2015年10月26日 (月)

アインシュタイン展(東京理科大学)

今年はアレルギーがひどくなったんだか年齢のせいで涙液が足りなくなったんだか、とにかく春以降コンタクトレンズがしていられない日が続き、とうとう初夏頃から終日メガネになった。がしかし、あまりよく見えねえ(超強度近視なのだ)。年齢とともに、老化というか死に向かって体にガタがきてるというのが実感される。
死んだらどこに行くのか? 一応、とりあえず、生まれ変わるんじゃないだろうか。実際生まれ変わるのかどうかは分からないんだけど、少なくとも今自分が生きている限り、自分が他人として生まれることは絶対ない。しかし自分が死んだら、自分の「魂」は、他人か他の生命体として生まれる可能性はあるんじゃないだろうか。
とはいえ、意識やら自我が、脳内の電気信号によるシステムであるので、ケガなどの損傷で信号が欠損したらシステムが壊れてしまう。脳の一部が損傷した結果、人格が変わっちまった、なんて話を聞くと「魂」なんてやっぱし存在しないんじゃないかなー、という気もするわけ。 

なぜ私どもは、自我を持ち、意識を持っているのか? 単純なことを思いつく。つまり、その方が生き残った結果だからではないだろうか。さらに、宇宙が生まれて以来の全ての現象は、時間が流れるに従って残ったものの結果に過ぎないのではないだろうか。宇宙の物質は様々に変化してきたが、その課程で、生命として振る舞うものが、生命ではなく振る舞うものより、残る確率が大きかった。同様に、意識を持つ生命体の方が、持たない生命体よりも残る確率が大きかった。また、自我のある意識の方が、持たない意識よりも残る確率が大きかったに過ぎない。こう考えると、この宇宙での事象は全て「結果に過ぎない」に集約される。「見えるもの全て」は「変化する場での結果」。これまさに、仏教の「色即是空」ではないか。全ては変化する場である「空」なのだ。うむ、さすが仏教。これは割としっくりくるんだが、単なる結果だなんて何か虚しいと言えば虚しい話ではないか。
じゃあ逆の「空即是色」とは何だ? 宇宙が変化する場である限り、あらゆるものは生まれうるであろう、という話……なんだけど……そもそも宇宙の誕生ってなんだったんだ? ビッグバンか? ビッグバンって何だ? 宇宙では何が起きているのか? さあ、そこで我らのアインシュタインですよ。

ここでやっと理科大での展示の話だ。展示を見たが、文字による解説が多い。書簡などの自筆のコピーも展示していたが「E=mc^2」の手描き文字以外なんとなくしか見ておらず。PCによるニュートンとアインシュタインによる惑星の動きのシミュレーション……はなんとなく分かるようなそうでないような。神岡にある重力波検出望遠鏡「KAGRA」のビデオが一番分かりやすくて面白かったな。あ、あと子供の頃のアインシュタインを描いたマンガ(マンガ好きの学生が描いたのかな?)もある。あちこちで手作り感のある展示がイカすが、相対性理論が分かりやすかったかというと微妙だ。重力により空間が曲がることや時間の進み具合が変わることは知ってたもので、そうそう、この展示とは直接関係ないが「一家に一枚 宇宙図」という今分かっていることを1枚で説明したポスターが貼ってあった。これは面白い。ネットにあって誰でもダウンロードできるぞ。あと、常設展として、昔のパソコンなんかあり「PC-8001」だの「FM-8」だのというオレにとって懐かしい面々に会えた。地下の数学体験館は、体験施設で子供から大人まで面白いんだけど、結構混んでるのね。

アインシュタインの見つけた時間が伸びたり縮んだり相対的だ、というのは実はとんでもないことなのだ。というのも、一定に進む時間が宇宙空間を流れているわけではなく、個々の物質やらエネルギーが時間というものを所有しているってことなのだ。ビッグバンで生まれたのは、時間そのものであったという説。その前には時間も空間もなかった。じゃあ、なぜ宇宙は生まれたか? 一説に、宇宙には「意志」のようなものがあり、自己を認識したかったからビッグバンを起こし、宇宙を産んだのだ。その結果、宇宙を認識できる「人間」が生まれた。そう、実は宇宙は人間を産むためにできたのだ、という話がある。これ「人間原理」というのだ。なかなか面白い話ですね。まあ環境破壊しつつ他の生物をもおびやかす人間ってぇヤツが望まれた存在でなかったとしても、何らかの知的生物が望まれていたのではなかろうか。それは人間とは限らないけどね……と、この企画に行った帰りにブックオフで買った桜井邦朋「宇宙には意志がある」なんぞに書いてある。

しかし、宇宙に意志かあったからと言って、最初の、死んだらどうなるに関係するかっていうと……我々の意識や自我がどこかにキープされるわけじゃないだろうしなあ。ちなみに、何か偉大な存在が生命をデザインしたとかいう「サムシング・グレート」だとか、「ID理論」だとかは、なんか違う。人間は実に精巧なシステムだが無駄も多い。足の指とか髪だけ伸びてくとか、盲腸の虫垂とかいらんでしょ。あと、なんでオレたち常々服着てなきゃいかんの? 偉大な存在とやらが、衣服も文明であるから人間は裸じゃいられんようにデザインしたとはとても思えないぞ。だから宇宙の意志がかかわるとしたら、出だしのビッグバン部分での、光速がどのくらいとか、なんたら定数とかのパラメータ設定であって、あとはダーウィンの適者生存に従って残っては進化してくのだ……きっとパラメータ設定でうまくいかなかった、生命も星も何もない宇宙が、その宇宙意識の周囲で死屍累々としているに違いない。……いやいやだからって我らの自我は死んでどこに行くって答えにはならん。

しかしだ、自我が脳内の電気信号システムだとしても、じゃあ、なぜ我々は電気システムつまりコンピュータつまり機械のように思考しないのだろうか? 合理的でも利己的でもなく、種の保存目的でもなく、気分的に行動したりするのか? そりゃ生命だからでしょ。ゾウリムシだってその動きはランダムというか生命っぽい(?)し。つまり生命というなんか気まぐれに自立しているベースがあって、その上に脳の電気信号システムが構築されているとすれば、じゃあ、その気まぐれ部分って何だ? やっぱり魂みたいなもんがあるんじゃーないの、という考えも出てくる。

ともあれ、私の宇宙への旅はまだ始まったばかりなのだ。
https://www.tus.ac.jp/info/setubi/museum/main/event.html

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2007年8月24日 (金)

告知

やっとイベントの紹介ができます。ひさびさに呼ばれたんですっ!

http://homepage3.nifty.com/tkino/IVE.htm

来てね来てね来てね来てね来てね来てね来てね来てね来てねーっ!

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2006年8月16日 (水)

赤坂御盆

お世話になっております。松岡宮さん主催の赤坂L@Nでのイベント。5月のには出たけど今回はお客よ。主な出演は次の通り。

くつした
歌詞がちゃんとしている人。ロックだ。なんたって流しソーメン。ごちそうさまでした。CDを2枚ゲット。

MARI & SEXY DANCE&CHORUS
セクシー衣装で女性ソロ弾き語りのあと爆音ロック。弾き語りを聞く限り、メジャーとマイナーの差ってのは紙一重だなーと思う。

TЯicKY
女性かと思ったら野郎だ。うーん、IZAMがアイドル系歌謡とラップやってるみたいで、めちゃめちゃ面白い……はずなんだけど、歌詞がねー、もっとトチ狂ってるといいんだけどねー 惜しいな。

レンダ
私の好きなYAPOOSのコピーをやってたけど、今回は全曲オリジナル。打ち込み音の基本がYAPOOSなので、ああっ……いいっ! いいな。いいなー あー自分もこういうの作りたいなー それにしても1月に聞いた時に比べ、ボーカルがパワーアップしていた。早くCD出ないかな。

松岡宮
今回は、お経サポート付き。あー、なんか宮さんも音楽がパワーアップしてるぞ。また差が開いてしまう。オレもがんばらねーと。

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2005年7月12日 (火)

あーそうそう

今週末16日にイベントがあって、その名は「ネルシャツNight」http://www.poeca.net/cgi/db.cgi?action=details&code=2240

巷でウワサの、あるいはブレイク寸前の、いや、寸前かどうか分からないんだけど、きっとそのうちかなりのことになるであろう「ネルシャツ隊」の、今なら目の前カブリツキで接することができるわくわくライブです。わたひも一応メンバーです。今回もきっと爆音です(自分の声も聞こえない)。臨月の方にはあまり向きません。そうだ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのTシャツ着て行こう。

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2005年6月12日 (日)

あー昨日のイベントね……

即興ピアノと即興ダンスと一緒にやるのだと思っていたのだがそう思っていたのはわたひだけだったらしい……

にしても、SSWSなどでのフリースタイルの影響か、即興でのパフォーマンスが増えてきたようだ。うーん、微妙に私がやっている「即興詩みたいなもの」のとはジャンルが違うとは思うのだが、こりゃーもー即興ならウケるという時代ではなくなったぞ。

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