2017年12月11日 (月)

「世界を変える美しい本」(板橋区立美術館)

「インド・タラブックスの挑戦」ということで、手作りで美しい本を作るので定評があるという出版社、タラブックスの作品紹介で、原画なども出ている。ここの美術館は絵本原画展で定評があるんだが、行ったことが無いし、うーん、美術作品ったって絵本用のヤツだろー、と実はあんまし期待していなかったんだが、実際はかなりよかった。というか個人的にエキサイティングな発見があった。

個人的な話はあとにして、入ると最初に目につくのは、デカい映画ポスター風の「インド映画の広告に見る九つの感情」の原画であるところのキャンバス画の「愛(現代の)」と「勇気という名の感情」。愛もいかにもインドだが、勇気の方がこれまた髭のナイスガイの濃ゆい雰囲気でイイ。おおインド映画だ、って感じ。で、その前に絵本(子供向けばかりではないぞ)を読めるコーナーなどがある。

展示室に入ると、まずは「ゴンド芸術と『夜の木』」。ゴンド族の優れた芸術を子供向けやらアートやらの絵本化したもの各種。原画が並ぶ。子供向けの「123インドかずの絵本」からして、線描で非常に細かくてインドテイストでアートだ。人物なんぞも細かいハッチングがかかった独特の線描で描かれている。女性が世界をまとめる方が素晴らしいとするフェミニスティックな「スルターナの夢」。あとで述べるラーム・シン・ウルベティの「わたしは燃えさかる尾を持つ孔雀を見た」のペン画なのだが極めて芸術性が高い原画。中でも「わたしは人の涙でいっぱいの井戸を見た」は、優れたシュールレアリズム絵画のようでもある。目玉は「夜の木」という木の絵各種。三人ほどの作家による様々な木の絵が絵本になっているが、その原画。絵本は単色カラーだが、原画は黒いペン画だね。木だけじゃなくて動物がいたりする。これも細かい線描のゴンド芸術だ。

もう一つの展示室にゃ「民族画家との本づくり」ということで各地の民族による絵を本にしていったわけだ。さっきのゴンド芸術の方がインパクトがあったので、こっちは普通のインド民族画の絵本な印象。「筆にみちびかれて」という絵としてはなんとなく稚拙な印象があるが、線描が細かく色彩が美しい原画……内容は人物で日常生活だっけ(なんかどうでもいいとか思っている)。あと「語りから本へ 本から語りへ」で絵巻物を見せつつ、語る、というか歌う、というスタイル用の絵巻物の原画。これがまあドップリインド様式の雰囲気がある絵で、展示ケースにどばーっと置いてある。「わたしは約束の地を見た」や「シータのラーマーヤナ」なんぞ様式が迫ってくるもんで、「鑑賞している」というより「浴びてる」感じがする。ラーマーヤナは実際やっている映像があるぞ。他にも「本のかたち」ということで、絵本原画いろいろ。全体通して絵画様式に非常に味がありインド気分が満喫できる。下の階には期間限定カフェもあるしな。おすすめだー! 
http://www.itabashiartmuseum.jp/exhibition/2017-exhibition/ex171125.html

でここから、個人的にここでいったいナニがあったかという話。時に一年以上前、死んだらどうなるだとか考えていて、死後の世界だとか、量子論だとか、宇宙の始まりだとか、シェルドレイクの仮説(トンデモ科学?)だとかいう本をいろいろ漁って読んでいて、ふと、草間彌生は絶対何かつかんでいるという直感を得た。なぜに草間彌生? それは作品に「永遠」とか「無限」とかいういう言葉をよく使うもんで。宇宙とか考え出すと、どうしても永遠や無限とは切っても切れないんで、草間作品は実にリアルな(科学的にアプローチできそうな)「宇宙的な何か」であると思ったのです。で、私はこれらの考えを集積して長編の三部構成のSF小説を書き始めた。当初タイトルは草間作品から取った「永遠の愛」とした(今は変えてある)。作品内で草間彌生は重要なモチーフであるが、もう一つ重要なモチーフが木なのだ。それも枝が二つずつに分岐していく木なのである。
さて、今回の会場で「夜の木」がいくつも並んでいた。私としては枝が二つずつに分かれている木を探して、これが近いかな、というのを見つけた。分岐点に必ず目のような模様があるため二つにしか分岐できないのだ。そのタイトルを見ると……「永遠の美しい愛」。おお! なんというタイトル!(もっともこれは絵のタイトルというより何かの物語から取っていたようだが) 絵を描いた人、ラーム・シン・ウルヴェティ。何者なのだ? で、この人の作品が見れば見るほど草間彌生に似ている。絵本「私は燃えさかる尾を持つ孔雀を見た」もそうだし、最後の方にあった「太陽と月」の太陽の絵などは、草間作品として出していても多分違和感がない。それぐらい似ている。こうなると、自分の作品と草間彌生とウルヴェティが何か科学的にリンクしていると思えて個人的には非常にエキサイティングな体験をしたわけだ。しかしまあ、見たところウルヴェティ以外でもゴンド芸術(「ゴンド画というらしい)は、総じて草間彌生風だし、ランバロス・ジャーの「水の生きもの」(ゴンド画じゃなくてミティラー画というものらしい)にも草間風の何かを感じた……ということは逆に、草間彌生がインドの世界観や宇宙観と本質的に近い何かを持っているのではないか、と思える。有名な話で「0」という概念は古代インドが発見したとかで、0があるなら無限もある。無限を抱え込むと、あんなアートができる。なぜ? それは輪廻転生だと思っていたことが実は……おっともう書けねえ。
で、小説は一応応募するのだが、何しろ過去にいくつか応募しても一次予選もおぼつかないもんで。どうも小説の文才は足りないのだ。このたびも出版など期待はできぬ。諸君の目に触れるとしたらまあ「小説家になろう」サイトかなあ。落ちたらあそこに出そうと思っているし。でも500枚のボリュームがあるんで、それを読むヒマ人がいるとも思えんのだが。

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2017年11月24日 (金)

ディエゴ・リベラの時代(埼玉県立近代美術館)

それは今から20年前、フリーダ・カーロに心酔していた私は治安の悪さもものともせずメキシコ・シティに赴いた(若かったですな)。聖地「青い家」ことフリーダ・カーロミュージアムに行くため、もっと言えば、「Viva La Vida」というただ1枚の絵を見に行くためであった。それはそれとしてフリーダの夫ディエゴ・リベラの壁画も2つ見ている。今ならもっとチェックするであろう。ましてシケイロスやオロスコは見ていなかった。フリーダしか頭になかったもんで壁画運動などよく知らなかったからである。今思えば、シケイロスの壁画館みたいなのがあったのだがスルーしてしまった。うーんもったいない。土産物屋でフリーダのTシャツを物色していたが、店の人が「ディエゴのは買わないのか」などと言ってきた。そう、実はメキシコではディエゴ・リベラは偉大な画家「マエストロ・ディエゴ」なんだぜ。で、そのディエゴを中心とした企画。メキシコ近代美術の流れが変わる感じでなかなかいいんだよ。

一応ディエゴの年代順、印象派っぽいものから始めている……が、これが決してうまくはない。「農地」にしろ「オリサバ山」にしろなんだか大味なんだよね。むしろ隣のホアキン・クラウセルって人の「海の夕暮れ、赤い波」なんてのが、いい感じの赤い色の海だわな。それから目に付いたところではホセ・グアダルーペ・ポサダの風刺版画がいくつか。ガイコツが大活躍。アンソールにも雰囲気は似ているが、ガイコツはメキシコでは死生観にも関係する重要な存在。「死者の日」というのがあって、ガイコツのコスプレとかして、死を想い生きている自分を祝福するとか何とか。

それからディエゴはヨーロッパへ行き、いろいろ学ぶんだが、まだどうにもウダツが上がらない。モネのような印象派にしようとした「パリのノートル・ダム(霧にかすむノートル・ダム)」はモネとかのを見ちゃうとコレジャナイ感満載、単にボケっと描いただけで印象派はこうじゃねえだろという感じだ。「カタルーニャの灼熱の大地」も点描法に挑戦するも、単に点で描いただけで原色分解とかじゃないんで、どーもこれもイマイチだ……イタリアン印象派がこうだっけ? 忘れた。しかしキュビズムに手を出したあたりから調子が出てくる。ディエゴは印象派には向かない。「銃を持つ水平(昼食をとる船乗り)」やら「瓶のある静物」などキュビズム作品はなかなかキレのあるいい感じの作品になっている。ディエゴはヨーロッパではまずキュビズム画家として認知されたんだって。さもありなん。

壁画をやるようになって、やっとディエゴの画風ができてくる。本人と同じくガッチリ型人物みたいな。「とうもろこしをひく女」はピカソの新古典みたいな感じだが、腕太い。たくましい。「テワンペクの水浴」もオッパイがたらちねで、なにディエゴはこういうのが好みなのか? それから「宗教の歴史Ⅰ(アステカ)」という絵はグラフィカルながら生贄が血を流しているような結構残酷なヴィジュアル。フリーダも残酷なヤツを結構描いていたし、こういうのがメキシカンなのか? しばらく行って壁画運動の一人シケイロス「奴隷」。反復と遠近を巧みに使った絵だ。あーつくづくメキシコシティで見ておけばよかったのう。もう一人はオロスコ「修道士とインディオ」。なんかルオーの「ミセレーレ」みたいな雰囲気だが、こっちの方が直接的にガリガリの人物とか描いてますな。オロスコ「群衆」も口がいっぱいの異様な絵だ。

日本人画家、北川民次がメキシコに行き、メキシコの絵を描き、なんとメキシコの野外美術学校の先生になったとか。その北川民次のメキシコ風絵画あり。あと日本の近代洋画かと思ったらアルフレド・ラモス・マルティネスって人の「少女とアジサイの風景」だってお。

メキシコの前衛のコーナー。前衛ったって今から見ると普通な感じで、取り立ててスゴいものはない。版画が多い。あと音声詩の朗読みたいなのが流れてましたな。あと日本人とか関わりで藤田嗣治の「ディエゴ。リベラ肖像」がある。インクだけで描いてる。ふーんって感じ。それより隣の「メキシコの家族(二人の男と少女)」の方がフジタらしい。乳白色も使っているし、少女がうまい。それからフリーダとの浮気がばれてディエゴにピストル持って追っかけられたとかいうイサム・ノグチが「ディエゴの肖像」を描いている。面白い。

肖像のコーナーでディエゴの「自画像」これがまた、迫力の自画像ですな。ここでポスターにもなっている「裸婦とひまわり」。確かにこいつぁいい。裸婦が褐色であるが、ゴーギャンのタヒチもんよりずっと肉感的で肉付きもよい。肌合いが見事ですな。隣はフリーダを描いたのかと思ったら衣装がフリーダ好みの民族衣装なだけで顔が違う「クカ・ブスタマンテの肖像」。そのフリーダの絵もⅠ枚「ディエゴとフリーダ1929-1944(ディエゴと私Ⅱ)」ディエゴとフリーダで顔が半分ずつ。実に小さい絵ながら、象徴的表現が実にフリーダらしい。

それからシュールっぽい他人の作品がいろいろあって、最後の方、ディエゴの幻想的作品「聖アントニウスの誘惑」おお、この題材を何と野菜……赤い大根(?)の擬人化でやっている。それから「戦後」はダリ風に挑戦。悪くない。

壁画は映像なんかで紹介。それにしてもミュージアムショップにあったものがフリーダものが多く、ディエゴはほとんど見あたらないというのが何とも切ない。人気というか知名度の違いというか、でも私も何か買うならディエゴよりフリーダだなあ。
http://www.pref.spec.ed.jp/momas/?page_id=361

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2017年11月18日 (土)

単色のリズム 韓国の抽象(オペラシティアートギャラリー)

韓国のアートといやぁ、イデオロギー満載だった「表現の不自由展」で見た慰安婦像ですかねえ。歴史的真実は分からないが、作品としてはなかなか、悪くなかった。あーそうそう、有名どころではイ・ブルがそうでしたな。行ったよ森美術館。他にもアジアの現代美術もので、いくつか見ているとは思うが覚えておらぬ。で、今回は韓国の抽象だそうで、まー有名どころも知らんので、あんまり期待してなかったんだけど、行ったらなかなかいい。いや、これは抽象画好きなら行った方がいいぞ。
抽象画家といやぁ、私が圧倒的に好きなのはザオ・ウーキーです。中国の人なんだな。あとは今年始めに見た山田正亮、うん、ありゃあ凄かったですねえ皆さん。ぬぁに見てない? そりゃいけないねえ。まあとりあえず、意外とアジアじゃん。
今回、出品リストがなくて、なんと豪華パンフレットをくれるのだ。カラーで載ってるちょっとした図録だぞ。こいつぁいいね。

最初の絵はリ・ウファン(名前は実際漢字なんだけど、どうやってワープロ変換できるかよく分からんの)なんだけどあとで出てくる。次が……いや、グッときたものだけ行こう。クォン・ヨンク。白一色、というか韓国の紙であるところの韓紙だけでできている。破れ目で表現したり、紙でできた丸い水玉のようなもので構成したり、これ写真じゃダメだ。実物の立体を見てナンボのものよ。絵画でありながら特徴は単色での凹凸、というのは今回の展示のテーマでもある。次のチョン・チャンソプも単色凹凸。ユン・ヒョングンは茶色系の単色ながらマーク・ロスコ風に、光った感じの四角を描いておる。

次が一番よかったパク・ソボ。白一面を筆で一方向にササッと塗ったような、白い草原みたいな感じがナイスの「描法 No.27-77」。あと「描法 No.910715」は、ややピンクな色も意味ありげで面白く、筆跡の凹凸パターンも素晴らしいね。ググッときますね。結構なものです。あと黒一面や灰色一面に紙の凸面を使ったストライプ。うーん、言葉での説明だけじゃ難しいけど、こりゃ面白いぞ。

チョン・サンファの白いマス目作品、これも面白いねえ。イ・ジョンジの茶系でガシャガシャしたネイチャーな感じも悪くない。しかしそれよりハ・チョンヒュン。麻布をキャンバスとして使い、麻布の後ろから、絵の具をギュッと押し込むと、いい感じに細かいボツボツができる。それをうまいこと演出に使って抽象画を作る。これが見事、よくぞこれを作った。それから最初にあったリ・ウファンがまとめてある。「風より」というのがよくて、青い単色の太い筆でササッと描いているだけに見えるが、バランスが非常によく、風の感じが出ているじゃないだろうか。

細い通路にも絵がいろいろ。リ・インヒョン「9つの絵画の鏡」は丸い絵の連作だけど、水とも光ともつかない一枚一枚違う世界だ。

収蔵品展も見れて、企画展がこれなら、収蔵作品は難波田龍起あたりかなと思ったら難波田龍起だった。
とっつきやすい抽象画も多く、ボケーと見てても楽しいのではなかろうか。
https://www.operacity.jp/ag/exh202/

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2017年11月16日 (木)

北斎とジャポニズム(国立西洋美術館)

右目に飛蚊症が発生し(左目は前からあった)、某眼科に行ったのです。網膜に穴とかいう事態なら網膜にレーザー照射の手術だったのだが、幸い網膜にゃ問題はなかった。なもんで、午後はフリーになったので行こうと思っていたこいつに行ってきたのさ。がしかーし。目の検査のため右目の瞳孔パックリにする目薬入れてたもんで右目焦点合わない。左目だけでは浮世絵版画が多い暗い会場ではロクに見えない。しかーも……なんでこんなに混んでるの? 北斎ブームなのか? ハルカスでもやってるしな。「怖い絵展」ほどじゃあないが、人間スズなりテンコ盛りぢゃないか。しかも壁に展示じゃなくて展示ケースだったりして並んでないと見れねえとか、そんなこんなで鑑賞テンションがダダ落ち状態。出だしからボーゼンとしてどこから手をつけたらいいのか分からない。

最初の方は日本を紹介している海外の資料らしい……のわりに激混みなんで飛ばす。ドガあたりから見始めた。「風呂上がり」というエッチングが北斎の何とかの影響がとかで、「踊り子」は扇子絵で、それより油彩……じゃないパステル画か「踊り子たち、ピンクと緑」いや、イイ色ですなあ。見事ですなあ……先日やっと中野京子の「怖い絵」を読んだんですが、ドガの絵もあってね、当時の踊り子は決して地位が高くなくて、男に買われてナンボみたいな世界でもあって、そういう部分で踊り子を軽蔑しているくせにキレイに描いてるドガって野郎は怖いとか何とかで、あーそうだね、「舞台袖の三人の踊り子」にも男の影がチラついていますな。横浜で見落としたメアリー・カサットの絵がいくつか「青い肘掛け椅子に座る少女」が北斎からヒントをもらっているとか何とかで見たらどうも北斎漫画(だったよな)でグデッとしている布袋さんらしい。そうなのか? ちょっと無理がないか? ボナールの「洗濯屋の少女」もムリヤリ……とメモってあるがどんなんか忘れた。ロートレックが浮世絵の影響受けてたのは有名。飽きるほど見た例のポスターがいくつか。それから壁に囲まれたエリアがあり、なんでそんなことをわざわざするのかと思ったら、ここには春画があった(デカくここは春画だとは書いてないんで、子供も普通に入ってたが)。北斎の春画とロダンの水彩とか(淡い)。春画を抜けルドンの黒い絵のいくつかが、北斎の百物語に似てるとか、ほう、言われてみれば似てなくもない。

ボナールがなんと屏風なんか描いている「兎のいる屏風」。ええと、どこぞの皿の模様が北斎から持ってきたものだとか。北斎柄工芸品がまだいろいろあって、中でも……これは北斎柄か分からんが、ティファニーの「ランプ:トンボ」は緑色がきれいだぞ。それから花鳥のコーナーになりモネの「黄色いアイリス」「菊畑」はうまい。おなじみのエミール・ガレがいくつか。雪景色なんかもあり、ピサロの「モンフーコーの冬の池、雪の効果」。おお、モローの愉快な怪物作品「ヘラクレスとレルネのヒュドラ」に再会。これのどこが北斎だと? 岩場の描写? ジャン=ルイ・フォラン「釣り人」これも北斎の「富嶽百景」からヒントらしい。いや、これは分かる。おなじみ波の絵にインスパイアされたのもいくつか。中でもカミーユ・クローデル「波」は彫刻であり、グレートウェーブである。中に三人の女。富士の絵の影響もあり、アンリ・リヴィエール「エッフェル塔三十六景」が出てい……たはずだが覚えてねえぞ。セザンヌの「サント=ヴィクトワール山」連発でおしまいなのだ。

出点数は相当なもの。北斎も錦絵から北斎漫画までかなりの数出ている(肉筆はなかったようだ)。オリジナルで見比べができる。がしかし、オレ的にイマイチ盛り上がりに欠けるのは、北斎もそれ以外も、どこかで見たようなヤツがほとんどで、北斎と連携して見事に再構成しているんだけど、目玉作品とか、初めて見る衝撃作とか、そういうのが無い感じなんだなあ。これも怖い絵と同じで読み解き好きのインテリに向いてるんじゃなかろうか。
http://hokusai-japonisme.jp/

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2017年11月11日 (土)

オットー・ネーベル展(Bunkamura ザ・ミュージアム)

うむ、知らん人だ……知名度がない。企画側もそれを分かっているのか、同時代近くにいたシャガールとかクレーとかカンディンスキーなぞをほどよくブレンド。しかしなー得てして知名度がないヤツはそれなりの理由があるんだよなーと期待もそこそこであった。
オットー・ネーベルはワイマールのドイツにいてバウハウスにいて、ナチスに追われてスイスに亡命。マイスターであるところのパウル・クレーとたいそう親しかったそうです。

展示の最初はワイマールの美術と建築の学校バウハウス関係です。当時の美術教育とはにゃんであったか、をまじめに鑑賞するより、建築を中心とした美術教育と、クレーやカンディンスキーの抽象が入り乱れる一種独特の世界がいかに切り取られて展示されているか、をエンジョイするのがオレ流だ。おなじみ混色独楽や、積み木や、銀製のティーポット、木が組み合わさって掃除がめんどくさそうな椅子や。水平のガラス板を使って埃かぶりそうな照明などを鑑賞。

それからいよいよオットー登場。まず初期。水彩の「山村」とか「アスコーナ・ロンコ」は派手目でなんかシャガール風だな……と思ったら次にシャガールの作品が3つほど。なるほどオットーはシャガールの影響をしっかり受けてたようだ。シャガール「夢」は、らしい絵で青色が美しいぜっ。それから時代はナチスが台頭してきて、抽象画が退廃芸術とか言われたんでドイツにいられなくなりスイスに亡命、そのあたりの政治的な作品「避難民」……クレーみたいだな、と思ったら隣にクレーの「移住していく」とか「恥辱」とかいう線画がある。

それから「建築的景観」とかいうコーナーで色分けされた建物が並んでいるような作品群。クレーが描きそうなもんなんでクレーかと思っちゃう。「プロイセンの塔」はシマシマ模様が目に付きますな。それから「大聖堂とカテドラル」というコーナーで「煉瓦の大聖堂」「高い壁龕(へきがん)」は、いずれも教会の柱とその間から見えるステンドグラスをデザイン的に描き、これが結構イイ! おお、この手があったか、という感じ。次に「イタリアの色彩」というコーナーで、オットーはイタリアの各都市について、色の印象を色でまとめる。これが「イタリアのカラーアトラス(色彩地図帳)」オットーのバイブル的なブツになっている。こうした都市の印象をもとに「トスカーナの町」とか、そういう作品が描かれる。それから「音楽的」作品のコーナーで音楽用語をタイトルにした抽象画。よくできているが、やっぱりクレーとかカンディンスキーと似てるし、音楽的な点で言うとデュフィとはまた違うし、デュフィのがオレは好みだ。カンディンスキーの絵もあったりする……

うーんしかし、なーんかオットーは中途半端だなー 知名度もないわけだわHAHAAHとか思っていて、なんとなく流れている藤井隆ナレーションのオットー紹介ビデオを見るともなく見ていた。すると、オットーの絵を顕微鏡で見ると塗りつぶし部分も線が重なっていて非常に細かい、それがクレーとの違いだとかいうのをやっていて、へーそうなのかと見てみると……うむっ、なんだこりゃ! 確かにその通りで、絵の具で塗りつぶしてあるだけと思っていたところが、ほどんど細かい色付き線のハッチングでできているではないか。おいおいおいなんかマズいものを見落としてるぞ、と会場を逆流し(別に人は少なかったが)、前に戻って再度見てみる。すると、先の「避難民」からして細かいハッチでできていて、「建築的景観」、「イタリアの色彩」いずれのところの絵もこの細かいハッチングが炸裂している。特に「音楽的」作品はどれも充実。絵としては大きくはないがかなりの密度だ。遠目の印象ではオットーの絵はクレーやカンディンスキーと同類みたいで、そう大したものではないが、近づくとこれがまあ、病的なまでにハッチングでパターン塗り分けをしている。適正鑑賞距離10cm! えーつまりですな、ササッと描いたような模様の模様部分と地の部分とを丁寧にパターン分けしてるわけで、これ解説ビデオでも「堅牢」って言ってたけど、まさに非常に「堅牢」な印象のものです。つまり動かしがたくガッチリキマっている。線の交差だけではない、線を交差させて、その囲まれた部分を細かく塗りつぶしまた別のパターンとする、みたいな凝ったのも少なくない。あとレンガ模様みたいなものもある。話は逸れるが、同じように堅牢な印象があったのが意外にも村上隆なんですよ。アニメ風のキャラをポンと描いているようで、近づくとアクリル絵の具でガッチリ描いてあるのが分かって、意外と堅牢な印象をおぼえたもんです。

さてさて、展示は抽象のコーナーとなりオットーが続く。遠目ではカンディンスキー風やクレー風が多いが、そのカンディンスキーも出てくる「複数の中のひとつの像」なんて大きめ作品で、オットーに比べるとカンディンスキーは分かりやすく(感じやすく)親しみやすい感じ。なによりこの絵は明るい。楽しい。クレーの晩年の絵もいくつか。あとオットーがルーン文字を導入したコーナー。ルーン文字といえば魔法の世界の文字みたいで神秘的だが、オットーはおもしろデザイン風に扱っている。「照らされて」という作品があって、これも遠目ではやっぱしクレー風なんだが、近づくとなんと、絵の具がきれいに凹凸の縞を作っているではないか。ナイステクニック。あとは近東と演劇とリノカットのコーナーがあっておしまいなのだ。

その細かさに気づかないと気づかないまま、クレーやカンディンスキーのパチモンみたいに感じてしまうだけかもしれないが、ここはよーく見てみよう。違いが分かるよなあ。
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_nebel/

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2017年11月 4日 (土)

「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」(東京都美術館)

祝日金曜日に行く。「怖い絵展」にはもう行ってしまったので、余裕こいて行ったら、ここも並んでいて入るのに10分ぐらい待たされた。西美も並んでいたし、上野動物園も並んでいたし、休日はメタメタですな。
結構豊富にゴッホの絵がある。が、嗚呼去年の「ゴッホとゴーギャン」からなんだが、ゴッホ作品保存のため照明が抑え気味なんだな。油彩だから大丈夫じゃねーかとか思うが、とにかく会場内全体に薄暗い。まして今回浮世絵も数々出ているしな。だから、もはやゴッホは「色鮮やかな原色の絵画」ではないんです! 逆に、割と普通の色に見える絵が増えた。

ゴッホは日本の浮世絵が好きで、日本を画家のユートピアだと思っていたそうだ(もちろん実際は違う)。展示で最初は「画家としての自画像」それから北斎と広重の浮世絵があって、ゴッホの「種まく人」これは浮世絵風なんだが、うん、あんましうまく描けていない。渓斎英泉の美人画(っても幕末のキツいやつな)を模写した「花魁」一応目玉。がんばって模写してるし、他の絵も混ぜてレイアウト。それからええと……出品リストと順番が違ったんだよな。出品リスト順に行くとだね、次に注目したのが「エゾギク、サルビアを生けた花瓶」これはなんか珍しく背景が黒っぽい静物。あと「三冊の小説」という楕円の板に描いてある絵があったが、この板というのが日本のなんたら工商会とか書いてある。どういういきさつかは分からん(イヤホンガイドにはあるのかもしれんな)。ゴッホじゃないジャポニズムものもあって、マネの「白菊の図」は扇絵のイメージでなかなかいい。あとベルナールのクロワゾニズム(ステンドグラス風)のやつとか。

あと浮世絵がいろいろあるんだけど、なんか見たものばかりなもんで、いちいち記録も面倒なんでほとんで見てません。要するに太田記念美術館にでも行きゃあよく出くわす奴らね。ゴッホいろいろに注目。「アイリスの咲くアルル風景」は広大な感じがいい~んだけど、照明がもうチクショウメイって感じで。もう少し明るいイメージの絵だよなあこれ。「麦畑」なんかもそうですね。「ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋」は水のグラデーションが冴えてる。

階を上がると……なんだったっけな。肖像画か。うん、浮世絵の大首絵とか、そんなのが並んでいて、おお写楽があるじゃん、貴重な。なにニトリが所有? なんであそこが。お値段以上か。ゴッホの描いた肖像2つ。「アルルの女(ジヌー夫人)」と「男の肖像」いずれも浮世絵の大首絵っぽいですな。まあ、そういう関連で展示されてるんだけど。それから日本を舞台にした小説にインスパイアされて描いた「ムスメの肖像」のペン画。これは油彩バージョンもあるらしい。「夾竹桃と本のある静物」「オレンジ、レモン、青い手袋のある静物」は手堅い静物。「寝室」はよく見るヤツ。「渓谷(レ・ペイルレ)」は今回全部の中で一番「日本」を感じちゃったなmなぜか。例の「奇想」系の絵画に近い印象というか。

それからゴッホの死後に日本人達がゴッホ巡礼でアルルとか行ったってコーナー。芳名録にいろいろ名前書いてあるって。資料が多いのであまり見てない。絵としては佐伯祐三の「オーヴェールの教会」がたいへん結構なものであった。どこかで見たかな。

階を上がって、晩年にバカスカ描いたものが並ぶ。先も書いたがゴッホはこれまで、特に晩年の油彩は鮮やかな、ちょっとクレイジーな原色って印象だったが、今回のようにやや落とした照明で見ると、意外と元の色に忠実に描いてたんじゃないかって気がしてきた。「河岸の木々」は水彩風だし、他のも、晩年の太めな荒い筆遣いでありながら、原色ではない実景風な印象だ。最後の3つ「下草とキヅタのある木の幹」「草むらの中の幹」「ポプラの中の二人」なんてのも、もはや原色世界ではない(と、タイトルを書きつつ記憶と連動していないので、どんな絵だったかな、とか思っているんだが)。あの原色のゴッホは今いずこ……

帰り際に怖い絵展の列を見たら210分という驚異の事態。あの若冲展に迫る勢いになってきたな……
http://gogh-japan.jp/

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2017年10月25日 (水)

怖い絵展(上野の森美術館)

この秋の一番の話題をかっさらっている企画。兵庫でやっていた頃から激混みの噂で、それが東京に巡回。場所は上野の森美術館……え~? ハコとしてあそこが好きだという人は少ないと思うが。あそこは企画の規模や内容の割になーんか環境がイマイチなもんで、だいぶ前のダリ展でも混雑でサンザンな目にあっている。激混みの中で見るのはヤだよなあ。土日は論外。平日でも何十分待ちって、どうすりゃいいのよ。ということで俺の作戦は以下の通りであった。まず事前に出ている絵の知識は極力仕入れた(ネットで見る程度だが)。有休取って開場25分前に到着。既に何十人か並んでいるが、開場後の入場待ち時間はほとんどなし。多くの人は音声ガイドを使って最初から地道に見ているので時間がかかる。なもんで、音声ガイドは使わず最初の方は斜め見して、途中から本格鑑賞(っても俺のペースは結構早いが)。これで第2室以降の絵はほぼノーストレスで鑑賞。一通り終わって最初の方はもう混んでいるので第2列程度で見た。というわけで、まあ、まずまずだな。出た頃にはもう50分待ちじゃ。

中野京子のベストセラー「怖い絵」に関連する企画。その絵は一見怖くはないが、絵を読み解くことで、そこに本当は何が描かれているかが分かり、本来の怖さが浮き上がる。従来の「絵は感性で見る」ということに対しノーを突きつけ知的なエンターテインメントに仕立て上げたナイスな企画だ。俺は感性絶対派なので、俺の鑑賞法とは真っ向対立する……んだけども、まあ読み解き鑑賞が面白いのは動かしがたい事実ですからね、堅いこと言わずに行くべ。割と俺好みの絵も多いようだし。で、行ったんですね。でも、あの、結論から言いますとね、絵としてつまらんヤツはやっぱり読み解かれようが意味が分かろうかつまらんです。実際そうだったんだよ悪いな。

最初は「神話の聖書」のコーナー。この手の絵画鑑賞には知識は必須ですよー……俺は、ギリシャ神話は多少知ってるが聖書はあんまし。最初にウォーターハウスの「オデッセウスに杯を差し出すキルケー」解説は読んだけど、まあこれラファエル前派の普通の絵だよな……え? こういう技法みたいな鑑賞がダメだと言うとるのですか? いや別に悪い絵じゃないです。ドレイパーの「オデッセウスとセイレーン」。セイレーンは知っておるよ。にsても美女の誘惑みたいな絵だな。しばらく行って、おお、おなじみテーマ「スザンナと長老たち」があるじゃん。ファーブルって人が描いてる。これって元の話はどうだってよくて、水浴の美女を描く口実の定番なんだが……と、中野女史もその点はちゃんと分かっていて、解説にゃあこの絵は他の絵と違い、ちゃんとスザンナが嫌がってる様子が描かれている……ので、好感が持てるようだ。いやいやいや、俺が思うに、単に嫌がる裸女を描きたかっただけじゃないだろうかね。そういう趣向の人はおるしなウッキッキ。それから……最初の方斜め見だから飛ばす。

「悪魔、地獄、怪物」コーナー。最初がおなじみフューズリ「夢魔」確か何種類も描いてるよな。これ小さい絵です。夢魔が二匹います。「ダンテの地獄」の絵……解説読んだけど忘れた。でもこれならブレイクが描いたヤツの方が好きだな。アンソールの版画あり。ギュスターヴ=アドルフ・モッサ「彼女」あっとこれはイイぞ。男を喰らうマンイーターだってお。巨乳だしエロい。なんたってその下に積もっている男の肉体の山。これ会田誠の絵を思い浮かべる人も少なくないでしょうな。象徴派アンリ・ファンタン=ラトゥールが2枚。雰囲気イイですよね。ビアズリーもあるがおなじみなんで飛ばす。

「異世界と幻視」コーナー。チャールズ・シムスが4枚……ええと。いや、説明は読んだ。何が描いてあるかは分かった。怖くはないが。ルドンの黒シリーズから2枚ばかり。例の目玉気球。これは、こういうものだと説明するより、個々の想像に任せる方がいいと思うよ(説明で楽しむ企画だけどな)。ムンクの「マドンナ」あり。クリンガーの「行為」ってのはスケートなんだって初めて知った。人が変に傾いて超現実的な絵だと思ったし、そこが面白いと思ったんで、スケートじゃあなあ。傾いて当然だよなあ。

階段を下りて「現実」のコーナー。ホガースの版画「娼婦一代記」なんか長い。めんどくせえ読んでない。「ジン横町」ものは解説と一緒にどうじょ。ゴヤの版画「戦争の惨禍」ちょいグロ。そういえばゴヤは結構怖い絵が得意だよな。カサエール「不幸な家族(自殺)」母娘。死んでく娘がえらくキレイに描かれてますね。ゲッソリ痩せたりはしてないし。母が壁のキリスト母子像を見てるのがポイントだと思うが、解説には特に何もなし。それから切り裂きジャック疑惑があるシッカートの絵「切り裂きジャックの寝室」。ちょっと不気味な雰囲気がよいですね。しっかと見ておけよ。セザンヌ「殺人」。セザンヌにしては珍しいハードなテーマだ。

「崇高な風景」なんたってギュスターヴ・モロー「ソドムの天使」ソドムを壊滅させた巨大な2人の天使だけど、はっきり描いてないところが神秘的だ。よく見ると顔があるが、無い方がいいな。これ見たかった絵です。意外と大きくて嬉しいぜ。モローは隣にもう一つヘレネーの絵がある。ターナー「ドルバダーン城」……え? あのターナーですか? 悪くないがターナーらしくないな。下に重要なものが描いてあるらしいが、なんかどうでもええわ。

最後「歴史」コーナー。目玉中の目玉、ドラルーシュ「レディ・ジェーン・グレイの処刑」。大きい絵ですねえ。でも印象はポスターとそう変わりなくて、本物だからどうってもんでもないようだ(大きさ以外)。解説はそこらじゅうにあるから読みましょう。血を吸う藁の準備が怖いねえ。あと死体を裁判にかけたとかいうローランスとかいう人の「フォルモススの審判」がなんか面白い絵だな。

普段美術館などで絵を多く見ている人にとっては、そこそこの絵しかない感じもするかもしれん。知ってる話も少なくないだろうし。
しかしこの盛況っぷりだと第2段とかやるかもしれませんなあ。何しろそこそこの絵でも、解説バッチリなら大いに楽しめるようなんで。
http://www.kowaie.com/

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2017年10月22日 (日)

折元立身パフォーマンス 26人のパン人間の処刑(川崎市岡本太郎美術館)

Kc4i0021_2パフォーマーとして参加。いや、まさか一般募集しているとは思わなかった。川崎市民ミュージアムでの展示で、このハードなパフォーマンスの内容はある程度知っていたもので、うーん、演技力が要るんじゃないか、なんかハードルが高いよなあ。一応私は声のパフォーマンスはしているもんでドシロートではないのだが、にしても処刑されるために激しく身悶えるなんてできるかなあ、とか何とか思いつつ、ちょうど50歳の誕生日翌日なもんで、思い切って参加することにしてしまった。

折しも台風が迫っていて、天気はひたすら雨で、それでいて駅からも遠いもんで、足下濡れて10時前には到着。控え室に案内されるともう人が集まっていた。知り合いのヤリタミサコさんもパフォーマーとして参加していたりして、全くの単独参加ではなくなり、少し気が楽に。募集期間が短かったり選挙と同日とかいうことで参加人数はなかなか厳しかったようだが、多摩美術大学の学生さんが多く手伝いに来ていて、その中からもパフォーマーを選び出し、26人が揃った。

リハーサルでさっそく本番さながら。企画展示室に26の処刑台が既に設置されていて、目隠しやら、縛る紐やら、首から下げるフランスパンを積んだ箱も置かれていた。内容を書くと、首からパンを入れた箱を下げて目隠しされ処刑台にくくりつけられ、処刑の合図で苦しみ身悶えし、積まれたパンが全部落ちたら死んだというわけ。パンは欧米ではキリストの肉体であるので、処刑される者は、パンの運び手と見てもいいし、心の中のパンが処刑によりはぎ取られるなんて見てもいいと思うし、単に「パン人間」という面白人間として見てもアリだと思う。自分の番号が決められていて、処刑は3人ずつ「ナンバー1、ナンバー2、ナンバー3」と指定され、処刑の開始は皿を叩き割る音。これは本当に皿が用意してあり実際割る。リハーサルでは割らない。で、リハーサル。くくりつける時間が結構かかる。「目隠しされてんだから恥ずかしがらないで、わーっとやって」という指示で処刑リハーサル開始。3人ずつ。私はナンバー9なので3番目。まあみんな結構激しい声を出して全員終わったが、時間が短いという折元さんの指示。最初のリハーサルは処刑時間が全員で10分ぐらいで終わってしまい。もっと長くするようにとのこと。ううむ、最初からエンジン全開にすると長い時間持たないなあ。あと、言葉を叫んでもいいとか、死んだ後に座り込んじゃう人が多いので誰か立ったまま死んでとか、いろいろと指示。パンを再セットして2回目のリハーサル。ここでスマフォなどある人は撮ってくれるサービス。くくりつけられ2回目の処刑開始。私としてはなるべく時間かけるべく「やめろー」とか「やだー」とか叫んだりして死亡。場の雰囲気がハードで激しいほどによいと思うが、みんななかなかいい感じになっているのが分かる。学生が何人か入り若い人が多くなったので、声にも張りがあるというか、若い人に釣られて自分もというか、そんなテンションアゲアゲな場になっている。ううむ、このパフォーマンス想像以上に、なんか結構スゴくない? しかし目隠しされてるし、くくりつけられていて全体が見渡せないのが残念。26人死んでいてパンがそこらじゅうに散乱しているはずなのだ。で、2度のリハーサルでなんだか楽しくなってしまい、本番はどうしてくれようなどと思ったりする。

ここで昼休み。お弁当お茶が出ました。ヤリタさんなどと、処刑台にくくりつけられると、やっぱりその気になってしまうとか、本番は皿を割るというがうまいこと割れるかななどと余計な心配したりする。

それで迎えた午後1時半の本番。さすがにこの大雨の中、来る人は多くないがそれでもそれなりに来たんじゃないかなあと思う次第。なんと3、4歳ぐらいの子連れが一人(父と娘)。おいおい知らんぞぉ。パンという身近なアイテムで多少中和されてるとはいえ、そこは処刑で結構トラウマレベルだぞぉ。私の斜め前ぐらいにいて余裕こいて親子でしゃべっているもので、ここはひとつ父上を後悔させてやりますなどと意気込む(あとで分かったがヤリタさんが誘ったどこぞの先生だった)。くくりつけられ、目隠しされて本番。皿の音大丈夫かと思っていたが杞憂だった。これがまあ結構ハードな、ピキーン! みたいなキツい音がするもんで、俄然緊張感が走る。自分の番が来て、皿が割れ、無我夢中。なるべく長引かせるように。いやぁ、しかし、いくら叫んでも喚いてもいいってのは、なかなか無い体験ですなあ。柱も頑丈だし。暴れ放題。無事死亡。今回半分立ってた。今度は折元さんも処刑され「ママー」とか叫んでいた(インターナショナル向けにいろいろと英語だったようだが)。処刑は進み結構広い企画展示室内に響きわたる断末魔の絶叫! 全員が処刑され、会場内静まりかえる。そういえば先の親子は……さすがに子供が怖がって途中で出て、終わったら戻ってきたとのこと。その後、折元さんによるこのパフォーマンスについての話があった。こういうハードなパフォーマンスはなかなか日本ではできない。外国では結構ウケるようだし、いずれイギリスのテートモダンでやりたいとのこと。海外でやった時は、地元のおばあさんが「もうやめて」とか泣いてたそうです。

イベントが終わり。終わったらサイン会状態で、私もパンと割れた皿の破片にサインをいただいた……が、あとで見たら皿の方はサインは結構こすれてしまって、ほとんど落ちてしまっていた。ガーン……おおお残念じゃ。パンのサインは無事なので大事にしよう。冷蔵庫で乾燥させてからニスを塗ると長持ちするとのこと。

その後打ち上げがあったりして。なかなか評判よかったようです。「声が出ないんじゃないかと思っていたが、今日は欲求不満な人が多くてよかった」などというジョークも冴える折元さんであった。世界的なパフォーマンスに参加できて満足。参加してよかった。しかし……観客としてもこれ見たかったなあ。いずれ映像が公開されると思うが。

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2017年10月15日 (日)

澁澤龍彥 ドラコニアの地平(世田谷文学館)

昨日、両国の大ダルマイベントで描いてるところを見れずに凹んだが、気を取り直し……てないがまあ行ってきた。今回は美術鑑賞というより、文学館訪問みたいな。澁澤龍彥で最初に読んだのは「夢の宇宙誌」でしたな。小説ばかり読んでいた私だったが、おお、こんな面白い本があったのか! っていうぐらい面白く、それ以降、いろいろ読んだものです。

最初に地球儀があって、廻転する球体が好きだというような話、とその草稿。美術作品として中西夏之の卵形「コンパクト・オブジェ」などがある。最後の長編小説「高丘親王航海記」の草稿あり。うーん、手書き生原稿。こないだの建築図面もそうだが、コンピュータに入力が主体で手で書くなんてのはなくなってくるのかな(オレももう手では書いてない書けない)。まあ文学はまだ建築よりも「手で書いてもよし」な感じがするし、手書きにこだわる人も多いと思う。で、草稿なんだけど修正指示がたくさん入っていて、フキダシで指示したりしているのも面白い。

60年代のコーナーがあり、当時のポスターとか貼ってあったりする。あと、ここには暗黒舞踏の土方巽の葬儀(これは86年)での弔辞の原稿と、本人朗読の音声。うーん、こんな声だったのか。初めて聞くな。なんか知的でクールな声なのかと思ったら、意外と甲高い。でもこの頃既に喉をやられていた(癌)そうなんで、本当はもっと違ったのかもしれないが。しかし土方巽って、私はほとんど知らんのです。ダンス見ないし、まして暗黒舞踏ってあのう……白塗りみたいなやつ? うーん、ちょっと見る気がせんなあ。あ、映像が流れています。中村宏が撮ってるらしいが……あの現代美術家の中村宏か? あと池田満寿夫のコラージュ(だよな)がある。「聖澁澤龍彥の誘惑」とかなんとかいうタイトルで、そうか交友もあったのか。

それから博物誌や美術関係など、草稿いっぱい……っていうかかなりの数展示してる。はじめの方は読んでたりしたが、あまりに数が多くて読まずに眺めるだけになった。それから応接室と書斎なんてコーナーがあって、美術作品もちょっと展示。池田満寿夫あり。サム・フランシスだと思ったら加納光於ですかい。下の方のアートっぽいカラスなどは……え? 加山又造? あの現代琳派の、割と一般ウケの加山又造がこんなところにあるなんて意外だ。あと美術品では、デューラーの版画、おっとヒエロニムス・ボスの版画も一枚あるじゃないか。あと異様な建築空間のピラネージの版画も。いずれも澁澤好み。展示はガラスケースの距離があってちょっと見づらい。美術品ケースがまだあり、エロティシズムコーナー。金子國義の絵がある。四谷シモンの機械見えてる少女人形。ベルメールの少女の下半身だけ2つ結合の人形がヤバい。ヘンタイ以外のなにものでもない。あまり関係ないんだけど、この手のストレートなインパクトは、今流行りの「怖い絵」の読み解きインテリジェンスとは対極にあると思うんよ。読み解き好きのインテリどもには一言言ってやりたいが、それはまたの機会じゃ。もっとも、澁澤龍彥の絵画評も結構ちゃんと読み解いていて、その先の画家の心理にまで突っ込んでいるので、「怖い絵」の中野京子とそんなに離れていないのかもしれない(「怖い絵」読んでないのだ)。

以降、今度は旅のコーナーがあり、旅には出たくないんで不機嫌だけど出たら調子が出てきちゃって機嫌がよくなるって。なんだかんだ結構旅をしている。旅のメモがあるぞ。それから書斎のコーナーと書簡のコーナー。最後は「高丘親王航海記」の草稿連打で終わり。

この施設行ったことなくて、大した規模じゃないのかと思ったらこれがどうして、草稿がこれでもかっつーくらい展示してある。まあ全部読んでるわけにもいかんと思うが。見ごたえあり。あと常設展示でSFやってた。海野十三という知る人ぞ知る巨人のコーナーが嬉しい。
http://www.setabun.or.jp/exhibition/exhibition.html

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2017年10月10日 (火)

麻田浩展(練馬立美術館)

サブタイトル「静謐なる楽園の廃墟」とのことで、初めて見るような人です。いや、でも1枚だけどこかで見たようなのがあるんだよな。この人、1997年、65歳で自ら命を絶つ……だって。

概ね年代順で、最初は「画家としての出発」ということでマチエール(質感)にこだわった立体的な抽象画が多いですな。「無題」の砂のキラキラとか「作品C」のアスファルトが溶けた凹凸みたいなのとか、とにかく写真で見ただけじゃ分からない世界を探っている。

それから「変化する意識と画風」というところで、「再び血統の樹」というのは抽象のような生き物のような人間のようなヤツが横たわる。「浮上風景」は女神の下半身か。「落下土風景」あたりからシュールレアリスム風景みたいになってくる。あと、絵ごとに色調を統一させているので、実にセンスがよい感じがする。「水の風景」も深い緑色を中心にしている。

それから「パリへ」ということで、パリへ行き始めると「原風景」という月面みたいなのが登場。「原風景(重い旅)」なんてのはまんま月面みたいですな。「原風景(赤)」も赤い月面つまりクレーターの大地。あとアイテムとして鳥の羽根が使われてくる。時に世界を浮遊しているのだ。「かなたから」とか。あとは溝が画面を横切ったりする作品「ひとつの溝」は赤系の世界、「緑の風景」は文字通り緑の世界。先の色調の統一感もあり、なかなかオシャレなアートで、それでいて安っぽくない印象だ。蝶や羽根などのアイテムも装飾的といってもいい感じで使われる。

「帰国」ということで、やや鳥瞰気味だったのが、真横からの視点への変化。「物・漂白」で真横から。相変わらず幻想風景で、「地・洪水のあと」なんていう大作は、描いてあるアイテムがいちいちゴミのようで、「旅・陰」はそれでいて色調が整っているので、品のよい作品に見える。「蝶」という作品があるが、なんと立体のガラス絵で、解説にある通りこジョゼフ・コーネルの影響を受けて見える。小さい箱庭のような、それでいて、広い世が小さくまとまった感じ……ま、さすがにコーネル御大にはかなわないと思うが。。

それでとうとう「晩年」。「水の中」や「何時か」は海の中を描く、ちゃんと魚もおります。「庵(ラ・タンション)」は幻想風景の中央に横向きの老婆のような女性のような、いや誰だというような。あと最後のほう「無題」というのが絵が光を放っている(そう見える)。何が光ってるんだ、おお帆船の帆のようだな、輝いていて、光が地上を照らしているではないか。不思議な絵だ。「四方・光」も光を感じる(この光を感じるといえばあれだな、速水御舟の「炎舞」を思い出しますな。だいぶ違うが)。「四方・影」は今度は海の中。深海クラゲみたいなのがいて面白い。晩年の「源(原)樹」は木に絡みつくヘビがモチーフ。晩年でも充実している。

何とも不思議な感じというか、静かな感じで色調と雰囲気がよい幻想風景が多数。まったりできるぞ。
https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=201706081496892744

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