「日本かぶれのナビ」というコーナー。ゴーギャンを師とするナビ派の中でもボナールはとりわけ日本好きだったそうで。そんな日本の、特に浮世絵のエッセンスを取り込んだ作品を多く描いている。「アンドレ・ボナール嬢の肖像」妹だってお。縦長の構図は掛け軸か、あるいは浮世絵の大判縦二枚摺か。赤いスカートは明治の赤絵かってとこですな。「砂遊びをする子供」これはモロに掛け軸風ですな。色も日本画っぽい地味な感じ。「白い猫」これが妙な猫でな、足が長くて首がないのじゃ。「乳母たちの散歩、辻馬車の列」は屏風風なんだけど、結構いいセンいってるじゃん。日本画の空間の取り方がちゃんとできている感じだぞ。これ見ると、ゴッホより日本美術消化してんじゃね? ゴッホはがんばって浮世絵の模写なんかしたんだけど、自分の描く絵は日本風というより、あくまでゴッホだったからねえ。「庭の女性たち」四枚組。ボナールの美人画としてみていいんじゃなかろうか。服の格子模様が平面的で、これが浮世絵版画風というわけです。装飾感にあふれておる。「「黄昏(クロッケーの試合)」も格子ドレス縦横ですな。それから小品が続き、「男と女」これはボナール(つまり自分)と恋人のマルトらしいが、裸じゃねーか。コトのあとか。絵を見るとあんまり明るい感じじゃないし、男女の間についたてなんかあって、あんまりうまくいってねーって感じがするが、この二人はいずれ結婚するのです。「ブルジョア家庭の午後あるいはテラス一家」一見普通のように見えるが何となく普通でない人々の絵。いや、面白いんだがなあ。この手だとどうしてもバルテュスを思い出しちゃうなあ。ヤツは強力だったからなあ。

それから「ナビ派時代のグラフィックアート」だそうで、ポスターとか。「百人展」の筆でササッと描いた感じなんて、これも日本画風かな。あと「ユビュおやじ」ものの本があるが……あれ、これってルオーがやってなかったっけ? 調べたらやっぱりルオーのが有名。でも当時一世を風靡した戯曲なもんで、別に誰がやってもいいわけだ。ただ、表紙だけで中身が見えんのだが。

「スナップショット」コーナー……って写真じゃん。写真なんか使ってスペース埋めやがって、とか思ったりしたが、なんとマルトのヌードいっぱい。これは後に描く数々の、有名な裸婦像のネタとなったようで、ボナールの裸婦像を知っている向きには、これらの写真はちょっと面白い。いや、だいぶ面白いな。ボナールの裸婦画がモノクロ写真になったみたいでな。実際は逆なわけだ。

それから「近代の水の精(ナイアス)たち」てことで、ここでおなじみ裸婦画がダダダっと……七つぐらいかな。「浴室の裸婦」は定番テーマ。「浴盤にしゃがむ裸婦」はなんとさっき見た写真が元ネタじゃん。がしかし、絵の方は写真を撮った約十年後に描いてんだって。つまり絵を描く時に、十年前のマルトのヌード写真を見ながら描いてた…………なんだかなあ、どう思いますぅ? 裸婦を描きたいからって十年前のカノジョの写真持ってきちゃって。じゃあ今のあたしはナンナノヨ、今のあたしじゃダメなのか? となりませんかね。こういう容赦ないところが芸術家じゃん。次の「靴をはく若い女」は裸婦だけで色合いも一番普通の感じの絵。他にも「バラ色の裸婦、陰になった頭部」なんてのもあるが、どうも見たところ……そそられませんな。なんでだ? 単にモデルを造形のモチーフとしてしか見ていないのか? それにしては冷たい感じはしないな。思うに、要はそれを描きたかったのでは? 肉体という温かくて、うねうね動いているものに大変興味があったと。だから写真を撮る時も動いてオッケーだったのでは(適当な解釈)。あと自画像が一つ「ボクサー(芸術家の肖像)」顔が赤くてヤバい雰囲気だ。

「室内と静物」コーナー。華やかなロココ時代において一人渋い静物を描いたシャルダンを尊敬している……のでシャルダン風の絵もある。「果物、赤い調和」とか。「猫と女性 あるいは 餌をねだる猫」は、ポスターにもなっているがボナールにしては落ちついた雰囲気の絵だな。「バラ色のローブを着た女」はいい感じの逆光。「テーブルの片隅」という絵が白い。平面っぽい絵だけど、平面的な印象を受けるし、こうなると抽象画モードの鑑賞もイケる。「(何が描いてあるか)考えるな、感じるんだ!」ってやつね。こういう場合は諸君、何が描いてあるか、あえて分かろうとしないことが肝心だお。

「ノルマンディーやその他の風景」のコーナー。ノルマンディーに行くようなりました。やがてコート・ダ・ジュールあたりのル・カネってところに住んじゃいます。ここでは大作「ボート遊び」がよいですな。やはり大きいと迫力が違う。風景だけじゃなくて人物が描いてあるってのがいいですな。自分がその人物になったように思うと、ボナールの風景の中にいるような気分になるようなならないようなで。

最後「終わりなき夏」ここも風景の大作ぞろい。「水の戯れ あるいは 旅」と「歓び」の2つは渋い色使いだが、依頼品で食堂用なんだって。なるほど。あとちょい神話的な画面が面白い。「にぎやかな風景」や「夏」いずれもボナールの色彩世界の下に人々がいて、何となくいい気分だぜっ。そして遺作「花咲くアーモンドの木」は、やはり遺作だけあって最後の力を振り絞ってなんとか絵になっている感じのもの。なんか府中で見たデルヴォーの最後の作品を思い出しちゃったな。

ボナールってどんな絵描いてたのってのが、一通り見れる。スペースにも結構余裕がありますな。この先混むのかな。そういえばJOJOの原画展もやってて、そっちは時間予約制のようで列をなしていたが。
http://bonnard2018.exhn.jp/

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2018年9月24日 (月)

横山崋山(東京ステーションギャラリー)

こないたここの、いわさきちひろの展示に行き、次は横山崋山だそうで……って誰? 知らんから別にいいや~とか思っていたが、なんか凄いらしいんで、行ってみたらやっぱり凄いっていうか、これは今後混み始めるかもしれないぞ。江戸時代後期に活躍した京都の画家だお。

まず9歳の時の絵がある「牛若弁慶図」なかなかうまい。いやウメエよ。何しろ橋の円柱がね、実に自然ということは、ちゃんと物の形の認識と平面への展開ができているのだ。これ昔はなかなか難しいもんだ。その能力は水墨にも発揮され……いや、描いてるんだよ水墨画を。「四季山水図」では岩がどんな形状をしているのかちゃんと分かるではないか。あと建物がちゃんと立体感亜あるぞ……ってこれ簫白の模写? ええと、横山さんちはあの曾我簫白と交流があったそうで、そおっ、あのっ、簫白。簫白の模写なんかもしていてそれが簫白と並んででている。「蝦蟇仙人図」。比較すると、簫白のは例のちょっとキツい顔の人物と太ったガマ。崋山のは若干マイルドで、割と普通のガマです。でも見たところ、どっちもそんなに差がない。これはなかなか凄いことではないか。あと簫白風の「寒山拾得図」なんかもあり、風味(?)がちゃんと生きている。

人物画も割と得意としてたそうで、七福神の絵が並ぶ。いやぁ、「寿老人図」「布袋図」顔が実に福福しいですなあ。「大黒天図」これは人物よりも俵が妙に立体的。そう、西洋風陰影も使えるんだよこの人。「西王母図」おお、なかなか美人を描くではないか。しかし「諾矩羅尊者図」(誰?)は凄い。これも人物じゃなくて龍の部分、水墨の陰影が非常リアルだ。西洋画っぽいが、ただ雰囲気を真似したってだけじゃなさそうだぞ。これはマジでヤバい。しかし、さらにスゲエのがある。「唐子図屏風」金地に子供達が何人も生き生きと遊んでおる。この子供達、表情がパワフルで。簫白風のメリハリのある顔というんでしょうかね、あれが子供のパワーにつながってうまいこと生きている。こりゃもう江戸のセンスじゃなくて、明治あたりのコドモノクニとかそんな感じだ。しかもそれが金地だぜ。「張飛図」も西洋風陰影の馬がなかなか。

花鳥のコーナーになり、崋山は虎の絵を得意とした岸駒(がんく)って人の弟子だったそうだ。なもんで、虎がいくつか。「雪中烏図」は、暁斎のにも似てる渋い存在感のあるカラスだ。「桃錦雉、蕣花猫図」(ムクゲ?)の猫もちょっと日本画離れした雰囲気を持っている。「日の出・波に鶴図」は横山大観とかが描きそうな感じだが、江戸時代にもうこういうキメの画題があったわけか。あとはおなじみ「三猿図」とか席画のガマとかあるよ。

風俗画のコーナー。風俗画も得意だったそうだ……って何でもイケるんじゃん。「四季漫画風俗絵図」実に楽しそうだし、何たって北斎漫画も驚きの人物スケッチ。しかもこっちはカラーだぞ。デキる。描けるぞ横山崋山。階段を下りて「花見図」これは浮世絵風の美人揃い。でも顔は京風ですな。「百鬼夜行図」これは戯画っぽい。「紅花屏風」紅餅を作る行程を屏風に。例の見下ろす構図な。北斎漫画風人物いろいろな状態が面白い。

そしてクライマックスが祇園祭を全部描く図巻「祇園祭礼図巻」だ。上下巻あわせて全長30メートルだって。町の様子から始まって、「山鉾」が次々と描かれる。いろんな場面や風景が立体で作られているもので、「山」はみこしだな。結構デカいけど。「鉾」は車輪がついた山車ですな。一つ一つ全部描いてる。鉾については、上の部分を見せて車輪はトリミングという場合も多々あるが……うーん、無駄なようだけど車輪ついてた方が気分出るな。後半になるとみこしの人々やら行列の人々も描かれて、これがもうかなりの人数。群衆じゃん。崋山晩年の超大作だ。

あとは山水画。京都を鳥瞰で描いた「花洛一覧図」が出世作らしい。このコーナーについては、そんなに極端なものはないようだ。富士山はあるけど。

解説によると、横山崋山、江戸時代はもちろん大正ぐらいまでは結構知名度があったようだ。それから日本画の研究と分類は進んだものの、様々な画風の横山崋山をどこに入れようか分からなくなってしまい、そのまま忘れられてしまった説。今回あらためて日の目を見たというわけです。簫白が好きなら、北斎漫画が好きなら、ぜひ行くべし。前期と後期で入れ替えがあるっぽい。
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201809_kazan.html

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2018年9月22日 (土)

2018年のフランケンシュタイン バイオアートに見る芸術と科学と社会のいま(EYE OF GYRE)

表参道にあるGYREという建物にある展示スペース。無料です。写真も撮れます。しかしここがまた、1階にシャネルがあるようなこじゃれた建物で、ブクロ(池袋)が一番居心地がいいなんちゅー私なんぞはてんで落ちつかない。見てる間もファッションもキマった意識高い系カップルが入ってきたりして、軽く英文読んでたりして、なんかもう人種が違うじゃん。

しかし展示は実際のところ結構面白いんです。近頃のバイオテクノロジーをテーマにしたアートで、社会問題もちょっと入っている。最初何の解説も無くて(しかも英語まんまが多い)、意味分かんねーよ意識高い系以外来るなってことかよとか思ったが、解説の紙がちゃんとあった。今回の展示物は感性だけで見るもんじゃなくて、情報も加味しないと意図が分からないぞ。

3コーナーに分かれていて、第1章は「蘇生」。テクノロジーで死者あるいは死んだ何かを蘇らせる。ティナ・ゴヤンクによる一見革でできたカバンだのジャケットだのがある。さて何か? なんと人の皮膚を幹細胞技術で再生し……って培養か? 要は増やしたんだが、それで作ったというのだ。うぎゃああ……一応ここにあるのはフェイクらしいが、実際にやろうともしているらしいぞ。次に平野真美。ユニコーンが横たわっていて、なにやら生命維持装置っぽいもんが付いていて内蔵を見せて蘇生の最中。うぎゃああ……うーん、ちょっと作り物っぽさが目立つな。特に内蔵とか。もちっと本物そっくりにもできたんじゃないだろうか。それからディムット・ストレーブのゴッホの耳の再生プロジェクト。生きていて、音に反応するらしいが……本物が置いてあるわけじゃなくて写真と映像だけ。しかも映像は英語で字幕も無くてよく分からない。表参道ヤングにはどってことないかもしれないが、オレは英語なんぞ聞いても分からぬ。

第2章「人新世」。人間が出てきて地質を荒らし回ったので、地質年代も変えちゃえってのが「人新世」なんだって。展示はロバート・スミッソンの、ドラム缶の中の工業用接着剤を倒して流れ出したところ、の写真。衝撃の自然破壊の象徴よ。でも写真だけじゃイマイチだな。マーク・ダイオンのタール漬けになった鳥の彫刻。ええと、これは分かりやすい。AKI INOMATA「やどかりに「やど」をわたしてみる」これも面白さは分かる。水槽があって、ヤドカリがいる。ここで、ヤドとして提供するのは3Dプリンタで出した透明のプラスチックの貝殻。おお、透明なんで中が見えるぞ。面白い。本田沙映、一見きれいな石ころ。でも実はそこらのビニールやプラスチックを高温で溶かして混ぜて固めたもの。材料の説明が面白い。どこそこのビニールとか、何々のプラスチックとか。一つずつ解説が入っているぞ。

第3章「生政治」。ここもそれぞれテーマがある展示。ヘザー・デューイ・ハグボーグは、リアルな人形の顔が3つ。何か? その下に箱がある。どこそこで取れたガムの残り、たばこの吸い殻、とか、要はそこからDNAを採集し、情報を読みとって顔を再現させたんだってお。おおおおお。もちろんフェイクだとは思うがそんな時代はすぐそこだ。最後、BCL「DNAブラックリストプリンター」。プリンタが文字を出している。何か? これなんと、合成禁止となっているDNAだって。それらをサクッと出しちゃうって怖いじゃないかって話。
関係あるかどうか分からないが、例の障害者殺害事件で、今また再び優生思想が問題化しているのだが、いかなる状態であれ、人として生きている命を殺さない、なんてことは当たり前だし、ほとんど人は同意できるはずだ。がしかし、優生思想の主戦場はもはや出生前だ。疾患を持った胎児は、胚は、DNAは、生むか生まないか、それは命の選別なのかそうでないのか、どこからが命か、は人それぞれで簡単に結論も出ない。受精前、受精後、胚、胎児の何週間、新生児、さて君はどこに線を引く? それはグレーゾーンでの戦いなのだ。

企画のコンセプトは面白い。あとは、がんばってここに足を運んでくれ。
https://gyre-omotesando.com/artandgallery/bioart/

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