2018年5月21日 (月)

「ターナー 風景の詩」(損保ジャパン日本興亜美術館)

言わずと知れたターナーの風景画だらけの企画。すごくないわけがない……と言いたいが、ま、それはあとで分かってくる。
コーナー別になっていて、コーナーがそれぞれ年代順になっている感じかな。
 
最初は「地域的風景画」これ何かって言うと、絵から場所がちゃんと分かるものってことらしい。浮世絵の名所絵みたいなもんかな。最初に出ているのは「マームズベリー修道院」。19歳……にして既にデキあがっている! 朽ちた建築物の感じまでちゃんと出てる。むう天才じゃん。とはいえ、私なぞが驚嘆する半分抽象画につっこんだ「あの」ターナーではない。「ソマーヒル、トンブリッジ」がデカい。ちょいブワッとしている。水面グッド。水彩が多いが、版画も多くて「メゾティント」という技法が冴える。これで筆で塗った濃淡みたいなのを表現できるのだ。どういう技法かは解説を読めい。イギリスの、よく知らん風景ばかりだったが、「ストーンヘンジ、ウィルトシャー」おお、あのストーンヘンジぢゃないか。それにしても雷が描いてあり、雷に打たれて倒れている人、なんてのも描いてある。変な絵でもある。
 
次は「海景」のコーナー。いよいよ本領という感じですな。「インヴェラレイ城の見えるファイン湾」これは空がそれっぽい……とメモしてあるが忘れた。「風下側の海辺にいる漁師たち、時化模様」これはなかなか傑作。人間が太刀打ちできない自然を描いたとか、なんだけど、まず波の表現すげえ。リアルだ。クールベさんに通じるものがある。しかし思うにクールベさんの絵は、人間にとって得体の知れない自然、という点でなんちゅーか自然の凄みみたいなもの(人間の視点から)を感じるが、ターナーのこれは絵のテーマがそうであってもイメージははっきりしているので、なんか神の視点っぽいですな。うんまあ、どっちもいいよ。「ヘレヴーツリュイスから出航するユトレヒトシティ64号」うむ、デカい絵だ、それに、そろそろ「あの」世界が来そうだぞ。「海と空の習作」キターっ! これはモノクロだが、来ましたよあのターナーの世界が。1925年。50歳。そう、この年齢ぐらいから「あれ」が始まるのだ。「海岸で救難作業をする人々」これも「あれ」だ。空と海の境界もあいまいでヤベエ。「海辺の日没とホウボウ」先の絵もそうだが、水彩でいわさきちひろっぽい。つまりちひろはターナーも参考にしてるんじゃないだろうか。「オステンデ沖の汽船」おおこれぞ! これぞ「あの」ターナー。風景画でありながら、抽象画の感触を持つ。そしてこの時、ターナーの絵は時代を飛び越えて現代アートとしても鑑賞可能となる。私の好きな抽象画家にザオ・ウーキーという人がいますが、このターナーの絵はザオの絵と感触が非常に似ていて、例えばこの絵に、ザオ・ウーキー作、と書いてあっても普通に納得してしまうくらいです。
 
「イタリア-古代への憧れ」というコーナー。まず円形のキャンバスの「キリスト教の黎明(エジプトへの逃避)」晩年風である。「風景タンバリンを持つ女」これも晩年風だが惜しい。ブワブワッとしているのはいいが、何が描いてあるか分かるので印象はイマイチ。そう、ターナーは何が描いてあるのか分からなくなってからが本番だ! あとは何か小さい版画がいっぱい。
 
「山岳 - 新たな風景日を探して」ということで、当時は山岳の絵を描くのは少なかったそうです。でもターナーはやった。「サン・ゴタール山の峠」高所恐怖症にはちょっと厳しい絵だ。これもコーナーの晩年のあたりに注目「古都ブレゲンツの眺め」うむ、「ルツェルン窓越しに見えるピラトゥス山」これはギリギリの感じ、とメモってあるがどんなんだったかな。あとは常設展示でおしまいなのだ。
 
ほとんどが普通の、うまい風景画であるが、その中に「あの」時空を飛び越えてくるターナーがいるのが嬉しいじゃないか。
https://turner2018.com/
 

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2018年5月12日 (土)

プーシキン美術館展(東京都美術館)

「旅するフランス風景画」とのことで、あんまし期待していなかったがナカナカといったところだ。うん、悪くないよ。
 
年代順で、まず「近代風景画の源流」ってことで、最初にガスパール・デュゲって人の「ラティウムの小さな町」うっ……なんかショボいんで先行き嫌な予感がするが、次がおなじみクロード・ロラン「エウロペの掠奪」得意の大画面でまずまずのもん。人物というかここでは事件が小さく描かれ、景色を雄大にってやつだね。さすが理想風景画家。近いところの他の絵も概ねそんなもの。ジャン=バティスト・マルタン「ナミュール包囲戦」なんてのは史実が分からんと、イマイチよく分からない。純粋な風景画ってわけではないのでな。えー次、ジャン=バティスト・フランソワ・バテル「五月祭」。これがフェト・ギャラットいわゆる雅宴画。つまり18世紀フランスのロココ時代のゆるゆる貴族絵画なんだけど、この絵はイマイチ(というか思い出せん)。次のニコラ・ラングレ「森のはずれの集い」。これもさっきよりはいいが……うーん、雅宴画たるもの、もっとさー「貴族でーす」「バカでーす」って感じにしてほしいよなあ。次のジャック・ド・ラジュー「狩猟後の休息」これはなかなかいい雅宴画。おバカではないが、大きめの絵だし、なんたってブランコ。そうそうこれこれ。ブランコがあると雅宴気分がググッと増しますな。それからロココのブーシェが珍しく「農場」なんていう農家の絵なんか描いちゃって……意外とウマい。さすが名が知れてるだけあるな。クロード=ジョゼフ・ヴェルネ「日の出」と「日没」対になっている。どっちもオレンジに染まっていてなかなかだ。あとはユベール・ロベールって人、「廃墟のロベール」って呼ばれてたんだと。だから廃墟の絵な。ニコラ・アントワーヌ・トーネー「アルカディアの牧人たち」デカい絵だ……がまあ普通だ。
 
「自然への賛美」ってコーナー。おなじみカミーユ・コロー「嵐、パ=ド=カレ」は……灰色基調で小さいな。次もコロー「夕暮れ」おお、こっちの方がコローらしい。夕焼けに映える木の細かいシルエットだお。ジュール・コワニエ/ジャックレ・レイモン・ブラスカット「牛のいる風景」おお写実だ。牛がきっちり描いてある。うまいじゃん。クールベさんの「水車小屋」描き方がラフで、原色でない印象派のような作品。うん、やっぱりクールベさんは時代を先取りしてるじゃん。同じクールベさんの「山の小屋」というのもで出ていて、こっちは晩年の代表作なんて書いてはあるが、ちと小品だし普通ですな。
 
「大都市パリの風景画」コーナーだお。いきなりルノワールの「庭にて、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの木陰」。例の有名なデカいヤツ……の一部っぽい感じで、実際一部を独立した絵にしたんじゃねーかって思う次第である。ジャン・フランソワ・ラファエリ「サン=ミシェル大通り」は雨上がりのパリの雰囲気よし。エドゥアール=レオン=コルテスの「夜のパリ」も雰囲気もので、ま、このコーナーは絵がどうこうよりもパリの雰囲気を楽しんでくれい、というものですかな。アルベール・マルケ「パリのサン=ミシェル橋」ん、どこかで見たぞ。練馬区立美術館のパリ企画だったかな。平面的でなんとなく覚えている。マルケはもう1枚あるぞ。ルイジ・ロワール「パリ環状鉄道の煙」はデカい。タイトル通り、煙漂う画面だす。いや、悪くないよ。
 
「パリ近郊 - 身近な自然へのまなざし」ってことで、まずはある1枚の絵が解説パネル充実の特別展示。うむ、これが目玉かな。クロード・モネ「草上の昼食」。公園かどこかで紳士淑女がランチ食ってるところ。同じタイトルの、マネの大変有名な絵があるのだ。なぜに有名かというと女が一人裸なもんで、当時はスキャンダル画だった。これにインスパイアされてマネのまねをした……だけじゃなくて、他にも同じようなテーマの絵とか、あるいはロココの雅宴画とかにも影響されて描いたのがモネのコレだ。……が、見た限りではあまりモネ向きの画題ではないと思うぞ。モネはバリバリの印象派で、屋外風景には向いているが、人物にゃイマイチ感が漂う。これは、アレだ、アレに似ている。尾形光琳が俵屋宗達にインスパイアされた「風神雷神図」まあ、あれはまんま劣化コピーで(というか不得手なんだと思う)これとは違うんだけど、自分なりにオリジナルを消化してがんばって描いたってことでは似たようなもんではなかろうか。モネは他にも何点かあり「白い睡蓮」が、例のモネに庭の橋の絵で定番なんで安心して見ていられる、あとは印象派、シスレー3作を手堅く展示。ピサロもあるがイマイチ、セザンヌ「ポントワーズの道」も普通だな。マティスの「ブーローニュの森」はちょいフォーヴ。モーリス・ド・ヴラマンク「小川」いや、好きだよヴラマンク。ゴッホを超えた男。緑が基調でよし。「オーヴェールの風景」も奥行きが感じられてよし。ピカソ「庭の家(小屋と木々)」うむ、ピカソだな。
 
「南へ - 新たな光と風景」ええと……ここはセザンヌが3つほど「庭園の木々」大きめ。「サント=ヴィクトワール山の平野」セザンヌらしい定番。黄色基調。「サント=ヴィクトワール山、レ、ローヴからの眺め」これの解説ではキュビズム誕生のもとになったとかなんとかでまあ分からんでもない絵だ。おっとボナールかなと思ったらボナールの「夏、ダンス」大き目の絵ですな。色がおなじみな調子ですな。ドランのフォーヴもんが2つほど。ヴラマンクは好きだがドランまでくるとちょっと引き気味な私です。ルイ・ヴァルタ「森の小屋」「アンテオールの海」うん、ちょっとよく分からないけど面白い。
 
最後、「海を渡って/想像の世界」いよいよクライマックスだお。ゴーガン「マタモエ、孔雀のいる風景」タヒチ萌えのマタモエじゃ。タヒチもんの中じゃなかなかじゃなかろうか。孔雀がいいよな。しかしだ、次のアンリ・ルソー「馬を襲うジャガー」……な、なんだこれはっ! いや、どう見てもルソーの絵だよ。しかし馬を襲うジャガーって……馬が普通の、というかカワイイ系の顔してて表情も特になくて、それって襲われてねえよ。ジャガーも馬にくっついてはいるが何してるかよく分からない。ジャングルではなく、どう見ても南国植物園でスケールも適当。要するに妙ちきりんな絵なのだが、逆に、それが幻想性を高めている。「素朴派」と呼ばれているルソーだが絵は全く素朴ではなく、ジャングルで馬がジャガーに襲われている絵を描きたい、という動機が素朴でそれを技量も適当にムリヤリ押し通したのである。結果予想外の非日常的な、幻想的な絵画になっちゃった。世の中にはそういう姿勢でヒットを飛ばしたアーティストもいるのだ。だからYouもやりたいことをやっちゃいなYo! えー、あとはドニの「ポリュフェモス」例のドニ。らしい人物。あとは何とかでおしまいなのだ。
 
超ド級の目玉はないものの、まずますのヒットがある。特にルソーにはやられたぜっ。
http://pushkin2018.jp/
 

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2018年5月 4日 (金)

現代美術に魅せられて(原美術館)

一通り見終わったらちょうど学芸員の解説があって、それを聞いたりしてた。それより、前の日に江頭2:50のDVDを借りて見ていて、行った日は大木こだま・ひびきの漫才をウォークマンに仕込んで往復ずっと聴いていたら、なんか頭がおかしゅうなってきてな。本日は以下のような内容となりました。関西人じゃないので関西弁は適当や。
 
「この美術館は昔人が住んでたところだそうや」
「ははー住宅を美術館に改築したんですな」
「設計は有名な建築家で、国立博物館の本館を設計した人らしいで。あっちは宮殿みたいやろ(帝冠様式いうそうです)。でも、こっちはバウハウス風やて」
「風呂屋でっか?」
「バスハウスやない! とにかく今回は収蔵品展。まず入るとレイノーの『アタッシュケース』があるな。3階にあるタイル部屋と同じ人やね。これはアタッシュケースの中にタイルが敷いてあるんや」
「タイルスタイルでんな」
「意味分からん。最初の展示室にはミカリーン・トーマスの『ママ ブッシュ:母は唯一無二の存在』黒人女性のヌード画やけど、作者のお母さんやて。作者も黒人ってことやな。でもかあちゃんの裸描くってのは、なんかやりにくそうやなあ」
「ま、背中なら掻いたげますけどね。痒いって言うから」
「背中掻くのと関係ないがな」
「ほら『かく』でおなじでしょ」
「同じやないやろ! お前、明日絵を描く授業や言うて孫の手持ってくんか?」
「いや、もののたとえで……」
「ピピロッティ・リストの『ラップランプ』ってのがあるな。スタンドから椅子に動画を投影しててな、本来は椅子に人が裸で座って、肌がスクリーンってもくろみだったんやて。でもここのは収蔵品やから座っちゃあかんて」
「椅子だからいいっす、みたいな」
「おもろない。あと加藤泉のちょっとキモい人形があるな。おなじみの作風や。これは口から草生やしてる」
「これ、最初見た時はギョッとしましたよね」
「わしもお前と間違えて、なにこんなところに座ってんねんと」
「ほんとでっか?」
「嘘やがな。廊下行こか。はマリック・シディベってな、アフリカはマリの人やて。黒人主役の日常スナップやな」
「最近の傾向でグローバルなんだそうですね。横浜トリエンナーレみたいなアートイベントもあって、世界中からアーティストが来るみたいやし」
「そやな、うちもグローバル化しよう思うてな、こないだ地球儀買うてきたんですわ」
「あ、世界の勉強ですな」
「でもな、その地球儀どうもおかしいんや。日本がないねんで」
「え? ミスプリント?」
「おかしいなあ思うたら、アメリカもオーストラリアも中国もないねん。よう見たらビーチボールやがな。地球儀にしては安いなあ思うたんやけど」
「あんた地球儀とビーチボール見分けつかんのかい!」
「つかへんのやー」
「ボケとったんか?」
「ボケとんのやー」
「情けないな」
「情けないのやー それよりこっちにアラーキーがあるで」
「荒木経惟ですな。こないなミューズと呼んでた女性にセクハラとパワハラを暴露されましたな」
「まあ芸術家ってなしょーもないやつおるからな。ゴッホもストーカーやったし、ピカソも無類の女好きで、好き放題やってたしな。今回の写真は人じゃなくて、枯れた花やな。まあ人間的にはアレでも、この作品を見る限り、ある種の優れた感性を持って写真を撮っているとは思えるで」
「でももうセクハラが許される時代やないし……生き残れるかは神のみぞ知るですな」
「誰が知ってるって?」
「いや、神様が」
「お前よう神様が知ってるて知ってるな。神様と話でもしたんか?」
「いや、神様は何でも知ってるでしょ」
「三日前の朝、わしが何食べたかも知ってるんか?」
「もちろん知ってるでしょ」
「なんでそんな、しょーもないこと知ってるんや! そんなんわしにとってもどーでもええことやないか」
「いや、でも何でも知ってるって……」
「1階の奥の部屋行こか。クリスチャン・ボルタンスキー。『プリム祭』や。子供達の写真を祭壇のようにしてまんな。写真がピンぼけで、多分これ行方不明の子とか、そんなんかな思うてな」
「さっきのギャラリートークでも今はいない人では、とか何とか言ってましたね。あとプリム祭ってユダヤのお祭りだって」
「あと、こっちはやなぎみわの有名な作品やね。『案内嬢の部屋』制服を着たマネキンのような女達が並ぶ写真でんな。制服を着るだけでそういう役割を与えられてしまうっちゅう、社会に向けたメッセージやね」
「いやー制服の女ってええですな」
「お前何言うてんねん! 今の話聞いとったんか?」
「え? よくないんですか?」
「裸の方がええに決まっとるやないかい!」
「え、そんなこと言ってないでしょ」
「あそこがエルネスト・ネトの立体。ブラジルの人やて。天井から何か垂れている造形でんな。こっちはアドリアナ・ヴァレジョンの絵で『スイミングプール』。これ油彩やけど、プールのタイルの目地が水で揺れている様子をそのまま描いたトリックアートみたいな作品やな」
「私トックリアートが好きです。酒好きやし」
「お前アホか」
「いや、だって2合トックリとか……」
「トックリからそのまま飲むんかい! オチョコもコップも使わんのかい」
「え? そうくるの?」
「とにかくもう2階行くで」
「あ、おなじみ宮島達男のデジタルカウント作品の部屋や」
「お前が、暗いとお化けが出る怖いあかん行けへん言うた部屋や」
「そんなこと言ってへんよ。この前にある仏壇みたいなのは何でしょ」
「森村泰昌の作品『スローターキャビネット』や。仏壇の奥は写真で、ベトナム戦争ん時の有名な写真を大阪と本人の写真を使ってパロディにしたものらしいな。森村泰昌はよく本人が誰かの扮装をして作品にするんや」
「え? 例えば誰です?」
「うーん、フリーダ・カーロとか、マリリン・モンローとか」
「え? 女装だけですか?」
「男装もしとるはずだが忘れた」
「束芋もありますね。なんと『原俊夫氏のために描いた線画』で、和紙に墨ですって。このスカートめくってる娘が目につきますな」
「お前そういうとこしか目が行かんのかい」
「えー違いますか?」
「パンツに目が行くに決まっとるやないか」
「うわ、しょーもない」
「こっちは蜷川美花やな。例によってちょっと毒々しいような花の写真でんな。例の調子だからすぐ分かる」
「こっちには杉本博司の写真の部屋がありますな。『仏の海』って、仏像びっしりでんな。これ三十三間堂ですかね?」
「あれは確か千手観音やろ。これは違うから別のとこやろなあ」
「じゃあ三十二間堂ぐらい」
「三十三間堂って住所やないやろ!」
「隣に動画の部屋がありますな」
「ウィリアム・ケントリッジの『Memo』っていう、紙に乗ってるインクが勝手に動いて作者を困らせるのおもろいな」
「佐藤雅彦の『CALLING ドイツ編』は、風景の中で突然電話が鳴るというシーンがひたすらありますな。電話には結局出たんですかね? そこまで撮ってないし」
「いや、それがアートやで」
「アートなだけにアート(あと)のことはどうでもええと」
「つまらん。奥の部屋行くで。柳幸典『38度線』。タイムリーやな。ちょうど南北交渉したとこやね。色付き砂で作った北朝鮮と韓国の国旗や。間に何か色が混ざったようなケースがあってな。ここで以前アリを飼っていて、巣を作るためにそれぞれの国旗から、砂を少しずつ運んできたんやて。そのまま進んでいれば、二つの国旗は混ざり合ったかも、という作品や」
「アリさん、ありがとうでんな」
「何言うてんねん。そっちは有名な横尾忠則や『戦後』陶板作品やて。イメージは戦後の焼け野原。真ん中に見える人影は子供の頃の美空ひばり。まあ終戦直後のアイドルやな。今で言うところのAKBか」
「いや、全然違うでしょ」
「今のアイドルよう分からん。みな同じや」
「そりゃ味噌もクソも一緒ですな」
「そんなん違うやろー お前味噌とクソ一緒なんか?」
「いや、よく言いますよね」
「お前毎朝トイレ行って味噌出してるんか? 買いに行かんでええな」
「うわ汚い。そんなんちゃいますよ」
「この部屋の奥には奈良美智の小部屋があってな。奈良は部屋の方にアクリル作品もあるけど、こっちの小部屋の方が似合うな」
「奈良さんを丁寧に言うて、オナラさんってどうです?」
「帰れお前は!」
 
他にもいろいろあったが書くの疲れた。
http://www.haramuseum.or.jp/

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2018年5月 2日 (水)

池田龍雄展(練馬区立美術館)

「戦後美術の現在形」というタイトルも付いております。90歳近くでまだ現役であります。元々特攻隊員だったそうで、戦時中のお国のために死ぬ教育を受けてきたが特攻隊の訓練中に終戦。世の中が一気に民主主義化して、本人は軍国主義者の烙印を押されてしまったそうで、権力にさんざん振り回され、頭にこないわけはない。
 
……という反権力の絵画からスタートする。「第0章 終わらない戦後」終戦間もない頃だけでなく、2010年作なんてのもあるので、今も変わらず権力へ向けた目は持っているのだ。「にんげん」は昭和天皇がモチーフで、なんともやりきれなさが伝わってくる。「僕らを傷つけたもの 1945年の記憶」は、敗戦前に爆撃される人々。力で押さえつけられるあまりの恐怖。戦争に勝てばよかったのか? いやいや、それだとこの恐怖を誰かに与えることになるではないか。「大通り」は虫のような戦車の絵。「散りそこねた桜の木」は2010年作。日の丸と死のイメージで実に重たい。
 
「第1賞 芸術の政治の狭間で」ここからまあ時代順。戦後間もない頃の素描があるがパウル・クレーっぽい。あと、この頃の暗いシュールレアリズム系絵画がいくつも並ぶ。この手は板橋区美術館がよく持ってて、時々展示してる感じだな。嫌いじゃないぞ。非常に強い怒りややりきれなさなどの感情が絵に込められていて、しかも手法がシュールときた。なので、時にピカソを超えている絵があると思う次第である。あと、ルポルタージュ絵画といって、現地に取材に行って描いたものも多い。「綱元(《内蔵》シリーズ)」は、どこぞの軍用施設建設反対運動を取材。実は施設ができると金が入る。なもんで、反対運動もトーンダウン気味。しかし、そんなことじゃ、自分達の首を絞めるぞ、という意味で、人の首に綱がくくりつけられてる絵画だ。「10000カウント(《反原爆》シリーズ)」は、水爆実験の被爆海域の魚が調べられるため、網で吊し上げてるというもの。憮然とした魚の表情がよい。「規格品」は巨大な絵画。おぞましき赤い機械から、機械生産のソーセージがどんどん出てくる。不気味な絵だ。
 
上の階へ行く。モノクロで有機的でシュールな構成の絵が並ぶ。池田の絵はよくシリーズがあり、それぞれテーマを持っている。「《化け物の系譜》シリーズ」は、気になった事象を化け物として描いてしまうもの。ポスターにもなっている百目のごとき「巨人」もここだ。「企業」はひたすらグロい装置のごとく。「谷間」は、円筒状の巨大構造物(工場)が町に横たわる。「倉庫A」は、ネズミとの戦い。「現場」は、どこの現場か分からないが、なんかすげえ。「アトラス」は、大陸間弾道ミサイルの驚異。
 
「第2章 挫折のあとさき」戦時中は、軍国主義だったのが、戦後になって急に民主主義になり、おまけに「実は僕、戦争なんて反対だったんでちゅ」とイケシャアシャアと言ってのける輩も出現し、池田は社会派絵画に挫折してしまった。絵のテーマも社会派よりも、内面を向いたものとなっていく。「《禽獣記》シリーズ」は、これも妖怪のようなものだが、先の化け物と違い、社会的な立場の誰かを指しているわけではない。ブリューゲルやボスの奇想画みたいな雰囲気を持っているぞ。「《百仮面》シリーズ」は顔のごとき者を仮面として使ってみよう、という絵画。「《玩具世界》シリーズ」はちょっとグロ目の画面の中に、急に出現する鮮やかな日本の玩具。長男が生まれたんで描いたっぽい。
 
次は「第3章 越境、交流、応答、そして行為の方へ」。とうとう絵も描けなくなり……確かにこの頃の「胎児の夢」なんて絵もあるが、なんか限界な感じがする。で、パフォーマンス活動を開始。「大芸術瞥見函」は大きなサイコロのとような立体。中を覗いて見てみたいができない。「ASARAT橄攬環計画」(「かんらんかんけいかく」と読むようじゃ)は……なんだっけな。オリーブの実を埋めるというのを、本当は地球を一周するように行う計画なんだけど、実際やったのは山の周りを一周。それでも大計画。あと「梵天の塔」というもの。なんか「ハノイの塔」ってゲームあったよね。大きさの違う円盤でできた塔を、ある決まったルールで片側から片側に移動させる。その円盤数が64枚で、移動させるにゃ膨大な時間がかかるが、やるというもの。その計画だの模型だのという、計画そのものが作品。膨大な年月を感じさせる。
 
「第4章 楕円と梵」ということで、絵画に戻ってきた。楕円をモチーフに作品を作り始める。「楕円空間」は一見楕円のデザインっぽいが、よく見ると塗ってある模様が池田の生き物で埋め尽くされていたりする。そして「BRAHMAN」というシリーズ。かなりの数の絵画(それでも一部らしい)が展示されている。これが力作であって、どれも有機的な生命を感じさせる生き物のような、胚のような、妙な造形物群で迫ってくる。広い壁一面にびっしり。これに唸らぬ者はない。
 
「第5章 池田龍雄の現在形」ということで、まず「《箱の中へ》シリーズ」。箱の中に作品が作られる……が、さすがに箱となるとジョゼフ・コーネルが思い出されてしまい、コーネルにはちょっとかなわない。いや、悪くないんだけどね。「《場の位相》シリーズ」になると、もう抽象画だ。とうとうここまで来たのかあ。
 
社会的視点の作品であれ、生命の気配のごとき作品であれ、とにかくいろいろ目を引く。権力が嫌いな人やヒエロニムス・ボスが好きな人は大いに楽しめよう。
https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=201802151518677542

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2018年4月28日 (土)

五木田智央 PEEKABOO(オペラシティアートギャラリー)

うむ、よく知らん人だが、今現在活躍している人のようです。イラストレーションから出発し、モノクロのアメリカンな感じの、写真のコラージュ風の絵を描く……というか写真を元にしているようですが。あと、絵のタイトルはほとんどが横文字です。
 
最初の「Come Play with Me」、ヌードではないが女の人がナイスバディで立っている。なんかホラー映画で出てくる妖怪女っぽい雰囲気ですな。でもまあ、これは割と普通な見かけの方で、次からおういきなりエンジンがかかる。「Tokyo Confidential」体は普通に服なぞを着ているが、顔だけがもう顔なしで、顔んとこが無地だったり模様だったり。「How to Marry a Millionaire」では顔が犬のぼやけた写真っぽいものだったり、顔以外が割と普通なもんで一層異様ですな。「Old Portrait」は顔のアップだが、顔の真ん中が空洞っぽくて不気味だ。マグリットの「世界大戦」だったか、顔だけを花で見えなくしているというもの。あの不気味さがあるね。そういえば顔だけボヤっと崩しているのは、フランシス・ベーコンもそうだな。あれやこれや影響を受けているのか、あるいは自分で見つけていったのか。「Please Be Kind」はベッドの上に女がいるが、顔が何かで隠れている。おや、この感じは折元立身のパン人間っぽいぞ。隣の「妖怪のような植物」は文字通りだがオキーフの花ような感じだ。「花と女」これも顔が何かだ。いろいろどこかで見たような感じで攻めつつも、見ていると、やっぱり独自の世界がある感じ。「記念撮影」はアメリカンなベーコンと言ったところか。フランシス・ベーコンだったら体も歪ませるけどな。「Holiday Flight」は犬人間か。
 
部屋を移って「Sacrifice」はなんか貞子っぽい……いや、ボクあの映画怖いから見てないんでちゅ。「Easy Mambo」は縦横にずらっと小品を並べたもの。一つ一つがベーコンみたいな感じ(なんかベーコンベーコンばっかり書いてると食い物みたいで妙ですな)。「Try Me」ったって描いてある女がいまいちそそらずトライできない。「Midnight Blue」はデブ女だ。そして「Nursery Staff」は、バストアップの女性像だが、なんか普通でない。猫目で、顔もオヤジ顔だ。そういえば「PEEK A BOO」って、あちらの「いないいないばあ」って意味だよな。だから一見全体が普通でも、顔でギョッとさせる作品をそろえたのかな。「Los Lobos」はプロレスラー風の二人……っていうかプロレスラーか。そう、五木田智央はプロレスファンらしいです。で、この二人の絵は、どこかで見たような感じなんだけどなあ。デ・キリコのマネキン二体が並んでいるヤツ。「Brilliant Comers」は橋の上の人だけど、これも顔が不気味。ここまでだーっと見てくると、なんでこんな不気味な世界観で統一できるのかと思ってしまうが、まさにこれが五木田独特なものだ。うむ、悪くない。この部屋の最後に「Untitled」ということで小品が大量にまとまって並んでいる。見てるとあまりに多彩なもんで愉快になってくるぞ。
 
部屋を出て通路に行くと、「Gokita Records」これはプロレスファンの五木田がプロレスラーの似顔を描いたイラスト集。大量。しかも驚くことに一人一人描き方が違う。淡いのから濃いのから線画から、多分その人の個性に合わせた描き方をしてるんだろうけど、さすがプロレスファン。会場を出てショップなんか見ると、結構Tシャツとかあるもので、プロレスファンの界隈では既に有名な人かもしれん。
 
コレクション展の相笠昌義も人物が普通でない雰囲気で一緒に楽しめる。
https://www.operacity.jp/ag/exh208/

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2018年4月23日 (月)

理由なき反抗展(ワタリウム美術館)

ワタリウムのコレクション展だけど、ちゃんとコンセプトがある。「アートの歴史とは、自由への戦いの歴史である」なーんてことで。しかし、アート界隈も私が多少関わっている詩の界隈も、いわゆる左翼、いわゆる反自民党がアタリマエの空気で困っちゃうな。今の野党なんぞ文句ばっか言っててでロクに対抗政策もまとめられん。それでもその手の人々は「自民党支持者なんてバカ」と言い切っちゃう選民野郎達だ。しかし……なんでそれでイイのか、まさに、そこに、芸術があるのだ。
福島泰樹という歌人がいてね、短歌絶叫コンサートというのをやっていて、私は大変好きなのです。たまにしか行ってないけど。彼は昔の、死者達の魂を呼び出し、叫ぶ。中原中也、岸上大作、村山槐多……そして石川啄木。おお啄木よ。テロリストのかなしき心よ。奪はれたる言葉のかはりに、われとわがからだを敵に擲げつくる心よ。しかしその心は美しい。もう理屈ではない。価値基準はその魂が美しいかどうかだ。芸術の美しさはすなわち魂の美しさである。なに理屈では勝てない? そんなんで勝つ必要はない。ヤツラの魂が汚くてムカつくからこっちは魂の美しさで立ち向かうのだ。お前らに分かるものか。だがしかし、いかに魂が美しかろうと、すばらしいデモができようと、この国は選挙で当選しなきゃ動かせないのだよ。
えーさて、前までワタリウム企画はチケットが期間中何度入場も有効だったが、今は1回だけで1000円か、何度も入れる1500円と2種類になったのさ。あと今回は4階→3階→2階という順路だ。ここは建築は大変凝っているが導線がまずくて、4階へはエレベーターでしか行けないというエコじゃないつくりになっている。今時なら階段だよなあ。
さて4階は「レジスタンス」ということで割とポリティカルだお。オノ・ヨーコの白だけのチェスの駒がある。対戦してもどっちも白だから敵味方が分からなくなる。争いは起こらない。ピースでナイスなアイディア。でもそれでチェスやろうって人はおらんでしょうなあ。ジョン・ケージがガラスにいろいろ描いたのを重ね合わせて別の価値を生み出すという作品。それから日本から、レイシストしばき隊に入っているという竹川宣彰。レイシストが行く地獄絵(小さい)、それと棘付き金属バットが何本も。おおっ、まさに暴力革命。アナーキーアイテム。あー、これ、有田芳生が手にとって喜んでいたヤツだな。写真が拡散して何が平和主義者だ議員のくせに暴力上等なヤツじゃねーかとか言われていたが、アート作品だったんだね。実際使うつもりで作ったわけではないだろう……と思うがよく分からない。ただ、使わないつもりでも「使える」ものを作らないと意味がないぞ。その他、長い梯子とかあったけど、どういうコンセプトか忘れた。
3階は「デザイン革命」のコーナーで、まずバックミンスター・フラー。20世紀のダ・ヴィンチ。その合理的な構造による「ジオデシック・ドーム」は世界中で使われ、同じ構造が分子になっている「フラーレン」というのがあるから驚きだ。フラーのスケッチのシルクスクリーンがいくつも並ぶ。解説の冊子も参照できる。あと貴重なフラーが語るビデオがあった。一部しか見ていないが、ツール(道具)の話をしている。人類はツールを使う。一人で作って使うツールもあるが、二人以上で作って使うツールは「インダストリアル・ツール」であり、また、その作成を実現させるためには情報交換が必要だ。つまり、言語はインダストリアル・ツールなのだ。また、自然に目を向けると、蟻塚も蜂の巣もインダストリアル・ツールだ。そう、遙か昔からインダストリアル・ツールは存在したのだ。文明を捨てて自然に帰れなんてバカ言ってんじゃねーよ。自然だって昔からインダストリアルが問題を解決してきたのだ……というような感じ。有名な話なんで何度か書いているが「宇宙船地球号」と言い出したのはフラーである。ただその意味は、地球という宇宙船を大切にするため節約しましょう、じゃない。地球を一つの機関と見なし、もっとチューニングして、本来の燃料である太陽エネルギーを使うようにしようぜ、というほとんど逆。バリバリテクノロジーの人なのだよ。展示では合理性を追求して作った「ダイマクションハウス」とか「ダイマクションカー」のデッサン。このカーが3輪なんだ。何でかっていうと、地球が球形だから3点で支えるのが一番合理的なのだよ。しかし結果的に、ミスタービーンでいつもひっくり返されているダサい3輪自動車みたいな見かけになった。ま、そういう発想の人なのだ。あとはロトチェンコの立体と、マックス・ビルのいかにもバウハウスなデザイン画。
2階に降りて、ここは「理由なき反抗」コーナーで、最初にこのジェームス・ディーンの映画のポスターをもとにしたウォーホルの作品。なんと日本のポスターをもとにしている。ギルバード&ジョージのダンス映像と平面作品。キース・へリングの絵がいくつか、あとビデオ。詩人、アレン・ギンズバークのポエムリーディング映像。演劇じゃないよ。詩の朗読だぞ。なんでカンペ見ながらやってるんですか? だって朗読だもん。あとギンズバーグの写真。ロバート・メイプルソープの写真。本が読めるコーナー。
ワタリウムらしい展示作品と内容で、近頃あまり見ない傾向なので嬉しい。
http://www.watarium.co.jp/exhibition/1804rebelwithoutreason/index.html

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2018年4月15日 (日)

横山大観展(東京国立近代美術館)

かつて横山大観をDISって(けなして)いた。若気の至りである。明治期に輪郭線を廃した「朦朧体」の日本画を描き、周囲に冷笑されつつも己のスタイルを貫き通した偉大な画家である……という知識も得て挑む大観展、印象もずいぶん変わるであろうと思ったが、結果的にあんまし変わらなかった。どうもオレは大観とは感覚が合わない。んー、がしかし、どこがどう合わないんだが、ちゃんと把握したいものだなあ。
展示はまず明治期の大観から。有名な「屈原」。はい、人物画では最高傑作ではなかろうかね。もっと狂気の目をしていたかと思っていたが、今日見たらそうでもなかった。次の「静寂」……うーん、なにこの太い線画の竹は。その上の葉がモヤモヤしてて妙な絵だな。大丈夫まだ初期だ。「秋思」一応美人画なのか? いやいやなんか顔がカタい。「井筒」おっとこれはなかなか装飾的でいいですね。「夏日四題のうち 黄昏」おお、これは朦朧体風景として傑作だ。小さく鳥が飛んでいるのもスケールを感じさせてよいね。朦朧体風景ならイケるぜ大観。「迷児」人物なんだけど子供を囲んで、孔子、釈迦、老子、キリストがいる。一応朦朧風人物画。「帰帆」これは朦朧過ぎる。何描いてあるかよく分からん。「ガンヂスの木」中州にある木々を描くも……木々というより黒煙みたいだぞ。「杜鵑」ううむ……なんかヘンだ。遠くの霞んだ木々はいいんだが、近景の木々も同じようにモヤモヤっと描いてあるんだよな。いやいや、モヤモヤじゃないな。葉が多すぎるんじゃないかね。「白衣観音」うむ人物だ。で、ここの解説で妙な記述を発見。「デッサンが不得手」ぬぁに? 大観ってデッサンが苦手だったとな? 「瀑布(ナイヤガラの滝・万里の長城)」おっと大作だっ。しかし……滝かあ……確かに滝だけど滝らしくないんだよなあ。滝壺がないじゃん。滝壺のない滝は耐えがたき。万里の長城……ううむその緑のカビみたいなのは何なんだろうか。「山路」うううううキタネエ絵……いや失礼、アヴァンギャルドな絵だな(文句ばっかり)。「彗星」おっと、これはいきなりいい絵だ。地上の山とハレー彗星を描いている。まあ彗星自体朦朧体的存在だからなあ。
大正の大観だお。「放鶴」……こ、これは何かがおかしい。鶴が飛んでいるんだけど、なんか飛んでる感じがしないんだよなあ。鶴ってああやって首曲げて飛ぶのか? ここで先の、デッサンが不得手っつーのを思い出す。もしかして鶴が飛んでいるの見たことないんじゃなかろうか。「山茶花と栗鼠」うん、これは普通に栗鼠がカワイイ。「瀟湘八景」連作。例によって霞む木々はよし。松はあかんな。「秋色」これは大観作品の中でもオレが最も好きなヤツ。大量の緑の葉が1枚ずつ紅葉の途中というもんで、異様な葉に囲まれた鹿の風景。ブッ飛んだ発想にしびれるぜっ。「群青富士」なんじゃこりゃと思うがポップアート風と思えば見れなくもない。「霊峰十趣」……これもまあ、富士山なんだがのう。なんじゃ。「霊峰十趣のうち 山」なんて、プリンかよ。「柿紅葉」おっと、これも画面右から左に紅葉していくナイスな画面。実はアヴァンギャルドでダイナミックな画面が得意なのだが、その手の作品の数が多くはないのが残念だ。「胡蝶花」……ええとこの生き物は、なんなのか? やっぱこの人デッサンヤバくない? 「雪旦」おっとこれは葉が丁寧に描いてあるぞ。やりゃできるじゃん。
ここから昭和だそうで。大観は皇室大好きだったらしく、宮内庁収蔵品などある。「朝陽霊峯」デカい屏風2つで、富士山に朝日というストレート直球。うーん、こういうところがなあ、合わないんだよなあ。岡本太郎言うところの八の字文化。つまり八の字を描いたら富士山っていうお決まりパターンを臆面もなくやるヤツ。こんなヤツは「今日の芸術」はなれねえってな。「龍蛟躍四溟(なんて読むんだ?)」は龍の絵だが、渦巻き多用でこれは面白い。「春園之月」と「春園之月 習作」なんか習作の方がイイぞ。習作じゃない方は銀とか使っていたらしいがもしかして退色したか。「海に因む十題のうち 波騒ぐ」「海に因む十題のうち 龍踊る」で朦朧体よりもぐっとリアルな路線になってきた。「春光る(樹海)」も富士山が霊峰というより高い山だ。
第二会場。ここは大作「生々流転」40メートル越えの水墨大巻物。重要文化財。下絵もあるよ。見てるとなかなかドラマチックに展開する。よーしやるぞー→キバって木をいっぱい描いちゃうぞ→ちょっと疲れたから水面で間を空けよう→あーそうだオレは朦朧体が売りだったからここらで朦朧体をやっちゃお→なんか自然ばっか描いてて飽きたんで、ここらで家々を描こう→もうあれこれ描くのめんどくせえ水面だけで濃淡で変化つけちゃえ→最後は渦巻きでキメだ。まあいいだろこういう鑑賞でも。
第三会場がある! 2階じゃ。「霊峰飛鶴」はあいかわらず八の字だ。最後の方「風簫々兮易水寒(中国語か?)」はイヌの右の後ろ足がなんとも不自然でな、あー最後までデッサンが不得手だったのかーと思ったりした。
売店があっておしまいなのだ。
巨匠の重厚な日本画というより、なんかハッチャケている作品の方が目に付くぞ。
http://taikan2018.exhn.jp/

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2018年4月 7日 (土)

ヌード(横浜美術館)

だいぶ以前、東京藝大美術館で「ヴィクトリアンヌード展」をやったわけですよ。すると普段絵画なんぞ見そうもないエロオヤジどもが鼻の下を長くして(という表現を今使うか分からんが)来場し、会場内は阿鼻叫喚。いや、まさにそのノリで今回も赴きたいじゃないか。このヌード展においてベストなスタイルは、薄汚れたジャンパーとジーパン、左手に競馬新聞右手にストロングゼロ、ヌード画を前にデカい声で「なんだよこいつオッパイが小さいじゃねえかダメだダメだ!」とかやりたいものだが、残念ながら私は小心者なので、黒いデニム上下と春めいたコジャレた上着で、いかにもいつも美術館に行ってますみたいなツラしてるもんでこんなヤツはぶん殴ったほうがよい。がしかし、エロオヤジ諸君のイヤラシイ期待はことごとく裏切られるであろう。残念ながら(?)美術鑑賞的に大変まっとうな展示内容と切り口であり、天下の英国テートギャラリーの看板背負っているだけある。
入ったら客が思ったよりだいぶ少ない。そう、ポスターがヴィクトリアンヌードで、藝大ショックを覚えているアート好きマダム達が避けているのかもしれない。だとしたらちょっともったいない。男性ヌードだって半分ぐらいあるのだし、女性が顔をしかめるようなヤツは多くはない(と思うが女性じゃないから正確なところはよく分からない)。
最初のコーナーは「物語とヌード」で神話など。主にヴィクトリアンヌードで、要するに理想的な裸体表現で、エロオヤジも一応納得できるコーナー(男ヌードもあるが)。最初のフレデリック・レイトン「プシュケの水浴」はポスターのヤツでキレイ系の女性ヌード。彫刻ではハモ・ソーニクロフトの「テラワロス」……じゃないな「テウクロス」だって。男性ヌードだお。小品ながらターナーが男性ヌードを描いている。男性ヌードってヤツも見てると結構面白い。筋肉の付き方が明確なので、なんとなく生体メカ(?)みたいな……んーまあなんかそういうもんとして見れるんよ。エロオヤジ御用達ならオフィーリアでおなじみジョン・エヴァレット・ミレイの「ナイト・エラント(遍歴の騎士)」で裸で木にくくりつけられている女性を救っているところのヘンタイ画である。裸で拘束されている裸女を描きたいって画題じゃアンドロメダと同じだよね。あと、この絵は下村観山が模写してて常設んとこに展示してあるぞ。ウィリアム・ストラング「誘惑」男性を誘惑する女性。どっちも裸だ。アンナ・リー・メット「締め出された愛」は女性後ろ姿。なかなかよい。
次のコーナー「親密な眼差し」。今度は物語じゃなくて近くの人だ。印象派とかそのあたりな。ボナールの「浴室の裸婦」これ浴槽の中の足だけ。「浴室」これは全身だがほとんど浴槽の中つまりお湯の中で。見えるような見えないような、なんでこんなところ描こうと思ったんだろうか、と思ってしまうような。モデルは妻らしいが。マティス「横たわる裸婦」ううむ、日本人画家の絵かと思った。なんか「イモっぽい」顔してるんだもん。同じくマティスの「布をまとう裸婦」こっちは、マティスらしい画風だ。エドガー・ドガ「就寝」おっ、ドガにしてはなかなか丁寧に描いてるじゃないか。普通に裸婦です。シッカート「オランダ人女性」ううむ、近眼のせいか顔がイヌとかゴリラに見えるのだが。グウェン・ジョン「裸の少女」こりゃ痩せすぎや。痩せすぎのヌードにはグッとこない。しかしまあ、このコーナー女性ヌードばっかりですな。
次のコーナー「モダン・ヌード」これは芸術運動の何とか主義の中で使われたヌードね。マティスの「青の裸婦習作」がフォーヴ(荒々しく描くヤツ)だ。ヘンリー・ムーアの彫刻「横たわる人物」この辺でなんか抽象的になってくる。「倒れる戦士」これも半分抽象ってところか。このあたりはヌードだか何だか分からないのもあって、デイヴィド・ボンバーグ「泥浴」なんて、アヴァンギャルドでもうヌードでもなんでもない。ガツガツ荒っぽく描いたなんかヒデエ女性ヌード画があり、しかし誰が描いたか分かる。ピカソだ。「首飾りをした裸婦」そう、こういう点においてピカソってすごい。それで、なんだよこういう小難しいお芸術ヌードなんかどうだっていいんだというエロオヤジどもが腐るであろうところに、いよいよ次のコーナーだ。
次のコーナー「エロチックヌード」。つ、ついに来たかっ! いきなり目に入るロダンの「接吻」。裸の男女が抱き合って接吻している超有名な彫刻作品。結構デカい。この作品だけ撮影可能なので、みんな喜々としてスマフォなど向けているが、いいかよく聞け愚か者ども。こいつは止まって見るもんじゃないんだ。周囲をぐるぐるしながら見ると面白いぞ。ロダンの肉体表現はバリバリ気合い入っているので、背中からでも十分鑑賞に耐える。周囲を回りながら見ると、男性背中、女性背中、接吻シーンと移り変わってそれぞれに印象が違って昼と夜が移ろいでいくようで楽しいぞ。面白い。やってみたまえ。他にもルイーズ・ブルジョアの女性側から支配せんとする男女シーン、ホックニーの男同士のまったり生活、老いてもなお盛んな春画スレスレのピカソ、意外なところでターナー。ターナーらしい時代を超越した抽象的表現だが題材がヌード。はい、エロチックといっても、エロオヤジが喜びそうなもんはロダン以外一つもない。ロダンも微妙だが。
次「レアリズムとシュールレアリズム」 エルンストの一応エロっぽいシュール画。おなじみマン・レイの写真。おなじみベルメールの「人形」。これはほとんどビョーキの女体分解再構成。おおっとここでいきなりバルテュス!「長椅子の上の裸婦」かなり作為的な絵で、これ首が折れているのか? と思うが、折れているというほどの角度じゃない。でもなんかヘンだ。その白い靴下は何なのか、エロ演出のアイテムにも見えるが。それにしてはその両腕を広げている仕草は……と、何も異常なものは描かれていないのに絵から発散する「普通でない感じ」まさに、これがバルテュスよ。傑作だよね。スタンリー・スペンサー「二人のヌードの肖像:画家と二人目の妻」男女ヌードだけど、リアルだなあ。フランシス。グリュベール「ヨブ」うん、男だ。デ・キリコ「詩人のためらい」トルソとバナナ。デルヴォー「眠るヴィーナス」古代都市の中に横たわる裸女、立っている骸骨。デルヴォー定番アイテムを駆使した安定の絵ですな。
次「肉体を捉える筆触」なんちゅーか物質と内面だとか。フランシス・ベーコンの「スフィンクス」は再会。「横たわる人物」はヌードというか肉塊ですな。ルシアン・フロイド「布切れの側に佇む」女性ヌードだがリアルだ。ルイーズ・ブルジョアの作品いくつか。抽象的ながらなんとなく生々しい。「誕生」はフリーダ・カーロの例の絵を思わせる。たぶん知ってるだろうね。このルイーズ・ブルジョアって六本木ヒルズのデカいクモを作ったアーティストで、子供の頃に結構キツい目にあっていて、それが作品にただならん緊張感をもたらしているというもののはず。
次「身体の政治性」フェミニスト的な視点を持った作品。ここはエロオヤジにはちょっとキツいコーナーだお。サラ・ルーカスの立体「NUD CYCLADIC 10」肌色……近頃はペールオレンジって言うのかな、そのタイツに詰め物をしてまとめて、肉体のようなそうでないような、ベルメールよりもヤバい感じのものを作った。メイプルソープのリサ・ライオンヌード写真。ガッチリ系だ。バークレー・L・ヘンドリックス「ファミリー・ジュールス:NNN(No Nakid Niggahs
[裸の黒人は存在しない])」という裸の黒人の絵。またサラ・ルーカス「鶏肉の下着」ううむ……下半身に鶏肉(丸ごとのヤツ)を当てて、肉の裂け目が要は女性の開いているところに見立てている。男のオレはちょっと引き気味。しかしそれよりだ、シルヴィア・スレイ「横たわるポール・ロサノ」これは(エロオヤジには)キツい。なんとなれば、これは女性が描いた男性のヌードで野郎のフェロモン満載。要するにこれ、男性画家が女性ヌードを描くってのは女性から見るとこういうことなんだぞ、というキツーイいカウンターパンチだ。こんなん見たくねえと思えばこそ、じゃあそこらじゅうで女の前でガンガン展示しているアレはなんだってんだ女は耐えてやっているんだぞという非難の指がつきつけられる。目を背けたら負けだ。でも男のメンタルは弱いのじゃ。
最後「儚き身体」コーナー。シンディ・シャーマンが自分を撮ったヤツ。着てるけど。ジョン・コブランズによる出産直後の女性の写真。1時間儀後、1日後、1週間後で撮ってるらしいが、3枚の写真が全員違う人なんで、ちょっと変化が分からない。1時間後ってのが下に傷を押さえるものらしいなんかをはいてて……んー出産って大変なんだよなあ。男にゃ永遠に分からない世界なんだが。
ヴィクトリアンから現代まで、バリエーションが豊富なヌードの芸術世界。行って損はない。
https://artexhibition.jp/nude2018/

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2018年3月19日 (月)

サヴィニャック パリにかけたポスターの魔法(練馬区立美術館)

実はさほど期待していなかったが、なかなか面白かったぞ。サヴィニャックって人の名前なんですな。20世紀後半フランスでポスター画で活躍。
冒頭の「マギー・ポトフ・ブイヨン」で、もうつかみはオッケーさ。このブイヨンポスターのインパクトが全てを表す。どんなんかって? うーん、書いちゃおうかなもったいないけど。鍋のブイヨンのいい香りを目を閉じて嗅いでいる……牛! しかもオマエ下半身ねえじゃん。自分の下半身が煮込まれた香り嗅いでるじゃん。こう書くと陰惨な感じに思うだろうが、ポスターにゃ全くそんな雰囲気はなく、むしろほのぼのしてて温かい。この技巧がサヴィニャックの魔法だ。「デクーヴェルト/発見」も犬が目の前の犬の尻穴を覗いているが、それ自分のなんだ。しかも胴体が世界地図だ。これも傑作だお。
こっから一応経歴の紹介。小さい頃の写真などがあるが、まあどうでもいい。それより、おなじみカッサンドルに学び、助手もやっていたそうで、カッサンドル作品の「北部鉄道」とサヴィニャックのカッサンドル風「北部鉄道」がある。あまりにもカッサンドルだお。それから出版物いろいろ(あんまし見てない)。
で、ここからが展示のメイン「10の項目から見つめるサヴィニャックのポスター」ということでモチーフごとにまとまった作品群を展示する。最初は「動物たち」。牛がいて、そのお乳が下に落ちてそのまま石鹸になっている傑作「牛乳石鹸モンサヴォン」。同じように牛から牛乳発射で「ヨープレイト」。なんと日本の「としまえん」がポスター依頼していた。それが2枚。いすれもプールで動物もの。手堅くうまい。「チンザノ」はお酒なんだけど靴を履いたシマウマで、その縞も黄色と白だ……って書いたってわかんねーよな。実物を見たまい面白いから。階段を上がって「マギー・チキン・ブイヨン」これもまあ、鶏が鍋になっていて、その体液(?)を自分で飲んでる。「トレカ:ウールとスプリングのマットレス」マットレスからスプリングと羊が出てきた。
今度は人物「オトコの人、オンナの人」。オランジーナのポスター。へーオランジーナって本当にあるんだフランスに。今まで疑ってた。「フランス国有鉄道:半額料金バスで旅行を」これは人間が半分になっていることで表す。「カフェDYA:すばらしいアロマ」これも凄いよポットから出た香り高い湯気が、人の鼻にダイレクトイン! 「ギャラップ」という謎めいたポスター。これは二段階戦略。ポスター出して、しばらくして、何のポスターか明かしたんだって。他もいろいろ。
「働く人」ここでは働いている人いろいろだが、そこは商品の広告。ペンキ屋の店名をペンキで塗りつつあるとか、ガス会社の広告で、人がバスタブからこんにちはとか、種から育った花が、そのまま種の袋の絵とか(見なきゃ面白さが分からんな)。クレーンで作業着ごと人が吊されている作業着の広告(丈夫ですな)。分かりやすい。
「製品に命を吹き込む」。これは要するに製品の擬人化。新聞社の広告で新聞が顔になっている。「火事に電力を」手がプラグになっている奥さん。「パン・ジャケ」のパン君、「アネージ・パスタのパスタ君」。いずれも商品を使って。人を形作る。サントリー・ビールではビールの器とポット(?)が仲がいい。
「子供たち」はい、子供の出ているポスター。「森永ミルクチョコレート」ほほー、やってたんだ1958年。「クリームデザート モン・ブラン」子供が食っている……がデザートには見えん。カレーに見える。おフランスにはカレーライスはないのかね?
「指さす人」のコーナー。これは文字通り、製品はこれだ! と指す。「フリジェコ:良質の冷蔵庫」では、開けた扉からの冷気で半分凍ってますやん。でも特徴を見事表してますよね。
「自動車とその部品」コーナー、まあ文字通り。ルノーのお山の絵が目を引く。「早く! アスプロ」は、頭の中に自動車が通過。これはなんと、頭痛の鎮痛薬の広告。この表現は思いもよらない。次のコーナーは「タバコ」うむ、どれもうまそうだ。オレは吸わないが。次は「ピック」の広告群コーナー。ピックはボールペンで頭がボールになっていたりする。最後は「パリ」のコーナー。「セーヌ左岸高速道路反対」など、珍しくメッセージ性の強い作品もある。「ビルに気をつけろ」は文字通りビルが座って凱旋門を潰しているストレートな表現。
結構分かりやすく、フランス人のユーモアが感じられる。おすすめだ。
https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=201709181505718201

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2018年3月11日 (日)

プラド美術館展(国立西洋美術館)

「ベラスケスの絵画と栄光」というサブタイトルにて、ベラスケス7点来日と堂々の宣伝を打っている。確かに7点は多いですよ。それだけで胸張れる。しかもそれだけじゃなくて、ティツィアーノやらルーベンスまで来ているときた。
広告になっている馬に乗った少年は、私が子供の頃、実家でジグソーパズルをやった記憶がある。40年ぐらい前だからなあ、その頃から知られた絵だったわけだ。
入って最初は「芸術」というコーナーで。解説が長いんであんまし読んでなくて、最初にもうベラスケス「フアン・マルティネス・モンタニェースの肖像」……ええと、ヒゲ、としかメモってないな。ああ、そうなんだヒゲ面でもイイ表情だ。うん、ベラスケスの絵は顔をじっくり見てりゃいいよってところで。ホセ・ガルシア・イダルゴ「無原罪の聖母を描く父なる神」……天使の羽が固そう(だけかよ)。あー私は印象派以降が主戦場なので、この時代のヤツはちょっとテンションが上がらなくてね、じゃ行かなきゃいいじゃん。いやいや大ベラスケス7点ならそれだけで行きだろ。まあいいや。次、フランシスコ・デ・スルバラン「磔刑のキリストと画家」これはいいね。手に釘で打ちつけるだけでは体重を支えられないというのは有名な話なんだが、それを無視してもこのキリストはちゃんと「死んでる」感がありますよね。スルバランって知名度はイマイチながら結構凄いんよ。アロンソ・カーノ「聖ベルナドゥスと聖母」。おお! これはっ! 聖母像から母乳鉄砲(としか言いようがない)が発射され、聖ベルナドゥスの口にダイレクトイン! たまにこういうオモシロイ妙な絵があるんで(しかもまじめに描いてる)、この時代も捨てがたいんだよな(ちなみに知識主体で鑑賞するとこういうふざけたエンジョイは難しいであろう)。次のフアン・アンドレス・リシ「偶像を破壊する聖ベネディクトゥス」タイトル通りなんだけど、破壊されている偶像にとりついているウネウネのようなものは何だ? 布か? 岡本太郎か? なんとなくシュールなセンスも感じるぞ。
次、「知識」のコーナー。ベラスケスの「メニッポス」。目力……としかメモっていない。そうだよベラスケスは顔だよ。ヤン・ブリューゲル(父)「視覚と嗅覚」出た! ヤン1! ブリューゲル一族展で覚えたぜっ。ピーテル1の才能を最も受け継いだ次男坊。この絵は絵画中絵画といったおもしろ絵だ。
次は「神話」のコーナーだお。ベラスケスの「マルス」。大した絵じゃない……と言いたいがこれが実は大した絵なんだよな。なんたってマルスですよ。戦いの神ですよ。それが武器も防具も置いて裸でくつろいでんだから、これすなわち平和なんだよ。マルスの絵にしては斬新ではなかろうか。もう神様っぽくなくて、甲冑を着るバイトのおっさんが一休みしている感じ。次、ティツィアーノ「音楽にくつろぐヴィーナス」。得意のヌード画。ティツィアーノにしては太めじゃなかろうか。オルガン弾きの目線がヤバいぜっ。ルーベンス「アンドロメダを救うペルセウス」定番テーマ。たいていアンドロメダが裸で岩にくくりつけられているヘンタイ画で、これも同様。手堅い。外さない。ルーベンスの裸女にしてはデブじゃなくて普通じゃなかろうか。それからルカ・ジョルダーノ「メドゥーサを倒すペルセウス」これな。カラバッジョのメドゥーサを見ちゃうとなあ、もっとガッツリメドゥーサ描いてくれ。ビセンテ・カルドゥーチョに帰属の「巨大な男性頭部」マジデカくて驚く。大首絵だ。モデルはチェ・ゲバラだ(んなわけはない)。
えー「宮廷」のコーナー。ベラスケス「狩猟服姿のフェリペ4世」アゴ……としかメモってないな。まあベラスケスは顔見てりゃ(後略)。なんかいろいろあって階段下りてファン・バン・デル・アメン「矮人の肖像」低身長の人の肖像。ちゃんと描いてる。ベラスケス「バリェーカスの少年」子供なのに貫禄あるじゃん。壁にデカい絵。アントニオ・デ・ベレーダ「ジェノヴァ救援」。その左右にスルバラン「ヘラクレスとクレタの牡牛」、「ヘラクレスとレルネのヒュドラ」迫力あり。スルバランいい味出してるお。しかし私が注目したのはジュゼペ・デ・リベーラ「女の戦い」なんと美女同士が武器持って戦っている。しかも、格好が甲冑でも戦闘服でもなく、動きにくそうな長いスカートで。でも剣と盾持ってるし、血も少し流している。思うに要するにこれ美女バトル萌え絵画だろ。アニメの美少女戦士とか見て「そんな格好じゃ戦えねえだろリアルじゃねえなHAHAHA」とかいう嘲笑をよそに、それでいいんだバカヤロウ萌えの世界なんだと言っちゃうぞ、と…………いや、もしかして当時リアルでこういうことさせてたのかもしれないけどね。それはそれでそれも萌え目的じゃないのか。誰かやれよ萌え美術史。
「風景」のコーナーにベラスケス。「王太子バルタサール・カルロス騎馬像」。アゴ(フェリペ4世)の息子だけど王になることなく16歳でお亡くなりだそうだ。さすがベラスケスで子供だけど顔が凛々しいよ。ベラスケスは顔(後略)。親とやったジグソーパズルで、我が父が1つのピースを「これは絶対鼻の穴だ」と言い張って結局目だった思い出よ。クロード・ロラン「聖セラビアの埋葬のある風景」いかにもロランの古代理想風景。でもまあ風景はたいしたもんねーかなと思ったらデニス・ファン・アルスロート「ブリュッセルのオメガングもしくは鸚鵡(オウム)の祝祭:職業組合の行列」これがまあ人がきっちり行列で並んでいて壮観。なんとなく現代アートっぽい雰囲気があるね。
「静物」のコーナー。スペインで飲食関係の静物と人物を一緒に描いた絵画をボディコンじゃなかった「ボデゴン」と言うそうです。アレハンドロ・デ・ロアルテ「鳥売りの女」というのがそうなんだが、ああなるほどという感じで。ここはやはりヤン1(ヤン・ブリューゲル(父))の「花卉(かき)」これがまあウマイこと。写実ってんですかね。あとはイソップ童話の有名な犬が橋の上から肉落としちゃうヤツを描いたパウル・デ・フォス「犬と肉の寓話」。こういうのをマジで描いてるの、いいね。
最後は「宗教」のコーナー。ベラスケス「東方三博士の礼拝」やっぱりこの子供ことイエスの顔ですかね。ベラスケスは顔(後略)。グイド・レーニ「使徒聖大ヤコブ」やスルバラン「祝福する救世主」なんてのは大きくはないながら、非常にうまく、手堅く描いていて好感が持てるね。こうして見るとスルバラン大活躍じゃん。最後はムリーリョ「小鳥のいる聖家族」なかなかいい絵だけど、ムリーリョは「無原罪の御宿り」の印象が非常に強く。他の絵を見てもあれをつい思い出しちゃうぜ。昔の都美で見たもんです。
そんなわけで、いや結構見応えあるじゃん。さすが西美だ。混まないうちに行っちゃえ。
https://artexhibition.jp/prado2018/

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