2017年7月22日 (土)

ベルギー奇想の系譜(Bunkamuraザ・ミュージアム)

今度どこか海外に行っていいならベルギーだな、と思っているところの、理由がまさにこれなんだぞって感じで。愉快なベルギーの奇想じゃい。

年代順で、最初は15-17世紀のフランドル美術で、要するにヒエロニムス・ボス……なんだけど、さすがに貴重なボス本人じゃなくて工房とかボス派とかのパチモンばかりが来ている……が、パチモン呼ばわりはもったいないほどエキサイティングな奴らが来ているんで嬉しいぢゃないか。だいたいテーマが「聖アントニウスの誘惑」つまり、アントニウス君を異形の怪物で怖がらせ、エロい女で誘惑しましょう、という画家にとってやりたい放題の定番テーマだったりしてな。それにしてもボスの影響はこんなに大きかったのかというくらいボス風味の絵画がずらずら並んでいるもちろん知らんヤツの。しかも結構うまいよ。目玉はポスターにもなっているボス工房「トゥヌグダルスの幻視」。工房かよ、って侮ってはならぬ。時代的にはボス生前のもんらしいし、ボス作といったってシロート(オレ)にはこれで十分さ。結構細かいところまで描いてあって、例えば右上に火事の様子があるが、そこにシルエットで人が何人か描いてある。その部分だけでもちゃんと絵になっている。オレは単眼鏡持って行ったけど、君も持っていれば忘れずに持って行った方がいいぞ。

それから次はボスの影響を受けたピーテル・ブリューゲル(父)。そうっ、あのっ、「バベルの塔」の彼。彼が原画をやって、だれそれが版画にした。これまた「聖アントニウスの誘惑」から始まる仰天もの。うむ、確かこのあたり「バベルの塔」展でも出ていたんだけど、時間なくてスルーしちゃったから、ここでまた見れるのはありがたい。なんかアニメもあるし。「七つの大罪」シリーズの「怠惰」が何ともイイよな。大抵はハイテンションで描かれる異形なヤツラが全員グータラしている。あと、ボスもそうなんだけど「顔建物」が描かれているものが多い。文字通り建物が人の顔になっているもの。あるいはその逆か。先の「トゥヌグダルスの幻視」からしてそうだもんな。それからヤン・ブリューゲル(父)の油彩などを挟んで次はルーベンス。あのルーベンスが奇想なんてと思うかもしれないが、さすが実力派で描くとリアル感がパネエ。人動物入り乱れるド迫力系が得意で、「ライオン狩り」(確か再会)、「カバとワニ狩り」のぐちゃぐちゃ感はいいですな。

ここで一気に近代へ。19世紀末から20世紀初頭のベルギーだ。最初はフェリシアン・ロップス。名前は時々見るのだが、まとめてみるとほほぅ、なかなかエロいのが得意だな。「娼婦政治家」は風刺もの。目隠しされた裸婦と豚が高尚なものを踏みにじっている。政治家の風刺らしいんだが、あんまそう見えないな。あと、ここにも「聖アントニウスの誘惑」があって女体が迫ってくる。印刷ものの「毒麦の種を蒔くサタン」……ってこれミレーの種蒔く人のパロディではないか。次のフェルナン・クノップフは有名どころなんだけど、他が個性的で大騒ぎなので、マイルドでおとなしく見える。「ブリュージュにて、聖ヨハネ施療院」の水面に映る建物の死んだ静けさに注目だ(※8/21まで)。次がジャン・デルヴィルでオレ的には今回これが一番よかった。「赤死病の仮面」いやー怖いですねえ、でも何やら美しいですねえ。色もダークで妖しいですねえ。「レテ河の水を飲むダンテ」これはどこかで見たが、対照的に非常に明るい。女性像がキレイだ。「ステュムパーリデスの鳥」これは……カラスの大群が人を食おうとしているのか? 分からんし解説もないが、異様で怖い光景にも関わらず、画面は非常に美しくまとまっているのだ。気に入ったぜデルヴィル! サードレール「フランドルの雪」これも再会だが、地上の白い雪と、黒い空の対比がまるでマグリットの「光の帝国」風な印象を持つ。次にスピリアールト。おおスピリアールト。「堤防と砂浜」暗い、寂しい、でも好きだ。あー、以前ブリヂストンでやっていた「スピリアールト展」でもっとちゃんと見とけばよかった。いや、ちゃんと見てはいたんだが、また見たいよな。またやらないかな。誰かスピリアールト展やってくれ。それからおなじみアンソール。いやー強力なヤツ続出ですな。油彩が結構出ている。中でも「オルガンに向かうアンソール」はアンソールの魅力がイパーイ。何が? 顔だよな。アンソールは仮面のようだが味のある顔を描く。この絵には顔がいっぱいだ。あと、色使いがいいね。モノクロ版画ではオレの好きな「人々の群れを駆り立てる死」が出ている。群衆の上を飛ぶ大鎌を持った骸骨の影。うむ、奇想っぷりは版画の方が大きいかな。

20世紀から現代まで。定番デルヴォー。今回はスケッチブックが出ていて、ナマの描線が見れるぞ。あと「海は近い」という姫路所有の油彩。デルヴォーの中でもオレの好きな何枚かに入る傑作。何度見てもイイ。定番マグリット。こっちは変わり種は特になかったようだが、最も有名な「大家族」が出ている。なぜこの絵を宇都宮が持っているのか不思議だ。それから時代は現代に。磔のキリストでプレッツェル形状を作るウィム・デルヴォワ「プレッツェル」、骸骨が頭でティンパニー打ってるレオ・コーペルス「ティンパニー」、デカい頭が気持ち悪いトマル・ルルイのブロンズ「生き残るには脳が足らない」、何やら乗れる巨大レトロフューチャーを作ったパナマレンコ「スコッチ・ギャンビット」。猫にまじめにインタビューして、もちろんまじめな答えは返ってこない音声作品、マルセル・ブロータールス「猫へのインタビュー」など、奇想の末裔で迫る現代ものもいろいろだー

おなじみの再会も多いがベルギーの奇想を一望できる。初めてなら早く行かれたい……というかここは金曜土曜は夜9時までやってるから、そこが狙い目か。あと作品保護のため会場はめっぽう寒い。冷え性の人は入り口でケットをゲットだ。
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_belgium/

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2017年7月16日 (日)

不染鉄(東京ステーションギャラリー)

「ふせんてつ」と読みます。没後40年、21年前に回顧展があっただけの日本画家、だそうで。もちろん知らんかった。ウワサ(ツイッターの検索ぐらいだが)によれば、なかなかいいようなんだが果たして……

最初の「暮色有情」という掛け軸……むっ、なんか今まで見たことない感じだぞ。日本家屋の家並みを俯瞰して(見下ろして)いるんだが、パースがうまいことかかっているのがちょっと日本画っぽくない。それでいて輪郭の曖昧な朦朧(もうろう)体。それから家の絵が続くが、朦朧体じゃなくてむしろ線画メインになってくる。しかも細かい。細密画っぽい。ペン画かと思ったが筆らしい。「雪之家」なんてのはつららが下がっているのだが、単眼鏡で見たら、つららが結構リアルな質感なんだな。あーそうそうガラスケース入りも多いので、単眼鏡あった方がいいね。あと、軽く描いた小品もあり「伊豆風景」なんか汽車がカワイイ。巻物「思出之記(田圃、水郷、海邊)」は家々イパーイ。

次は山水画いろいろ。山水画でも線描が細かくてかなり力入っている。朦朧のヤツもあるけどね。ただまあ、ここはものすごいって感じではないな。コーナー最後の「聖観世音」の線描はかなり繊細にして無駄がないんで、スゲーとは思ったりするが。

階が変わって、奈良とか富士山がテーマになってくる。薬師寺東塔に惚れ込んで、真横からパースもかけず、細かい描写をする。しかもシンメトリー。大仏殿もシンメトリーですな。「春風秋雨」は四幅対で、線描山水、富士山、薬師寺東塔、大仏殿というおいしいテーマ4つが一度に楽しめるぞ。しかし、次の部屋の大きな絵、ポスターにもチラシにもなっている「山海図絵(伊豆の追憶)」を見て……ナンジャこりゃあ! いや、ポスターとか見てた限り、ちょっと変わった富士山の絵かな、ぐらいに思っていたが、実物を見てその異様さにぶっ飛ぶ。まず線描写が写実的にして細かい。マジ細かい。草木も日本家屋の家並みも丁寧に書いている。手前は海だ。もっと手前にゃ魚がいるから海の中まで描いてある。家並みの向こうに富士山……その向こうは雪国で家も見える。いや、スケールおかしいだろこれ。この富士山の標高は数十メートルじゃないか? いや、でも富士山に見える。富士山以外のなにものでもない。めちゃくちゃマッドな構成ながら、丁寧な写実で不自然さを蹴散らして絵として成立させてしまうセザンヌもびっくりなヤツだ。この絵だけで元が取れる。ポスターじゃダメだ。本物を見ろ。この絵を見て驚かないヤツは絵画鑑賞には向かないから水族館でデートでもしてた方がいいと思う。他にも富士山いくつかあるけど、こいつを見たあとではマッドが足りない。普通だな。

海の絵を描いている。青いのかと思ったら墨絵なもんで黒く描いているんだな。中でも「南海之図」むううう……これも異様な感じがするな。下半分黒い海。上の方に島……なんだけど、この島が岩だらけというかフラクタルというか、結晶みたいというか、とにかく妙な形状で存在感ありありで迫ってくるぜっ。他にも異様な島ものあるよ。

それから回想の風景とか。「山」は木がいっぱい。絵はがきなどもあるが、絵はがきサイズのまっとうな作品って感じで……この辺になると疲れてきてボケーと見てたんだが、今リストを見ると絵はがきのタイトル「ジキルとハイド」とか「村山槐多死す」とか面白そうじゃないか。注意してなかった。「古い自転車」にゃポエムが書いてある。それから「思い出の海の家」なんぞは木の板でできている。「海村」は刺繍だな。着物もある。なんかマイナーな人の割には手広いぞ。
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201707_fusentetsu.html

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2017年7月 9日 (日)

クエイ兄弟 ファントム・ミュージアム(松濤美術館)

去年だったと思うが、神奈川県立近代美術館の葉山館でやってて、時間かけてわざわざ行ったのです。なんだー渋谷に巡回してくるのかー待ってりゃよかったー と思ったが、今日行ったところ、会場スペースの広さがやっぱし違う。松濤は広くないので、映像コーナーは一つにまとまっているし、展示コーナーもコンパクトになっている感じだ。でもアニメーションに使われたデコール(人形とか舞台装置)は一通り出ていて、おいしいところは楽しめる感じだ。

最初の、初期のドローイングを再見して、「喜びの電気拷問」とか「死体の学校」とか屈折したタイトルと内容の絵がやっぱり好きで、暗く神秘的で妖しい世界を私もまた文章だけで描きたーいと思うわけですよ。ところで、今回あらためて、おやっ、と思ったのは「ペナルティーキックを受けるゴールキーパーの不安」ゴールキーパーだ! 縞柄のシャツを着ている。絵の全体は暗い感じだが、そこに唐突に縞柄のゴールキーパーである。「楡の木の向こうからトランペットの音が」これにも縞柄ゴールキーパー。先日、実家に行った折りに筒井康隆の「虚構船団」という小説があり、いや、私が住んでた頃に買ったんだけど、筒井の最高傑作だと思っているのです。それを持ってきて再読してた。長いだけでなく結構読むのに苦労する小説なんだけど、そこに実は、唐突に出現する縞柄シャツのゴールキーパーというのが登場するのだ。読んだ時に、なんで縞柄なんだろう、と思ったが、ここでも縞柄だ。ふうむ、昔はそうだったのか? あるいは、実は筒井がこの絵を見ていてインスピレーションを受けたとか、という適当な妄想もまた楽しい。あとは「憎悪を行使する恋人」も木から煙がモクモクという愉快なもんだ。それから参考出品なんだけどアンソニー・バージェス「時計じかけの遺言」おや、この人「時計じかけのオレンジ」の作者じゃないか。こんな暗くて妖しい絵も描いてたのか。前は気がつかなかった。

階が変わって、アニメーションで使われたデコール。どれもわざと壁を汚して年期の入った感じにする技が冴えている……って書いたよな。で、これらと同じのはアレですね、ジョゼフ・コーネルの箱シリーズ。時を箱の中に閉じこめるのだ。「プラハの錬金術師」のデコールに、現在西美でやってるアルチンボルドが使われている。そういえばこの錬金術師の顔もアルチンボルドの「司書」ってやつと同じようだな。頭が開いた本でな。あと、撮影可のデコールが入り口んところに一つある。おなじみ映像のダイジェストもあって、ボリュームは葉山より少ない感じだけど、あらためて見て、アニメーションもいいが、音楽も音響も結構凝っているんだね。音もクェイワールドの重要な要素なんだなあ。しかしまたいろいろ見たくなったぞ。

今回のお目当ては実は地下でやっているDVD上映会なのだ。割と新しい(2012年)「変身」を見てきた。もちろんこれカフカ「変身」の映像化。結構版権が厳しくて見れる機会がめったにないんだって。見たところ画面が全体に暗く、DVD映像じゃちと苦しいんじゃなかろうか。内容はクェイの若い頃(?)と違ってまったり系。もちろん幻想的でモノクロ的(モノクロというわけではない)雰囲気十分だが……見てるとボケーとしてきて眠気をもよおす。隣がなんと子連れで、子供が「こわい」を連発。そりゃー怖いだろう(「ストリート・オブ・クロコダイル」ほど怖くはないが)、なじぇチビッコを連れてくる? まあ親が見たかったんでしょうなあ。しかし30分前から整理券配りますってことだが、整理券に番号がついていて、10分前ぐらいに番号順に案内……じゃないんだな。整理券配ると同時に中に入れちゃって、席取って下さいとのこと……ん? じゃあなんのための整理券なのだ?
おなじ渋谷のシアターイメージフォーラムで、7/8から映画上映もやってるぞ。

建物の雰囲気と合っている。
http://www.shoto-museum.jp/exhibitions/173quay/

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2017年6月26日 (月)

レオナルド×ミケランジェロ展(三菱一号館美術館)

どーせ素描ばっかしだしーとあまり期待していなかったしー、始まってそんなに経ってないしー、あんまり混んでないんじゃないかと思ってたら入場制限というか、入口で並んでた日曜朝。あーやっぱダ・ヴィンチ君、まあダ・ヴィンチの素描はね、いいのはいいですよね(当たり前だが)。

最初にいきなりポスターになっている二つが出てしまう、ミケランジェロ「《レダと白鳥》の頭部のための習作」、ダ・ヴィンチ「少女の頭部/《岩窟の聖母》の天使のための習作」。ミケは普通にリアルにうまい……が別に傑出しているかというとよく分からん。ダ・ヴィンチも似たようなもんだろうと思ったが、こっちはちょっと面白い。何が? 表情だ。微笑とも微笑でないともつかない微妙な表情はモナリザと同じ。なんでもこれ「世界一の素描」と言われているそうなんだが、まあこの微笑っぽいのが独特ではあるな。あとミケの肖像が出ているがもちろん他人作で言うなればサブカルチャーだよなあ。ダ・ヴィンチの肖像もあってな「ファクシミリ版」だって。要するに機械でスキャンした高解像度複製。見た目にゃ本物と変わんねーからいーだろ、って感じでダ・ヴィンチ展ではしばしばお目にかかる。

顔貌表現のコーナーでダ・ヴィンチの「顔と目の比率の研究」おお、こういう研究ものの素描は研究してます感が伝わってきて面白いね。ダ・ヴィンチは「ダ・ヴィンチと弟子」作も多い。あとミケも習作いくつか出てたが覚えておらぬ。

絵画と彫刻:パラゴーネ(比較論争)のコーナー。ダ・ヴィンチは絵画は立体を平面に表現するので、彫刻より優れていると思っていたらしいが、ミケはそれに対し、いやいやまあまあおいおいとか思っていたらしい。各人の言葉が展示されてます。そうそう解説も多い……んだけど、前も書いたが解説ってヤツは見ても何がいいのかシロートには分かりづらい作品を見て、あーつまんなかったとか言われるのがイヤなので一生懸命書いているんじゃねえかと思うのよ。逆に言うと、解説が多くて気合い入っている展覧会って、そういう作品が多いってことなのだ。さて、油彩でダ・ヴィンチの「聖アンナと聖母子」……なんだけど時々見るヤツで、もちろんパチモン(一応同時代なんだけど山ほどある。ちなみにここでいうパチモンは赤の他人だけじゃなくてオリジナル以外弟子作工房作も全部含むのだ。キビシイのだ)で、あーなんかどーでもいーや。それよりミケの「河神」がなんかスゲエ。神ったって人体だけど、首と手足の先がない。要するに体だけのヤツなんだが、表現したくないものを削除して見せたい人体だけを見せるってなんか迫ってきますな。いわゆる「神ってる」ってヤツ? ミケの素描「背を向けた男性裸体像」も体だけでなかなかだ。

人体表現のコーナーで、ミケの素描「イサクの犠牲」……よく分からん。ダ・ヴィンチ「《アンギアーリの戦い》のための裸体人物とその他人物習作」これも筋肉の研究もので、好感度高い。しばらく行くとミケの習作が連発するが、だんだんラフになってきて「動く群衆の習作」なんてもうどーでもいーレベル(しかもミケ?とかハテナマークついてるし)。こんな適当な線シロートじゃ分かんねーよ。玄人というのは素描の描線一本から画家の技量を感じ取り「おお、さすがミケランジェロ」とか言える審美眼際だつレベルの人で、「なんかズガっとクる絵はないのかよ」とか言ってるオレはもちろんシロートなのさ。それからジョルジュ・ギージ描くミケのパチモンの印刷……まあ「最後の審判」だしね、丁寧に描いて印刷されているけどね。なんでそんな高い位置にも展示してあるんだよオレは近眼なんだぞ。

撮影コーナーを経て下の階へ行き、「馬と建築」コーナー。ダ・ヴィンチの馬の一部の習作……はシロートお断りもの。建築もあってミケの「ピア門のための習作」これがなかなか良さげな素描で解説にもあるんだけど、なんと、モノは来ているが展示されてない。そいつの裏に描いてあるどうでもいい馬の方が展示されておる。本来展示するはずだった門の絵はパネル。ダメじゃん! なんで? 直前になって却下を食らったのか? 売店に絵はがきもマグネットもあるから急遽そうなったらしいが痛恨ですな。

レダと白鳥のコーナー……ってマジですか? このアブノーマルなテーマをやるすか。解説を読むと「身を寄せ合うレダと白鳥」とか書いてあってオホホホホ、モノは言いようですなオホホホホホ、ゼウスをなんだと思っとるオホホホホ、いつだってほぼムリヤリなんだぞオホホホホ。それはさておき、ミケの習作一つと、あとパチモンの油彩があります。まあ、ダ・ヴィンチに基づく、という方はまあまあよくできてるけど、ミケのはちょっと……イケてない。元の絵がそうなのか、パチモンだからそうなのか分からないけどね、オリジナルはもう失われたみたいだし。

手稿と手紙のコーナー。ファクシミリ版連発。どうせ複製なんだから仰々しいガラスケースに入れないでもっと近くで見せてくれよと思うが……待てよ、もしかして近くで見られちゃドットとかみえちゃって困るのか? と思ったりする。ダ・ヴィンチの「大鎌を装備した戦車の二つの案」はなかなか。ファクシミリ版じゃないからありがたみも違うわな。

最後は肖像のコーナー。素描いくつか。で最後を飾るのは、ダ・ヴィンチ作と思われていたレオナルド派の「貴婦人の肖像」……まあ、ダ・ヴィンチにしちゃあちょっと堅いよなってのがシロートでも分かるが。

日本でやるダ・ヴィンチとミケランジェロなら、まあこんなもんでしょう。できることはやっている。そういえば7月11日からミケの大型彫刻が展示されるってお。それより前に入った人には、それだけ見れる券くれるぞ。
http://mimt.jp/lemi/

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2017年6月17日 (土)

ジャコメッティ展(国立新美術館)

先日実家に行った時に、ジャコメッティそっくりな、古代イタリアのエトルリア文明だかの細長い人物像(Ombra della sera)の置物があって、あージャコメッティはこれを参考にしたのかーと思ったのだが、この企画見るとなんか違う。ジャコは自らあのスタイルを生み出したようだ。そっくりなのはたまたまそうであっただけのようだし、よく見ると印象もずいぶん違う。
見れば分かっちゃう細い人物の彫刻。展示物の多くはそれだけど、それだけじゃないんだな。

最初は典型的な細人間「大きな像(女:レオーニ)」がある。おなじみだけどあらためて見ると、ふふーん、女ってえだけあって、髪は長めだし胸もあるし腰もくびれとるんだな。
それから初期からの作品。18歳での絵画「ディエゴの肖像」弟ね。うまいが普通。16歳での彫刻「シモン・ベラールの頭部」おっとこりゃうめえな。16歳でこのレベルかよ。人間の頭そのままじゃねえか。してみると、彫刻より平面の方が難しいみたいだな。まあ古代美術もだいたい彫刻の方が先行してリアルだしな。それからしばらく初期の彫刻が続く。抽象的なのが多いが、まだ細い人物やってない。「キュビズム的コンポジション - 男」のレンガ積んでるみたいなのとか、「横たわる女」はピカソ風というか、まるでスプーンだな。と思ったら「女=スプーン」なんていう、そのまんまなヤツもあった。しかし「鼻」という作品で、横につぶれたスタイルが登場。細い頭部だけど鼻が尖っていて長い。蚊の頭かよ。

小像のコーナー。年代的には「鼻」より前か。ジャコメッティは自分が見たものを、見た通りに残したくて、もうめちゃくちゃ悩んで、モデルと空間的に距離があるもんで、まずは小さくなっていったらしい。小さい人物像。これがマジ小さいもんで驚きだ。
それから女性立像へ。小さいばかりではマズいんで大きくしていった。ところが異常なくらい細くしないとどうもしっくりこない。見た通りをいっぺんに残すんだとかやってるとそうなるらしい。いやしかしこれはアレだな、セザンヌが静物画で、その静物の見たいところを全部一気に一枚の絵にガッチリ残すんだ、とかやって方向や遠近が妙な入り乱れ方をするのを描いたが、そういうのに似ている。ここら辺からおなじみな感じの、細い棒みたいな女性像乱立。同時に、絵も描いてて、ドローイングの人物画がチラホラ出てくるのだが、これが結構クる。ぬううキてますキてます。「正面を向いたアネット」エッチングだけど顔がゾンビみてーでな、「裸婦立像Ⅱ」……うーん、普通に描いているように見えて、なんか緊張感が高いんだよね。なんでかな。

群像のコーナー。おなじみの細い人物をいくつか使ったヤツ。「森、広場、3人の人物とひとつの頭部」タイトルまんまで、細人物と頭部の彫刻が集まって、土台を共有しているだけなんだけど面白いねえ。「林間の空地、広場、9人の人物」なんてもう細い柱9本って感じだわな。でもジャコテイストビンビンな感じがナイスだお。「3人の男グループⅠ(3人の歩く男たちⅠ)」は文字通りだが細いヤツが歩いておる。

書物のための下絵のコーナーがあって、えええ鉛筆描きの細人物は、オレにも描けそうな感じだなー。次、モデルを前にした制作。また絵に挑戦なんだけども、やっぱしモデルを前にしても見た通りを見た通り残せるかとか自分との戦いをやっているので、描線はラフでもえれえ時間がかかり、モデルを長時間というか長期間拘束してたらしい。リトグラフなんだけど、とにかくササッと描いてあるように見えて、実は脂汗ダラダラで絵とバトルしながら描いてるとしか思えない妙なテンションがある。しかし思うにこれ、見た通りに、だけじゃなくて、こんな長時間拘束して怒ってないかな、怒りたいけど怒ってないだけじゃないのかな、でも絵がぜんぜんできないし、なんていう感情面での緊張もあったんじゃないかなあ、解説には書いてないけどね。だって描いてある顔がヤヴァいんだもん。アウトサイダーアーティストが描く顔みたいに、なんか病んだ雰囲気があるんだよね。「カフェにて」とか病んでる。「自画像」はビョーキ。「男の頭部」うむヤヴァい。「横たわる女」これは割と普通。
しかーしお楽しみはこれからだっ。次のマーグ家との交流のコーナーにある油彩「マルグリット・マーグの肖像」うわっ! マジすかこれ。マジヤベーっすよこれ。今回の全展示品の中でこれが一番インパクトがあり、異様な味がある。なんて言うか……肖像なのかこれ? いや、抽象画じゃないよ。ちゃんと肖像描いてあるよ。でも、人間を書いている感じがしないというか、テンパって描いてるというか、描いては消し描いては消ししているうちにドツボにはまったヤツというか、人間の知られざる何かを描こうとしてにじみ出ているというか、表情を描いたらそのことによって相手の表情が変化して、それを描いたらまた表情が……という無限ループにはまった果ての絵というか、とにかく形容しがたく単に不気味では済まない何かがあーる。

次は矢内原伊作のコーナー、大阪大学文学部の教授だった矢内原伊作とつきあっていて、モデルもやってもらった。忍耐強い東洋人ということで、つきあいは長く続いたようだ。ペンや鉛筆で描いた肖像。さりげなく見えて、これも時間かかっているようだ。それからパリの街の絵、悪くはないが、緊張感も少ない感じで人物肖像よりは楽そうだ。あと猫と犬の彫刻もあり。いずれもジャコメッティ風に補足変形を余儀なくされている。よくできてるけどね。それからスタンパという土地の名前。そこに関する絵。静物のコーナーでは、なんとジャコメッティがセザンヌを尊敬していたと判明。やっぱそーかー。油彩「林檎のある静物」は、ああセザンヌだなあ、と感じる次第。

次は「ヴェネツィアの女」という連作。一部屋でこれだけだ。おなじみ細人間群。9人おる。当たり前だが一人一人同じように見えて違うのだ。次の部屋がクライマックス。チェーズ・マンハッタン銀行のプロジェクト、ということで、壁際にごく小さいのもあるが(ここまで来る途中にも壁に穴あいてて見れる)、非常に大きい作品を展示。大きいのは「大きな女性像Ⅱ」「大きな頭部」「歩く男Ⅰ」という3つ。この部屋だけは撮影可能。SNS野郎どもには嬉しいかもしれないが、美術品の写真なんか撮るもんじゃないと思う俺にゃあ単なるシャッター音がウザい部屋だ。作品はデカくて見応えあるけどな。あとは詩人とのコラボが少しと、パリのリトグラフ「終わりなきパリ」が少しあって終わり。

ジャコワールドにタプーリ浸れてなかなか面白い。始まったばかりだが混んでくるかなあ。テレビでの放送次第かな。ま、早めに行くに越したことはないな。
http://www.tbs.co.jp/giacometti2017/

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2017年6月15日 (木)

美術館でナンパはできるのか

なんでも「ちょいワルジジ」になるには美術館へ行き、牛肉の部位知れ」なんて記事だか文章だかが話題になっていて、そういえば私は10年ぐらい前に「モテる美術鑑賞」というフリーペーパーをコソコソ書いていた時期があり、Vol.5に「美術館でナンパ」の回がありました。いま読み返してもあまりにバカバカしいので、ここで全文公開してしまえ。

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ここ(Vo.4)まで読んできて、諸君には湧き上がる一つの疑問があると思います。
 美術館でナンパはできるか?
 今回はこの大問題について書きましょう。はい、普通はできません。なぜなら、いくらお嬢様が一人で美術館に来てたって、それは美術鑑賞に来てるのであって、ナンパされに来てるわけではないのです。そもそも何て声をかける気ですか?
「ねえ、お茶しない?」
 入場料のかかる美術鑑賞を放り出して、見知らぬ野郎とお茶しに行くバカ女はおりません。鑑賞中じゃなくて、見終わってからとか、外の売店とかで声をかければいいじゃんと思うかもしれません。ただ、それでは普通のナンパです。君がイケメンで知性的で優しい雰囲気ならいいのですが、恐らくサカリのついたケダモノが顔に出てしまって、危険人物とみなされてしまうと思います。いや、でも、ヘタな鉄砲も数撃ちゃ当たるかもしれん。君にノコノコついていく娘もいるかもしれん。でも君についていくということは、誰にでもついていく。他の男はもちろん、キャッチセールスや新興宗教にもノコノコついていくということで、つきあった後で君が苦労することは目に見えています。

 従って、君は次のような手段を取るとよいでしょう。美術館に入ったら、観客の中で最も若くて美しいお嬢様を探すのです。親付きでもかまいません。また、その際に、なるべく胸の大きい人を探しなさい。次に、君は、そのお嬢様の前におもむろに立ち、素早く両手を伸ばし、お嬢様のふくよかな両胸を思い切りつかみなさい。もちろん通報されると思いますし、ムショに入るかもしれません。でもいいじゃないか。君は美術館に来ている巨乳のお嬢様の胸をワシづかみできたんだぜ。その思い出だけで一生、生きていくんだ。どうせ君の人生なんてこれ以上のことは起こらねえよ。
 という、ミもフタもない真実はさておいて、多少マジな話をすると、一人で来てるお嬢様だって、きっかけさえあれば誰か素敵な男性と美術のお話ができて、カレシにならないかなあ、ぐらいは思っているはずです。

 何か不自然でないきっかけはあるのか?
 はいはい、意外と簡単にあるのです。大抵の美術展には「ギャラリートーク」というのがあって、学芸員が展示品の解説をしてくれます。客は流動的に集まっているので、ターゲットを見つけたらその隣に立つことも簡単。集まっている以上、隣に声をかけるのも、そんなに不自然ではない。ただ、問題は、何て話しかけるか?
「終わったらお茶しない?」
 だから、普通のナンパは貴様には無理だっての。ここは一つ、モテる美術鑑賞的な手段でいきましょうよ。知識を持たずとも会話の肥やしとなる美術作品を選ぶ必要があるのです。
 時計が溶けてる絵でおなじみのサルバドール・ダリ。彼の絵は偏屈的で意味ありげな、いろんなものがこまごまと描かれているのです。従って、君はド近眼のふりをして、絵を凝視し、ゴミがくっついたような細かい部分を見つけて、おもむろに隣のお嬢様に話しかけるのです。
「すいません、あれ何が描いてあるのでしょう? ちょっとここからじゃ見えなくて……」
「自転車に乗っている人ですが」
「どういう意味なんでしょうかね? 走って逃げたいとか」
「そうですね、私としては……」
 という感じで、話が自然に進むはずです。あとは前回の抽象画のように、ひたすら自分が見た印象だけ話せばいいのです。何も考えることはありません。会話が途切れないまま見事、出口までたどり着けば、茶も行ける。ホテルにも行けるかもしれません。
 ダリの他にも、エルンストとか、キリコとか、デルヴォーとか、近現代美術の連中には、何か意味ありげなものを描いて喜ぶ画家は少なくないです。展示作品を事前にチェックして、どの部分に注目するかを決めてから挑むのも一興。

 しかし、筋金入りのお嬢様には、これでもまだ警戒されるでしょう。従って君は、やや強引な手段を取る必要があります。
 気持悪い絵の前で、気持悪くなって、お嬢様の方に倒れてしまうのです。お嬢様なら、まさか急病人を放っておくわけありません(放っておくならそれはエセお嬢様です)。
「あの、どうなすったのですか?」
「す、すいません。あの絵を見ていたら、気分が悪くなって」
「あら、大変」
「あなたは平気なんですか?」
「あの絵を見ていると、画家の悲しみが伝わってくるようですわ」
 という感じで話が進むはずです。(※お嬢様の方が倒れたら君が介抱すればよいのだぞウヒヒヒ)
 そんな気持悪い絵を描く人がいるのか? はい、一人いるのです。H・R・ギーガー?(※映画「エイリアン」のデザイナー) 惜しいけど違うな。その画家の名は、「ズジスワフ・ベクシンスキー」といいます。ポーランドの画家です。廃墟のような、幻想世界のような、死体のような、ゾンビのような、見ていて思わず背筋が冷たくなってうえええええええ、となるキモチワル~イ、しかし美術館に飾るにふさわしい美しい絵画作品を描いております。うーん、実物を見たいもんだぜ…… でもやっぱりキモチワルイから、展示されないんだろうなあ……じゃあダメじゃん。

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ちなみに補足すると、例の記事みたいに「知識をひけらかす」のはやめた方がよいと思います。あとギャラリートークですが、学芸員の顔はちゃんと立てましょう。「俺の知識で論破してやる」なんてのはもってのほかです。印象が悪くなるだけでモテません。
もう少し補足すると、私は美術館でナンパしたことはありません。たとえできても気の利いたメシ食うところなんか知らんので、あとが続かないです。

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2017年6月11日 (日)

絵画は告発する(板橋区立美術館)

館蔵品展である。ここは企画もなかなかいいのだが、いかんせんアクセスが悪い。まー周囲に公園とか観光地らしきものとかあるんだけども、駅からも遠いしバスは少ないし、もちっとなんとかならなかったのかなー

さて、共謀罪反対渦巻く昨今、現在の芸術家詩人諸氏もまた反対の大合唱、曰くこれ戦前そっくり、このままじゃ何も言えない表現できない社会になるぞ恐ろしいぞとか。じゃあ実際その戦前はどうだったのかってのがかいま見れる企画なわけですよ。

最初にプロレタリア運動に関する作品。社会主義がまだバラ色でカッコイイイメージだった頃、ロシアの社会主義リアリズムを意識した作品を作るのが流行だったんだって。寺島貞志「コムソモルカ」はロシアの赤いネーチャンで、たくましいかっこいい。このプロレタリア運動は治安維持法で弾圧を受けてしまう。うおおお共謀罪もきっとその再来じゃあ~……うん、でもいまプロレタリア運動なんてやってない。いや、やってるのかもしれないけど、もう社会主義に憧れる人も少ないだろうに。反政府を叫ぶ人々はいかなる社会を理想としているのだろうか……

さて、当時はシュルレアリズムも盛んだった。石井新三郎「作品」とかダリ風だし浜松小源太「世紀の系図」はエルンスト風か、うん、まあシュルレアリズムは無意識なら何でもありっぽく見えて、実際は結構誰かの作風に影響されている感じがしますなあ。あと、これらの作品も当時の社会情勢に影響受けてたみたいなんだけど、直接的に何か訴えているわけでなく、まあ、なんていうか雰囲気が暗い……感じ? 結局このシュルレアリズムも弾圧を受けてしまう。

戦争中はさすがに自由に表現できない。裸体画も抽象画も時局にそぐわないと言われたそうな。しかし軍の意向に沿った戦争画なら描ける。ああ暗黒時代よ、と思うかもしれないが、軍の意向に沿った戦争画なんぞみんなクソッタレだと決めつけた連中が日本から藤田嗣治を追い出したのだよ。藤田の戦争画は決して芸術的に劣ったものではなかったし、玉砕ものなど悲惨な無常感が力強く表現されていたが、正義は我にありとする連中の糾弾の中じゃそんな指摘できるはずもなく……結局戦前に正義を振りかざして人々を戦争に持って行ったのと方向が逆になっただけで何ら変わりないじゃんねえ、という話はさておき、いかなる弾圧があれど芸術家は芸術家として、表現する人はするのだ。まあ厭戦的ってだけでアウトになる時代ではあったからねえ、表現できない人も多かったろうな。

話はまたそれるけれども、共謀罪ね「一般の人は監視対象じゃありません」なんて言われて安心してる人もいるが、一般じゃない人ってどんな人か……監視対象じゃない人だってお。基準にならねえ。美しい絵は美術館に飾ります。じゃあどんな絵が美しい絵か、美術館に飾られている絵です。と同じだもん。意味ない。でも思うに、共謀罪が成立してもすぐに何かは起こらないし(今の政府の文句言ったぐらいじゃつかまらないよ)、それゆえ「何も変わらねーじゃん」っていう人がほとんどで、反対派は煽りすぎだよバカじゃねーのってバカにされるであろう。でも、共謀罪が本当に牙をむくのは今じゃなくて、もっと戦争が近くなった時、北から飛んできたミサイルが本土に当たっちゃったとか。世の中が戦争ムードになって「さあ攻撃された以上、国民一丸となって戦おうぜ」ってなことを政府が言い始めた時(その時は多くの国民ももうヤル気になっているであろう)、その時に「やっぱり日本とアメリカが悪いんじゃない」なんてヤツ気のじゃまをするヤツラを全部しょっぴくのです。だからさ、「成立すれば今すぐ危険な世の中になる」なんて煽り方はダメなんだよ野党。またバカを見るぞ。

話を戻して、ここに並んでいるのは身近な風景を描いたところ……なんだけど、そこは今見るとやっぱし戦争中な雰囲気はある。大塚睦「荒地」の痩せた人物、末永胤生(たねお)「漁る人々」、竹中三郎「働く女達(市場へ)」いずれも働いているんだけどどこか暗い。井上長三郎「漂流」は暗い中輪郭線だけで表現された抽象スレスレ。全面的に逆らうことなく、かといって萎縮することない表現。共謀罪の危機を訴えている芸術家諸氏もこれからの時代のため、見ておいた方がいいんじゃないか。

「戦後」の人体表現というコーナーがあって、戦争を経た人達の関心は内面に向かっていったとのことだが、実はここがメインじゃないかってぐらい力の入った作品が並ぶ。寺田政明「灯の中の対話」はネズミだが、古沢岩美「女幻」のシュールな画面にリアルな女の顔。入江比呂「薪炭(戦時配給)」「群(米よこせ)」は抽象だがいかにも戦後でものがない。この辺から人体表現が加速し、糸園和三郎「像」は首がない、阿部展也「顔の後ろの顔」の異様っぷり、漆原英子が強烈で「The Sybarite-快楽を求める人-」はエレファントマンか。同じく「CLOWN」は蔵六の奇病か……って知らないか。早瀬龍江「自嘲」は顔が皿に乗っててフォークまで刺さっている。いずれも女性画家かな。なんとなくこの手の表現は女性の方が容赦ない表現するよなあ。

戦後になったものの、まだ朝鮮戦争なんかが起こっていて、戦争体験者でもある表現者達のパワーは劣らない。今も現役の中村弘「富士二合」なんだここはエイリアンの巣か。桂川寛「立ち退く人(小河内村)」は人物はさりげなく立っているだけだけど、背後にやっぱり、あるよなあ。山下菊二はとにかくパワフルで、「祀られる戦士」「壮烈(ベトナム)」ホラー画とも反軍事ともゲルニカともボッスともシュールとも、とにかく異様な表現で迫る。思うに、戦争を経てきた者たちの生々しい意識が描かせているので、なんか今時とはひと味違う。思えば我々は所詮戦後の平和生まれ平和育ち、いかに社会が危機だと認識しても、はっきり言ってチョコザイなもので、それを作品に込めて出さざるを得ないようなせっぱ詰まった感情とは無縁ではないだろうか。ええ? 現代の芸術家諸君、詩人諸君よ、口ではいかに共謀罪は危険じゃ戦争前じゃと危機を分かっていても、それを口であるいはSNSで言ってりゃプシューとガスが抜けて満足しちゃう程度の危機感じゃねーのかい。今現在、誰かこの世界の危機を作品にしちゃーいないのかい? 戦前、戦後を生きて表現してきたこれらの人々を見習うべきじゃないのかい。もう過去の連中で、ここから学ぶことは何もないのかい。歴史は繰り返すなどと言いつつ、その歴史の中で戦ってきた人々へ向ける目はないのかー

てなことを考えていた。
http://www.itabashiartmuseum.jp/exhibition/2017-exhibition/ex170408.html

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2017年6月 4日 (日)

ランス美術館展(損保ジャパン日本興亜美術館)

1300円とここにしちゃ強気だお。何があるのかな。フランス絵画らしいが。

入ったら17世紀から概ね年代順。目に付いたのはまずヨルダーンス(と思われる)……伝ヨルダーンスかい。それの「サテュロス」。酒の神バッカスの従者だって。ナイスな赤ら顔だぜ。昼に見てもヨルダーンス。それからジャック・マルモッテ「レダ」あー、あのギリシャ神話のね。ゼウスの白鳥はいるが、レダを押し倒しているシーンではないのでイマイチ盛り上がりに欠けるな。最初の目玉がダヴィッド(および工房)の「マラーの死」。え、これ有名なヤツじゃん。新古典主義のダヴィッドのね、リアルな筋肉男の魅力満載……まあ死んでんだけど。ドラクロワがあるがうーむイマイチだ……っていうかドラクロワのイイヤツはそれだけで客呼べるしな。こないだ見たシャセリオーがある。「とらわれの女」とらわれてんだから裸だ。背景は屋外だ。しかしなんだね、とらわれて裸にされてる女の絵をそこらの人が普通に美術品として鑑賞してんだからおもしれーな。シャルル・ランデル「タンジールのユダヤ人の女」うん美女だ。エデュアール・デュビュッフ「ルイ・ポメリー婦人」シャンパンの、あのポメリーの人か。オレは好きだよポメリー……もう何年も飲んでないが。ええ有名どころでコロー……並。ミレー……小さいな。ドーミエ……こないだ練馬で風刺版画を見た。こっちは「画家」という暗い油彩。クールベさん……並。ううむ、一応名が知られている人が多いけど、なんかズガッとくるヤツはないのか?

印象派あたりになってきて、シスレー……普通。ラファエリ「シャンゼリゼ」おー、これはなかなかですね。人がいっぱいで。次のピサロの「オペラ座通り、テアトルフランセ広場」も、ちょと見下ろした感じがイケますね。ファンタン・ラトゥール「まどろむニンフ」おお、ボヤボヤ画面だけどそれがよいな。ヴュイヤール「試着」作品は小さいがナビ派の人でナビ派な感じだ。ゴーギャン「バラと彫像」地味だな。ドニ「魅せられた人々」これは色がちょっとトチ狂っているところがいいね。ヨーゼフ・シマ「ロジェ・ジルベール=ルコント」人物画だが体が妙な影になっている感じがシュールの人。……って、ここまでまだ半分ぐらいで、もうこんな時代まで来たのか? 残りは現代美術か? ……と思いきや。ここまでは前菜で、実はメインがこれからなんだな。

藤田嗣治が洗礼を受けてレオナール・フジタになった場所が、実はこのランスなんだって。「平和の聖母礼拝堂」という教会があって、そこにフレスコ画を描いたのです。なもんで、フジタのコレクションが充実。展示の残りは全部フジタだお。ここのだけじゃなくて他の美術館からもフジタを持ってきて展示している。まず油彩いろいろ。「ヴァイオリンを持つこども」ほほーおんにゃの子かと思ったら男子だと。注文制作らしい。「猫」猫イパーイ。やっぱフジタの猫はいいですな。なんか顔が気高いですな。「授乳の聖母」この顔立ちは日本人じゃねえな(当たり前だが)、いやつまり、日本のセンスじゃないなってことで。やっぱフジタだ。「十字架降下」キリスト教絵画でありながら金箔なぞ使った和風。でも油彩か。おもしろい。「マドンナ」これはいいぞ……ってあとで見たらチラシにもなってた。聖母が黒人だ。モデルはアフリカ系アメリカ人の女優らしい。周りのケルビム(天使)も黒人の子供。なんとまあ斬新な(まあキリストは白人じゃなかった説もあるようだが)。

「平和の聖母礼拝堂」のフジタのフレスコ画を写真パネルで紹介。「七つの大罪」なんか見ると日本の武者絵とかああいうセンス……ありゃ、さっき日本のセンスじゃねえとか書いたが、やっぱし日本的を感じちゃうなあ。パネルのあと、いよいよそのための素描群を展示。これがなかなか。素描でもイイって作品は多くはないが、これはイイね。デカいし。「聖ベアトリクス」なんて最終的にステンドグラスになるんだけど、ガラスを支える太線を追加してるんで、実は素描が一番描きたいものが描かれている感じだ。「信徒たちと子ども」は何となく仏教画的構成だ。「七つの大罪」の素描もあるが。これも素描の方が描きたい欲を感じる。しかし暴飲暴食にせよ性的なものにせよ、罪としての欲望を描くためでも、よりよく描くためにはその欲望を十分抱え込まなきゃいけないアンビバレントなんだが(つまり聖人君子じゃ欲望の絵は描けんだろ)。画家は結構普通にそれやってるんだよね。画家ってなんだかんだ聖人じゃねえし。

あとはいつものゴッホとかグランマとか東郷青児とか。
http://www.sjnk-museum.org/program/4652.html

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2017年5月20日 (土)

N・S・ハルシャ展 -チャーミングな旅-(森美術館)

やっと行ってきた。インドの現代アーティスト。よく知らん人なので珍しく音声ガイドを借りる(無料なのだ)。ナレーションは細野晴臣じゃありませんか。YMOのというか、最近は「大科学実験」の人だな。でも結果的にあんまし聞かなかった。解説は作品に書いてあるし、音声聞きながらだと意外と見るのに集中できないんで。まあ、借りてみなくちゃー分からない。

最初はドローイングとか「1000の手と空」という手のひらを1000……1000枚? 円形に並べた絵がいいね。「母のサリーに描いた子宮」なんてのもいかにもインド。それから早々にハルシャの特徴である並べて配置してるけど一つ一つが違う、というものの作品が登場「私たちは来て、私たちは食べ、私たちは眠る」移動、食事、睡眠の様子を大きな3枚のキャンバスを使ってそれぞれに大勢の人がきれいに並べられる。一人一人を丁寧に見てもよし。多様でなんかいい感じと見てもよし。シンプルにしてナイスアイディア。

インドのマイスールという町に住み、そこにこだわりを持っている。大都市とディープな田舎のどちらにもアクセスできる位置だそうだ。文明と伝統の対峙という作品がいくつも。「チャーミングな国家」シリーズはインドの雰囲気全開ながら戦闘機やスペースシャトルなんて最新技術も描かれて、まあ、全体的に文明批判かな。ありがちと言っちゃあ何だが、そんなにインパクトはない。むしろ「浄化する者たちの対話」という土にまみれたヨガ修行者と、土地測定のビジネスマンの対比が面白い。

次の部屋からディープに本格化。「溶けてゆくウィット」これはよかったねえ。赤い大地に鼻血出してるピエロがうようよしてて、大地から落っこちている。意味もなく不気味でダークでよい。「ここに演説をしに来て」はポスターにもなっている大作。大きなキャンバス6枚組に縦横並んで2000人以上が描かれていると。一人一人違うし、現実の人もフィクションの人もいる。すぐにフリーダ・カーロがいることに気づいた。確か「折れた背骨」という絵にあった背骨が割れたフリーダ。そうかハルシャは知っておったのか、かの画家を。あと目に付いたのはバットマンとスーパーマンかな。「集団結婚式」はカップルが並んでいるが背景がパリ、ロンドン、ニューヨーク、どれも建物で、日本は富士山で表される。

それからインド、マイスールの紹介部屋があって、「空を見つめる人々」というインスタレーション。床一面に寝っ転がった人の絵。空を見ているのだ。そして観客も靴を脱いで中に入り、床に寝っ転がって一緒に空を見るのだ。何が見えるか? はい、上が鏡であって、人々の一緒に寝ている自分が見える、というもの。哲学的な意味があるようだが、普通に面白い。ナイスアイディア。

それから「ネイションズ(国家)」という大規模インスタレーション。足踏みミシン193台。それぞれに国旗が置いてある。足踏みミシンは国家を支える労働を象徴しているそうな。しかしその結果の国旗は何とも薄っぺらい、国家なんてそんなもんよ。これもまあ批判精神かな。メッセージはともかく、部屋を上まで埋め尽くすミシンは実に壮観。素直にスゲエ。動いてたらもっとスゲエが。それからまた平面作品が続く。「ここでは皆がむさぼり食う」は何とも強烈だ。肌の男女が何人も、例によって縦横に並んで座って食っては吐いている。うええ。でもいい感じの絵なんだよ。「レフトオーバーズ」は、葉に盛られたインドの食べ物の食べ残しの状態をわざわざ食品サンプルで作ったもの。うえええ。でも、これを見ると、前に見た会田誠のコンビニ弁当の空き容器に、絵の具をウンコ盛りした作品を思い出すな。あーあれも色はカラフルでも印象はバッチイもんでしたな。あとCHIM↑POMのね、食品サンプルで部屋じゅうを汚した「くるくるパーティ」。キタネー作品で全然イイとは思わなかったんだけど、覚えているんでアーティストの勝ちなんだよね。

「未来」という小学生向けワークショップがあったようで、シャツ(大人用)に絵の具で将来のことを描いてもらい、あとでそれを着て六本木を練り歩く、というもの。シャツそのものがどばっと展示してあるが、印象はまあ小学校の展覧会といったところか。あー、ウチの小学生を参加させりゃよかったかなとも思わんでもないが、自分で描いたシャツ着て「未来~!」と叫びながら外を歩くのは恥ずかしがるだろうなあ。まあでも、これもナイスアイディア。

ジョーン・グラウンズという人とのコラボ。柱がターメリックで塗りたくってあるのかいかにもインド。それから終わりの方「ふたたび生まれ、ふたたび死ぬ」は横24メートルの仰天作。なんたって、遠目では超太い筆で、一筆で一気に描いたかのようなんだが、実は太い線の中に宇宙が描いてあって、妙なスケール感で迫ってくる。わお、なんかこれスゲエな、というのと、そうかこの手があったかというまたナイスアイディアな印象。あと猿のインスタレーションがあったりして終わり。

アジアの現代アーティストを丸ごと特集ってのは森美術館の得意技だけど、異国ムードの世界観にタップリ浸れる点は毎度面白い。マイナーだからすいてるしな。
あと、今展望台んとこでマーベル展もやってるみたいなんだけど、混んでるっぽいし時間もないし行かなかった。まーアメコミヒーローにゃ興味ないし、帰りにショップ通ったけど全員同じに見えるんだよなあ。
http://www.mori.art.museum/contents/n_s_harsha/

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2017年5月16日 (火)

19世紀パリ時間旅行(練馬区立美術館)

タイトルだけ見て、あー例によって当時のパリの芸術家の作品が並んでいるのかなーと思いきや、はい、なんと主役はパリそのものというハードボイルドな企画。パリマニア(というのがいるかどうか分からんが)狂喜の、情報タプーリの、まともに見てりゃ長時間エンジョイできるナイスな企画だ。

最初はシャヴァンヌの壁画習作「聖ジュヌヴィエールの幼少期」で美術館らしい幕開けだが(聖ジュヌヴィエールはパリの守護聖女だって)、その後はもう当時の版画がドバッと並ぶ。当時の施設とか。当時の地図もあり、それぞれに詳しい解説文が付いて、えれえ密度だ。オレは早くも最初の部屋の半分くらいでオーバーフローしてしまい、なんか文章も読まずに漫然と見ているだけになってしまった。おなじみのノートルダム寺院とかね、ありますね、あとバスティーユとかね、シテ島とかね、ポン・ヌフ橋とかね、ふむふむね。「ドラグリーヴ神父の第9パリ地図」というのがなかなか面白い。立体的で。今だとグーグルアースで街を見るとこんな感じか。「花火」は花火の様子の版画だけど……これは広重の浮世絵の方がいいな。施設だけでなく郵便馬車もあったね。

当時の風刺画(版画)も並んでおる。有名どころのドーミエがいろいろ。他の人もあるが、しかし見ていると昔も今もあるいは国が違っても変わんねーなーというところも多い。大学に行ったのに勉強しないで遊んでばっかりの学生とか、金持ち男にぶらさがっている女とか……えー今でいわゆる港区女子ですかね。えーそれから当時のドレスが並んでいるな。昔の映画に出てきそうな腰を絞ったクリノリンってやつですな。

それから「オスマン男爵のパリ大改造」というコーナーなんだけど、また版画(エッチング)どっちゃり。今度は何とか通りという、通りを描いた版画いろいろ。あとドーミエ描く風刺画もありますな。鉄道旅行を安全にするには、一人一丁ピストル持っていること、「悲劇を演じる最中のオーケーストラ」これ面白いね。演奏家達が退屈してあくびまでしておる。マネの絵「オランピア」がセンセーションを起こした時の風刺画もある。そのマネの版画もいくつかあって、これになるとなんとなく、いつも美術館で見ている感じになるな。

それからパリ万博関係の版画、エッフェル塔の双六が面白い。あと夜のエッフェル塔のライトアップの写真がある。1900年。おお、当時でこんなのがあったんだー。あの高さだしな、こりゃパリが世界の最先端と思っちゃうよなあ。この辺からチラホラ絵画も出てきて、ギヨーマンのデカい絵。ルノワールの小品「森の散歩道」風景メインながらなかなかいい。アンリ・ルソー「エッフェル塔とトロカデロ宮殿の眺望」……うむ、素朴派だな。あとはポスターね、おなじみミュシャも有名な「ジスモンダ」があるが、他の人も忘れずに。パルって人の「ロイ・フラー・ショー」これ、なんか女がひらひらした布を振り回すダンスだっけか。ロートレックの有名な「ディヴァン・ジャポネ」ポスター。どれも大きさ十分よ。最後の方にはユトリロの油彩4枚と、佐伯祐三1枚でシメる。

ガッチリ鑑賞すれば、ホネのズイから19世紀パリ気分になれるであろう。点数ぎっちり見応えありあり歯ごたえ十分。諸君の完走を祈る……俺は脱落組。
https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=201702111486797027

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