2018年7月17日 (火)

中村忠二展(練馬区立美術館)

2階展示室だけ使った小さめの企画。まあ連休最終日であって、混んでるところに行くのもイヤなんで、混んでなさそうな場所ってことで。生誕120年だそうです。

最初に代表作っぽいの3つが並ぶ。「からす西へ行く」という抽象っぽいの。「どろぼう」という人物っぽいの。「石神井風景」という風景っぽいの……いや、ぽいのじゃないよ風景だよ。これ、いずれもモノタイプという技法で、ガラス面などに絵の具などを塗って紙を置いて刷る版画。ってことは版画ったって1回しか刷れない。ほー、そういうものがあるんだ。

それから年代順で、初期は油彩なんかやっている。船をよく描いている。風景も描いている。筆跡も見える感じで、ゴッホが地味になったみたいな感じ。次に水彩があるが、最初にある「霜の花」これが……よく分からない。これうまいのか? なんか小学校の展覧会にそのまんま出ていても違和感ない感じなんだが。ヘタウマか? いや、多分見る人が見ると「いやーこれはヘタな人では描けませんよー」と言うかもしれないが、俺にゃあどうも……なんだ。えええ何が優れてんだ? 木の陰影とか? 全体の色彩とか? そんなところがいいのかなあ。えーそれで次が水墨で「敗戦風景」とか。水彩よりはいい感じに見える。あのう……いい感じっていうのは、シロウトが描けない感じかな……って見てる方シロウト丸出しじゃん。

で、ここまでは全体に微妙な感じだったんだが、モノタイプをやるようになってから、俄然作風にエンジンがかかってくる。半抽象や抽象を入れ込んできて、割と心に訴える系のもんが増えてくる……よな。「青い星の下で」の人だかそうでないんだかしかし何かいい感じ、「野の女」の暗い存在感。「メシとヒト」が何とも面白く、ローマ字でグチのようなものが一面書いてある。金がなければ働かなければ、でも働きたくない。いいじゃないか働かなくても。ところが下半身だけ働きに出て行ってしまった……とかいう内容だったよな。次の「アルバイト ユキ バステー」も、こういう専業画家じゃない感じって、なかなか好きですね。それからより抽象的な「遠い歌B」等を経て、より独りを感じさせる作品、つまり独りの人がいる作品がなかなか魅せる。特に「夜の沼」独り佇む人、水辺、そして空に星。半抽象ながらしみじみできるじゃないか。他にも「夜汽車」なんてのも窓に独りだ。

詩画集をいくつか作っていて、その展示。ちょっとした抽象風の絵と、いくつかの言葉。分かりにくくはない。中でも、この展覧会のサブタイトル「オオイナルシュウネン」の元ネタ。これは「秋冬集1972」の中の「秋蚊」で、もう涼しくなった秋でも血を吸いにくる大いなる執念。じぶんもそうありたい。なんてもの。いいじゃん。他にも虫や物に託した自分の心情を描いている。

妻は画家の伴敏子という人だそうです。この人の絵もいくつか。特に変わった絵ではない。あと彼女は、中村忠二に関する小説も書いていて、何度か離婚のようなものをしたり、中村が奇行をやらかしたりしたらしい。本をいろいろ紹介して終わり。

小規模ながらもちょいと光る展示。悪くない。
http://www.city.nerima.tokyo.jp/manabu/bunka/museum/tenrankai/nakamurachuuji.html

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2018年7月 8日 (日)

ミケランジェロと理想の身体(国立西洋美術館)

彫刻はアウェーだ……が、まあこの手なら、ギリシア・ローマから続く彫刻美術の最も初期に近いもんなんで、別に難しいわけではない。「ミケランジェロと」となっているが。この「と」がクセモノでね、「フェルメールと」と同じでね、要するにミケランジェロは2つっきゃないの。しかーし、なかなか強力なブツを2つ持ってきた感じだ。

最初は「子供と青年の美」というコーナーで、もちろんミケランジェロはまだ出てこなくて、ほとんどガキの彫刻(※ガキが作ったのではない)。ええと、その前に、「コントラポスト」という用語が頻発するので覚えておこう……というかイントロビデオ見ればすぐに覚える。片足を浮かせて片足に重心を持ってくるポーズで、これで、ただ突っ立っているだけでもサマになる形になるんだってさ。がしかし、子供の体だとそれも通用しない……てとこがこだわりなんだって。最初の1世紀前半「プットーのレリーフ」プットーってのは有翼の童子だそうで、しかしこの子供がブクブクでぷっとー吹き出してしまう……ってこともないか。2世紀「蛇を絞め殺す幼児ヘラクレス」ギリシャ神話最大のマッチョヘラクレス。幼児にして蛇を絞め殺す有名な話だ。よくできてる。ヘラクレスの顔が既に強者。アンドレア・デル・カスターニョのフレスコ画「花綱を伴うプットー」花綱か……何のことか分からないが、背中のロケットで飛んでる絵ではなさそうだ。ニッコロ・ロッカタリアータの工房「6人の奏楽天使の群像」うん、それぞれよくできてるよ。2世紀末「弓を引くクピド」キューピッドのこと。天使と違うよ。上向いてるがなぜだろう。スケッジャという人のフレスコ(だったかな)「スザンナ伝」おお、これは定番画題の「スザンナの水浴」……ではなくて、その後の場面で、覗いてセクハラをしたジジイ二人が石打ちの刑にあっているところ。珍しい場面ですな。

「顔の完成」コーナーでバッカスが2つぐらいあるが、いずれもイケメンで……バッカス(酒の神)らしくないな。もっとご陽気でアル中っぽい方がいいよ。それから「アスリートと戦士」コーナー。やっぱり肉体美ったらスポーツ系だよな。紀元前4世紀「香炉を支えるディスコボロス」おお、円盤投げじゃないか。オリンピックでやってるんで、やっぱり歴史あるんだなあ。紀元前2世紀ぐらいの「レスラー」おお、小さいがよくできてる。紀元前1世紀の「アメルングの運動選手」ボディのみ。アンドレア・デル。ヴェロッキオの追随者「紋章を支える従者」……これは、わざとかな? コントラポストに失敗してて倒れそうじゃないか。と、この辺りで気づくのは……野郎のヌードばかりぢぁないか。腐女子大喜び……でもないか。とにかく女性の肉体美は今回どこにもないのだよ。

「神々と英雄」コーナー。ヤコボ・サンソヴィーノ工房「ネプトゥヌス」うん、なんか定番な感じ。フレスコ画、65~79年「子供たちを解放するテセウス」「ヘラクレスとテレフォス」絵としてもなかなかだが、フレスコがひび入って落ちそうに見えるのがヤバい。彫刻、紀元前4世紀後半「ヘラクレス」、1世紀「座るヘラクレス」……ここで一見サイテーの、しかし素朴な疑問。なぜ最強の英雄ヘラクレスの股間のブツが結構小さいのか? なぜヘラクレスサイズでないのか? 貴様何を言ってやがると思うかもしれないが、これ、結構普通に疑問でないかい? 強いといやあ性欲の、子孫繁栄の、それだけで象徴できるアイテムだぞ。で、思う理由は2つ。その1、表現方法としてカッコワルイから。そりゃあすぐ下ネタに走るお笑い芸はどうも安直だ。エロいシーンで客を呼ぼうとする映画も(それが目的の映画なら別として)、そんなんで客寄せかよ。やっぱそういうものを使わないでキメてこそインテリジェンスだしカッコイイ。その2、笑っちゃうから。江戸の春画でブツをデカく描いたのは有名だけど、あれは見るとつい笑っちゃうんで「笑い絵」とも呼ばれてたんだよね。転じてめでたい絵にもなった。がしかし、彫刻において強靱で美しい肉体を表現したいからってブツまでデカいとどうも姿が滑稽になってしまい、つい笑ってしまう。そりゃあいかん。印象として凛々しくないといかんよ。だからなるべく目立たないでいただきたい。それでヘラクレスでも小さいのだよ。多分。

「ミケランジェロと男性美の理想」コーナー。ここでやっとミケランジェロへの道が示される。ミケランジェロ周辺の芸術家「磔にされた罪人」おお人体。筋骨隆々ですな。2世紀初頭の「竪琴を弾くアポロン」これは筋骨隆々って感じじゃなくて、下半身は男でも女でもない感じに柔らか系。そして階段を下りていって、やっと目玉のミケランジェロ「ダヴィデ=アポロ」実は未完で、ダヴィデがアポロか分からんうちにシスティーナの天井画作成に呼ばれてしまって行くしかなくなった。しかし、その体のデキはシロウトでも分かるぐらい今までと違う。あーたしかに、ここにこう肉付いてるよな。こうなっているよな、という感じが分かって。こりゃミケランジェロ筋肉オタだわ。スゲエわとか思ってしまう。次のミケランジェロの「若き洗礼者ヨハネ」これは初期の作品だそうで、行方不明だったのが見つかって修復された(んだよな)。先と違って少年っぽさと、ただの少年じゃねえ感(?)が見どころですね。目つきがヤバい。次のところにある「若き洗礼者ヨハネ」はこれが見つかる前までミケランジェロ作じゃないかと思われていたものらしいが、だいぶ違うよな。それから階段上がって、ローマヘレニズム彫刻の傑作「ラオコーン」の模作がどどーん! 撮影可能な大盤振る舞い。もちろんインスタ蠅がぶんぶん。しかし解説を見ると、模作というより、細かいところが結構違っていて、作者が自分なりにいろいろ解釈したものらしい。って言われてみると、なんとなくデキがそうよくないように見えるんだな。情報のせい? 比較写真もあるけれど……やっぱオリジナルの方が、よくない? 

「伝説上のミケランジェロ」コーナー。もう終盤で、ミケランジェロの肖像とか。そう見るものはない感じだ。

順を追ってみていると、やっぱミケランジェロすげーなとか思ってしまう、いい演出ですな。2点でも満足できる。
http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2018michelangelo.html

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2018年7月 1日 (日)

建築の日本展(森美術館)

規模がデカいだろうと思って行ったら案の定規模がデカい。デカい模型がバンバン出ているし、本物の茶室はあるし、ライゾマティクスのイケてるインスタレーションもあるんで、ほとんど日本建築博物館みたいなものである。

最初は「可能性としての木造」で、木造建築いろいろ。最初にミラノ万博2015日本館で出てたという「立体木格子」のデカい壁。木材を釘を使わず組んで壁にしているいきなり見ものだ。木と木を繋げる技術として「継手仕口」があるが、木とアクリルを使ったモデルがいいですな。おお日本の技術。「会津さざえ堂」というケッタイな螺旋の木造建築、普通に行きたい。この手ではおなじみ出雲大社。かつて高さが今の倍、48メートルだったという説もあり、そんなにあったら仰天だ。あと「ティンバライズ200」という木造高層建築の構想図と模型がある。これもできたらすげえ。

「超越する美学」のコーナー。見えないけれども何かある、というもので、まず「伊勢神宮」が紹介されているが、高名な割に見た目は地味だ。「佐川美術館」の方がなんとなく言わんとしているところが、分かるような気がする。今時の陰影礼賛かな。

「安らかなる屋根」コーナー。日本武道館の巨大にして日本的な屋根を紹介。武道館の模型。中年世代にはいやが上にも爆風スランプの名曲「大きなタマネギの下で」が耳によみがえるほどちゃんとタマネギが乗っている……いや、俺はあんまりあの曲好きじゃなかったが。「The Tsurai」みたいな方がいい。それはそれとして、おなじみ丹下健三の代々木の体育館もここにある。鶴岡の「荘銀タクト鶴岡」のナイスな模型と屋根。設計がSANAAだから見た目がイイぞ。

「建築としての工芸」ってことで、工芸風のもの、大阪万博での「東芝IHI館」の木組み組み合わせパビリオンってんですか、すごいですな。それから目玉の一つ、茶室「待庵」の原寸大模型。要するにコピー。中に入れるぞ(茶は飲めないが)。マジ入れる。楽しい。外を見ると、窓の向こうは遙か空中。こいつぁシュールだ。

「連なる空間」では休息スペースがあり、建築家の名作椅子なんぞに座れたりするが、それより継手仕口の実物があって、これがパズルみたいでおもしろい。手でいじくって繋げたり外したりできる(ちょっと重いが)。なるほどこうなっているのか。イイ技術ですなあ。それからライゾマティクスのレーザーファイバーとか映像を使ったデジタルでカッコいいインスタレーション。内容は建築と人間のスケールについて(だと思うが、まあどうでもいい感じ)。いろいろな建物の大きさがその場で再現される。クールだ。あとは丹下健三の自邸の模型……ったって1/3スケールだってお。デカすぎる。あとは名建築としておなじみ「香川県庁舎」の紹介。国立博物館の法隆寺館とか。

この辺でだんだん疲れてきて「開かれた折衷」うん、文明開化ぐらいの洋風っぽい和風っぽいケッッタイな建築であるところの「第一国立銀行」面白いですな。現存してないとはもったいない。ややケッタイな「祇園閣」の模型もある。

「集まって生きるかたち」という集合住宅ではないけれど、この先の時代にいかに集まって生きるか、という俺的には、ここが一番現代とつながっていると思った次第である。例のバブル時代のポストモダンのでさんざんもてはやされた「代官山ヒルサイドテラス」もここで紹介。それより単身世帯が増えたので、新しいシェアハウスのかたち「LT城西」に注目。個々人のフロアの高さを変えてプライベート感を出しつつも集合感も出す。よく狙っている。しかーし、単身の問題は高齢者の方が深刻だと思うんで、こうも段差階段が多いときついはずだ。ここも住んでいる人は若者達のようだ。高齢者のケースとしては、フラットな「52間の縁側」これはまだできてないのかな。今後こういうのが進んでくるはずだ。

「発見された日本」コーナー。やっぱしフランク・ロイド・ライトが手がけた「帝国ホテル」がいい。規模拡大の必要性と老朽化で取り壊し……というか玄関だけ明治村に移った。規模拡大はともかく、老朽化ってアナタ、なじぇヨーロッパみたいに何百年ももたんのじゃ。ダメじゃないか。

最後「共生する自然」ええと……何があったかな。あ、「名護市庁舎」ね。あと断崖絶壁のバカ建築「投入堂」調べたらマジすげえよここ。あー、あとトマムに行っておきながら見落とした痛恨の「水の教会」もここです。

そんなわけで日本の建築の特徴が分かり、タプーリ楽しめる大規模展示だ。今回イヤホンガイドはただではない(ので借りてない)が、イラストガイドが分かりやすいぞ。
https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/japaninarchitecture/index.html

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2018年6月23日 (土)

ゴードン・マッタ=クラーク展(東京国立近代美術館)

えーマッタク知らん人でありまして。1970年代のニューヨークで活躍し、35歳でお亡くなりという人だそうです。使わなくなった建物をブッタ切る豪快な作品(ビルディング・カット)が売り。
それより近代美術館のこの手(現代もの)の展示は期待してよいぞ。なんたって展示空間からして凝っていることが多いのです。今回もそうなのじゃ。大空間を生かした非日常空間をドカンとやってくる……あと映像が多いんでまともに全部観るにゃあちと時間が要る。
 
最初からいきなりビルディング・カット。「サーカス」と名付けられ、シカゴ現美の隣の集合住宅を壊すんで、そこに丸い模様のカットを何ヶ所も入れちゃう。面白い。面白いんだけど、写真を見ても、分かりやすくはない。いや、だんだん分かってきて「おー」とは一応なるんだけどね。しかし、今回はそんなこともあろうかと(?)。模型を用意しましたぜ。早稲田大学建築学科 小林恵吾研究室が作成。おお、これで、いかにカットしたかが分かっと。それから「ウィンドウ・ブロウ=アウト」というプロジェクト。建物の出窓に、窓ガラスを割った写真を貼り、それで公開前日になって本当に窓ガラスをぶっ壊して主催者のヒンシュクを買ったもの……と解説にあったと思うが違うかな……? 今回どうも解説文が難解なんだが気のせいか? やってることはそんなに難しくないはずなんだが。単に文章量が多くて頭がオーバーフローしたのか? まあとにかくこれは写真だけだす。
 
えーそれから木のドローイングいろいろ。「ツリーダンス」というイベントの映像。木の上で生活するはずが、なんか許可が出なくて一日になったとか。ん、なんか木の上でいろいろやってる。そういえば葉がなかったから見やすいよ。それから、空き家の一部を切断して持ってくるというようなヤツがある。
 
んでいよいよ、建物切り。まず「スプリッティング」という、家をまっぷたつにするヤツ。作業中の映像があるが……なんかアートじゃなくてもう力仕事ですなあ。大変ですな。写真もある。しかし、明らかにこれは「現場が面白い」ものだと思うんだよね。なんとなれば、あの、模型もあるんです。「スプリッティング:四つの角」という建物を四分割したヤツの模型……え? 模型じゃない? 本物の一部? ……えーそうなんだ。それから、ここは既に大空間で。「壁=紙」っていう作品群があって、古い建物の味のある壁を写真に撮り、新聞用の紙に印刷してアート作品になるぞってもん。これ本物を1枚もらえるぞ。
 
それから「グラフィティ」関係の作品群。鉄柵の囲いなんぞ使って凝った展示をしている。ストリートのグラフィティ(文字の落書き)をモノクロ写真で撮って、プリントして自分で色つけちゃう。それから映像作品いろいろ。一番デカいスクリーンが「フレッシュキル」というもんで、走ってきた車がそのまま別の車(ブルドーザー)によってスクラップにされるという観てると意外とショッキング。そういえば、外に「ごみの壁」というゴミを集積させた壁状の作品があるが、ゴミにしちゃちょっと小ぎれいだ(ゴミだけど)。これを見て、都市とかゴミとか使わなくなった建物を利用とか、我が国のアートグループChim↑Pomを思い出す。こういうところから影響受けているのかな。それから何があったかな。「パリの土の下」とかいう覗き穴から見る感じの映像なんだけど、ぜんぜん一部っきゃ見てないんだけど、土木資料映像みたいでな。あとは「日の終わり」これは分かりやすい。デカい倉庫の西側に穴をあけて、太陽の光を呼び込む。穴の形が酒井抱一の月みたいでな。で、穴をあけるところの映像があるが、光が射し込んでくる様がなかなか神秘的でイイ。あとここは倉庫風の鉄板壁で仕切られていて面白いぞ。それから時計台で髭剃ったりするパフォーマンス映像。「オフィス・バロック」というビルティングカット。これも模型がある。大規模だよなあ。
 
「フード」というレストランの映像や資料があるが、これはアーティスト達がやっていたレストランという、それ以上でも以下でもない感じがする。「アート活動」としてやっていたんだろうか。「アート」としての食事では、かの折元立身が行った「おばあさんたちのランチ」が思い浮かぶ。そういえば折元もこの時代の、フルクサスなんかに源流を持っているんだよね。実のところ「アート」として意味付けできれば、食事だろうが何だろうか「アート」になるのだ。最後に「円錐の交差」というパリのビルディングカット。これも映像があるが壁に穴あけて大変そうですなあ。これでおしまい。でも書いてないこともいろいろあるよ。
 
面白いものであるのは分かるが、何しろ解説や映像などの情報量も多い。余裕を持って、じっくり行くとよいでしょう。
www.momat.go.jp/am/exhibition/gmc/

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2018年6月16日 (土)

ルーヴル美術館展(国立新美術館)

肖像芸術で構成されとります。肖像ってやつは、それが誰か知らないとあまり楽しめなかったりして、それでもまあルーヴルだから、まあなんかそれなりのものが見れるであろうと、期待もそこそこに出向く。
半分ぐらいが彫刻で、古くはエジプトから。肖像の歴史を追うような形で展示されておる。

「マスク-肖像の起源」ってことでエジプトもの二つでスタート。一つは紀元前の木のマスクで、これはいかにもエジプトなんだけど、もう一つが2世紀後半のエジプト、テーベ出土の女性肖像画……って、なんか妙に写実的でうまいじゃないか。目に光の点々もあって、とてもそんな古いとは思えんな。

「記憶のための肖像」コーナー……なんたら文明の彫刻が多くてな、わしはあまり興味のないところじゃ。テーベ出土らしいとかいう、「第4アメン神官カミメン、妻メリトレと息子」こりゃいかにもエジプトって感じがいいですな。象形文字が味を出してますな……まあそんなところよ。エデッサあたりで出土とかいう「葬礼モザイクの3つの断片」は文字通りモザイクでの肖像。彫刻ばかりの中で風変わりで面白い。それから太陽光を反射させて顔だけ日焼けしたい人の像がある……ってのは嘘だが、「ボスコレアーレの至宝 エンブレマ型杯」は、そんな感じで、銀のデカい杯の中に頭が出ておる。お、絵画があるぞ。ダヴィッドの「マラーの死」ええええ、超有名なやつじゃん……って、なんか最近どこかで見たような気がするが。これ評判いいんで工房で同時代にレプリカを何枚も作っていて、やっぱしその1枚だってお。

「権力の顔」コーナー。はい権力者です。これも彫刻がずらずら。「トガをまとったティベリウス帝の彫像」うむ、なかなかデカいですな。よく持ってきましたな。でもあとにもっとデカいのがある。おっと肖像画、イアサント・リゴー「聖別式の正装のルイ14世」……うむ普通の絵画だ。フランチェスコ・マリア・スキアッフィーノによる代理石像「リシュリュー侯爵 ルイ・フランソワ・アルマン・デュ・プレシ」は……なかなか細かいですな。しかし名前がいちいち長えよ。山田さんとか鈴木さんとか、そういう短いのはないんかい。あーしかし知らんヤツばかりで退屈だ……というアナタに。いよいよ登場ナポレオン。みんな知ってる。やっぱこれだお。アントワーヌ=ジャン・グロ「アルコレ橋のボナパルド」おお肖像画だ。軍人にしちゃ迫力がもう少しほしいかな。グロが描いてもグロい絵ではない。それより隣のアンヌ=ルイ・ジロデ・ド・ルシー=トリオゾン「戴冠式の正装のナポレオンⅠ世の肖像」うむ、これの方が貫禄があってよい。皇帝らしい白マントだお。しかしそれより、クロード・ラメの大理石像「戴冠式の正装のナポレオンⅠ世」こいつは、さすがに彫刻にうといわしでも、おおおお、なんかすげえな、というシロモノ。デカいし、着物の布の質感ってんですかね、とても石に見えねえ。マントに昆虫がとまっているが何だろう(ミツバチらしい)。それから有名なアングルが描いた肖像「フランス王太子……(長いのでもうめんどくさい)」アングルらしいド写実。

「幕間劇Ⅰ 持ち運ばれ、拡散する肖像」ってことで、カメオとか宝飾みたいに小さいものを展示。暗い別室っぽい雰囲気で、なんちゅーか今回、展示室ごとに壁の色なんぞにも変化があって面白いですな。

それから、権威ある女性のコーナー。なんかベラスケスみたいな絵があるけど、うまくねえからフォロワーかと思ったらベラスケス工房だったでござる。案外元もこの程度だったりしてな。セーヴル王立磁器製作所が作った人気のマリー・アントワネット胸像あり。詩人とか文筆家、哲学者のコーナーで、イタリア出土の「詩人の彫像」がデカい。あといろいろいるが分からんな。「古代風の衣服をまとったジャン=ジャック・ルソー」あー、宗教改革やった人……いや、あれはルターだろ。哲学者のルソーね。40代までニートだったんだっけ?

「幕間劇Ⅱ」というコーナーではルイ18世の、嗅ぎタバコ入れの箱にはめ込む式の有名人の肖像コレクション。その日の気分に応じていろいろ変えられるんだぜ。

「コートとモード」のコーナー。まず男性肖像で、ボッティチェリの工房の「赤い縁なし帽をかぶった若い男性の肖像」が工房作ながらいい感じで。えー、あとは……女性肖像。ここで目玉のヴェロネーゼ「《女性の肖像》、通称《美しきナーニ》」さすが目玉で、いい感じの油彩肖像画ですな。品がいいですな。頬が赤いのがまたイイですな。レンブラント「ヴィーナスとキューピッド」これもなかなか。ヴィーナスのモデルが当時の内縁の妻だそうだ。そうか理想化されてない感じだもんな。それにしてもレンブラントの背景色って、黒じゃないんだよね、焦げ茶っぽいんだよ。確か他の絵もそうだったと思うぞ。ヴィジェ・ル・ブランの「エカチェリーナ・ヴァシリエヴナ・スカヴロンスキー伯爵夫人」美人画家にして美人描きのヴィジェ・ル・ブラン。エカテリーナさんの肖像で無難に美人。なんと隣に、ヴィジェ・ル・ブランをモデルにした胸像があるんだけど美人すぎだろこれ。それから誰の絵か分からんが「老齢の家庭教師」厳しそうなババアだな……って、なんでこんな絵描こうとしたんだか、それに興味があるな。それから子供を描いた絵。ゴヤがね、描いてんだよ「第2代メングラーナ男爵、ルイス・マリア・デ・シストゥエ・イ・マルティネスの肖像」子供子供した子供だー。なんだかんだで宮廷画家なんだよね。ちゃんと仕事してるじゃん。ジャン=フランソワ・ガルヌレの「画家の息子アンブロワーズ・ルイ・ガルヌレ」女の子かと思った。しかしこの、今時っぽい雰囲気は何だろう。それから自画像なんだけど、ちょっと毛並みの変わったヤツ。フランツ・クサファー・メッサーシュミット「性格表現の頭像」なんか渋面というかすげえ顔だな。しかしそれよりジョセフ・デュクルー「嘲笑の表情をした自画像」これがナイスだ。こっちに指まで突きつけて、何かセリフを言わせたいですな。絵葉書があれば買いたかったが無かった。最後はアルチンボルド。「春」と「秋」再会だよな。これで終わりだ。

派手な目玉のある展示ではないが、悪くない。部屋をいろいろ巡っている感じが面白い。
http://www.ntv.co.jp/louvre2018/

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2018年6月 5日 (火)

夢二繚乱(東京ステーションギャラリー)

点数が多いだろうと思ったらマジで多い。しかも「夢二と出版」というコンセプトで印刷物も多いもんだからさらに多い。しかーも、クライマックスが最後にくる。
 
最初は「夢二のはじまり」コーナーで。若い頃の作品らしい。「月見」の美人は普通っぽいが、「芸者」なんて27歳ぐらいだともう夢二美人は完成しているようだ。「どんたく」という文章のない絵本がある。デザイン画っぽい、アルファベットで「DONDOC」だって。そうなのか? 北斎マンガっぽい「夢二エデホン」とか。やはり版画など印刷よりも水彩なんぞがよくて、「月の出」で浮かび上がる少女の顔などなかなかイケる。
 
「可愛いもの、美しいもの」コーナー。夢二美人の掛け軸とか。うーん夢二美人って、前は「貧血で倒れそうな」とか形容してたが、今見るとそれもちょっと違うな。どういう形容がいいのか、「キレがない」「ヌーっとしてる」「アンニュイ」まあとにかく夢二美人。あんまし萌えない。多分だけど、モテる人ほど夢二美人のよさが分かる。夢二がモテたしな。それより、意外な、というか知っている人には今更なんだけど、夢二はデザインが優れている。その千代紙模様というんですかね、「みなとや版」とかいう。それが並んでいて、なかなかいいセンスですなあ、という感じ。いや萌えない美女より、こっちの方が本業ってことでいいんじゃなかろうか。あとはうちわがあり、絵はがき「月刊夢二エハガキ」とかが大量にあり、しかしやっぱり原画がいい。印刷物よりもダイレクトだ。「かるた会」『新少女』口絵原画や「お正月」『少年少女』表紙原画とか。本の装丁もやってたんで、本がずらっと並んだりしてる。「春の鳥」の表紙を開いたところの……なんだっけ専門用語あるよな。ま、そこの模様も凝っている。階段を降りて、子供の雑誌の絵が並ぶ。中でも「手つなご」『コドモノクニ』大正11年12月号。富士山の周りを手をつないだ子供が回っている。おお、これは、そう、アンリ・マティスの「ダンス」を意識したと思われる。いや、そうに違いない。原画の「《童子》」も同じように手をつないで回っているが、こっちは覇気がねえ。
 
「目で見る音楽」コーナー。圧巻はセノオ楽譜大量展示。この表紙を夢二が手がけたが、とにかくバリエーションに富んでいるところは、非常に器用だ夢二先生。夢二美人だけじゃなく、水彩風景風、木版画風、スケッチ風、あと抽象画風まである。あとは夢二美人掛け軸。「早春第一枝」は実にはかなげだ。婦人向けの「婦人グラフ」もイパーイ。
 
そして最後『出帆』という新聞連載の小説の挿し絵134点。墨で描いた原画なので鮮やかだ。ここが目玉。ここがクライマックス。自伝的小説の挿し絵なんだって。なもんで、なんと年表と合わせた形で展示してある。普通年表はそれだけで出ているものだが(いつもほとんど見てないが)、今回は画期的スタイルだ。それにしても女性遍歴がパネエな。たまき、彦乃、お葉ときて、山田順子とな。どうしてそうモテるんだええ? あと、絵で描くと女性はみんな同じ顔のようだがの。似顔にしていないのだ。
 
十分な点数で夢二の活動を追うことができる。しかし好みとしてはデザイナー夢二だな。
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201805_yumeji.html

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2018年5月21日 (月)

「ターナー 風景の詩」(損保ジャパン日本興亜美術館)

言わずと知れたターナーの風景画だらけの企画。すごくないわけがない……と言いたいが、ま、それはあとで分かってくる。
コーナー別になっていて、コーナーがそれぞれ年代順になっている感じかな。
 
最初は「地域的風景画」これ何かって言うと、絵から場所がちゃんと分かるものってことらしい。浮世絵の名所絵みたいなもんかな。最初に出ているのは「マームズベリー修道院」。19歳……にして既にデキあがっている! 朽ちた建築物の感じまでちゃんと出てる。むう天才じゃん。とはいえ、私なぞが驚嘆する半分抽象画につっこんだ「あの」ターナーではない。「ソマーヒル、トンブリッジ」がデカい。ちょいブワッとしている。水面グッド。水彩が多いが、版画も多くて「メゾティント」という技法が冴える。これで筆で塗った濃淡みたいなのを表現できるのだ。どういう技法かは解説を読めい。イギリスの、よく知らん風景ばかりだったが、「ストーンヘンジ、ウィルトシャー」おお、あのストーンヘンジぢゃないか。それにしても雷が描いてあり、雷に打たれて倒れている人、なんてのも描いてある。変な絵でもある。
 
次は「海景」のコーナー。いよいよ本領という感じですな。「インヴェラレイ城の見えるファイン湾」これは空がそれっぽい……とメモしてあるが忘れた。「風下側の海辺にいる漁師たち、時化模様」これはなかなか傑作。人間が太刀打ちできない自然を描いたとか、なんだけど、まず波の表現すげえ。リアルだ。クールベさんに通じるものがある。しかし思うにクールベさんの絵は、人間にとって得体の知れない自然、という点でなんちゅーか自然の凄みみたいなもの(人間の視点から)を感じるが、ターナーのこれは絵のテーマがそうであってもイメージははっきりしているので、なんか神の視点っぽいですな。うんまあ、どっちもいいよ。「ヘレヴーツリュイスから出航するユトレヒトシティ64号」うむ、デカい絵だ、それに、そろそろ「あの」世界が来そうだぞ。「海と空の習作」キターっ! これはモノクロだが、来ましたよあのターナーの世界が。1925年。50歳。そう、この年齢ぐらいから「あれ」が始まるのだ。「海岸で救難作業をする人々」これも「あれ」だ。空と海の境界もあいまいでヤベエ。「海辺の日没とホウボウ」先の絵もそうだが、水彩でいわさきちひろっぽい。つまりちひろはターナーも参考にしてるんじゃないだろうか。「オステンデ沖の汽船」おおこれぞ! これぞ「あの」ターナー。風景画でありながら、抽象画の感触を持つ。そしてこの時、ターナーの絵は時代を飛び越えて現代アートとしても鑑賞可能となる。私の好きな抽象画家にザオ・ウーキーという人がいますが、このターナーの絵はザオの絵と感触が非常に似ていて、例えばこの絵に、ザオ・ウーキー作、と書いてあっても普通に納得してしまうくらいです。
 
「イタリア-古代への憧れ」というコーナー。まず円形のキャンバスの「キリスト教の黎明(エジプトへの逃避)」晩年風である。「風景タンバリンを持つ女」これも晩年風だが惜しい。ブワブワッとしているのはいいが、何が描いてあるか分かるので印象はイマイチ。そう、ターナーは何が描いてあるのか分からなくなってからが本番だ! あとは何か小さい版画がいっぱい。
 
「山岳 - 新たな風景日を探して」ということで、当時は山岳の絵を描くのは少なかったそうです。でもターナーはやった。「サン・ゴタール山の峠」高所恐怖症にはちょっと厳しい絵だ。これもコーナーの晩年のあたりに注目「古都ブレゲンツの眺め」うむ、「ルツェルン窓越しに見えるピラトゥス山」これはギリギリの感じ、とメモってあるがどんなんだったかな。あとは常設展示でおしまいなのだ。
 
ほとんどが普通の、うまい風景画であるが、その中に「あの」時空を飛び越えてくるターナーがいるのが嬉しいじゃないか。
https://turner2018.com/
 

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2018年5月12日 (土)

プーシキン美術館展(東京都美術館)

「旅するフランス風景画」とのことで、あんまし期待していなかったがナカナカといったところだ。うん、悪くないよ。
 
年代順で、まず「近代風景画の源流」ってことで、最初にガスパール・デュゲって人の「ラティウムの小さな町」うっ……なんかショボいんで先行き嫌な予感がするが、次がおなじみクロード・ロラン「エウロペの掠奪」得意の大画面でまずまずのもん。人物というかここでは事件が小さく描かれ、景色を雄大にってやつだね。さすが理想風景画家。近いところの他の絵も概ねそんなもの。ジャン=バティスト・マルタン「ナミュール包囲戦」なんてのは史実が分からんと、イマイチよく分からない。純粋な風景画ってわけではないのでな。えー次、ジャン=バティスト・フランソワ・バテル「五月祭」。これがフェト・ギャラットいわゆる雅宴画。つまり18世紀フランスのロココ時代のゆるゆる貴族絵画なんだけど、この絵はイマイチ(というか思い出せん)。次のニコラ・ラングレ「森のはずれの集い」。これもさっきよりはいいが……うーん、雅宴画たるもの、もっとさー「貴族でーす」「バカでーす」って感じにしてほしいよなあ。次のジャック・ド・ラジュー「狩猟後の休息」これはなかなかいい雅宴画。おバカではないが、大きめの絵だし、なんたってブランコ。そうそうこれこれ。ブランコがあると雅宴気分がググッと増しますな。それからロココのブーシェが珍しく「農場」なんていう農家の絵なんか描いちゃって……意外とウマい。さすが名が知れてるだけあるな。クロード=ジョゼフ・ヴェルネ「日の出」と「日没」対になっている。どっちもオレンジに染まっていてなかなかだ。あとはユベール・ロベールって人、「廃墟のロベール」って呼ばれてたんだと。だから廃墟の絵な。ニコラ・アントワーヌ・トーネー「アルカディアの牧人たち」デカい絵だ……がまあ普通だ。
 
「自然への賛美」ってコーナー。おなじみカミーユ・コロー「嵐、パ=ド=カレ」は……灰色基調で小さいな。次もコロー「夕暮れ」おお、こっちの方がコローらしい。夕焼けに映える木の細かいシルエットだお。ジュール・コワニエ/ジャックレ・レイモン・ブラスカット「牛のいる風景」おお写実だ。牛がきっちり描いてある。うまいじゃん。クールベさんの「水車小屋」描き方がラフで、原色でない印象派のような作品。うん、やっぱりクールベさんは時代を先取りしてるじゃん。同じクールベさんの「山の小屋」というのもで出ていて、こっちは晩年の代表作なんて書いてはあるが、ちと小品だし普通ですな。
 
「大都市パリの風景画」コーナーだお。いきなりルノワールの「庭にて、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの木陰」。例の有名なデカいヤツ……の一部っぽい感じで、実際一部を独立した絵にしたんじゃねーかって思う次第である。ジャン・フランソワ・ラファエリ「サン=ミシェル大通り」は雨上がりのパリの雰囲気よし。エドゥアール=レオン=コルテスの「夜のパリ」も雰囲気もので、ま、このコーナーは絵がどうこうよりもパリの雰囲気を楽しんでくれい、というものですかな。アルベール・マルケ「パリのサン=ミシェル橋」ん、どこかで見たぞ。練馬区立美術館のパリ企画だったかな。平面的でなんとなく覚えている。マルケはもう1枚あるぞ。ルイジ・ロワール「パリ環状鉄道の煙」はデカい。タイトル通り、煙漂う画面だす。いや、悪くないよ。
 
「パリ近郊 - 身近な自然へのまなざし」ってことで、まずはある1枚の絵が解説パネル充実の特別展示。うむ、これが目玉かな。クロード・モネ「草上の昼食」。公園かどこかで紳士淑女がランチ食ってるところ。同じタイトルの、マネの大変有名な絵があるのだ。なぜに有名かというと女が一人裸なもんで、当時はスキャンダル画だった。これにインスパイアされてマネのまねをした……だけじゃなくて、他にも同じようなテーマの絵とか、あるいはロココの雅宴画とかにも影響されて描いたのがモネのコレだ。……が、見た限りではあまりモネ向きの画題ではないと思うぞ。モネはバリバリの印象派で、屋外風景には向いているが、人物にゃイマイチ感が漂う。これは、アレだ、アレに似ている。尾形光琳が俵屋宗達にインスパイアされた「風神雷神図」まあ、あれはまんま劣化コピーで(というか不得手なんだと思う)これとは違うんだけど、自分なりにオリジナルを消化してがんばって描いたってことでは似たようなもんではなかろうか。モネは他にも何点かあり「白い睡蓮」が、例のモネに庭の橋の絵で定番なんで安心して見ていられる、あとは印象派、シスレー3作を手堅く展示。ピサロもあるがイマイチ、セザンヌ「ポントワーズの道」も普通だな。マティスの「ブーローニュの森」はちょいフォーヴ。モーリス・ド・ヴラマンク「小川」いや、好きだよヴラマンク。ゴッホを超えた男。緑が基調でよし。「オーヴェールの風景」も奥行きが感じられてよし。ピカソ「庭の家(小屋と木々)」うむ、ピカソだな。
 
「南へ - 新たな光と風景」ええと……ここはセザンヌが3つほど「庭園の木々」大きめ。「サント=ヴィクトワール山の平野」セザンヌらしい定番。黄色基調。「サント=ヴィクトワール山、レ、ローヴからの眺め」これの解説ではキュビズム誕生のもとになったとかなんとかでまあ分からんでもない絵だ。おっとボナールかなと思ったらボナールの「夏、ダンス」大き目の絵ですな。色がおなじみな調子ですな。ドランのフォーヴもんが2つほど。ヴラマンクは好きだがドランまでくるとちょっと引き気味な私です。ルイ・ヴァルタ「森の小屋」「アンテオールの海」うん、ちょっとよく分からないけど面白い。
 
最後、「海を渡って/想像の世界」いよいよクライマックスだお。ゴーガン「マタモエ、孔雀のいる風景」タヒチ萌えのマタモエじゃ。タヒチもんの中じゃなかなかじゃなかろうか。孔雀がいいよな。しかしだ、次のアンリ・ルソー「馬を襲うジャガー」……な、なんだこれはっ! いや、どう見てもルソーの絵だよ。しかし馬を襲うジャガーって……馬が普通の、というかカワイイ系の顔してて表情も特になくて、それって襲われてねえよ。ジャガーも馬にくっついてはいるが何してるかよく分からない。ジャングルではなく、どう見ても南国植物園でスケールも適当。要するに妙ちきりんな絵なのだが、逆に、それが幻想性を高めている。「素朴派」と呼ばれているルソーだが絵は全く素朴ではなく、ジャングルで馬がジャガーに襲われている絵を描きたい、という動機が素朴でそれを技量も適当にムリヤリ押し通したのである。結果予想外の非日常的な、幻想的な絵画になっちゃった。世の中にはそういう姿勢でヒットを飛ばしたアーティストもいるのだ。だからYouもやりたいことをやっちゃいなYo! えー、あとはドニの「ポリュフェモス」例のドニ。らしい人物。あとは何とかでおしまいなのだ。
 
超ド級の目玉はないものの、まずますのヒットがある。特にルソーにはやられたぜっ。
http://pushkin2018.jp/
 

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2018年5月 4日 (金)

現代美術に魅せられて(原美術館)

一通り見終わったらちょうど学芸員の解説があって、それを聞いたりしてた。それより、前の日に江頭2:50のDVDを借りて見ていて、行った日は大木こだま・ひびきの漫才をウォークマンに仕込んで往復ずっと聴いていたら、なんか頭がおかしゅうなってきてな。本日は以下のような内容となりました。関西人じゃないので関西弁は適当や。
 
「この美術館は昔人が住んでたところだそうや」
「ははー住宅を美術館に改築したんですな」
「設計は有名な建築家で、国立博物館の本館を設計した人らしいで。あっちは宮殿みたいやろ(帝冠様式いうそうです)。でも、こっちはバウハウス風やて」
「風呂屋でっか?」
「バスハウスやない! とにかく今回は収蔵品展。まず入るとレイノーの『アタッシュケース』があるな。3階にあるタイル部屋と同じ人やね。これはアタッシュケースの中にタイルが敷いてあるんや」
「タイルスタイルでんな」
「意味分からん。最初の展示室にはミカリーン・トーマスの『ママ ブッシュ:母は唯一無二の存在』黒人女性のヌード画やけど、作者のお母さんやて。作者も黒人ってことやな。でもかあちゃんの裸描くってのは、なんかやりにくそうやなあ」
「ま、背中なら掻いたげますけどね。痒いって言うから」
「背中掻くのと関係ないがな」
「ほら『かく』でおなじでしょ」
「同じやないやろ! お前、明日絵を描く授業や言うて孫の手持ってくんか?」
「いや、もののたとえで……」
「ピピロッティ・リストの『ラップランプ』ってのがあるな。スタンドから椅子に動画を投影しててな、本来は椅子に人が裸で座って、肌がスクリーンってもくろみだったんやて。でもここのは収蔵品やから座っちゃあかんて」
「椅子だからいいっす、みたいな」
「おもろない。あと加藤泉のちょっとキモい人形があるな。おなじみの作風や。これは口から草生やしてる」
「これ、最初見た時はギョッとしましたよね」
「わしもお前と間違えて、なにこんなところに座ってんねんと」
「ほんとでっか?」
「嘘やがな。廊下行こか。はマリック・シディベってな、アフリカはマリの人やて。黒人主役の日常スナップやな」
「最近の傾向でグローバルなんだそうですね。横浜トリエンナーレみたいなアートイベントもあって、世界中からアーティストが来るみたいやし」
「そやな、うちもグローバル化しよう思うてな、こないだ地球儀買うてきたんですわ」
「あ、世界の勉強ですな」
「でもな、その地球儀どうもおかしいんや。日本がないねんで」
「え? ミスプリント?」
「おかしいなあ思うたら、アメリカもオーストラリアも中国もないねん。よう見たらビーチボールやがな。地球儀にしては安いなあ思うたんやけど」
「あんた地球儀とビーチボール見分けつかんのかい!」
「つかへんのやー」
「ボケとったんか?」
「ボケとんのやー」
「情けないな」
「情けないのやー それよりこっちにアラーキーがあるで」
「荒木経惟ですな。こないなミューズと呼んでた女性にセクハラとパワハラを暴露されましたな」
「まあ芸術家ってなしょーもないやつおるからな。ゴッホもストーカーやったし、ピカソも無類の女好きで、好き放題やってたしな。今回の写真は人じゃなくて、枯れた花やな。まあ人間的にはアレでも、この作品を見る限り、ある種の優れた感性を持って写真を撮っているとは思えるで」
「でももうセクハラが許される時代やないし……生き残れるかは神のみぞ知るですな」
「誰が知ってるって?」
「いや、神様が」
「お前よう神様が知ってるて知ってるな。神様と話でもしたんか?」
「いや、神様は何でも知ってるでしょ」
「三日前の朝、わしが何食べたかも知ってるんか?」
「もちろん知ってるでしょ」
「なんでそんな、しょーもないこと知ってるんや! そんなんわしにとってもどーでもええことやないか」
「いや、でも何でも知ってるって……」
「1階の奥の部屋行こか。クリスチャン・ボルタンスキー。『プリム祭』や。子供達の写真を祭壇のようにしてまんな。写真がピンぼけで、多分これ行方不明の子とか、そんなんかな思うてな」
「さっきのギャラリートークでも今はいない人では、とか何とか言ってましたね。あとプリム祭ってユダヤのお祭りだって」
「あと、こっちはやなぎみわの有名な作品やね。『案内嬢の部屋』制服を着たマネキンのような女達が並ぶ写真でんな。制服を着るだけでそういう役割を与えられてしまうっちゅう、社会に向けたメッセージやね」
「いやー制服の女ってええですな」
「お前何言うてんねん! 今の話聞いとったんか?」
「え? よくないんですか?」
「裸の方がええに決まっとるやないかい!」
「え、そんなこと言ってないでしょ」
「あそこがエルネスト・ネトの立体。ブラジルの人やて。天井から何か垂れている造形でんな。こっちはアドリアナ・ヴァレジョンの絵で『スイミングプール』。これ油彩やけど、プールのタイルの目地が水で揺れている様子をそのまま描いたトリックアートみたいな作品やな」
「私トックリアートが好きです。酒好きやし」
「お前アホか」
「いや、だって2合トックリとか……」
「トックリからそのまま飲むんかい! オチョコもコップも使わんのかい」
「え? そうくるの?」
「とにかくもう2階行くで」
「あ、おなじみ宮島達男のデジタルカウント作品の部屋や」
「お前が、暗いとお化けが出る怖いあかん行けへん言うた部屋や」
「そんなこと言ってへんよ。この前にある仏壇みたいなのは何でしょ」
「森村泰昌の作品『スローターキャビネット』や。仏壇の奥は写真で、ベトナム戦争ん時の有名な写真を大阪と本人の写真を使ってパロディにしたものらしいな。森村泰昌はよく本人が誰かの扮装をして作品にするんや」
「え? 例えば誰です?」
「うーん、フリーダ・カーロとか、マリリン・モンローとか」
「え? 女装だけですか?」
「男装もしとるはずだが忘れた」
「束芋もありますね。なんと『原俊夫氏のために描いた線画』で、和紙に墨ですって。このスカートめくってる娘が目につきますな」
「お前そういうとこしか目が行かんのかい」
「えー違いますか?」
「パンツに目が行くに決まっとるやないか」
「うわ、しょーもない」
「こっちは蜷川美花やな。例によってちょっと毒々しいような花の写真でんな。例の調子だからすぐ分かる」
「こっちには杉本博司の写真の部屋がありますな。『仏の海』って、仏像びっしりでんな。これ三十三間堂ですかね?」
「あれは確か千手観音やろ。これは違うから別のとこやろなあ」
「じゃあ三十二間堂ぐらい」
「三十三間堂って住所やないやろ!」
「隣に動画の部屋がありますな」
「ウィリアム・ケントリッジの『Memo』っていう、紙に乗ってるインクが勝手に動いて作者を困らせるのおもろいな」
「佐藤雅彦の『CALLING ドイツ編』は、風景の中で突然電話が鳴るというシーンがひたすらありますな。電話には結局出たんですかね? そこまで撮ってないし」
「いや、それがアートやで」
「アートなだけにアート(あと)のことはどうでもええと」
「つまらん。奥の部屋行くで。柳幸典『38度線』。タイムリーやな。ちょうど南北交渉したとこやね。色付き砂で作った北朝鮮と韓国の国旗や。間に何か色が混ざったようなケースがあってな。ここで以前アリを飼っていて、巣を作るためにそれぞれの国旗から、砂を少しずつ運んできたんやて。そのまま進んでいれば、二つの国旗は混ざり合ったかも、という作品や」
「アリさん、ありがとうでんな」
「何言うてんねん。そっちは有名な横尾忠則や『戦後』陶板作品やて。イメージは戦後の焼け野原。真ん中に見える人影は子供の頃の美空ひばり。まあ終戦直後のアイドルやな。今で言うところのAKBか」
「いや、全然違うでしょ」
「今のアイドルよう分からん。みな同じや」
「そりゃ味噌もクソも一緒ですな」
「そんなん違うやろー お前味噌とクソ一緒なんか?」
「いや、よく言いますよね」
「お前毎朝トイレ行って味噌出してるんか? 買いに行かんでええな」
「うわ汚い。そんなんちゃいますよ」
「この部屋の奥には奈良美智の小部屋があってな。奈良は部屋の方にアクリル作品もあるけど、こっちの小部屋の方が似合うな」
「奈良さんを丁寧に言うて、オナラさんってどうです?」
「帰れお前は!」
 
他にもいろいろあったが書くの疲れた。
http://www.haramuseum.or.jp/

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2018年5月 2日 (水)

池田龍雄展(練馬区立美術館)

「戦後美術の現在形」というタイトルも付いております。90歳近くでまだ現役であります。元々特攻隊員だったそうで、戦時中のお国のために死ぬ教育を受けてきたが特攻隊の訓練中に終戦。世の中が一気に民主主義化して、本人は軍国主義者の烙印を押されてしまったそうで、権力にさんざん振り回され、頭にこないわけはない。
 
……という反権力の絵画からスタートする。「第0章 終わらない戦後」終戦間もない頃だけでなく、2010年作なんてのもあるので、今も変わらず権力へ向けた目は持っているのだ。「にんげん」は昭和天皇がモチーフで、なんともやりきれなさが伝わってくる。「僕らを傷つけたもの 1945年の記憶」は、敗戦前に爆撃される人々。力で押さえつけられるあまりの恐怖。戦争に勝てばよかったのか? いやいや、それだとこの恐怖を誰かに与えることになるではないか。「大通り」は虫のような戦車の絵。「散りそこねた桜の木」は2010年作。日の丸と死のイメージで実に重たい。
 
「第1賞 芸術の政治の狭間で」ここからまあ時代順。戦後間もない頃の素描があるがパウル・クレーっぽい。あと、この頃の暗いシュールレアリズム系絵画がいくつも並ぶ。この手は板橋区美術館がよく持ってて、時々展示してる感じだな。嫌いじゃないぞ。非常に強い怒りややりきれなさなどの感情が絵に込められていて、しかも手法がシュールときた。なので、時にピカソを超えている絵があると思う次第である。あと、ルポルタージュ絵画といって、現地に取材に行って描いたものも多い。「綱元(《内蔵》シリーズ)」は、どこぞの軍用施設建設反対運動を取材。実は施設ができると金が入る。なもんで、反対運動もトーンダウン気味。しかし、そんなことじゃ、自分達の首を絞めるぞ、という意味で、人の首に綱がくくりつけられてる絵画だ。「10000カウント(《反原爆》シリーズ)」は、水爆実験の被爆海域の魚が調べられるため、網で吊し上げてるというもの。憮然とした魚の表情がよい。「規格品」は巨大な絵画。おぞましき赤い機械から、機械生産のソーセージがどんどん出てくる。不気味な絵だ。
 
上の階へ行く。モノクロで有機的でシュールな構成の絵が並ぶ。池田の絵はよくシリーズがあり、それぞれテーマを持っている。「《化け物の系譜》シリーズ」は、気になった事象を化け物として描いてしまうもの。ポスターにもなっている百目のごとき「巨人」もここだ。「企業」はひたすらグロい装置のごとく。「谷間」は、円筒状の巨大構造物(工場)が町に横たわる。「倉庫A」は、ネズミとの戦い。「現場」は、どこの現場か分からないが、なんかすげえ。「アトラス」は、大陸間弾道ミサイルの驚異。
 
「第2章 挫折のあとさき」戦時中は、軍国主義だったのが、戦後になって急に民主主義になり、おまけに「実は僕、戦争なんて反対だったんでちゅ」とイケシャアシャアと言ってのける輩も出現し、池田は社会派絵画に挫折してしまった。絵のテーマも社会派よりも、内面を向いたものとなっていく。「《禽獣記》シリーズ」は、これも妖怪のようなものだが、先の化け物と違い、社会的な立場の誰かを指しているわけではない。ブリューゲルやボスの奇想画みたいな雰囲気を持っているぞ。「《百仮面》シリーズ」は顔のごとき者を仮面として使ってみよう、という絵画。「《玩具世界》シリーズ」はちょっとグロ目の画面の中に、急に出現する鮮やかな日本の玩具。長男が生まれたんで描いたっぽい。
 
次は「第3章 越境、交流、応答、そして行為の方へ」。とうとう絵も描けなくなり……確かにこの頃の「胎児の夢」なんて絵もあるが、なんか限界な感じがする。で、パフォーマンス活動を開始。「大芸術瞥見函」は大きなサイコロのとような立体。中を覗いて見てみたいができない。「ASARAT橄攬環計画」(「かんらんかんけいかく」と読むようじゃ)は……なんだっけな。オリーブの実を埋めるというのを、本当は地球を一周するように行う計画なんだけど、実際やったのは山の周りを一周。それでも大計画。あと「梵天の塔」というもの。なんか「ハノイの塔」ってゲームあったよね。大きさの違う円盤でできた塔を、ある決まったルールで片側から片側に移動させる。その円盤数が64枚で、移動させるにゃ膨大な時間がかかるが、やるというもの。その計画だの模型だのという、計画そのものが作品。膨大な年月を感じさせる。
 
「第4章 楕円と梵」ということで、絵画に戻ってきた。楕円をモチーフに作品を作り始める。「楕円空間」は一見楕円のデザインっぽいが、よく見ると塗ってある模様が池田の生き物で埋め尽くされていたりする。そして「BRAHMAN」というシリーズ。かなりの数の絵画(それでも一部らしい)が展示されている。これが力作であって、どれも有機的な生命を感じさせる生き物のような、胚のような、妙な造形物群で迫ってくる。広い壁一面にびっしり。これに唸らぬ者はない。
 
「第5章 池田龍雄の現在形」ということで、まず「《箱の中へ》シリーズ」。箱の中に作品が作られる……が、さすがに箱となるとジョゼフ・コーネルが思い出されてしまい、コーネルにはちょっとかなわない。いや、悪くないんだけどね。「《場の位相》シリーズ」になると、もう抽象画だ。とうとうここまで来たのかあ。
 
社会的視点の作品であれ、生命の気配のごとき作品であれ、とにかくいろいろ目を引く。権力が嫌いな人やヒエロニムス・ボスが好きな人は大いに楽しめよう。
https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=201802151518677542

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